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間接キスしないで♡
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季節は一気に進み、暦はもうすぐ二月を迎えようとしていた。
外は肌を刺すような真冬の寒さ。だが、ここアイスクリームショップの店内だけは別世界だ。
エアコンと電気ストーブをフル稼働させ、熱気すら漂う空間で、俺たちは今日も鉄の掟に従って半袖姿でアイスを売り続けている。
「これ、新作のバレンタインフレーバーね。今のうちに試食しといて」
客足がふっと途切れたタイミングを見計らって、店長が新品のアイスタブを指差した。
バイトも社員も関係なく、スタッフは新作を必ず一度は味見するのがこの店のルールだ。
自らの舌で味を確認し、解像度の高い言葉でお客さんに勧めることで、接客の説得力が増すのだという。
もっとも、俺にとってはこの試食タイムこそが、過酷な「常夏勤務」におけるささやかな、そして最大のご褒美だった。
「今回はね、『好きな人と食べれば恋が叶うかも』っていうジンクスをSNSでバズらせる予定なんだって」
店長が楽しそうに広報プランを話すと、隣にいた佐伯は無表情のまま、鼻先で冷たく笑った。
「……売り方、えぐいっすね」
バイトリーダーとは思えない、あまりに身も蓋もない一言。俺は思わず吹き出しそうになり、必死で口元を引き締めた。
冷徹な毒舌王子は、バレンタインの甘い空気すら一瞬で氷結させるのが得意らしい。
「ほら、小瀧」
不意に名前を呼ばれ、視線を上げると、佐伯が試食用のアイスを乗せた小さなスプーンをこちらに差し出していた。
てっきり手渡されるものだと思って指を伸ばしたけれど、佐伯はスプーンを引くどころか、俺の唇のすぐ目前でピタリと止めた。
(え……何? この『食べろ』と言わんばかりの圧は)
まるで、自分から食らいついてこいと命じられているような、支配的な視線。俺は困惑して、佐伯の顔を覗き込んだ。
「ねぇ、自分で持って食べたいんだけど」
「早くしてくんない? これが溶けたら、小瀧の分はもう無いよ」
有無を言わせぬ低い声。俺は慌てて、差し出されたスプーンに食らいつくように口を開けた。
「おいしい……!」
舌の上で溶けた瞬間、濃厚なチョコレートの甘みが暴力的なまでに口いっぱいに広がった。ベリーの酸味がアクセントになっているけれど、全体的な甘さは過去最高レベルだ。
その衝撃に目を丸くしていると、目の前で信じられない光景が流れた。
佐伯が、俺が今まさに口を離したばかりのスプーンを、そのまま迷いなく自分の口へ運んだのだ。
「なに?」
あいつはアイスの甘さに眉を寄せながら、事もなげに問い返してくる。 いや、『何?』はこっちの台詞なんですけど。
「普通に間接キスじゃん、今のって……」
自分で口にしておいて、まるで小学生男子のような幼い指摘に、顔がカッと熱くなる。
指摘された佐伯は、片眉を傲慢に跳ね上げ、心底不可解だと言いたげな顔をしてみせた。
「はぁ? ……だから、何?」
(うわ、あの顔、チョーむかつくんですけど……!)
