【本編完結】偽物の番

麻路なぎ

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★番外編01 運命の番 side 千早

運命の番07

 匂いがする。
 俺を誘う、オメガの匂いが。
 なのにその匂いの主は俺を拒み、苦しい時間が続いていた。
 もう、五月の半ばだというのに状況は何も変わらない。
 通学時に匂いを感じるたびに息苦しさを覚えるようになり、俺は車通学に切り替えた。
 大学ではその匂いを感じることはなく、表面上落ち着いたひびが続いているようには思う。
 だが心の中は荒れ果てていた。
 オメガを求める本能は、早くあいつを犯せと訴える。
 その感情に拒絶反応を示した俺は、毎日のように吐くようになっていた。
 オメガは皆、アルファに囲われるのを望んでいると思っていた。
 なのにあいつは違う。
 なぜ、アルファを拒む?
 あのあともう一度宮田に声をかけるチャンスがあったが、彼は全く耳を貸さなかった。

「噛まれれば、お前は発情期、苦しまなくても済むのになぜそんなに俺を拒む?」

「僕は……アルファが怖いんだ。だから放っておいて。僕に、構わないで」

 大学では目立つことができず、俺はその場を去ることしかできなかった。
 幸い俺は、車を手に入れた。
 宮田の住所も調査済みだ。
 いつでも攫うことができる。
 だが、まだ俺は行動に移せない。
 玩具も、部屋も用意したのに。
 それを活用する機会はまだこない。
 


 五月二十日金曜日。
 その日も朝から吐いてしまい、俺は大学の講義室に着くなり机に突っ伏した。

「おわっ、なんだ、誰が寝てるのかと思ったら秋谷かよ……お前身体辛いなら帰れば?」

 呆れたような各務の声が隣から聞こえてくる。
 帰っても、身体の辛さがなくなるわけじゃない。
 ひとりだとぐるぐると考えてしまうので、まだ講義を受けていた方がましである。
 その間は少なくとも、考えなくて済むから。

「別に、なんでもねえよ」

 言いながら俺は身体を起こす。
 すると、各務が顔を近づけてくる。

「な、何だよ」

「顔色むちゃくちゃ悪いぜ? ほんとに大丈夫なのお前」

 茶色の双眸に見つめられ、俺は不快に感じ首を振る。

「そんなに顔、近づけるんじゃねえよ」

 語気を強めて言うと、各務は顔をひっこめて、

「わりぃ」

 と呟く。

「絶対最近変だよお前。何かあったの?」

「何でもねえよ」

 呟きそして、椅子の背もたれに身体を預ける。
 何でもない。
 そう自分に言い聞かせ、講義が始まるのを待った。



 二限目まで終え、食欲もなく図書室で時間を潰した。
 読む本の内容は全く入ってこず、持って来ている自由帳に落書きして過ごした。
 時計が十三時を過ぎ、俺は片づけをして図書室を出る。
 その時。
 強い匂いを感じ、俺は辺りを見回した。
 この匂い――オスを惹きつけるフェロモンだ。
 呼んでる。
 あいつ、発情期を迎えた?
 俺は匂いを求めて歩き出す。
 場所は別の建物だ。
 それでも確かに感じる匂い。
 いくらあいつが拒もうと、俺にはわかってしまう。
 あいつが発情したことが。
 本能が孕ませろ、と訴える。
 十三時十五分から次の講義が始まるため、学生たちは皆、教室へと向かって行く。
 学生数が多いため、全く違う学部の俺がうろついていても見咎める者はなく、俺は知らない校舎内を迷うことなく歩いた。
 場所は、三階。
 人の姿は少なく、がらん、としている。
 匂いをたどると、トイレにたどり着いた。
 中に入ると、水道の前にあいつがいた。
 鏡越しに、視線が合う。
 彼は驚いた顔でこちらを振り返りそして、口元を押さえた。

