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しおりを挟むそんな時、結子から、この間言っていた食事のお誘いの連絡が入った。
宵の店に、特別な休日はない。営業時間も短い上に、愛は別にして、多々羅の仕事は店番くらいしかないので、多々羅としては、働いていると言って良いのか躊躇うくらいだ。愛の世話役といっても、家事は自分も必要な訳だし、一人暮らしに愛が入り込んだと思えば、これも仕事としてお給料を貰って良いのかと、最近になってちょっと気になっている多々羅だ。
しかも、休みたい時は好きに休めるようになっている。多々羅が休みを欲しいと言えば、愛は簡単に休みをくれるだろう。最近では、「今日は何もしなくていいんじゃないか」と、愛が言うくらいだ。それはそれで店としてどうかと思うが、そもそも店に関しては多々羅の出来る事は大してない。
「それなら家事を休んだら?たまには良いだろ」と、愛は言ってくれるが、その言葉に甘えてしまうと、部屋があっという間に崩れていくのは目に見えている。多々羅が倒れた翌日も、愛は張り切って洗濯をやってくれていたが、洗う前より汚してしまうというミラクルを起こしていた。食事は舞子や信之が持って来てくれたので問題なかったが、洗濯を失敗してしょんぼりと肩を落とす愛を見ていたら、自分はこの先も病気にはなれないなと、多々羅はこっそり気合いを入れ直していた。
仕方ないなと吐いた溜め息に、嬉しい気持ちが入り交じる。たまには手抜きもするが、多々羅にとって愛のお世話は、やはり大事な役割の一つだった。
そんな訳で、何もする事がなくても大抵は愛と共に過ごしている多々羅だ、愛としては、多々羅が倒れた事もあり、たまには羽を伸ばして欲しいという思いもあるのだろう。多々羅が少し長めのお昼休憩を申し出ると、何も聞かずに了承してくれた。多々羅が来てからは、お昼は二人で食べていた。家で作ったり、昼時から時間をずらして、喫茶“時”に食べに行ったりもしている。愛が一人の時は、舞子が店に食事を持ってきていたので、応接室で用心棒と共に食事をしていたようだ。愛は宵の店で、物の化身とばかり過ごしていたので、舞子は多々羅と共に喫茶“時”で食事をする愛を見て、驚いたと同時に、人と関わりを持ってくれた事にほっとしたという。
そんな話を舞子から聞き、多々羅が嬉しくならない筈がない。愛にとって自分は、少しは心を委ねられる存在になれたのかな、なんてつい浮かれてしまう。
そんな訳なので、多々羅はちょっと後ろめたさを感じていた。長めの休憩を申し出ても、愛は理由を聞かない。結子と二人で食事をするなんて愛には言いづらいので、理由を聞かれない事にはほっとしたが、何だか愛に嘘をついているみたいで心苦しくもある。多々羅にその気があるだけで、まだ付き合う訳じゃない、愛には内緒で二人で話したいと言ったのは結子だが、愛に秘密を作る事で、また愛との距離が出来てしまわないかと、少し不安にも思ってしまう。
気にしすぎかもしれないが、気にしないでいられる程、多々羅は愛の事を知らない。
多々羅は少し不安を覚えながらも、愛のお昼ごはんを早めに用意して、店を出た。
結子と連絡を取り合ってはいるが、会うのは久しぶりだ。
正直、結子から食事と聞いて、多々羅はてっきりディナーかと思ったが、予想は外れ、カジュアルなお誘いだった。
それでもデートには違わない、そう気合いを入れて待ち合わせしたレストランに向かったのだが、なんと店は改装中だった。
「本当にごめん!お店が休みだと思わなくて」
「謝んないでよ、俺はどこでも…結ちゃんと居れたらそれで十分だから」
「たーちゃん、相変わらず優しいな」
結子はほっとした様子で微笑んだ。さりげなくアプローチしたつもりだが、手応えはまるでない。多々羅は取り繕い笑った。まだデートは始まったばかりだし、それに、再会してから会うのは二回目、今焦った所で仕方ない。
目当てのレストランが改装中の為休みだったので、二人は近くの喫茶店に入った。
今日は日曜日。結子も休みかと思えば、アパレルブランドを立ち上げたばかりで忙しいらしく、今日も昼休憩の時間を利用して、多々羅に会いに来てくれたようだった。
「忙しいんだね、大丈夫?」
「うん、それよりこっちこそごめんね。愛ちゃんの店、休みじゃないんでしょ?」
「はは、どうせ俺は暇だったから。それより、頼みたい事って?」
メッセージアプリでやり取りした際、結子は頼み事があると書いていた。
「うん。これ、愛ちゃんに渡してほしくて」
結子が取り出したのは、細長い包みだ。品のある紺色の包装紙に、リボンがかけられている。形からして腕時計だろうか。
「これは?」
「愛ちゃんの誕生日プレゼント」
「え、愛ちゃんの誕生日って、これからだっけ?」
幼い頃の多々羅は、愛のみならず、結子と凛人の誕生日にもお呼ばれしていた。その記憶では、愛の誕生日は数ヶ月前ではなかったかと、多々羅は首を捻った。多々羅の疑問も、結子はすぐに気づいたようで、困り顔で表情を緩めた。
