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ようこそ、リトルウィッチ

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「くそぉ!!」
 凛はダンッ! と両手でテーブルを叩いた。振動で机の上のグラスやアンティークが揺れる。港は薫風亭自家製ジンジャーエールにストローを突っ込んで、ちゅーとすすった。市販のものと違い、ショウガの味が強くパンチのきいたジンジャーエールだ。
 「どうした。荒れてんなあ」
 凛はキッと顔を上げて、
 「イケメンに僕の気持ちがわかってたまるか! ……ミニスカだぞっ、くそっ……!」
 凛は結局アンジェが去ったあとどうする事も出来ずに――どうにかして服を脱ごうとしようとしたが、どこから手をつけていいかわからず諦めた――心の深淵はアンジェのいう通り、文字通り胸の中にしまう事ができた。胸につきたてると自然にすうっと吸い込まれていってしまったのである。が、服はそうもいかない。現実逃避するように布団にくるまり、ずっとこの格好のままだったらどうしようとブルブルしていたら、いつの間にか眠っていて、目覚めた朝には変身が解けてもとのパーカー姿に戻っていたのだった。ついでに、冷凍庫の中に入っていたバラエティパックのアイスが開けられていて一つだけ無くなっていた。もちろん、アンジェが食べていたものである。
 「よくわかんねーけど落ち着けよ」
 「あ、否定しないんだな! イケメンは否定しないんだ!」
 「まあまあ。それよりコーヒーゼリー食おうぜ、コーヒーゼリー。おごってやるよ」
 ここのは絶品だよな~といいながら港がメニューを開く。コーヒーゼリーもまたこの薫風亭自家製の自慢の品だ。ミルクの代わりにゼリーの上に北海道産の牛乳を使ったソフトクリームがのっていて、これがまたうまい。
 「なんか、気前いいな。いつも金欠のくせに」
 「気前いいのは姉ちゃんさ。最近仕事が順調で機嫌がいいんだ。手伝い賃もイロつけてくれたし。あ、すみません、コーヒーゼリー二つ」
 「白雪さん前から雑誌に載ってるじゃないか」
 「甘い、甘いぜ凛。姉ちゃんは高校生の時からモデル始めたけど、この世界の経歴としては浅いんだよ。子役からずっとモデルしてるなんて奴はごまんといるんだ。でも、ファッション雑誌なんて数がしれてるだろ。はげしい椅子取りゲームさ。姉ちゃんは二年で専属を外れちゃって、そのあとは単発。学生だからいいけど、モデル業のみでやってたらかなり辛いと思うな。で、最近専属モデルになることが決まったんだ」
 港は聞いた事があるような女性向け雑誌の名を上げた。
 「やっぱり厳しい世界なんだ。でもよかったね、仕事決まって」
 「まあ姉ちゃんもモデル一本でなくほかの道も考えてるみたいだけどな。大学でたら服飾の専門いくために金貯めてるんだと。目指せファッションデザイナーってか」
 「うっ」
 凛がおもわず腹を抱える。
 「? どした?」
 「い、いや、デザイナーと聞いたら発作がちょっと……でも意外だな、モデルしてる人って女優目指す人多いけど、白雪さんそうじゃないんだ」
 「演劇に興味はあるみたいだ。ただし演出家としてな。舞台衣装をデザインする野望があるんだ。――あ、どうも。ほら凛、お前も食べろよ。むう、んむむ。っかー、相変わらずうまい! このアイスがいいんだあ」
 「もらう。港に借りができちゃったな」
 「そんな大層なもんじゃねえって。でさ、俺の映画に姉ちゃんが衣装で参加して、そんでお前が若手のホープとして出れば最高じゃね?」
 「まだ言ってるのか……ん、おいしい……あんな女子のからかいをさ」
