婚約破棄したはずなのに、元婚約者が家にやって来た

麻路なぎ

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番外編

番外編 命を繋ぐ2

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 翌日。
 朝、私は付き人なしで外出をしていた。
 久しぶりに着る神官服は、自然と私の心と体を引き締めてくれる。
 行く先は町外れにある教会だ。そこは私たちが結婚式を行う予定の教会であり、デュクロ司祭が籍を置く教会でもある。
 そこにはデュクロ司祭のほか、大司教様や司教様、神官など複数名が籍を置く。
 妻帯を禁止されていないので、結婚され家族をもたれている方も多い。
 その教会の離れの一画にデュクロ司祭は住まわれている。
 この離れにはデュクロ司祭のほか、妻帯していない神官見習いや神官たちが住んでいる。
 彼に最後に会ったのは、三か月ほど前に結婚式をお願いしに来た時だ。
 それ以来会っていない。
 正確には、会うのが怖かった。
 会うたびにデュクロ司祭は弱っていく。
 その現実に、私の心は耐えられなかった。
 教会の敷地に入ると、紺色の祭服を纏ったマリエール大司教が庭で水やりをしていた。
 赤や黄色、橙色の花が、教会の周りを飾り立てている。
 真っ白になった髪と顔に刻まれた皺が彼の年齢を感じさせてくれる。
 確か、六十を過ぎているはずだ。
 マリエール大司教は私に気が付くと眩しそうに目を細め笑みを浮かべた。

「これはエステル様。ようこそお越しくださいました」

「ご無沙汰しております、大司教様」

 私が頭を下げると、マリエール大司教は首を横に振り、

「公女様が頭をさげなさるな」

 と恐縮した様子で言う。

「私は神官見習いですから、頭を下げるのは当たり前です」

「そうですが……」

「神の前で人は平等ですよ」

「えぇ、女神様の前で人は平等ですが、人同士は平等ではないのですよ」

 こんなことを平気でいうのだから、この教会は少し変わってると思う。

「あの、デュクロ司祭は……」

 私が問うと、マリエール大司教は表情を変えた。
 水やりのじょうろを地面に置き、悲しげな眼をする。

「あれは……抜け出していなければ部屋にいるはずです」

 抜け出していなければ。
 マリエール大司教は首を横に振り、

「ユルリッシュに……あの秘術を伝えたのは間違えだったのではと思うのですよ」

 と苦しげな声で呟く。

「大司教様……」

「あれは緩やかな自殺ですよ、エステル様」

 それには反論の余地もない。
 癒しの魔法を使えば使うだけ、命を削る。
 事実デュクロ司祭に残されている時間はもうわずかだろう。
 真っ白に染まった髪。杖なしではまともに歩けなくなってしまっているのに、デュクロ司祭は魔法を使うのをやめない。
 求められればあの方は魔法を使い続ける。

「自分にしかできないことがあるからと、司祭としても勤めをすべて捨て、人を癒し続けた。その代償はあまりにも重い」

 マリアール大司教がこんな弱々しい声で語るのは珍しかった。
 礼拝において、大司教は凛とした声で説教をし、人々の相談にのり救いを求める人を助けて来たのに。

「あれが弱っていく姿は……私の心を苛んでいくのですよ」

「……それは……私もわかります。だから私、デュクロ司祭に会うのが怖いのです。自分から私たちの結婚式を執り行いたいと申し出ていただいたのはとてもうれしいのですが……大丈夫なのかなと」

「式自体は私が中心に執り行いますが、祝福だけは与えたいと申しております」

 そう言ったマリエール大司教の顔は、悲しさと、喜びなどをないまぜにしたような複雑なものだった。



 デュクロ司祭の部屋を訪れると、幸い彼は部屋にいた。

「あぁ、いらっしゃい、エステル君」

 寝台に寝転がったままの彼は、顔を上げて私を見つめる。
 ゆったりとした部屋着姿のまま、デュクロ司祭は寝台に横たわっていた。
 真っ白な髪。真っ白な顔からは生気を感じない。まるで作り物の人形のようだ。
 起きるのもやっとという感じで、デュクロ司祭はゆっくりと身体を起こし寝台に腰かけた。
 部屋に入ったのはいいものの、弱っているデュクロ司祭の姿を見て、私は動けなくなってしまった。

「マティアス君はどうしたの?」

「え? あ……あの、彼は髪を切りたいと……なので、別行動です」

 それは本当の事だった。
 マティアスは髪が伸びたのが気になるらしく、今朝になり髪を切りたいと言い出した。
 私がデュクロ司祭にひとりで会いに行きたかったので、気を使ったのかもしれないけれど。

「そっかー。それでエステル君。立っていないで座りなよ」

 と言い、ゆっくりと手を上げて椅子を指差す。
 私はぎゅっと拳を握りしめ、椅子に歩み寄った。

「失礼します」

 そう言って、私は木でできた簡素な椅子に腰かける。
 この部屋には物が少ない。生活感がまるでない。
 寝台、寝台横の台、机と椅子。服をしまうための収納があるだけだ。

