瀬々市、宵ノ三番地

茶野森かのこ

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そんな時、結子ゆいこから、この間言っていた食事のお誘いの連絡が入った。


宵の店に、特別な休日はない。営業時間も短い上に、愛は別にして、多々羅たたらの仕事は店番くらいしかないので、多々羅としては、働いていると言って良いのか躊躇うくらいだ。愛の世話役といっても、家事は自分も必要な訳だし、一人暮らしに愛が入り込んだと思えば、これも仕事としてお給料を貰って良いのかと、最近になってちょっと気になっている多々羅だ。

しかも、休みたい時は好きに休めるようになっている。多々羅が休みを欲しいと言えば、愛は簡単に休みをくれるだろう。最近では、「今日は何もしなくていいんじゃないか」と、愛が言うくらいだ。それはそれで店としてどうかと思うが、そもそも店に関しては多々羅の出来る事は大してない。
「それなら家事を休んだら?たまには良いだろ」と、愛は言ってくれるが、その言葉に甘えてしまうと、部屋があっという間に崩れていくのは目に見えている。多々羅が倒れた翌日も、愛は張り切って洗濯をやってくれていたが、洗う前より汚してしまうというミラクルを起こしていた。食事は舞子まいこ信之のぶゆきが持って来てくれたので問題なかったが、洗濯を失敗してしょんぼりと肩を落とす愛を見ていたら、自分はこの先も病気にはなれないなと、多々羅はこっそり気合いを入れ直していた。
仕方ないなと吐いた溜め息に、嬉しい気持ちが入り交じる。たまには手抜きもするが、多々羅にとって愛のお世話は、やはり大事な役割の一つだった。


そんな訳で、何もする事がなくても大抵は愛と共に過ごしている多々羅だ、愛としては、多々羅が倒れた事もあり、たまには羽を伸ばして欲しいという思いもあるのだろう。多々羅が少し長めのお昼休憩を申し出ると、何も聞かずに了承してくれた。多々羅が来てからは、お昼は二人で食べていた。家で作ったり、昼時から時間をずらして、喫茶“時”に食べに行ったりもしている。愛が一人の時は、舞子が店に食事を持ってきていたので、応接室で用心棒と共に食事をしていたようだ。愛は宵の店で、物の化身とばかり過ごしていたので、舞子は多々羅と共に喫茶“時”で食事をする愛を見て、驚いたと同時に、人と関わりを持ってくれた事にほっとしたという。
そんな話を舞子から聞き、多々羅が嬉しくならない筈がない。愛にとって自分は、少しは心を委ねられる存在になれたのかな、なんてつい浮かれてしまう。

そんな訳なので、多々羅はちょっと後ろめたさを感じていた。長めの休憩を申し出ても、愛は理由を聞かない。結子と二人で食事をするなんて愛には言いづらいので、理由を聞かれない事にはほっとしたが、何だか愛に嘘をついているみたいで心苦しくもある。多々羅にその気があるだけで、まだ付き合う訳じゃない、愛には内緒で二人で話したいと言ったのは結子だが、愛に秘密を作る事で、また愛との距離が出来てしまわないかと、少し不安にも思ってしまう。

気にしすぎかもしれないが、気にしないでいられる程、多々羅は愛の事を知らない。

多々羅は少し不安を覚えながらも、愛のお昼ごはんを早めに用意して、店を出た。

結子と連絡を取り合ってはいるが、会うのは久しぶりだ。
正直、結子から食事と聞いて、多々羅はてっきりディナーかと思ったが、予想は外れ、カジュアルなお誘いだった。
それでもデートには違わない、そう気合いを入れて待ち合わせしたレストランに向かったのだが、なんと店は改装中だった。

「本当にごめん!お店が休みだと思わなくて」
「謝んないでよ、俺はどこでも…結ちゃんと居れたらそれで十分だから」
「たーちゃん、相変わらず優しいな」

結子はほっとした様子で微笑んだ。さりげなくアプローチしたつもりだが、手応えはまるでない。多々羅は取り繕い笑った。まだデートは始まったばかりだし、それに、再会してから会うのは二回目、今焦った所で仕方ない。

目当てのレストランが改装中の為休みだったので、二人は近くの喫茶店に入った。
今日は日曜日。結子も休みかと思えば、アパレルブランドを立ち上げたばかりで忙しいらしく、今日も昼休憩の時間を利用して、多々羅に会いに来てくれたようだった。

「忙しいんだね、大丈夫?」
「うん、それよりこっちこそごめんね。愛ちゃんの店、休みじゃないんでしょ?」
「はは、どうせ俺は暇だったから。それより、頼みたい事って?」

メッセージアプリでやり取りした際、結子は頼み事があると書いていた。

「うん。これ、愛ちゃんに渡してほしくて」

結子が取り出したのは、細長い包みだ。品のある紺色の包装紙に、リボンがかけられている。形からして腕時計だろうか。

「これは?」
「愛ちゃんの誕生日プレゼント」
「え、愛ちゃんの誕生日って、これからだっけ?」

幼い頃の多々羅は、愛のみならず、結子と凛人りんとの誕生日にもお呼ばれしていた。その記憶では、愛の誕生日は数ヶ月前ではなかったかと、多々羅は首を捻った。多々羅の疑問も、結子はすぐに気づいたようで、困り顔で表情を緩めた。

