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しおりを挟む静かな風の音がする。
ポツ、ポツと、ゼンの頬に何かが当たった。
「な、なんで」
覚悟を決め目を閉じたゼンだが、ゼンには何の衝撃はなく、聞こえた戸惑いの声に目を開ければ、春翔は戸惑いの表情を浮かべ頭を抱えていた。その瞳からは涙が零れている。
「…春翔?おい、何が起きてる!」
春翔の体を乗っとっているカゲが何かしでかしたのか。苦痛に耐えるように頭を抱え、踞る春翔の体は震えている。
「春翔!」
影の拘束を振りほどこうともがくが、上手くいかない。それでも春翔に声を掛け続けていると、体を震わせながら春翔がゆっくり顔を上げ、そして困ったように微笑んだ。
「…春翔か?」
「も、もう、大丈夫ですよ、ぼ、僕が、あなたを、助けます」
春翔は立ち上がり、覚束のない足取りで川の方へと歩いていく。
「春翔?待て、何する気だ!くそ、外れてくれ!春翔…!」
呼び掛けても止まらない。ゼンは青い炎を自分の手足に触れさせ影を焼き切ろうとする。ジリ、と自分の肌まで焼け、そして影が傷つく度、自分の体にも同じような傷が刻まれていくが、構ってられなかった。
「春翔!待て!」
「春さん!?」
新たな声が聞こえ、ゼンが顔を向けると、そこには真尋の姿があった。
「春さん!」
「…来ないで」
真尋が声を上げて春翔に駆け寄ろうとするが、春翔が振り返った瞬間、春翔の足元から黒い影が伸び、真尋の体に襲いかかった。黒い波に一瞬にして跳ね返され、真尋は弾き飛ばされて尻もちをつく。春翔の表情は戸惑いに揺れたが、そのまま歩き出そうとする。
「春翔!」
ゼンが再び呼びかけると、春翔はびくりと肩を揺らし、振り返った。そして、今にも追いかけてきそうなゼンを見て、春翔は震えながら手を上げた。再び春翔の足元から影が現れ、ゼンの体を波のように覆い被さった。春翔はすぐに顔を背け、震える足で燃える川へ向かってしまう。
「なんで、」
「真尋!この影をほどけるか!」
「は、はい!」
真尋は戸惑いながらも、ゼンの元へ駆け寄った。体を覆う影に、真尋は慌ててユキの鞄を探った。
「ユキさんから道具を貰ったんです、すぐに影を外します。一体どういう状況なんですか?春さんは意識を取り戻せたんですか?今のは、カゲ様の力ですよね」
「今、春翔がカゲを抑えてる。力が使えるのは、取り憑かれた時間の長さのせいかもしれない。知らない内に同調してたんだ、体の奥底で」
ゼンはギリと唇を噛みしめる。真尋は困惑した様子を見せながらも、小瓶を振りかける。だが、術者と繋がっている分、影に注がれる力が強いのか、一瓶では変化はみられず、持っている小瓶を全て使うと、ようやく春翔の影を退かせる事が出来た。
「これで春翔は傷つかない」
春翔の影が無くなり、ゼンは再び青い炎で自分の手足を焼こうとする。既に傷だらけの手足に驚き、真尋は慌てて炎とゼンの腕の間に手を挟み、その炎を遠ざけさせた。
「な、何やってるんですか!無理に影を千切ったりしたら、それこそ助けになんていけませんよ!」
真尋の必死な様子に、ゼンは戸惑い視線を揺らした。
「だが、」
「僕が解きます」
真っ直ぐと伝える真尋からは、焦りと不安を必死に押し込んでいる様子が伝わってくる。ゼンは春翔へ目を向けた。春翔は体の中のカゲと戦っているのか、時折地面に膝を付きながら、それでも川の方へ進んでいく。ゼンは焦る気持ちを抑え、真尋に向かって頷いた。
真尋は小さく息を吸うと、再びゼンの手にその手を翳した。
他人の掛けた術を解くのは難しい。力技で壊せるなら簡単だが、今回は、影を傷つければその分体を傷つけてしまうので、丁寧に術を解かなくてはならない。術を解くには、プロセスが必要だ。組み込まれたパズルを、順序通りに一つずつ外していくような。それを、妖の力でもって感覚だけで探らなくてはならない、経験値のない真尋には不安でしかないが、やるしかない。真尋では、春翔を止められない。
慎重に、傷だらけの手首を傷つけないように、なるべく早く。
下手を打てば、術を解くどころかゼンの傷を増やすだけだ。
翳した手から、術を読み取っていく。感じ取った情報は、まるで数式のように真尋の頭の中を流れていく。現れたオレンジの炎では力が足りず、ずっと体の奥に沈めていた力を引きずり出す。オレンジの炎は光に変わり、ゼンの手に絡み付く影をゆっくりだが退かしていく。影の下に見えたゼンの腕は、自らの炎に焼け爛れていた。
「春翔は、俺を助けようとしてる」
あともう少しという所で、ゼンは無理に腕を持ち上げてしまう。ほとんど影が手から消えているとはいえ、まだ鉄の拘束が残っているようなものだ、無理に引き千切れば、拘束部分や火傷の後から血が滴り落ち、見てるだけでも酷だった。だがゼンは、まるで痛みなど感じていないかのように、ただ春翔の行方だけを追っている。真尋は慌てて次の手、次の足へと手を伸ばしていく。
「助けようとしてるって、春さん、あの状態で一体何するつもりですか」
フラフラ向かうのは、燃え盛る鈴鳴川だ。問いかけながらも真尋は嫌な予感が頭を過り、その予感を振り払うように、手元へ意識を集中させた。
「俺が必ず助ける、俺だけが犠牲になればいい、春翔は渡したりしない」
あと少しという所で、ゼンはまた力任せに影を千切る。ぼたぼたと足首から血が滴り落ち、傷が深く抉られる。拘束は、あと左足だけだ。
真尋はハラハラしながらも、ゼンに合わせ動くしかない。
「ぼ、僕も加勢します、あの人の目的を知って手足となったのは僕ですから」
「お前は何も知らなかったんだろ」
「…そんなの言い訳です」
「それでも、お前は春翔の自慢だ」
「え…?」
「一緒に夢を叶える仲間だ、お前が責任を感じなくていい、春翔の側に居てくれれば、それでいい」
「…そんなこと、許されるわけが」
「頼んだからな」
「え、」
あと少しで影が消えるというのに、ゼンはそれを待たず影を引きちぎり、怪我をおっているのも構わず川へ向かって駆け出した。はっとして真尋が川へ目を向けると、まさに今、春翔の体が燃え盛る川へと投げ出される所だった。
「春さん!」
叫ぶと同時に、真尋の背中から黒い翼が生えた。レイジのものと良く似ているそれを大きく羽ばたかせ、両腕を目一杯前へ伸ばした。途端に力強い風が芝の上を駆け抜け、春翔の目前に迫った炎を吹き消した。炎には巻かれなかったが、春翔の体は川の中へと落ち、ゼンもまた後を追いかけ川へ飛び込んだ。
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