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35溢れるもの
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一度あふれ出た涙を止めたいと思うものの、止められるわけもなくて。
私は眼鏡をとり涙を拭った。
デュクロ司祭に残されている時間は少ないとわかってはいるし覚悟はしているけれど、あんな姿を目の前にすると駄目だなあ。
「エステルさん?」
顔を上げると、ぼやけた視界にマティアス様の心配そうな顔が映る。
すぐ目の前に顔があり、私はどきりとした。
「マ、マティアスさん」
驚きのせいか別の理由か、私の口から出た声は裏返っていた。
彼は優しく微笑み、
「君にとって、デュクロ司祭は大切な人なんだね」
と言った。
「はい、それはそうですよ。だって、あの方との出会いがなければ私、ここにいませんし」
子供の頃、デュクロ司祭のことを知り教会に通うようになり、私の魔法の素質を見出したあの方に癒しの魔法を教わった。
私が神官になりたいと決めた時、ここプレリーの教会を勧めてくれたのもデュクロ司祭だ。
私にとっては師であり、人生を示してくれた大事な人。
「公女様に教えるのもどうかと思うけれど、せっかく出会えたしね」
と言いつつ、私に傷をいやす魔法や病気を癒す魔法、痛みを和らげる魔法などを教えてくれた。
「大事に使うんだよ。その代償は君の命そのものだから」
デュクロ司祭にそう言われたときその意味がよくわからなかったけれど、弱っていくデュクロ司祭を見てやっと理解できた。
大事に使うように言われた理由や、その代償の大きさが。
私はデュクロ司祭のようにはなれないけれど、それでもこの魔法を人々の為に使いたい。そう思って神官を目指してきたけれど……最近、その決意はゆらゆらと揺らいでいる。
「そうだよね、ごめんね、変なことを言って」
ちょっとばつが悪そうな顔をしているのは何でだろうか。
「彼と一緒にいる君がとても嬉しそうで……楽しそうだったから少し……ね」
少し、何なんだろう?
私は眼鏡をかけないままマティアス様を見る。
彼は立ち上がり、台所の方へと向かいながら言った。
「嫉妬っていうのかな。こういうのを認めるのって恥ずかしいものだね」
振り返ると、彼は新しくお茶を用意しているようだった。
すぐにやかんのお湯は沸き、マティアス様はポットに茶葉を入れてお湯を注ぐ。
「冷めちゃったから淹れなおすよ」
彼は私の前にあるカップを手にするとそれを持ってまた台所へと向かって行った。
「あ、す、すみません」
すぐに湯気のたつカップを持ったマティアス様がこちらに戻ってきて、私の前にそのカップをそっと置いた。
「デュクロ司祭に嫉妬、ですか?」
隣りに立つ彼を見上げて私が言うと、湯気の立つカップを持ったまま苦笑した。
「うん。こういう感情は初めてでどうしたらいいかわからなくて。泣く君を見たら口づけてしまって。ごめんね、怒るのは当然だよね」
言われて私は昼間のことを思いだす。
あれデュクロ司祭に嫉妬したからだったの? お礼はこれでとか言っていたけれど。本質はそこ?
私の初めての口づけなのに……嫌ではなかったけれどもうちょっといい雰囲気でしたかったというか……
「できれば……ああいうのはもっといい雰囲気でしたかったな……」
そんなつもりはなかったけれど、自然と呟きが漏れてしまう。
「いい雰囲気?」
不思議そうなマティアス様の声が頭上から降ってくる。
私はお茶の入ったカップを手にとり、それを一口飲んでから言った。
「はい。そもそも誰とも付き合ったことないですから口づけなんてしたことないですし。だから夢があったというか」
夢、というと大げさだし理想の口づけとかあるのかと言われたら考えたことはないのだけれど。
してしまった後だといろいろとああしたかったのに、という思いがどうしても生まれてしまう。
舞台などで見かけるどきどきするような口づけの場面とか、情熱的なものを求めているわけじゃないけれど、せめて付き合っている恋人としたかったなあ。
……マティアス様とは付き合ってないし。いや、一緒に暮らしている時点でどうかと思うけれど。
「そうだよね、女の子だしそう言うのあるよね。本当にごめん」
心の底から悪い、と思っているようなマティアス様の声が聞こえてくる。
そこまで言うならなぜあそこで口づけを……いや、今更ですね。
「いいえ、あの……責める気はないんです、私こそ……いろいろしていただいているのに」
「まだ約束の一年は経っていないし。焦った俺が悪いから」
そう言って、マティアス様は私の後ろを通り、扉の方へと向かう。
「今日は疲れたよね、お休み、エステルさん」
と言い、彼はこちらを振り返らず廊下へと続く扉を開けた。
「マティアスさん」
思わず私は立ち上がり声をかける。
「何?」
眼鏡をかけていないので表情はわからないけれど、こちらを振り返ったことだけはわかる。
私はそのまま顔がはっきり見える距離まで歩み寄る。
「あの、私まだ覚悟ができなくて。でもマティアスさんのことはその……」
そこまで言って私は口をつぐんだ。私は何を言いたいんだろう。
だいたい覚悟ってなに?
マティアス様を好きだと自覚する覚悟……かな?