 「割と真面目に言ってんだけどなあ。見た目がいいってのはそれだけで天賦の才なんだぜ。活かさない手はないぞ」
 「だったら港が俳優兼映画監督すればいいじゃないか。そういう人多いだろ。僕は将来天文関係の仕事につくんだ。できればプラネタリウムの解説員をやりたい」
 「モデルより枠のなさそうな仕事だな」
 「まあね。ボランティアも多い仕事だよ……でも一度はやってみたい。初めて見たプラネタリウムの空が忘れられないんだ。解説員さんが空を詳しく説明してくれてさ。こう、緑の矢印が天球に映し出されて、星を示すんだよ。面白かったなあ。今はそういう解説減ってきてるらしいけど、チャンスを待つよ。とりあえず大学に行って学芸員の資格をとると良いかもって話だから。港こそ、世界を目指すのに英語が苦手なのはまずいんじゃないのか。読めもしない雑誌を広げててもしょうがないだろ」
 「あー、……それをいわれるといたいわ。なんか興味もてないんだよ英語。他の言葉ならなあ、ドイツ語とか。なんか響きがかっけぇよな!」
 ズズーとジンジャーエールをすすりながら港は楽しそうに答える。
 「でもあれだな、凛もけっこー真面目に将来のこと考えてんだな!」
 「身近に年中将来を語る奴がいると嫌でも考えるようになるんだよ。それに僕らも来年は三年生だろ、そりゃ考えるよ」
 「公立受けんの?」
 「一応第一希望は。私立も受けるつもりだけど」
 「滑り止めかあ。俺も公立。望月一本かな。それ以外は受けない」
 「え、港滑り止め受けないの」
 「あー、ああ」
 望月といえば望月総合高等学校。凛達の住む地域でもっともレベルが高いといわれている公立校だ。男子校で、同じく狭き門と言われる女子校の明星高等学校と交流があり、目指すなら月か星と言われるほど名が知れている。当然倍率も高い。
 「単純に望月にしぼりたいってのもあるけど、ほら、うち姉ちゃんに金かかってるからさ。できれば公立にしたいんだよ。今んとこ模試じゃ悪くない感じだし。それより凛はどうなんだ、第一志望決まってないなら望月にしろよ。あそこは進学校だけど気さくにやれそうだぜ」
 こういうとき港は話題を変えるのが巧みだ。重い話をすりかえる。話をしたくないわけではなく、親友の凛に気を使っているのだ。だから凛も一歩進んで話をする。
 「僕の頭だと正直望月はギリギリだ。――別に白雪さんのために港が遠慮することはないだろ。望月が本命なら私立は踏み台で受けとけばいいんだ。そんな遠慮、白雪さんにはすぐにばれるぞ」
 「……ばれっかなあ」
 「多分ね。望月か、どうしようかな」
 「受けろよ。一年以上あるんだからなんとでもなるだろ、お前なら」
 「考えてみるよ。港に抜かされたままなのもしゃくだし」
 それから二人は他愛もないおしゃべりを楽しみ、次回いつ薫風亭に来るかを計画しあった。飲み物も底をつき、見る物も見たので店を後にする。辺りはすでにもう夕日で赤く染まっていた。乾いた風が肌を刺す。
 「おお、夕方は結構寒いな。昼間は暖かかったのに。凛、本屋寄っていいか。姉ちゃんから買い物頼まれてんだ」
 「いいよ。文明堂?」
 「ああ」

 凛達は電車に乗って地元でおりると、駅前にある大きな本屋「文明堂」に入った。出版不況のあおりを受けてばたばたと倒れていく街の本屋が多い中、品ぞろえの豊富さで勝負に出ている。大抵の雑誌や漫画、専門書がすぐに手に入り、ネット注文と違って中身も充分確認できるから人気の本屋だ。二階建てで、一階に雑誌や絵本、学習本があり二階に漫画と専門書のコーナーがある。漫画はかなり充実しており、凛は何回かこだわりにうるさい漫研の生徒が山ほど買い物をしているところを見かけたことがある。港が雑誌コーナーにものを探しに行ったので、二階を見てくると合図して、上に続く螺旋階段を上った。漫画の新刊をチェックするつもりだったが、フロアを二分する学術書のコーナーににふと目がいった。
「伝説・民俗」とラベルの貼られた棚にたくさんの本が詰められている。日本の妖怪・アーサー王伝説・柳田國男の手引き……などなど。なんとなく眺めていると「魔女の歴史」という本が目に入ってドキッとした。棚から取りだして読んでみる。――魔女は村の賢者だったこと、白い魔女と黒い魔女がいること。中世ヨーロッパの魔女狩りで関係ない人まで異端審問にかけられたことなど一般に知られていることも書かれている。
 (リトル・ウィッチの事は書いてない……アンジェが新しい魔女だって言ってたからな。なになに、今も四月末には魔女の祭りとされるヴァルプルギスの夜がヨーロッパ各地で催される、か……)
 勉強のためにこの本を買おうかと思ったが、裏表紙を見ると一五八〇円もする。専門書は高いのだ。薫風亭でお金を使ってきたから懐はさびしい。あきらめて棚に戻した。漫画を見ようと振りむきざま、
 「キャッ」
 女性の声があがる。人にぶつかってしまった。ばさばさとあまり綺麗とはいえない床に本が落ちる。凛は慌てて、
 「す、すいません」
 そういって落ちた本を拾う。「ハーブの手帖」「やさしいアロマテラピー」と題された薄い専門書だ。
 「すみません、ちょっとよそ見をしてて……え!」
 本を渡そうとして凛は驚いた。凛がぶつかった相手――少女は霜月渚だった。
 「し、霜月!」
 「あ、五島君……偶然ね。何か買いにきたの?」
 「えっと……べ、別に! ぶらぶらしてただけだよ! それよりゴメン、ぶつかっちゃって……本、少し汚れちゃったな」
 「これくらい気にしないわ」
 渚は凛から本を受け取って満足げに表紙を撫でる。
 「ありがとう。じゃあまた、学校でね」
 にっこりと軽く手を振って、凛の横を通り過ぎてレジに向かう。いい匂いがした。彼女が会計を終えて下に降りていくまでその姿を見おくる。凛の頭の中で、学校でね、学校でねという渚の言葉が反響していた。
 (おお……こんなところで出会うなんて一生の運を使い果たした気分! これって運命? 運命?)
 なはは、と頬をぱちぱち叩いていると、
 「しまりのねえ顔してんなよ凛」
 買い物を終えた港がニヤニヤしながらつっ立っていた。
 「港、いつのまに」
 「用はとっくに終えてたんだ。すぐに二階にいかなかった俺に感謝しろよ。出口で霜月を見た。その顔だと話しでもしたか?」
 「うん、まあちょっと。えへへへ」
 凛は照れ隠しに頭をかく。
 「まーったく……その顔見るとやっぱ惜しいな! 今からでいいからアイドルにでもなれ!」
 「港がアカデミー賞でも取ったら考えてやるよ! ところで何買ったんだ」
 「装苑」
 「なんだそれ。ファッション雑誌? 白雪さんが載ってるのなら見たいな」
 「ちゃうちゃう。ファッション雑誌だけどなんつーか、デザイナー志望が読むような奴さ。姉ちゃんは毎月買ってて、俺も読んでる。いろいろ参考になるんだ。舞台衣装のイメージとかさ。気鋭のプロが審査する賞もやってるんだぜ」
 凛はふと考えて、
 「それって海外でも売ってるの?」
 「あん? さあ。そこまでは知らねえ。さ、帰ろうぜ。腹減ってきたー」
 「あんなに飲んで食べたのによく食うな」
 「育ち盛りなんザマス」
 二人は笑い、ふざけあいながら暗い帰り道を歩き、マンションにつくと階段を駆け上ってそれぞれの家路についた。
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