俺の動揺を鼻で笑うような、あの薄い唇。
ムカつき度は新記録更新だし、どこかで見覚えがあると思ったら、いつだか、SNSで流行った「呆れた顔の猫」のミームにそっくりだった。
「別に俺は気にしないから、どうでもいい。そもそも甘いのは苦手だし、確認するだけならこの量で十分なだけ」
佐伯は俺の唾液がついているはずのスプーンをペロリと舐めとると、それを躊躇なくゴミ箱へ放り捨てた。
そして、呆然とする俺を置き去りにして、さっさとストックの補充へと向かってしまう。
一人残された俺の口の中には、まだあの新作の、暴力的なまでの甘さがこびりついていた。心臓は、この異常な糖分のせいか、それともあいつの無頓着な仕草のせいか、さっきから壊れた時計みたいに騒がしく鳴りっぱなしだ。
最近は容赦なくいじってくるとか、鼻で笑って言い返してくるとか。そういう意地悪はしなくなってきた気がする。
俺がアイスを丸く成形できるようになり、難解な商品名も覚え、あんなに苦戦していたクレープさえ上達してきたから、いじり甲斐のある「無能な新人」という隙がなくなってきたのかもしれない。
ならば、攻守交代だ。今度こそ俺がお前をいじり倒して、その澄ました顔を崩してやる。
「ねーねー、佐伯さん」
「…………」
ガン無視。目すら合わせない。俺は抗議の意味を込めて、その無駄に形の良い肩をバシバシと何度も叩いた。
どうだ、この地味な攻撃、イライラするだろ。
「ねぇってば、佐伯。さーえーきー。こっち向いて、カッコいいお顔見せて?」
「……なに煽ってんだよ。マジでウゼェんだけど」
ようやく振り向いた。作戦成功だ。
心底嫌なものでも見るかのような冷ややかな視線で俺を見下ろす佐伯に、俺は勝利の余韻に浸りながら、ニマニマと笑みを浮かべて尋ねた。
「バレンタインと言えば恋バナでしょ。……佐伯ってさ、どんな人が好きなわけ? ちょっとでいいから教えてよ」
並んでアイスの補充作業をしながら、俺はわざとらしく肘で佐伯の腕をグリグリと突き、上目遣いでその横顔を覗き込む。
それでも、佐伯の鋼鉄の表情筋はピクリとも動かなかった。
「優しい系? それとも、ぐいぐい来る強めな感じ? あと、どんな顔がダイプ?」
「…………」
返事がない。絶望的に触れちゃいけない地雷でも踏んだのかも。
あまりの無反応に不安になり、俺は場を繋ぐように自分の理想を並べ立てた。
「俺はね、顔が整ってて、お洒落で、一緒にいて楽しくて、それでいて優しい人がいい。あと、包容力? 全部包み込んでくれるような、大人な感じが良いんだけど」
俺の拙い理想論を、佐伯は俺の肩越しに店長が電話をしている様子を眺めながら、上の空で聞いている。
「え、ちょっと。聞いてる? 無視すんなよ」
「小瀧の話はなんも興味ないから、全く聞いてない」
「だからー! 佐伯の好きなタイプを教えろって言ってんの!」
げしっ、と膝カックンの要領で佐伯の膝裏を軽く蹴飛ばすと、佐伯はようやく俺を正面から見据えた。
そして、冗談の気配など一切ない、刺すような真顔で答えた。
「小瀧みたいな人」
「……へっ?」
「耳、遠いのなら、俺は優しいからもう一回言ってあげる。俺の好きなタイプは、顔も中身も、小瀧みたいな人」
あまりに淡々と、けれど重みのあるトーンで告げられ、心臓が跳ね上がる。
じっと至近距離で見つめられ、細胞の一つひとつを観察されているような感覚に、居たたまれなさが爆発する。
「いや……笑えんわ。真顔で言うからガチかと思ったじゃん。……そういう、わかりにくい冗談やめろよ、心臓に悪い」
俺は慌てて視線を逸らし、ディッシャーを水の中に突っ込むと、誤魔化すようにガシャンガシャンと派手な音を立てて打ち鳴らした。
『俺みたいな人』って。 それってもう、例えを通り越して、「俺」そのものじゃん。
だけど佐伯は、今の衝撃発言などなかったかのように再び無視を決め込み、手元の連絡ノートに目を落とし始めた。
(……いやいや、あなたの情緒、マジでどうなってます? 佐伯さん)
胸の奥がじんじんと熱く脈打ち、顔の火照りは引くどころか、耳の裏まで真っ赤に染め上げていく。
この状態で『今の、どういう意味?』なんて深掘りしたら、俺は間違いなくその場に溶けて消えてしまう自信がある。
だから口には出せない。絶対に出せない。
そのくせ、脳内では『小瀧みたいな人』という佐伯の低い声だけが、溶けかけたバニラアイスみたいにどろりと残って離れてくれない。
――ガシャン!
