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第一部 光
黒峰の影
ずれがあった。
ほんのわずかな。
言葉にするほどでもない、差。
それが、続いていた。
朝は、同じ時間に来る。
障子の向こうが白くなり、光が差し込む。
足音が廊下を通り、湯気の匂いが混じる。
変わらない。
変わらないはずだった。
静は、卓に置かれた茶碗を見ていた。
湯気が、まっすぐに上がらない。
少しだけ、揺れている。
窓は閉まっている。
風はない。
それでも、揺れる。
理由は、考えない。
考えるほどのことではない。
そう判断する。
それでも。
視線が、そこに残る。
「……どうした」
声が落ちる。
恒一だった。
いつもと同じ位置。
同じ距離。
静は顔を上げる。
「いえ」
短く返す。
それで終わる。
恒一はそれ以上聞かない。
いつも通りだ。
踏み込まない。
それでいい。
それで、保たれている。
静は箸を取る。
食べる。
味は、同じだ。
昨日と同じ。
その前と同じ。
違いはない。
ないはずだ。
だが。
どこかで、引っかかる。
何が、とは言えない。
ただ、揃っていない。
何かが。
それだけが、残る。
任務は、増えていた。
目立つものではない。
だが、確実に。
小さな動きが、増えている。
資金の流れ。
人の動き。
情報の伝達。
どれも、切れている。
ほんの少しだけ。
完全には断たれていない。
だが、繋がりが鈍い。
遅れる。
届かない。
理由はあるはずだ。
だが。
見えない。
見えないまま、ずれていく。
「……もう一度、洗います」
静は言った。
会議室の空気は静かだった。
誰も反論しない。
だが、納得もしていない。
理由が見えないからだ。
静は資料を見ている。
数字。
配置。
時間。
すべてが正しい。
それでも、結果がずれる。
――あり得ない。
ならば、どこかが違う。
違うはずだ。
静は、ページをめくる。
視線を動かす。
線を引く。
何度も。
同じ場所を。
だが。
見つからない。
欠けているのは、情報ではない。
別のものだ。
そのことだけが、分かる。
それが、気持ち悪い。
静は手を止める。
指先に、わずかな冷えを感じる。
呼吸を整える。
浅く。
一定に。
それで戻る。
戻るはずだ。
――視線を感じた。
ふと。
何の前触れもなく。
静は顔を上げる。
会議室の中。
数人の幹部。
誰もこちらを見ていない。
それでも。
確かに、あった。
見られている感覚。
皮膚の上ではない。
もっと内側。
思考に触れられるような。
そんな感覚。
静は何も言わない。
言葉にする必要がない。
証拠がない。
確証もない。
ただ、感覚だけだ。
それでも。
無視できない。
無視してはいけない。
そういう種類のものだった。
「……どうした」
恒一が言う。
同じ声。
同じ距離。
静は視線を落とす。
「……問題ありません」
答える。
それが、今は最適だった。
説明はできない。
できないことは、言わない。
それでいい。
会議は終わる。
椅子が引かれる音。
紙の音。
足音。
すべて、いつも通りだ。
それでも。
どこかが、揃っていない。
静は廊下を歩く。
光がある。
やわらかい光。
見慣れたはずのもの。
その中に、わずかな歪みを感じる。
影の位置が、ずれている。
角度が、合わない。
理由は分からない。
分からないまま、通り過ぎる。
静は何も言わない。
そのまま歩く。
歩幅を変えない。
速度も変えない。
乱れは、見せない。
それが、自分の役割だから。
――見られている。
それだけは、確かだった。
どこからか。
誰かに。
まだ、分からない。
分からないまま。
静は、その違和感を抱えたまま歩いていた。
ほんのわずかな。
言葉にするほどでもない、差。
それが、続いていた。
朝は、同じ時間に来る。
障子の向こうが白くなり、光が差し込む。
足音が廊下を通り、湯気の匂いが混じる。
変わらない。
変わらないはずだった。
静は、卓に置かれた茶碗を見ていた。
湯気が、まっすぐに上がらない。
少しだけ、揺れている。
窓は閉まっている。
風はない。
それでも、揺れる。
理由は、考えない。
考えるほどのことではない。
そう判断する。
それでも。
視線が、そこに残る。
「……どうした」
声が落ちる。
恒一だった。
いつもと同じ位置。
同じ距離。
静は顔を上げる。
「いえ」
短く返す。
それで終わる。
恒一はそれ以上聞かない。
いつも通りだ。
踏み込まない。
それでいい。
それで、保たれている。
静は箸を取る。
食べる。
味は、同じだ。
昨日と同じ。
その前と同じ。
違いはない。
ないはずだ。
だが。
どこかで、引っかかる。
何が、とは言えない。
ただ、揃っていない。
何かが。
それだけが、残る。
任務は、増えていた。
目立つものではない。
だが、確実に。
小さな動きが、増えている。
資金の流れ。
人の動き。
情報の伝達。
どれも、切れている。
ほんの少しだけ。
完全には断たれていない。
だが、繋がりが鈍い。
遅れる。
届かない。
理由はあるはずだ。
だが。
見えない。
見えないまま、ずれていく。
「……もう一度、洗います」
静は言った。
会議室の空気は静かだった。
誰も反論しない。
だが、納得もしていない。
理由が見えないからだ。
静は資料を見ている。
数字。
配置。
時間。
すべてが正しい。
それでも、結果がずれる。
――あり得ない。
ならば、どこかが違う。
違うはずだ。
静は、ページをめくる。
視線を動かす。
線を引く。
何度も。
同じ場所を。
だが。
見つからない。
欠けているのは、情報ではない。
別のものだ。
そのことだけが、分かる。
それが、気持ち悪い。
静は手を止める。
指先に、わずかな冷えを感じる。
呼吸を整える。
浅く。
一定に。
それで戻る。
戻るはずだ。
――視線を感じた。
ふと。
何の前触れもなく。
静は顔を上げる。
会議室の中。
数人の幹部。
誰もこちらを見ていない。
それでも。
確かに、あった。
見られている感覚。
皮膚の上ではない。
もっと内側。
思考に触れられるような。
そんな感覚。
静は何も言わない。
言葉にする必要がない。
証拠がない。
確証もない。
ただ、感覚だけだ。
それでも。
無視できない。
無視してはいけない。
そういう種類のものだった。
「……どうした」
恒一が言う。
同じ声。
同じ距離。
静は視線を落とす。
「……問題ありません」
答える。
それが、今は最適だった。
説明はできない。
できないことは、言わない。
それでいい。
会議は終わる。
椅子が引かれる音。
紙の音。
足音。
すべて、いつも通りだ。
それでも。
どこかが、揃っていない。
静は廊下を歩く。
光がある。
やわらかい光。
見慣れたはずのもの。
その中に、わずかな歪みを感じる。
影の位置が、ずれている。
角度が、合わない。
理由は分からない。
分からないまま、通り過ぎる。
静は何も言わない。
そのまま歩く。
歩幅を変えない。
速度も変えない。
乱れは、見せない。
それが、自分の役割だから。
――見られている。
それだけは、確かだった。
どこからか。
誰かに。
まだ、分からない。
分からないまま。
静は、その違和感を抱えたまま歩いていた。
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