45 / 64
桜と星と初こいと45
しおりを挟むひなの家には、槙と咲良で行く事になった。織人も一緒に行くと言い張ったが、仕込みの仕事があるのでお留守番となった。それに、また織人がひなに掴みかかろうとしても困る、クローバーの店長は、それを見越して引き止めてくれたのかもしれない。因みに、移動の為の車も、クローバーの店長が貸してくれた、何から何まで世話になりっぱなしだ。
運転は咲良がしてくれる事になった。助手席には槙が、後部座席にひなが座った。
ひなから住所を聞いて、咲良がナビに入力していく。槙が文人の家に行くのは初めてじゃない、文人の死後、門前払いで終わってしまったが、何度か訪ねた事がある。
その時に、文人が天体観測と称して連れて行ってくれた丘が、文人の家の側にあった事を初めて知り、少し複雑な思いに駈られたのを覚えている。自分と来たなら、きっと家族とも来ているだろう。自分だけの特別な場所ではなかったのだと、そんな事当たり前なのに、それがどうしてかやはり寂しく思えて仕方なかった。
車の中では沈黙が怖くて、槙の手は自然とペンダントに向かう。文人の家に行くのが怖かった。自分は行くべきではないと、幸せだった家庭に上がり込んではいけないと思う傍らで、ちゃんと文人の気持ちを確かめたい思いもある。しかし、幸せな家庭を壊した元凶でもある槙を、どうして家に上げるのを許してくれたのか、槙はひなの気持ちが分からず、かといって聞き出すのも気後れしてしまい、結局口を閉ざすばかりだった。
「お母さん体調悪いって言ってたけど、おばあさんの家にいるのは、そのせいなの?」
そわそわ落ち着かない槙に、ただ黙って窓の外を眺めるひな、そんな二人の様子を見てか、咲良がそっと尋ねれば、ひなは窓の外を眺めながら答えてくれた。
「…うちにいたら嫌でも父さんの事思い出すからって、弟と一緒におばあちゃん家に行った」
「君は?」
「私は家にいるけど、今はこっちの友達の家にいる。中学の友達がいるから」
「槙ちゃんの学校の生徒?」
咲良の問いかけに、ひなは躊躇いを見せたので、咲良は「大丈夫だよ」と笑った。
「その子を叱ろうとかそんなんじゃないから。槙ちゃんが咲蘭の教師をやってる事とか、どこで知ったのかと思ってさ」
咲良の軽やかな声に、ひなは躊躇いながらも、ぽつりぽつりと口を開いた。
咲良は飄々としたところがあるが、隣りに居て感じる空気感は穏やかで、受け入れてくれるような優しさがある。これが大人の包容力だろうかと、槙はいつも甘えて寄りかかりたくなってしまうのだが、ひなもそれと同じようなものを咲良に感じているのかもしれない。
「…お墓参りですれ違った時、お母さんの様子がおかしかったんだけど、何も教えてくれなくて、でもその後、どんどん様子がおかしくなっていって」
ひなはそこで溜め息を吐き、窓の外へ向けた視線を槙に向けた。
「…あの丘に、いたよね」
あの丘とは、文人が天体観測と称して連れて行ってくれた丘の事だろう。槙がその丘に行ったのは、龍貴の車で行ったのが最後だ。体育祭の前、織人に避けられていると感じていた頃だ。
「…あの丘、お父さんが好きな場所って聞いてたから、私も何かあると良く行ってた。そしたら、あんたを見かけて、お墓参りに来てた人だって気づいて。それで、お母さんがおかしくなっのは、あんたに会ったからだって気づいた」
バックミラー越しにひなと目が合い、槙は思わず目を逸らした。ひなはそれには何も言わず、そのまま話を続けた。
「…でも、お母さんは何も教えてくれないから、おばあちゃんに聞いた。そしたら、あんたからの手紙、おばあちゃんが一通だけ持ってて、咲蘭の教師だって知って。中学の友達が通ってるから聞いてみたら、あんたがまだ咲蘭にいる事が分かった。それで、あんたの事、色々調べた」
過去の事は、祖母からの話や、ネットで調べれば分かる事だろう。現在の槙の事は、尾行をしたり、友人達から話を聞いたのだろうか。自分がそこまでひなを突き動かしたのかと思えば、槙は顔を上げていられなかった。きゅっとペンダントを握り俯く槙の姿は、隣に座る咲良にはどんな風に見えただろう。咲良は槙の姿を一瞥し、少し眉を寄せて前を向いた。
「…それで仕返し?」
その声に、いつもは見えない怒りが含まれている気がして、槙は困惑して咲良に視線を向けた。表情からは読み取れないが、やはり怒っているように見える。自分の為に怒ってくれているのだろうか、だとしたら、咲良の気持ちは嬉しいけど、怒ってもらう資格は自分にはない。槙はそんな思いで口を開きかけたが、それはひなの声によって遮られてしまった。
「…悔しかったのは本当だけど、怖かったから」
思いがけない言葉に、槙は思わず後部座席を振り返った。
「…お母さん、ちょっとおかしい事言って泣いてたから」
「おかしい事って?」と、咲良も戸惑いを滲ませつつ尋ねると、ひなは唇を噛みしめて俯いた。