無我夢中でディッシャーを洗っていたら、金属同士がぶつかる硬質な音が静かな店内に響き渡り、自分でも肩を大きく跳ねさせた。
「ちょっと小瀧くーん、ディッシャー洗いすぎ! うるさいよ」
案の定、店長がバックヤードから血相を変えて飛んできて、眉間に皺を寄せながら俺を叱りつける。
その横で佐伯は、さっきの爆弾発言を投げた本人とは思えないほど、いつもの落ち着き払った声で言った。
「店長、バナナのストック切れてるんで。今のうちに買い出し、行ってきます」
「え? あ、そう? お願いね」
店長の声を背に、佐伯はレジの両替袋を片手に取り、乱暴に上着を羽織った。一度もこちらを振り返ることなく、すたすたと店外へ歩いて行く。
自動ドアが開くたびに鳴るはずの軽やかなチャイムが、今はひどく耳障りだった。
俺は、その無駄にスタイルの良い背中が夜の闇に消えるのを見送り、補充し終わったばかりのアイスのタブに視線を落とす。
目の前のスーパーへバナナを買いに行った佐伯が、数分で戻ってくるのは分かっている。
たかだか数百秒、カップのアイスが溶けるのを待つ間ほどの短い猶予だ。
でも、今だけは――。今だけは、あいつに帰ってきてほしくなかった。
だって、今この瞬間に顔を合わせたら、自分の表情がどうしようもなく崩れているのが、嫌になるくらい自分でも分かるから。
あんな言葉を真顔で突きつけておいて、自分だけさっさと逃げるなんて、卑怯にもほどがある。
「え、バナナの在庫、今朝確認したときは全然間に合ってたんだけどなぁー……。あれ? 佐伯くん、もう行っちゃったの?」
店長が不審そうに首を傾げながら独り言をこぼす。 その声を遮るように、俺はぺた、とアイスケーキ用のガラス扉に、熱を持った自分の頬を押し付けた。
冷たい感触がじりじりと肌を伝い、沸騰しそうな脳を冷やしていく。佐伯が戻ってくるまでに、この狂ったように跳ね回る動悸を、そして首筋まで真っ赤に染まった情けない顔を、なんとかして平常に引き戻さなくてはならない。
「おーい、小瀧くんどうした? もー、二人とも働かせ過ぎちゃったかな? どうしちゃったの、本当に」
「……いや、なんでもないです。ちょっと暑くて」
店長が心配そうに覗き込んでくるけれど、まともに目を合わせる余裕なんてない。
それでも頭の中では、佐伯のあの低い声が、呪文のように何度もリフレインする。
『俺の好きなタイプは、顔も中身も、小瀧みたいな人』
冗談にしては、あいつの目はあまりに昏く、真剣だった。
最悪だ。意地悪で、傲慢で、人の平穏をかき乱す、大っ嫌いな奴。それなのに。
頬を冷やしながら、数十秒も経つと「まだ帰って来ないのか」と、無意識に自動ドアのセンサーの方を気にしてしまう自分がいた。
「小瀧くん? 本当に大丈夫?」
店長の怪訝そうな声が、遠くの方で聞こえる。ガラス越しに伝わる冷気ですら、内側からせり上がる熱を完全には殺しきれない。
もしあの言葉に一欠片の本音でも混ざっていたとしたら、俺の心臓は、このシフトが終わるまでに完全に使い物にならなくなってしまう。
アイスが溶けて、ただの甘い液体になってしまうみたいに、俺という存在が佐伯の言葉一つで形を失いそうになる。
