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名前を呼んでくれたあの子
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放課後。一服させて貰おうと家庭科室に入る。ここには茶やインスタントコーヒーの他にポットやオーブンレンジ等の調理器具も置いてあり、放課後には滅多に人は来ない。静かで落ち着ける場所だった……筈。
「せーんせっ!」
ただ一人、目立つ問題を起こさない事が問題な変わり者だけは最近ちょくちょく来るようになってしまったが。
「古谷トシヲ……お前か……」
振り向かないようにしながら、電気ポットで湯を沸かす。気配は物凄く感じている。
「紅茶に緑茶にコーヒー、どれ飲みますか?」
見ないようにしていたその生徒、古谷トシヲの声にチラリと目線だけ向けて確認する。俺がこっそり持ち込んで置いておいた茶葉やインスタントコーヒーを物色しているようだ。
「大人しく帰ってくれ……」
「おやぁ?先生は今日とってもおちゅかれでちゅねー。ママがおいちい飲み物を用意ちてあげまちゅよ~」
帰ってくれ、と言った事で疲れているのだと思われたらしい。赤ちゃん言葉で返された。つまり、古谷の母性スイッチを押してしまったという事だ。
「……コーヒー。ブラックで」
「お兄ちゃんチョイスでちゅね、ママと一緒にいただきますしまちょうね」
どう扱うのが正解なのかは分からないが、多少はやりたいようにやらせておけばそのうち気が済むだろう。と、流されるままにブラックコーヒーをリクエスト。
すぐにカップを2つ、セットでマドラー代わりのスプーンを持ちこちらに近づいてきた。
古谷トシヲという珍妙な生徒、彼はウェーブがかった黒髪に、眼鏡。制服の上からエプロンを付けた姿で目を輝かせてインスタントコーヒーを淹れている。俺より高い身長と、少し大きな手を見る限り決して「ママ」というイメージでは無いが、将来は良い保育士さんにでもなるのだろう。
ふわっと漂ってきたコーヒーの香りが思考を現実に引き戻してくる。
「冷めないうちに、いただきますしまちょーねぇ」
食器はなるべく音を立てないように。そんな心遣いからなのかいつの間にか目の前に差し出されていたコーヒーの入ったカップ。向かい側に座っていた古谷。
「……いただきます」
コーヒーを一口啜る。まだ熱い。
「ママは今日、先生にお話しがあってきたんでちゅよー。よーく聞いて、元気にお返事して下ちゃいねー」
「進路の事でも何でも……と言いたいが、勉強は担当教科以外はイマイチだし異性関係はお察し願いたいが……それで良ければ話してみろ」
今、こちらからは話しは無いが。立場上、何か悩みがあるなら聞く事も重要だ。
ふぅ、と、軽い吐息の後に古谷は眼鏡を外して机の上に置き、ゆったりとした仕草でカップを持ち、コーヒーに口を付ける。2、3口ほど飲んでからはにかんだ表情を浮かべ薄茶の瞳で俺をじっと見つめてきて……
「先生の……名前を教えて下さい」
…………
名前。今更だろう?とは思うけれど、そう言えば俺は今まで生徒に名前で呼ばれる所か苗字ですら呼ばれた事が無かった。嫌われてはいないと思う。授業が崩壊した事も今まで一度も無かった。ただ俺自身、影が薄い自覚があるだけだ。
「教えて、下さい。ママなのに、自分の愛しい子供達の名前を知らないのはちょっと、どうかと思うので」
「坂野 智。担当教科は科学、年齢は25歳……あと、古谷は俺のママではない。他に質問は?」
「坂野 智……ともちゃん、かぁ。ともちゃんがいつか僕の事をママって呼んでくれたら嬉しいな」
俺の名前を口に出してふわりと優しい笑みを浮かべ、まだ温かいコーヒーを啜っている珍妙な生徒・古谷トシヲ。
「お前が俺のママになれる日は来ないから安心していい」
先程よりは熱くなく、まだ温かい飲みやすい温度になったコーヒーを一気に飲み干した。心地よい香りと苦味が口の中いっぱいに広がる。
「ええ?なれますよ。智ちゃん先生も最初だけです、恥ずかしいのは。いつでもママって呼んで甘えてきて下さいね」
「何故そうなる」
コーヒーを飲み干して眼鏡をかけた古谷は使ったカップとスプーンを手際良く洗って片付けて、時計を見てハッとして帰り支度を整えていた。