「…お母さんのせいじゃない、きっと。悪いのはあんたなんだから」
ひなは咲良の問いには答えず、その視線を窓の外へ向けた。
それからひなは、何を聞いても答えてはくれなかった。
ひなの家は、住宅街の中にある、二階建ての一軒家だ。建物の外壁はグレーで、玄関前にはポーチがあり、敷地を囲う白い壁に、胸の高さ程の門扉がある。駐車スペースが建物の隣にあるが、車は実咲が使って出て行ったのか空っぽだった。
家の近くにはパーキングがあるので、槙達はそこに車を停め、家の前までやって来た所だ。
ひなが玄関ドアの鍵を開けている間、槙はその手前、門前で立ち止まった。とても入れるような気持ちにはなれなかった。
「…俺、外で待ってるよ」
そう呟けば、ひなが「は?」と、苛立ったように振り返った。
「あんたも来てって言ったじゃん」
「いや、でもさ、」
「でも、なに?」
「………」
問い詰められ、槙は自然と俯いた。
文人の気持ちがどうあれ、槙が文人とそういうつもりで付き合っていたのは変わらない。自分は文人の不倫相手だ、それも文人の死の原因を作った男だ、そんな自分が、文人が家族と共に築いた家に上がるなんて。家族の幸せで満ちていた家に自分が踏み込んでしまったら、綺麗な思い出までも汚してしまうのではないかと、どうしても足を踏み出す事が出来なかった。
それに、ここは、何度も実咲に突き返された場所だ、例えひなが許しても、実咲が許さないだろうし、彼女が不在の中で上がり込むのは、良いものとは思えなかった。
躊躇いに下がる槙に、ひなは怒った顔をして門まで戻ってくると、その手首を掴んだ。驚いて槙が顔を上げれば、こちらを睨むひなと目が合った。ひなは怒っている、苛立っている、泣き出しそうなのを必死に我慢して、この手を掴んでいる、そんな気がして、槙は言葉を失った。
「大人なんだから、しっかりしてよ!私が来てって言ってるんだから!」
許せないはずの手をぐいぐいと引いて、ひなはドアを開ける。槙はひなの行動にそれでも躊躇い、縋るように咲良を見れば、咲良は苦笑い、槙の視線に頷いて返した。それは、ひなに従った方が良いと言っているようで、槙はまだ戸惑いを抱きつつも、それでも意を決して家に上がった。
「誰もいないから、遠慮しないで。正直、私も怖いんだ」
玄関に上がれば、部屋の中がきちんと掃除や手入れが行き届いているのが分かった。きっと、いつ来客があっても困る事はないだろう。母である実咲の丁寧な暮らしが、娘のひなにも受け継がれているのかもしれない。
文人が亡くなって、今もその苦しみを抱えている。彼と共に過ごしたこの家は、きっとその当時のままなのだろう、そう思うと、実咲の文人に対する愛情がこの家に満ちているように感じられて、槙の胸を苦しくさせた。
「綺麗にしてるんだね」
「私も今は友達の家に泊まってるけど、掃除とか風通しにちょくちょく来てるから」
「そうなんだ、偉いね」
「…別に。その…二階は私達の部屋とお母さん達の寝室で、父さんの書斎が一階にあるの」
感心した様子で咲良が褒めれば、ひなは照れくさかったのか、不機嫌な様子で説明してくれる。そのあからさまな様子に、咲良は肩を竦めて槙に目配せするので、槙は少しだけ胸の強ばりがほどけたような気がした。
廊下の突き当たりにその書斎はあった。部屋のドアを開ければ、目の前にはデスクがあり、壁には本棚がある。デスクは磨かれ、筆記用具がきちんと並べられており、本棚の本も埃が被る事はない。
六畳の書斎は、今も主が帰ってくるのを待ちわびているようだった。
0
あなたにおすすめの小説
【完結・BL】俺をフッた初恋相手が、転勤して上司になったんだが?【先輩×後輩】
彩華
BL
『俺、そんな目でお前のこと見れない』
高校一年の冬。俺の初恋は、見事に玉砕した。
その後、俺は見事にDTのまま。あっという間に25になり。何の変化もないまま、ごくごくありふれたサラリーマンになった俺。
そんな俺の前に、運命の悪戯か。再び初恋相手は現れて────!?
悋気応変!
七賀ごふん
BL
激務のイベント会社に勤める弦美(つるみ)は、他人の“焼きもち”を感じ取ると反射的に号泣してしまう。
厄介な体質に苦しんできたものの、感情を表に出さないクールな幼なじみ、友悠(ともひさ)の存在にいつも救われていたが…。
──────────
クール&独占欲強め×前向き&不幸体質。
◇BLove様 主催コンテスト 猫野まりこ先生賞受賞作。
◇プロローグ漫画も公開中です。
表紙:七賀ごふん
鬼上司と秘密の同居
なの
BL
恋人に裏切られ弱っていた会社員の小沢 海斗(おざわ かいと)25歳
幼馴染の悠人に助けられ馴染みのBARへ…
そのまま酔い潰れて目が覚めたら鬼上司と呼ばれている浅井 透(あさい とおる)32歳の部屋にいた…
いったい?…どうして?…こうなった?