「お茶を持ってくるよ」

 と言い、立ち上がろうとするデュクロ司祭を私は慌てて止めた。

「だ、大丈夫です。ここに来る前にルロワさんに声をかけてきましたからいずれ持って来てくれます」

 ルロワさんは私と同じ神官見習いであり、デュクロ司祭の身の回りの世話をしている人だ。私より五つ上の男性で、五年前からデュクロ司祭のお世話をしている。
 ここに来る前に挨拶をしてきた。
 デュクロ司祭は弱々しく微笑み、

「そうなの? ありがとう」

 と言った。
 程なくして、ルロワさんがお茶とお菓子を持ってきてくれた。
 寝台横の台にそれらを置くと、そそくさと彼は部屋を出ていった。

「結婚式まであと少しだね、エステル君」

 お茶の入ったカップにゆっくりと手をかけ、デュクロ司祭が言う。

「はい。昨日、ドレスの試着をしました」

「結婚式の女の子って本当に華やかだよね。君のドレス姿、綺麗だろうな」

「あ、当たり前です。体型維持、頑張りましたし」

 おやつを少し減らしただけだけど。

「ははは。女の子はそういうの気にするよね。僕からしたら女の子は皆可愛らしいけれど」

 それって本気なんだろうか。
 いや、デュクロ司祭なら本気でそう思ってそう。
 私もお茶の入ったカップに手にとり、それを一口飲んだ。
 温かい。
 温かいお茶は心まで満たしてくれる。

「君には感謝しているよ、エステル君」

 感謝、という予想外の言葉が聞こえ、私は目を見開いてデュクロ司祭を見た。
 彼は首を小さく傾け、微笑んで言った。

「僕のお願い……君の結婚式で君たちを祝福したいって言うお願いを聞いてくれたじゃない」

「い、いえ、そんな感謝されるようなことではないです。だって、私たちからしたら幸運としか呼べないお話です」

 デュクロ司祭は結婚式を執り行ったことがない。
 それは他の誰かが出来ることだからと、どんなに求められても断ってきた。

「いやあ、初めてだからさー、もう教わったこと忘れちゃって大司教に色々聞いちゃったよね。そしたら、『お前は座っていろ。誓いの言葉を聞いて祝福すればいいから』と言われちゃった」

 それはマリエール大司教のご配慮だろう。
 式は三十分位かかるし、その時間、司祭や他の手伝いの人たちは立ちっぱなしになる。
 そんなに長い時間、デュクロ司祭が立ちっぱなしでいられるとは思えなかった。
 それくらい、彼は見るからに弱っている。

「良かったじゃないですか。肝心なところで言葉、間違えないで下さいね」

 すると、デュクロ司祭はカップを台に戻し、胸に手を当てて、

「大丈夫だよ、何度も練習しているから」

 と言った。

「大人しくしているように言われちゃってさー。退屈だったから来てくれて助かったよ」

 そして、デュクロ司祭はごろん、と寝台に寝転がった。
 起きているのが辛いのかな。
 なんでそんなになるまで魔法を使うんですか? と言う言葉を私は飲み込む。
 緩やかな自殺、というマリエール司祭の言葉はデュクロ司祭の状態をよく表している言葉だと思う。

「僕はとても幸せだよ。好きなことをしてきたし、みんなそれを許してくれたからね。司祭としても勤めを全部捨てちゃったけれど」

「全部笑顔でお願い、って言って押し付けてきたんですもんね」

 まあ、私がここに通うようになった頃には周りの皆さん諦めの境地でしたけれど。
 それでも一年に一度、結婚式をやってくれないか、ってちらっとされていたけれど、デュクロ司祭は首を縦に振ることはなかったな。

「だって僕じゃなくてもできることじゃない。というか、僕には癒しの魔法を使うことしかできないからさー」

「いや、何かおかしいと思いますが」

 癒しの魔法使うことしかできないのではなくって、それ以外やろうとしなかった、という方が正しいのではと思う。

「僕ね、思ったんだよ。僕が死んだら何が残るのかなって」

 死、と言う言葉が私の心に黒い影を落とす。

「僕はなにも残さなかった。結婚もしなかったし子供も残さなかった。そんな僕が死んだら何が残るのかなって」

「皆さんの……記憶に残りますよ」

 するとデュクロ司祭は仰向けになり天井を見つめた。 

「ははは、そうだね。それでね、エステル君。僕は君に言ったじゃない? 君に魔法を教えてよかったのかなって。でも、僕は思ったんだ。命を繋ぐことはできないけれど、命を助ける魔法を繋ぐことはできたんじゃないかなって。それが君の重荷にならなければいいけど」

「お、重荷になんてなりませんから」

 そう答えて、私はぎゅっとカップを握った。
 私はこの魔法をどうするだろうか。
 次に繋げていくか、私で終わらせるか。
 それを決めるには何年もかかるだろうな。
 デュクロ司祭は私の方をゆっくりと向いて、弱々しく微笑んだ。

「ははは、ありがとう、エステル君。君に出会えてよかったよ。君のお陰で、僕は生きた証が残せた」

「それは、どういう意味ですか?」

「君に伝えた魔法だよ。あれは僕にしか伝えられないものだからね。その魔法が、僕が生きてきた証そのものになっちゃった」

「デュクロ司祭…」

「話しすぎたね、少し休むよ。ありがとう、エステル君。君が来てくれてよかった」

 そして、デュクロ司祭はゆっくりと目を閉じた。
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