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「カレン、本当にそれでいいのですか?」
メイドのアンナが心配そうに私に尋ねる。鏡の中には、レースもフリルもない、地味な藤色のドレスを着た私が映っている。アンナは、私が選んだこのシンプルなドレスが気に入らないらしい。でも、これでいい。だって、舞踏会で目立つ必要なんてないのだから。
「ええ、これで大丈夫よ。私はただ、隅っこで静かにしていればいいのだから」
私は微笑んでみせたけれど、アンナの顔は晴れない。彼女は昔から、私がお姉様たちのように華やかなドレスを着ないことを不満に思っている。
「でも、今日はカスタン様との婚約のお披露目ですわ。伯爵家のご令嬢なのですから、もう少し、こう……」
アンナが言いかけた言葉を、私は遮る。
「アンナ、いいの。カスタン様は、私のことを地味だとおっしゃるから」
そう言うと、アンナは口をつぐんだ。彼女も知っているのだ。侯爵令息であるカスタン様が、私のことを「まるで咲くことのない野の花のようだ」と評したことを。その言葉は、私にとっては褒め言葉でも何でもなかった。
私は伯爵家の三女、カレン。姉様たちが華やかな容姿と社交性で貴族たちを魅了する中、私はいつも影のようにひっそりと生きてきた。派手なことが苦手で、人前で話すのも得意じゃない。読書をしたり、庭で花を育てたり、静かに過ごす時間が好きだった。そんな私を、カスタン様は「面白みのない女」と見下していた。
それでも、カスタン様との婚約は、父が決めたことだった。我が家と侯爵家は昔から深い関係にあり、政略的な理由で結ばれることになっていたのだ。私に拒否権はなかった。そして、私もそれが当然のことだと思っていた。貴族の娘として生まれた以上、家の役に立つのが務めだと教えられてきたから。
「カレンお嬢様、お父様がお待ちです」
執事の声に、私は鏡から目を離した。カスタン様が迎えに来る時間だ。私は深く息を吸い込み、心を落ち着かせた。今日一日、無事に終わりますように。そう願いながら、私は階段を降りた。
一階のリビングルームでは、父とカスタン様が談笑していた。カスタン様の横には、私の親友である伯爵令嬢、リリアがいた。彼女は私とは正反対で、明るくて社交的で、誰からも愛されるような華やかな存在だ。今日は、カスタン様がリリアをエスコートすると言って、一緒に来ていたのだ。
「カレン、遅いじゃないか」
カスタン様が私を見て、不機嫌そうに言った。私の地味なドレスを見て、明らかにがっかりしているのがわかった。
「申し訳ありません、カスタン様」
私は頭を下げた。すると、リリアが私の腕にそっと手を置いた。
「カレン、今日は素敵なドレスじゃない! 藤色がカレンの白い肌によく似合っているわ」
リリアは私を庇うように言ってくれた。彼女の優しさが、胸にじんと沁みる。私は小さく微笑んで、ありがとう、とだけ言った。
「くだらない。リリア、行こう。こんなところで時間を無駄にしたくない」
カスタン様は私を無視し、リリアを連れて歩き出した。私は一人、その後ろを歩いた。私の存在は、カスタン様にとって、どうでもいいものなのだと、改めて思い知らされる。
馬車に乗り込むと、カスタン様とリリアが楽しそうに話しているのが聞こえてきた。カスタン様はリリアのドレスや髪飾りを褒め、リリアは嬉しそうに微笑んでいる。私は二人の会話に耳を傾けながら、窓の外に広がる景色を眺めていた。こんな日々が、これからずっと続くのだろうか。そう思うと、胸の奥がぎゅっと締め付けられた。
舞踏会会場に着くと、きらびやかな光と音楽、そして人々のざわめきが私を包み込んだ。豪華なドレスを身につけた貴族たちが、あちこちで談笑している。私は隅っこに身を寄せ、一人で静かにしていた。カスタン様は、リリアを連れて多くの人々と挨拶を交わしていた。
「カレン様、一人でいらっしゃいますの?」
見慣れない令嬢が、私に声をかけてきた。私は小さく頷いた。
「カスタン様とは、ご一緒ではないのですか?」
その令嬢の視線は、カスタン様とリリアのほうに向けられていた。二人は、楽しそうにワルツを踊っている。私は、その光景を直視できなかった。
「ええ、カスタン様は社交がお得意ですから」
私はそう言って、笑顔を作ろうとした。でも、その笑顔はひきつっていたかもしれない。その令嬢は、私に哀れみの視線を向けて、やがて他の人々と話し始めた。
私は、この舞踏会が早く終わってほしいと心から願っていた。しかし、私の願いは届かなかった。音楽が止み、人々が注目する中、カスタン様が壇上に上がった。そして、リリアを隣に立たせた。
「皆様、本日はお集まりいただき、誠にありがとうございます」
カスタン様の声が、会場に響き渡る。私は、これからカスタン様が婚約のお披露目の挨拶をすると信じていた。しかし、彼の口から出た言葉は、私の予想をはるかに裏切るものだった。
「私はこの度、伯爵令嬢カレンとの婚約を破棄いたします」
その言葉が、私の耳に届いた瞬間、時間が止まったように感じた。会場中がざわめき、人々の視線が私に突き刺さる。私はただ、立ち尽くすことしかできなかった。
「カレンは、侯爵家の妻としてふさわしくない。彼女には、社交界を彩るような華やかさも、私を支える知恵もない。私には、もっとふさわしいパートナーがいるのです」
カスタン様はそう言い放ち、リリアの手を取った。リリアは、困ったように私を見つめたけれど、カスタン様の腕を振り払うことはしなかった。
「リリア嬢、貴女こそ、私の隣に立つべき女性だ。この場で、貴女にプロポーズさせてほしい」
カスタン様は、リリアの前にひざまずいた。リリアは顔を赤らめ、小さく頷いた。会場からは、拍手と祝福の声が上がった。
私は、この光景を夢でも見ているかのように、ただぼんやりと眺めていた。恥ずかしさと屈辱が、私の心を支配する。そして、その感情は、やがて燃えるような怒りに変わっていった。
「カレン、お前は本当に、つまらない女だ」
カスタン様は、私に向かってそう言った。その言葉は、まるで鋭い刃物のように私の心臓を突き刺した。私は、唇を噛みしめた。もう、涙は出なかった。代わりに、心の中で静かに何かが燃え始めたのを感じた。
この屈辱を、絶対に忘れない。
私は、静かに会場を後にした。もう、誰の顔も見たくなかった。馬車に乗り込み、一人になった私は、震える手で拳を握りしめた。
「カスタン様……リリア……」
私のつぶやきは、誰にも届かなかった。馬車は、静かに夜の道を走っていく。私は、窓の外を流れる景色を眺めながら、心の中で誓った。
必ず、見返してやる。この屈辱を、私に与えたすべての人々に、後悔させてやる。
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