「それでは智ちゃん先生、また明日」
急いで帰路につく後ろ姿を見送る。コーヒーのおかげだろうか?胸の奥が少しだけ温かい。
生徒に名前で呼ばれた事は、この時が初めてだった。
「せーんせっ!」
ただ一人、目立つ問題を起こさない事が問題な変わり者だけは最近ちょくちょく来るようになってしまったが。
「古谷トシヲ……お前か……」
振り向かないようにしながら、電気ポットで湯を沸かす。気配は物凄く感じている。
「紅茶に緑茶にコーヒー、どれ飲みますか?」
見ないようにしていたその生徒、古谷トシヲの声にチラリと目線だけ向けて確認する。俺がこっそり持ち込んで置いておいた茶葉やインスタントコーヒーを物色しているようだ。
「大人しく帰ってくれ……」
「おやぁ?先生は今日とってもおちゅかれでちゅねー。ママがおいちい飲み物を用意ちてあげまちゅよ~」
帰ってくれ、と言った事で疲れているのだと思われたらしい。赤ちゃん言葉で返された。つまり、古谷の母性スイッチを押してしまったという事だ。
「……コーヒー。ブラックで」
「お兄ちゃんチョイスでちゅね、ママと一緒にいただきますしまちょうね」
どう扱うのが正解なのかは分からないが、多少はやりたいようにやらせておけばそのうち気が済むだろう。と、流されるままにブラックコーヒーをリクエスト。
すぐにカップを2つ、セットでマドラー代わりのスプーンを持ちこちらに近づいてきた。
古谷トシヲという珍妙な生徒、彼はウェーブがかった黒髪に、眼鏡。制服の上からエプロンを付けた姿で目を輝かせてインスタントコーヒーを淹れている。俺より高い身長と、少し大きな手を見る限り決して「ママ」というイメージでは無いが、将来は良い保育士さんにでもなるのだろう。
ふわっと漂ってきたコーヒーの香りが思考を現実に引き戻してくる。
「冷めないうちに、いただきますしまちょーねぇ」
食器はなるべく音を立てないように。そんな心遣いからなのかいつの間にか目の前に差し出されていたコーヒーの入ったカップ。向かい側に座っていた古谷。
「……いただきます」
コーヒーを一口啜る。まだ熱い。
「ママは今日、先生にお話しがあってきたんでちゅよー。よーく聞いて、元気にお返事して下ちゃいねー」
「進路の事でも何でも……と言いたいが、勉強は担当教科以外はイマイチだし異性関係はお察し願いたいが……それで良ければ話してみろ」
今、こちらからは話しは無いが。立場上、何か悩みがあるなら聞く事も重要だ。
ふぅ、と、軽い吐息の後に古谷は眼鏡を外して机の上に置き、ゆったりとした仕草でカップを持ち、コーヒーに口を付ける。2、3口ほど飲んでからはにかんだ表情を浮かべ薄茶の瞳で俺をじっと見つめてきて……
「先生の……名前を教えて下さい」
…………
名前。今更だろう?とは思うけれど、そう言えば俺は今まで生徒に名前で呼ばれる所か苗字ですら呼ばれた事が無かった。嫌われてはいないと思う。授業が崩壊した事も今まで一度も無かった。ただ俺自身、影が薄い自覚があるだけだ。
「教えて、下さい。ママなのに、自分の愛しい子供達の名前を知らないのはちょっと、どうかと思うので」
「坂野 智。担当教科は科学、年齢は25歳……あと、古谷は俺のママではない。他に質問は?」
「坂野 智……ともちゃん、かぁ。ともちゃんがいつか僕の事をママって呼んでくれたら嬉しいな」
俺の名前を口に出してふわりと優しい笑みを浮かべ、まだ温かいコーヒーを啜っている珍妙な生徒・古谷トシヲ。
「お前が俺のママになれる日は来ないから安心していい」
先程よりは熱くなく、まだ温かい飲みやすい温度になったコーヒーを一気に飲み干した。心地よい香りと苦味が口の中いっぱいに広がる。
「ええ?なれますよ。智ちゃん先生も最初だけです、恥ずかしいのは。いつでもママって呼んで甘えてきて下さいね」
「何故そうなる」
コーヒーを飲み干して眼鏡をかけた古谷は使ったカップとスプーンを手際良く洗って片付けて、時計を見てハッとして帰り支度を整えていた。
「それでは智ちゃん先生、また明日」
急いで帰路につく後ろ姿を見送る。コーヒーのおかげだろうか?胸の奥が少しだけ温かい。
生徒に名前で呼ばれた事は、この時が初めてだった。
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