「二ヶ月前にね。愛ちゃん、私達家族からは受け取ってくれないから」
「…遠慮してるとか?」
きっと、それだけじゃないんだろうなと思いながらも、多々羅が尋ねると、結子は肩を竦めた。
「遠慮だけなら良いんだけど…完全に距離置かれちゃってるからさ。だから、たーちゃんからなら受け取ってくれるかなって。愛ちゃん、たーちゃんには弱いから」
「…そうかな?」
結子には悪いが、それに関しては、疑問しかない。
「そうなの!それ、腕時計でね、家族皆で選んだんだ」
「瀬々市の皆さんは、本当に愛ちゃんの事を大事にしてるんだね」
「勿論!私達は、いつも愛ちゃんに好かれたいだけ。せっかく縁があって家族になれたのに、寂しいでしょ?」
でも、と、結子はそっと目を伏せた。
「…愛ちゃんは、いい加減鬱陶しいかもしれないけど」
「そんな事ないよ!俺だったら、結ちゃんにそんな風に思って貰えたら嬉しいよ!」
思いの外、熱のこもった言葉に、結子は多々羅を見上げて目を瞬いていたが、ややあって眉を下げて微笑んだ。
「ありがとう、たーちゃん」
その笑顔は寂しそうに揺れていて、多々羅の胸をきゅっと締め付けた。結子は、愛の事を本当に大事に思っているのだろう、その思いが伝わってきて、多々羅はその包みを大事に受け取った。これには、瀬々市の皆の愛情が詰まっている。多々羅は顔を上げると、しっかりと結子に頷いた。
「ちゃんと、愛ちゃんに渡すから」
「うん、よろしくお願いします」
そう、丁寧に頭を下げた結子を見て、多々羅は眉を下げて笑った。
「急に畏まらないでよ」
そう笑って言えば、「だって!」と結子は怒ったように顔を上げたが、その表情はすぐにいつもの笑顔に変わった。多々羅につられたのかもしれない。それから、詰めていた息を吐き出すように肩から力を抜き、椅子の背もたれに寄りかかった。
「あー、でも本当にたーちゃんが居てくれて良かった。ふふ、たーちゃんは、我が家の救世主だよ」
「大袈裟だな」
「本当に!」
「…俺は、そんなんじゃないし。それに、結ちゃんの力になれたらって思うだけだし。結ちゃんだからだよ」
「何それ!口説かれてる?」
「そう聞こえる?」
「ふふ、聞こえたかも」
「…俺は、結ちゃん好きだから」
「私も、たーちゃん好きだよ」
「え?」
まさかの発言に多々羅が顔を上げた所で、「ご注文はお決まりですか?」と、店員が来てしまい、多々羅は慌ただしくメニューを広げた。とりあえず、二人共日替わりメニューを頼み、再び結子に目を向ける。今のは冗談か本心か、問いかけようと口を開いた多々羅だが、結子が先に口を開いた。
「愛ちゃん、家でどんな感じ?」
「え?えっと…」
肩透かしを受けつつ、愛の様子を思い浮かべる。一瞬、いつかの勝ち誇ったような笑顔が浮かび、多々羅は苦い顔を浮かべたが、その愛の表情はすぐに別のものへと変わった。
「…そういえば、朝起こしに行った時、ちょっと様子がおかしかったな…寝ぼけてるのかと思ったけど、ぼーっとして、なんか疲れた顔してたっていうか…」
そう言って思い出す。幼い頃、愛が倒れた日の事を。もしかしたら、体調に変化が起きているのだろうか。大人になってからは、体との付き合い方が分かってきたようで、倒れる事はなくなったと聞いていたが、瞳の影響がどこで起きるか分からない。多々羅の胸は途端に心配でいっぱいになり、焦るように結子を見やった。
「先生に相談した方がいいかな?」
「あまり続くようなら、その方が良いかも。仕事の事かな…それなら、私達には相談にも乗れないし」
「また倒れたりしないと良いけど」
「愛ちゃんは、溜め込んじゃうからな…弱みを見せてもくれないし」
結子はそう言って、お冷やのグラスの水滴を指でなぞった。水滴が店の明かりに照らされ、微かに光って見える。多々羅はその煌めきに、愛の瞳を思い出していた。
「…どうして愛ちゃんは、あんなに瞳の事を気にするんだろう。記憶がなくても、愛ちゃんは愛ちゃんでしかないのに」
ぽつりと溢した多々羅に、結子も寂しく眉を下げた。
「そうだね。でも、いくら私達がそう言っても、本人が納得して受け止めてくれないと、何も変わらないんだよね。私達は、それを伝え続けたつもりだったけど、愛ちゃんは、私達の事を巻き込んで傷つけると思ってる。だから、なかなか壁を越えられないの」
結子の言葉を聞きながら、多々羅はふと、愛の言葉を思い出していた。
愛は、大事な物ほど、向き合うのは怖いと言っていた。
やはり、愛にとって瀬々市の家は大事だから、傷つけて失いたくないものだから、こうして距離を置くのだろうか。
でもきっと、人も絆もそんなに脆くはない。ここまで辛抱強く、血の繋がらない愛と向き合おうとしている家族なら、ちょっと傷ついたくらいでは、愛を見放したりしないだろう。
それでも愛は、怖いのだろうか。あの綺麗な瞳は、そんなに恐ろしいものなのだろうか。
それが本当に恐ろしいものだと、一体誰が決めたのだろう。
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