よくわかんなくなってきた。
「マティアスさん、私……」
「無理しなくていいよ。今は決める状況ではないだろうし。俺は君が決めたことには従うから、焦らずに答えを出してくれたらいいな」
そして、マティアス様は私の肩に手をあてて、
「おやすみ」
と言い、額に口付けた。
私は眼鏡をとり涙を拭った。
デュクロ司祭に残されている時間は少ないとわかってはいるし覚悟はしているけれど、あんな姿を目の前にすると駄目だなあ。
「エステルさん?」
顔を上げると、ぼやけた視界にマティアス様の心配そうな顔が映る。
すぐ目の前に顔があり、私はどきりとした。
「マ、マティアスさん」
驚きのせいか別の理由か、私の口から出た声は裏返っていた。
彼は優しく微笑み、
「君にとって、デュクロ司祭は大切な人なんだね」
と言った。
「はい、それはそうですよ。だって、あの方との出会いがなければ私、ここにいませんし」
子供の頃、デュクロ司祭のことを知り教会に通うようになり、私の魔法の素質を見出したあの方に癒しの魔法を教わった。
私が神官になりたいと決めた時、ここプレリーの教会を勧めてくれたのもデュクロ司祭だ。
私にとっては師であり、人生を示してくれた大事な人。
「公女様に教えるのもどうかと思うけれど、せっかく出会えたしね」
と言いつつ、私に傷をいやす魔法や病気を癒す魔法、痛みを和らげる魔法などを教えてくれた。
「大事に使うんだよ。その代償は君の命そのものだから」
デュクロ司祭にそう言われたときその意味がよくわからなかったけれど、弱っていくデュクロ司祭を見てやっと理解できた。
大事に使うように言われた理由や、その代償の大きさが。
私はデュクロ司祭のようにはなれないけれど、それでもこの魔法を人々の為に使いたい。そう思って神官を目指してきたけれど……最近、その決意はゆらゆらと揺らいでいる。
「そうだよね、ごめんね、変なことを言って」
ちょっとばつが悪そうな顔をしているのは何でだろうか。
「彼と一緒にいる君がとても嬉しそうで……楽しそうだったから少し……ね」
少し、何なんだろう?
私は眼鏡をかけないままマティアス様を見る。
彼は立ち上がり、台所の方へと向かいながら言った。
「嫉妬っていうのかな。こういうのを認めるのって恥ずかしいものだね」
振り返ると、彼は新しくお茶を用意しているようだった。
すぐにやかんのお湯は沸き、マティアス様はポットに茶葉を入れてお湯を注ぐ。
「冷めちゃったから淹れなおすよ」
彼は私の前にあるカップを手にするとそれを持ってまた台所へと向かって行った。
「あ、す、すみません」
すぐに湯気のたつカップを持ったマティアス様がこちらに戻ってきて、私の前にそのカップをそっと置いた。
「デュクロ司祭に嫉妬、ですか?」
隣りに立つ彼を見上げて私が言うと、湯気の立つカップを持ったまま苦笑した。
「うん。こういう感情は初めてでどうしたらいいかわからなくて。泣く君を見たら口づけてしまって。ごめんね、怒るのは当然だよね」
言われて私は昼間のことを思いだす。
あれデュクロ司祭に嫉妬したからだったの? お礼はこれでとか言っていたけれど。本質はそこ?
私の初めての口づけなのに……嫌ではなかったけれどもうちょっといい雰囲気でしたかったというか……
「できれば……ああいうのはもっといい雰囲気でしたかったな……」
そんなつもりはなかったけれど、自然と呟きが漏れてしまう。
「いい雰囲気?」
不思議そうなマティアス様の声が頭上から降ってくる。
私はお茶の入ったカップを手にとり、それを一口飲んでから言った。
「はい。そもそも誰とも付き合ったことないですから口づけなんてしたことないですし。だから夢があったというか」
夢、というと大げさだし理想の口づけとかあるのかと言われたら考えたことはないのだけれど。
してしまった後だといろいろとああしたかったのに、という思いがどうしても生まれてしまう。
舞台などで見かけるどきどきするような口づけの場面とか、情熱的なものを求めているわけじゃないけれど、せめて付き合っている恋人としたかったなあ。
……マティアス様とは付き合ってないし。いや、一緒に暮らしている時点でどうかと思うけれど。
「そうだよね、女の子だしそう言うのあるよね。本当にごめん」
心の底から悪い、と思っているようなマティアス様の声が聞こえてくる。
そこまで言うならなぜあそこで口づけを……いや、今更ですね。
「いいえ、あの……責める気はないんです、私こそ……いろいろしていただいているのに」
「まだ約束の一年は経っていないし。焦った俺が悪いから」
そう言って、マティアス様は私の後ろを通り、扉の方へと向かう。
「今日は疲れたよね、お休み、エステルさん」
と言い、彼はこちらを振り返らず廊下へと続く扉を開けた。
「マティアスさん」
思わず私は立ち上がり声をかける。
「何?」
眼鏡をかけていないので表情はわからないけれど、こちらを振り返ったことだけはわかる。
私はそのまま顔がはっきり見える距離まで歩み寄る。
「あの、私まだ覚悟ができなくて。でもマティアスさんのことはその……」
そこまで言って私は口をつぐんだ。私は何を言いたいんだろう。
だいたい覚悟ってなに?
マティアス様を好きだと自覚する覚悟……かな?
よくわかんなくなってきた。
「マティアスさん、私……」
「無理しなくていいよ。今は決める状況ではないだろうし。俺は君が決めたことには従うから、焦らずに答えを出してくれたらいいな」
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「おやすみ」
と言い、額に口付けた。
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