「二ヶ月前にね。愛ちゃん、私達家族からは受け取ってくれないから」
「…遠慮してるとか?」

きっと、それだけじゃないんだろうなと思いながらも、多々羅が尋ねると、結子は肩を竦めた。

「遠慮だけなら良いんだけど…完全に距離置かれちゃってるからさ。だから、たーちゃんからなら受け取ってくれるかなって。愛ちゃん、たーちゃんには弱いから」
「…そうかな?」

結子には悪いが、それに関しては、疑問しかない。

「そうなの!それ、腕時計でね、家族皆で選んだんだ」
瀬々市ぜぜいちの皆さんは、本当に愛ちゃんの事を大事にしてるんだね」
「勿論!私達は、いつも愛ちゃんに好かれたいだけ。せっかく縁があって家族になれたのに、寂しいでしょ?」

でも、と、結子はそっと目を伏せた。

「…愛ちゃんは、いい加減鬱陶しいかもしれないけど」
「そんな事ないよ!俺だったら、結ちゃんにそんな風に思って貰えたら嬉しいよ!」

思いの外、熱のこもった言葉に、結子は多々羅を見上げて目を瞬いていたが、ややあって眉を下げて微笑んだ。

「ありがとう、たーちゃん」

その笑顔は寂しそうに揺れていて、多々羅の胸をきゅっと締め付けた。結子は、愛の事を本当に大事に思っているのだろう、その思いが伝わってきて、多々羅はその包みを大事に受け取った。これには、瀬々市の皆の愛情が詰まっている。多々羅は顔を上げると、しっかりと結子に頷いた。

「ちゃんと、愛ちゃんに渡すから」
「うん、よろしくお願いします」

そう、丁寧に頭を下げた結子を見て、多々羅は眉を下げて笑った。

「急に畏まらないでよ」

そう笑って言えば、「だって!」と結子は怒ったように顔を上げたが、その表情はすぐにいつもの笑顔に変わった。多々羅につられたのかもしれない。それから、詰めていた息を吐き出すように肩から力を抜き、椅子の背もたれに寄りかかった。

「あー、でも本当にたーちゃんが居てくれて良かった。ふふ、たーちゃんは、我が家の救世主だよ」
「大袈裟だな」
「本当に!」
「…俺は、そんなんじゃないし。それに、結ちゃんの力になれたらって思うだけだし。結ちゃんだからだよ」
「何それ!口説かれてる?」
「そう聞こえる?」
「ふふ、聞こえたかも」
「…俺は、結ちゃん好きだから」
「私も、たーちゃん好きだよ」
「え?」

まさかの発言に多々羅が顔を上げた所で、「ご注文はお決まりですか?」と、店員が来てしまい、多々羅は慌ただしくメニューを広げた。とりあえず、二人共日替わりメニューを頼み、再び結子に目を向ける。今のは冗談か本心か、問いかけようと口を開いた多々羅だが、結子が先に口を開いた。

「愛ちゃん、家でどんな感じ?」
「え?えっと…」

肩透かしを受けつつ、愛の様子を思い浮かべる。一瞬、いつかの勝ち誇ったような笑顔が浮かび、多々羅は苦い顔を浮かべたが、その愛の表情はすぐに別のものへと変わった。

「…そういえば、朝起こしに行った時、ちょっと様子がおかしかったな…寝ぼけてるのかと思ったけど、ぼーっとして、なんか疲れた顔してたっていうか…」

そう言って思い出す。幼い頃、愛が倒れた日の事を。もしかしたら、体調に変化が起きているのだろうか。大人になってからは、体との付き合い方が分かってきたようで、倒れる事はなくなったと聞いていたが、瞳の影響がどこで起きるか分からない。多々羅の胸は途端に心配でいっぱいになり、焦るように結子を見やった。

「先生に相談した方がいいかな?」
「あまり続くようなら、その方が良いかも。仕事の事かな…それなら、私達には相談にも乗れないし」
「また倒れたりしないと良いけど」
「愛ちゃんは、溜め込んじゃうからな…弱みを見せてもくれないし」

結子はそう言って、お冷やのグラスの水滴を指でなぞった。水滴が店の明かりに照らされ、微かに光って見える。多々羅はその煌めきに、愛の瞳を思い出していた。

「…どうして愛ちゃんは、あんなに瞳の事を気にするんだろう。記憶がなくても、愛ちゃんは愛ちゃんでしかないのに」

ぽつりと溢した多々羅に、結子も寂しく眉を下げた。

「そうだね。でも、いくら私達がそう言っても、本人が納得して受け止めてくれないと、何も変わらないんだよね。私達は、それを伝え続けたつもりだったけど、愛ちゃんは、私達の事を巻き込んで傷つけると思ってる。だから、なかなか壁を越えられないの」

結子の言葉を聞きながら、多々羅はふと、愛の言葉を思い出していた。

愛は、大事な物ほど、向き合うのは怖いと言っていた。
やはり、愛にとって瀬々市の家は大事だから、傷つけて失いたくないものだから、こうして距離を置くのだろうか。
でもきっと、人も絆もそんなに脆くはない。ここまで辛抱強く、血の繋がらない愛と向き合おうとしている家族なら、ちょっと傷ついたくらいでは、愛を見放したりしないだろう。
それでも愛は、怖いのだろうか。あの綺麗な瞳は、そんなに恐ろしいものなのだろうか。

それが本当に恐ろしいものだと、一体誰が決めたのだろう。



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