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第57話 第三部 5・「僕の」姉と「僕の」仲間達
しおりを挟む野田賢治の400mは、「まだ隠岐川駿と一緒に走っている」と彼らを知っている人たちにそう感じさせた。
彼の前には誰もいなくとも、今でも3m先の隠岐川駿の姿を追い続けている。
「バックストレートは軽快に走れ」
「スローイン、ファストアウト。コーナーの前半は楽に、頂点から抜きに行く!」
オランダに行ってしまった隠岐川駿のそんな言葉が耳の中にはしっかり残っている。
今の野田賢治には、ゴール直前であの隠岐川駿になんとか追いつけるイメージが出来上がりつつあった。
スタートから最後まで見えないはずの隠岐川駿を追いかけた野田賢治は、他の選手とは別次元のところを走っていた。南ヶ丘陸上部の生徒達も各校の監督の先生たちも、去年の全道大会のリレーを思い出し、その時以上の走りをしていることに目を見張るばかりだった。
補助員をしながらもだんだんと目を離せなくなっていた菊池美咲は、去年の16継の走りを思い出し、目の奥が熱くなってくるのを感じていた。自分の今の役割なんか忘れて、思いっきり声援を送りたい気持ちに駆られていた。
49秒98は最後の直線が向かい風になった厚別でこの日唯一の49秒台の記録となり、816点を加えて一日目の合計は3108点となった。53秒34で走った喜多満男は667点を加えて合計2648点だった。400点もついてしまった差に喜多満男はあきらめ顔だったが、全部の組がゴールした後に野田賢治のところに敢えてやって来た。
「参ったわ! すげえよ、なんでそんな速い?」
「まだ一日だけだし、明日はハードルもあるし、去年やっちゃったからさー」
「なに言ってんの、新人戦のハードル見てたって。全然!余裕っしょ!」
「まだまだ、やってみないとわからんから」
「ま、な……。じゃ、明日な! いやー、雨でも降んねえかなー」
「おう! 明日な!」
中川健太郎にはマンナンと呼ばれ嫌われ役になっていても、こいつもしっかりとアスリートとして成長している。「良い奴」とは呼ばれないだろうが、これも普通の高校生の姿でしかない。千歳体育の中心としてどこまで大きくなれるのか。砲丸の記録は彼の方が上なのだから、一緒にやっていれば何か盗めることはあるはずで自分にはむしろそれが楽しみに思えた。
「あれ、ちょっと背伸びてない? 大きくなった?」
競技場の出口で菊池美咲が改めて僕の全身を眺めまわした。そして隣にやって来て背比べをしている。川相智子の後を追いかけて、さっき合流したばかりの武部はすぐさま正面からシャッターを切った。
「やめろって!」
という僕の言葉に
「良いじゃない。ねータケベ君」
という「姉」の言葉。
「えっ、ええっ! なんでタケベのこと知ってるの?」
「去年の新人戦。ここでやったときね、偶然会ったのよねー!」
「ねー!」
と武部が合わせた。
「やめろ、気持ちわりーなー」
「それもしかして、うちの妹が一緒だった時ですか?」
「あ、あー、そーなのよー。双子の妹さん! すごいパワフルな応援してた!」
「余計なこといっぱい話してたみたいで……家に帰って来てから、もうはしゃぎまわってました」
「いや、心配することじゃないよ。すごく素直で、正直だし、優しい妹さんだと思うよ。一緒にいるとなんか楽しくなっちゃうでしょう?」
「そうか、ここのスタンドで大騒ぎしてた時の……」
「でもかえってね、そういう観戦の仕方が陸上でも必要でしょ! 野球だってサッカーだってバスケだって、他のスポーツはみんな大騒ぎして応援するじゃない。だからね、彼女みたいに盛り上げてくれる人は大事にしなきゃ! みんなもっと大騒ぎしていいんだよ! 」
「すみません、迷惑おかけしたみたいで」
「そんなことないって。私はあの子大好き! サチコさんだったよね。名前も覚えたもの」
そんな会話の最中も武部の押すシャッターの音は途切れない。
サブトラックを囲んでいる木々の間を通り上野先生と並んだ山野紗季がやって来て、菊池美咲に丁寧に挨拶をした。昼食で一緒だったという上野先生は「明日も頼むね」という言葉をかけて競技場へと向かって行った。
「山野さん混成初めてなんだって?」
山野紗季は去年とは全く違って菊池美咲に対して緊張した様子で頷いた。
「みんなビックリだよー!大学の仲間たちもね、『ヤバイ! ヤバイ!』って。200mのタイムが立派だよねー。今日は厚別名物の向かい風だったのに、混成であのタイム出されちゃったら、ちょっと叶わなくなりそうだよー。ハイジャンもだしねー」
「砲丸が全然点数取れなくて」
「最初であれだけ行けば十分。砲丸まで飛んじゃったら他の人困っちゃうでしょう!」
「まだまだです。菊池さんの記録には全然及びません」
「あのねーえ、まだまだ及ばれちゃったらこっちが困るでしょう。でもね、楽しみ! 一緒に競える時が来るね。北海道でね、道産子としてね、みんなで盛り上げていけるの最高じゃない。明日も余計なこと考えないで突っ走って!」
「はい。ありがとうございます。頑張ります」
「ねーねー、皆さん! せっかくの機会だからさー、みんなで一枚撮りましょうよ!」
もうすでに何度もシャッターボタンを押し続けていた武部の言葉に、なぜか三人の声がかさなった。
「はーい、お願いしまーす!」
野田賢治には信じられないことだった。なぜこの三人はこんなに早く仲良くなれるのだろう。去年は警戒心をあらわにしていた山野紗季が、そして不安げに話していた川相智子が、なぜこんなにも楽しそうな笑顔で「姉」に話しかけられるのだろう。不思議なことだったがそれは自分にとってはありがたいことでしかなかった。
僕を囲むように三人が並び、武部が何回もシャッターを切った。三人は笑顔を絶やさず、自分だけがちょっとした緊張感とともに写真の中に記録された。そう、この不思議な時間を武部が永久保存してくれたのだ。
「ねえねえ、武部君。この写真全部送ってね。スマホに送れるよね?」
「姉」は武部と連絡先を交換している。
「あっ、私も!」
山野紗季と川相智子が「姉」とスマホでつながった。
野田賢治はこれが現実のことなのか、それとも自分の空想が自分に都合の良いように創り上げてしまった幻想なのか迷いながらその風景を眺めていた。
帰りのバスに送れるからと迎えに来た補助員仲間とともに「姉」が行ってしまうと、もう夕暮れ時を迎えていたことに気づかされた。
岩見沢に向かうバスの中で菊池美咲はとても楽しい気分に包まれていた。「弟」に再会できた昨年から自分の人生が大きく方向転換しているような気がする。それは今まで考えていたのとは全く違う方向だった。上野先生、ノダケン、岩教大、そして「弟」の仲間たち。そのすべてが自分の人生を大きく拓き、明かりを照らしてくれていることを実感していた。旭川の母と離れて寮生活をしていても毎日が楽しみでしかなかった。
南ヶ丘陸上部はそれぞれの部員たちの頑張りが目立った一日目を終え、明日につながる目標をもって帰路に就いた。野田賢治も心地よいけだるさとともに地下鉄の中で一日を振り返っていた。
「菊池さんは岩教大に進学したんだから学校の先生になるんだよね?」
横に並んで座った山野紗季が聞いた。
「祥子も言ってたけど、ホントにお姉さん的な感じだよね。上野先生みたいになりそうじゃない?」
「岩内にいた頃から仲良かったの?」
「いやー、小さいころだったんで……あんまり覚えてないんだ」
「なんかちょっと野田君に似てるよね!」
「私もそう思ったんだ。去年旭川で会ったときにね」
地下鉄の中で今日の写真を確認していた武部が、背比べをしている写真をタブレットごと見せると二人は液晶画面をのぞき込んで笑顔になった。
「やっぱり似てるよねー!」
「本物の姉弟みたい!」
山野紗季も川相智子も「姉」という存在を知らない。
「良いよねー! 本物のお姉さんいて欲しいよねー!」
そんなことを言う山野紗季は珍しかった。
「紗季はお兄さん居るからまだいいよ。うちは祥子だけだもの」
「憲輔はあてにならないもの」
「えー、そうなのー……」
二人の会話がどんどん広がっていく。そんなことも今まではなかったことだ。何につけても遠慮して言葉にしなかった川相智子も、自分のことをあまり話さなかった山野紗季も、その頃の二人は今はもうここにはいなかった。
「あー! 武部君この写真! だれ? あーあ、まずいんじゃないのこれ!」
タブレットをスライドさせていた二人は他校の女子選手がアップになった写真を見つけてしまった。武部は大急ぎでタブレットを取り上げ、慌ててその写真を削除した。
「いやー、ちょっとこれ、対象がずれてしまったみたいだからさあー……」
近くにいた男の子たちもこの話題に参戦したので、地下鉄の中はちょっとした修羅場になりかけたが、武部のことだからきっと何とでも言い逃れてしまうだろう。
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