(早く帰ってきて『冗談』って言えよ、バカ佐伯……)
そんな恐怖にも似た予感を抱えながら、俺は冷たいガラスに額を押し当て、佐伯が連れてくるはずの夜風と、バナナと、その後に続く「答え」を、ただじっと待っていた。
外は肌を刺すような真冬の寒さ。だが、ここアイスクリームショップの店内だけは別世界だ。
エアコンと電気ストーブをフル稼働させ、熱気すら漂う空間で、俺たちは今日も鉄の掟に従って半袖姿でアイスを売り続けている。
「これ、新作のバレンタインフレーバーね。今のうちに試食しといて」
客足がふっと途切れたタイミングを見計らって、店長が新品のアイスタブを指差した。
バイトも社員も関係なく、スタッフは新作を必ず一度は味見するのがこの店のルールだ。
自らの舌で味を確認し、解像度の高い言葉でお客さんに勧めることで、接客の説得力が増すのだという。
もっとも、俺にとってはこの試食タイムこそが、過酷な「常夏勤務」におけるささやかな、そして最大のご褒美だった。
「今回はね、『好きな人と食べれば恋が叶うかも』っていうジンクスをSNSでバズらせる予定なんだって」
店長が楽しそうに広報プランを話すと、隣にいた佐伯は無表情のまま、鼻先で冷たく笑った。
「……売り方、えぐいっすね」
バイトリーダーとは思えない、あまりに身も蓋もない一言。俺は思わず吹き出しそうになり、必死で口元を引き締めた。
冷徹な毒舌王子は、バレンタインの甘い空気すら一瞬で氷結させるのが得意らしい。
「ほら、小瀧」
不意に名前を呼ばれ、視線を上げると、佐伯が試食用のアイスを乗せた小さなスプーンをこちらに差し出していた。
てっきり手渡されるものだと思って指を伸ばしたけれど、佐伯はスプーンを引くどころか、俺の唇のすぐ目前でピタリと止めた。
(え……何? この『食べろ』と言わんばかりの圧は)
まるで、自分から食らいついてこいと命じられているような、支配的な視線。俺は困惑して、佐伯の顔を覗き込んだ。
「ねぇ、自分で持って食べたいんだけど」
「早くしてくんない? これが溶けたら、小瀧の分はもう無いよ」
有無を言わせぬ低い声。俺は慌てて、差し出されたスプーンに食らいつくように口を開けた。
「おいしい……!」
舌の上で溶けた瞬間、濃厚なチョコレートの甘みが暴力的なまでに口いっぱいに広がった。ベリーの酸味がアクセントになっているけれど、全体的な甘さは過去最高レベルだ。
その衝撃に目を丸くしていると、目の前で信じられない光景が流れた。
佐伯が、俺が今まさに口を離したばかりのスプーンを、そのまま迷いなく自分の口へ運んだのだ。
「なに?」
あいつはアイスの甘さに眉を寄せながら、事もなげに問い返してくる。 いや、『何?』はこっちの台詞なんですけど。
「普通に間接キスじゃん、今のって……」
自分で口にしておいて、まるで小学生男子のような幼い指摘に、顔がカッと熱くなる。
指摘された佐伯は、片眉を傲慢に跳ね上げ、心底不可解だと言いたげな顔をしてみせた。
「はぁ? ……だから、何?」
(うわ、あの顔、チョーむかつくんですけど……!)