「お前は俺のそばに居ろ。黙って愛されてればいい」
スパダリ、イケメン鬼上司×裏切られた傷心海斗は幸せを掴むことができるのか…
性描写には※を付けております。
経理部の美人チーフは、イケメン新人営業に口説かれています――「凛さん、俺だけに甘くないですか?」年下の猛攻にツンデレ先輩が陥落寸前!
中岡 始
BL
社内一の“整いすぎた男”、阿波座凛(あわざりん)は経理部のチーフ。
無表情・無駄のない所作・隙のない資料――
完璧主義で知られる凛に、誰もが一歩距離を置いている。
けれど、新卒営業の谷町光だけは違った。
イケメン・人懐こい・書類はギリギリ不備、でも笑顔は無敵。
毎日のように経費精算の修正を理由に現れる彼は、
凛にだけ距離感がおかしい――そしてやたら甘い。
「また会えて嬉しいです。…書類ミスった甲斐ありました」
戸惑う凛をよそに、光の“攻略”は着実に進行中。
けれど凛は、自分だけに見せる光の視線に、
どこか“計算”を感じ始めていて……?
狙って懐くイケメン新人営業×こじらせツンデレ美人経理チーフ
業務上のやりとりから始まる、じわじわ甘くてときどき切ない“再計算不能”なオフィスラブ!
だって、君は210日のポラリス
大庭和香
BL
モテ属性過多男 × モブ要素しかない俺
モテ属性過多の理央は、地味で凡庸な俺を平然と「恋人」と呼ぶ。大学の履修登録も丸かぶりで、いつも一緒。
一方、平凡な小市民の俺は、旅行先で両親が事故死したという連絡を受け、
突然人生の岐路に立たされた。
――立春から210日、夏休みの終わる頃。
それでも理央は、変わらず俺のそばにいてくれて――
📌別サイトで読み切りの形で投稿した作品を、連載形式に切り替えて投稿しています。
エピローグまで公開いたしました。14,000字程度になりました。読み切りの形のときより短くなりました……1000文字ぐらい書き足したのになぁ。
【完結】取り柄は顔が良い事だけです
pino
BL
昔から顔だけは良い夏川伊吹は、高級デートクラブでバイトをするフリーター。25歳で美しい顔だけを頼りに様々な女性と仕事でデートを繰り返して何とか生計を立てている伊吹はたまに同性からもデートを申し込まれていた。お小遣い欲しさにいつも年上だけを相手にしていたけど、たまには若い子と触れ合って、ターゲット層を広げようと20歳の大学生とデートをする事に。
そこで出会った男に気に入られ、高額なプレゼントをされていい気になる伊吹だったが、相手は年下だしまだ学生だしと罪悪感を抱く。
そんな中もう一人の20歳の大学生の男からもデートを申し込まれ、更に同業でただの同僚だと思っていた23歳の男からも言い寄られて?
ノンケの伊吹と伊吹を落とそうと奮闘する三人の若者が巻き起こすラブコメディ!
BLです。
性的表現有り。
伊吹視点のお話になります。
題名に※が付いてるお話は他の登場人物の視点になります。
表紙は伊吹です。
陰キャ系腐男子はキラキラ王子様とイケメン幼馴染に溺愛されています!
はやしかわともえ
BL
閲覧ありがとうございます。
まったり書いていきます。
2024.05.14
閲覧ありがとうございます。
午後4時に更新します。
よろしくお願いします。
栞、お気に入り嬉しいです。
いつもありがとうございます。
2024.05.29
閲覧ありがとうございます。
m(_ _)m
明日のおまけで完結します。
反応ありがとうございます。
とても嬉しいです。
明後日より新作が始まります。
良かったら覗いてみてください。
(^O^)
【完結・BL】春樹の隣は、この先もずっと俺が良い【幼馴染】
彩華
BL
俺の名前は綾瀬葵。
高校デビューをすることもなく入学したと思えば、あっという間に高校最後の年になった。周囲にはカップル成立していく中、俺は変わらず彼女はいない。いわく、DTのまま。それにも理由がある。俺は、幼馴染の春樹が好きだから。だが同性相手に「好きだ」なんて言えるはずもなく、かといって気持ちを諦めることも出来ずにダラダラと片思いを続けること早数年なわけで……。
(これが最後のチャンスかもしれない)
流石に高校最後の年。進路によっては、もう春樹と一緒にいられる時間が少ないと思うと焦りが出る。だが、かといって長年幼馴染という一番近い距離でいた関係を壊したいかと問われれば、それは……と踏み込めない俺もいるわけで。
(できれば、春樹に彼女が出来ませんように)
そんなことを、ずっと思ってしまう俺だが……────。
*********
久しぶりに始めてみました
お気軽にコメント頂けると嬉しいです
■表紙お借りしました
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる