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小鳥、小鳥。
しおりを挟む窓辺に佇み、景色を眺めるのが好きだった。
遠くに山が見えるのだ。近視のせいか、集中するとつい本と顔が近くなってしまうので、緊張した眼輪筋を緩めるために、山の稜線をなぞるのが癖なのだ。
私のいる2階の窓のすぐ下に、椿の木がある。剪定もしていないので椿の木は縦に大きく、窓から手を伸ばせば、葉先に触れることさえできた。
ついこないだのことだ。椿の木、中ほどの枝に小鳥が巣を作っていたことに気がついた。私は一人で大きく頷く。どうりで連日つんつくうるさかったわけだ。窓から身を乗り出して、よく観察する。巣は私の手のひらに収まりそうなほど小さく、熟練の職人の編んだ籐細工のように見事だった。私は飽きもせず、ずっとその巣を眺めていた。
ある日、巣に卵が1つ収まっていた。ぶち模様の入った、うずらの卵よりも一回り小さいような卵だ。私は何やら嬉しくなり、日に何度も卵を見に行った。写真を撮ったりしようともした。しかし上手いこと作ったもので、肉眼では見えているのに、レンズ越しでは枝葉が邪魔をして卵がカメラに映らないのだ。私は家人を呼んではしきりに関心していた。何かにつけて窓を開け、巣の作りを褒めた。飼い猫の飲み水を変える時ですら、わざわざ件の窓から下の植え込みへ水を投げたりした。
休憩時間には卵を見るのが日課になってきた頃だ。私は1つ違和感を覚えた。卵に見守るようになって数日、未だに親鳥を見かけていない。卵があるのに親鳥が温めていないのだ。私は鳥の生態に明るいわけではないが、はてさて、鳥とは卵を温めるものなのではなかっただろうか。
考えを巡らせ、私はハッと、弾かれるように窓から遠ざかった。待て、聞いたことがある。野生動物は人間の匂いが付くと、たとえ自分が産んだ子であっても育てなくなると。私は窓と対極に机を置き、なるべく部屋の端に丸まって過ごすことにした。
私が猫の飲み水などを、わざわざその窓から投げていたからだろうか。親鳥は卵を見捨ててしまったのだろうか。
その日私はベッドの中で、己の愚かな好奇心のせいで親から見捨てられた卵のために、親鳥になる覚悟が私にはあるのか自問し続け、夜を明かした。
翌日、巣の卵は2つになっていた。私は手を叩いて喜んだ。親鳥は卵を見捨てたわけではなかった、私は哀れな卵の親代わりをしなくてもいいのだ、と喜びの舞をささずにはいられなかった。全身で喜ぶ私を横目に、飼い猫は床の上に投げられた図書館バッグを踏んで出ていった。
卵が4つになるのに、そう日は空かなかった。
その頃からだ。烏が妙に多いと感じ始めたのは。
夕方になると、車の走行音よりも烏の鳴き声が耳につく。電信柱にゾッとするほどの数の烏が止まっている。窓を見て、電線に何やら黒いものが等間隔に並んでいるな、と思うと烏なのである。ベランダから見える給水塔に何やら黒い塊が乗っているな、と思うと烏なのである。目につくすべて、たむろっている烏の軍団なのである。
私は眉間に皺を寄せる。
ア゛ー↓ ア゛ー↑ などと忙しなく連絡を取り合う烏。
私はすぐにこの烏らの狙いに気が付いた。卵だ。烏はこの卵を狙って集まってきている。それと同時に、私はここに卵を産んだ小鳥の狙いも理解した。小鳥は、この獰猛な烏らに大切な卵を取られないために、わざわざ人間の近くに巣を作り卵を産んだのだ。
確かに烏は家の周りの電線に鈴生りに集まり、時より隣の部屋の軒先から滑空してみせたりするが、私のいる窓の近くまで寄ってきたりはしない。小鳥の狙いはこれだったのだ。
小鳥からしても、人間の居住区に踏み入るという行為はリスクのはずだ。警戒心の強い野鳥ともあろう小鳥がその危険さを理解していないはずがない。しかしそのリスクをおかしてでも、人間に近いところで卵を産む決断を下したのは、ひとえにこのため。烏避けだ。私は烏避けのカカシだったのだ。
私は窓を全開にし網戸まで開け、精一杯烏に話しかけた。ここには人間がいるぞ、近寄らない方がいい、この人間はヤバイぞ、ここはヤバイ人間の縄張りだぞ、いいのか。
烏は頭が良く、自分に石を投げた人間の顔を覚えて報復するといった話を聞いたことがあったので、私は穏便な対話による退去を試みた。烏は私に尻を向けて小首を傾げていた。
——小鳥、私は小鳥のために烏を避ける、カカシの務めを果たそう。
2日後、小鳥の卵は1つも無くなってしまっていた。気づいたのはお昼のことだった。
前日、朝から長く家を空ける用事があった。前々日、バケツを返したような大雨が降った。
何が直接の原因かはわからない。ただ、巣から卵がなくなった途端、電信柱の烏が、あんなに家の周りを鳴いていた烏が1匹として見えなくなったのは確かだ。
私の家の2階の窓は、あっという間に日常を取り戻した。
小暑が近づき、窓辺では鳥の代わりに蝉が鳴き始める。ああ、うるさい、うるさい。
うるさい鳥がいなくなって清々したではないか。毎日毎日、カカシの代わりをすることだって、本当は面倒臭いと思っていたのだ。小鳥だって、日中も、ちよちよ、ちよちよ姦しかった。なあ。
小鳥。あの日、私が長らく家を開けてしまったから、烏に食べられてしまったのか? それともあの大雨のせい? 大木をも動かせそうなくらい強い雨だったから、小さな鳥の卵など巣から落ちて流されてしまったのか?
小鳥、小鳥。
窓際に立つと西日が頬を焼くように照りつける。私は今日も窓辺に佇む。
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