俺の動揺を鼻で笑うような、あの薄い唇。
ムカつき度は新記録更新だし、どこかで見覚えがあると思ったら、いつだか、SNSで流行った「呆れた顔の猫」のミームにそっくりだった。
「別に俺は気にしないから、どうでもいい。そもそも甘いのは苦手だし、確認するだけならこの量で十分なだけ」
佐伯は俺の唾液がついているはずのスプーンをペロリと舐めとると、それを躊躇なくゴミ箱へ放り捨てた。
そして、呆然とする俺を置き去りにして、さっさとストックの補充へと向かってしまう。
一人残された俺の口の中には、まだあの新作の、暴力的なまでの甘さがこびりついていた。心臓は、この異常な糖分のせいか、それともあいつの無頓着な仕草のせいか、さっきから壊れた時計みたいに騒がしく鳴りっぱなしだ。
最近は容赦なくいじってくるとか、鼻で笑って言い返してくるとか。そういう意地悪はしなくなってきた気がする。
俺がアイスを丸く成形できるようになり、難解な商品名も覚え、あんなに苦戦していたクレープさえ上達してきたから、いじり甲斐のある「無能な新人」という隙がなくなってきたのかもしれない。
ならば、攻守交代だ。今度こそ俺がお前をいじり倒して、その澄ました顔を崩してやる。
「ねーねー、佐伯さん」
「…………」
ガン無視。目すら合わせない。俺は抗議の意味を込めて、その無駄に形の良い肩をバシバシと何度も叩いた。
どうだ、この地味な攻撃、イライラするだろ。
「ねぇってば、佐伯。さーえーきー。こっち向いて、カッコいいお顔見せて?」
「……なに煽ってんだよ。マジでウゼェんだけど」
ようやく振り向いた。作戦成功だ。
心底嫌なものでも見るかのような冷ややかな視線で俺を見下ろす佐伯に、俺は勝利の余韻に浸りながら、ニマニマと笑みを浮かべて尋ねた。
「バレンタインと言えば恋バナでしょ。……佐伯ってさ、どんな人が好きなわけ? ちょっとでいいから教えてよ」
並んでアイスの補充作業をしながら、俺はわざとらしく肘で佐伯の腕をグリグリと突き、上目遣いでその横顔を覗き込む。
それでも、佐伯の鋼鉄の表情筋はピクリとも動かなかった。
「優しい系? それとも、ぐいぐい来る強めな感じ? あと、どんな顔がダイプ?」
「…………」
返事がない。絶望的に触れちゃいけない地雷でも踏んだのかも。
あまりの無反応に不安になり、俺は場を繋ぐように自分の理想を並べ立てた。
「俺はね、顔が整ってて、お洒落で、一緒にいて楽しくて、それでいて優しい人がいい。あと、包容力? 全部包み込んでくれるような、大人な感じが良いんだけど」
俺の拙い理想論を、佐伯は俺の肩越しに店長が電話をしている様子を眺めながら、上の空で聞いている。
「え、ちょっと。聞いてる? 無視すんなよ」
「小瀧の話はなんも興味ないから、全く聞いてない」
「だからー! 佐伯の好きなタイプを教えろって言ってんの!」
げしっ、と膝カックンの要領で佐伯の膝裏を軽く蹴飛ばすと、佐伯はようやく俺を正面から見据えた。
そして、冗談の気配など一切ない、刺すような真顔で答えた。
「小瀧みたいな人」
「……へっ?」
「耳、遠いのなら、俺は優しいからもう一回言ってあげる。俺の好きなタイプは、顔も中身も、小瀧みたいな人」
あまりに淡々と、けれど重みのあるトーンで告げられ、心臓が跳ね上がる。
じっと至近距離で見つめられ、細胞の一つひとつを観察されているような感覚に、居たたまれなさが爆発する。
「いや……笑えんわ。真顔で言うからガチかと思ったじゃん。……そういう、わかりにくい冗談やめろよ、心臓に悪い」
俺は慌てて視線を逸らし、ディッシャーを水の中に突っ込むと、誤魔化すようにガシャンガシャンと派手な音を立てて打ち鳴らした。
『俺みたいな人』って。 それってもう、例えを通り越して、「俺」そのものじゃん。
だけど佐伯は、今の衝撃発言などなかったかのように再び無視を決め込み、手元の連絡ノートに目を落とし始めた。
(……いやいや、あなたの情緒、マジでどうなってます? 佐伯さん)
胸の奥がじんじんと熱く脈打ち、顔の火照りは引くどころか、耳の裏まで真っ赤に染め上げていく。
この状態で『今の、どういう意味?』なんて深掘りしたら、俺は間違いなくその場に溶けて消えてしまう自信がある。
だから口には出せない。絶対に出せない。
そのくせ、脳内では『小瀧みたいな人』という佐伯の低い声だけが、溶けかけたバニラアイスみたいにどろりと残って離れてくれない。
――ガシャン!