「あ……」

 見つけた。
 俺の、番。
 俺は迷うことなくあいつの腕を掴み、そして、頭に顔を寄せて囁く。

「お前、発情、してるんだろう?」

「……!」

「お前から、俺を誘う匂いがする」

「さ、誘うつもりなんて……ないのに……」

 声を詰まらせ、宮田は俯く。
 
「ぼ、僕は、嫌だ。まだ……そんなつもりも、覚悟もないんだから……」

 怯えた声で言い、彼は首を振る。
 その声さえ、俺の本能を刺激する。
 今すぐ孕ませろと、本能が叫びだす。
 ――こんなところで、抱けるわけがない。

「離してください。戻らないと、結城が、心配する」

 結城……琳太郎。
 名前を聞き、俺の中に動揺が生まれる。
 その時、宮田が俺の手を振り払いその場から逃げ出してしまった。
 とっさに追いかけ、すぐにその手を掴む。

「逃げてどうする? 身体、辛いんだろう? お前の本能は、俺を求めているはずだ」

「そ、そうだけどでも……僕は、そんなの認めたくない……」

 言いながら、宮田は首を横に振り、涙目で俺を見る。
 どんなに泣こうと、俺はこいつを逃がすわけにはいかなかった。
 ――早く、連れ去り、孕ませろと、本能が叫んでる。
 俺は宮田を引きずり、空き教室へと連れ込んだ。
 もう少しすれば講義が始まり、校舎内を歩く者は一気に減るはずだ。
 それまで時間を稼がなければ。

「運命だからって、なんで僕を求めるんですか? 僕は、そんなつもりないのに」

 宮田の言葉が俺の心を引き裂いていく。
 そんなつもりはない。
 なぜ、こいつは俺を目の前にしてこんなことが言えるんだ。

「俺にはわかるんだよ。お前は発情期なんだろう? その匂いが……俺を狂わせる」

 その時、扉が開く音がした。
 驚きそちらを見ると、よく知る顔がそこにあった。 

「結城……」

「琳太郎」

 なんで琳太郎がここにいる?
 彼の姿を見て、俺の心はざわめきだす。
 
「千早、何してんだよ」

 戸惑いをはらむ声で言いながら、琳太郎は俺に近づくと、宮田を掴む俺の腕を掴んだ。

「琳太郎」

 なんでお前はここに来たんだ。
 さっきまで俺は、宮田を連れ去るつもりだったのに。決意が揺らぐ。

「お前、そんなことしたくないんじゃなかったのか? 何考えてんだよ」

「わかってるんだよ、ことは!」

 そう声を上げ、俺は宮田から手を離し、そして琳太郎へと身体を向けた。
 来なければよかったのに。
 お前が来なければ……狂った歯車を戻すことができたかもしれないのに。

「でも匂いがするんだよ。発情期の、オメガの匂いが……」

 この匂いは俺を惹きつけ、俺を狂わせる。

「結城……俺、発情期始まったみたいでそれで、薬飲んで講義室行こうとしたら……その……」

 宮田の弱々しい声が聞こえてくる。

「僕だって別に……誘いたいわけじゃないよ」

「俺も襲うつもりなんてなかったよ」

 半分は、嘘だ。
 できればこのまま攫ってしまいたかった。
 本能は今でもそう叫んでる。

「と、とりあえずここは任せて、宮田、先行ってろよ。今ならギリ間に合うだろ?」

「え、でも……」

 とんでもないことを琳太郎が言い出し、宮田の戸惑う声が聞こえてくる。
 何故逃がす?
 これは、俺の獲物なのに。

「ごめん」

 と言い、足音と、扉が開け閉めされる音が響く。
 匂いが遠ざかっていく。
 気が付くと、俺は彼の辿った道を目で追っていた。
 あいつがいなくなったが、まだ匂いがする。
 部屋に充満するオメガの匂い。
 まだ本能は、あいつを抱けと、孕ませろと叫んでる。
 なのに……邪魔が入ってしまった。

「おい、千早、大丈夫か?」

「大丈夫じゃねえよ」

 言いながら俺は首を振り、そして彼を見る。
 琳太郎は、怯えたような目をして俺を見ている。
 ……こんな目をするやつだったか?
 その目が、宮田と重なり俺の心の中にひびが入る音がする。
 俺は首を振り、琳太郎に言った。

「なあ琳太郎。俺だってこんなことしたくないんだよ。なのに……なのに本能があいつを求めるんだ。あいつを手にいれろって。今すぐ閉じ込めて、うなじを噛んで番にしろと。裸にして、抱き潰せって訴えるんだ」

 苦しみが溢れだす。
 本能は確かにあいつを抱けと訴えるのに、理性はそれを阻む。
 琳太郎を悲しませていいのかと、叫び続けている。
 相反する想いに気が狂いそうだった。
 いっそのこと、あいつをここで犯してしまえばよかっただろうか?
 家に連れ込むなど、そんなまどろっこしいことをしようとしなければ……うなじを噛んでしまえばよかった。
 後悔が、心の中を満たしていく。

「今すぐここで犯したかった。裸にして、泣かせて……でも、お前が止めに来た」

「……そうならなくて、良かったと思ってるよ」

 憐れむような声に、俺は琳太郎を睨み付ける。
 なぜ、そんなことが言える?
 俺は、番に逃げられたと言うのに。

「良かった? 俺はよくないよ。この感情をどうしたらいい? なあ、琳太郎」

「感情って……どういうことだよ?」

「抱きたいって言う感情だよ」

 本能が、運命を捕まえろと訴える。
 運命――て、今逃げたやつじゃないと駄目なんだろうか?
 何度話しかけても、全く耳を傾けない運命よりも、今目の前にある運命を掴む方が簡単じゃないだろうか?
 運命が逃げていくなら、自分から作りだせばいい。
 そうじゃないか、なあ。琳太郎。
 俺の中で何かが崩れる音がする。
 そして崩れたそれは、運命を掴めと訴える。
 その運命の名前は――?
 俺はゆっくりと顔を上げ、琳太郎に笑いかけた。

「お前が代わりになればいい」

「……え?」

 そうだ。
 運命に逃げられたなら、変わりを用意すればいいじゃないか。そうすれば、俺はあいつに惑わされなくて済むのだから。

「なあ琳太郎。お前が彼の代わりになれよ。卒業するまで。そうすれば少なくとも性欲は満たされるからな」

 違う、性欲だけで済むわけがない。
 身体も心もすべてを満たす存在。
 それが番なのだから、琳太郎をそうしてしまえばいい。
 ずっとそばにいた。
 ずっとそばに置き、大切にしてきた。
 ――本当に、なんでお前がオメガじゃないんだろうな。
 そしてなぜ、運命は俺と宮田を引き合わせたんだろうか。

「おい、それはちょっとどうかと思うぞ? それって俺がお前に……」

 琳太郎の戸惑う声が遠くに聞こえるが、何を言われても俺は聞く気などなかった。
 今、俺の脳を支配しているのは、この男を抱くことだけだった。
 崩れ落ちたものがオメガを求める本能であると気が付いたが、もうそんなのどうでもよかった。
 発情期を迎えてもなお拒絶されたことで、俺の本能はおかしくなってしまったのかもしれない。
 オメガなんてどうでもいい。
 今すぐ犯せる相手がいるじゃないか。
 目の前に。
 俺は、琳太郎の腕を掴む。

「いいよな、琳太郎。お前が、止めたんだから」

 普段出すことのない、威圧する声で言うと、琳太郎は呻きそして、動かなくなってしまう。
 あぁ、どうやら琳太郎は、この声に弱いらしい。

「琳太郎」

 もう一度名前を呼ぶと、びくん、と身体を震わせ、怯えた目で俺を見る。

「着いてくるよな。俺に」

 歯をかたかたと鳴らし、琳太郎は頷くことも、首を振ることもしなかった。
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