無我夢中でディッシャーを洗っていたら、金属同士がぶつかる硬質な音が静かな店内に響き渡り、自分でも肩を大きく跳ねさせた。
「ちょっと小瀧くーん、ディッシャー洗いすぎ! うるさいよ」
案の定、店長がバックヤードから血相を変えて飛んできて、眉間に皺を寄せながら俺を叱りつける。
その横で佐伯は、さっきの爆弾発言を投げた本人とは思えないほど、いつもの落ち着き払った声で言った。
「店長、バナナのストック切れてるんで。今のうちに買い出し、行ってきます」
「え? あ、そう? お願いね」
店長の声を背に、佐伯はレジの両替袋を片手に取り、乱暴に上着を羽織った。一度もこちらを振り返ることなく、すたすたと店外へ歩いて行く。
自動ドアが開くたびに鳴るはずの軽やかなチャイムが、今はひどく耳障りだった。
俺は、その無駄にスタイルの良い背中が夜の闇に消えるのを見送り、補充し終わったばかりのアイスのタブに視線を落とす。
目の前のスーパーへバナナを買いに行った佐伯が、数分で戻ってくるのは分かっている。
たかだか数百秒、カップのアイスが溶けるのを待つ間ほどの短い猶予だ。
でも、今だけは――。今だけは、あいつに帰ってきてほしくなかった。
だって、今この瞬間に顔を合わせたら、自分の表情がどうしようもなく崩れているのが、嫌になるくらい自分でも分かるから。
あんな言葉を真顔で突きつけておいて、自分だけさっさと逃げるなんて、卑怯にもほどがある。
「え、バナナの在庫、今朝確認したときは全然間に合ってたんだけどなぁー……。あれ? 佐伯くん、もう行っちゃったの?」
店長が不審そうに首を傾げながら独り言をこぼす。 その声を遮るように、俺はぺた、とアイスケーキ用のガラス扉に、熱を持った自分の頬を押し付けた。
冷たい感触がじりじりと肌を伝い、沸騰しそうな脳を冷やしていく。佐伯が戻ってくるまでに、この狂ったように跳ね回る動悸を、そして首筋まで真っ赤に染まった情けない顔を、なんとかして平常に引き戻さなくてはならない。
「おーい、小瀧くんどうした? もー、二人とも働かせ過ぎちゃったかな? どうしちゃったの、本当に」
「……いや、なんでもないです。ちょっと暑くて」
店長が心配そうに覗き込んでくるけれど、まともに目を合わせる余裕なんてない。
それでも頭の中では、佐伯のあの低い声が、呪文のように何度もリフレインする。
『俺の好きなタイプは、顔も中身も、小瀧みたいな人』
冗談にしては、あいつの目はあまりに昏く、真剣だった。
最悪だ。意地悪で、傲慢で、人の平穏をかき乱す、大っ嫌いな奴。それなのに。
頬を冷やしながら、数十秒も経つと「まだ帰って来ないのか」と、無意識に自動ドアのセンサーの方を気にしてしまう自分がいた。
「小瀧くん? 本当に大丈夫?」
店長の怪訝そうな声が、遠くの方で聞こえる。ガラス越しに伝わる冷気ですら、内側からせり上がる熱を完全には殺しきれない。
もしあの言葉に一欠片の本音でも混ざっていたとしたら、俺の心臓は、このシフトが終わるまでに完全に使い物にならなくなってしまう。
アイスが溶けて、ただの甘い液体になってしまうみたいに、俺という存在が佐伯の言葉一つで形を失いそうになる。
(早く帰ってきて『冗談』って言えよ、バカ佐伯……)
そんな恐怖にも似た予感を抱えながら、俺は冷たいガラスに額を押し当て、佐伯が連れてくるはずの夜風と、バナナと、その後に続く「答え」を、ただじっと待っていた。
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