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しおりを挟む「あー、えっと、ごめん。その、だから、匠海くんの方が堂々とあの家にいてって言いたかっただけでね、」
匠海の表情からは感情は読み取れない、それでも、匠海が遠慮して出ていってしまうのは違うと思った。キヨエはそれを望まないから、敢えて「二人暮らし」と口にしたのではないか。
「だから、私が宿取るから大丈夫。この辺の温泉宿とか有名だし、たまに来たときくらい、温泉に浸かるのも良いし」
「それは、駄目です!」
「え、」
「俺が追い出す訳にはいきません」
「でも、私だってそうだよ、追い出す訳にはいかないよ」
「取り敢えず、お家に帰るしかないわよね」
突然、第三者の声がして、二人が驚きつつ揃って振り返ると、病室から顔を覗かせるキヨエがいた。貴子と匠海は再び顔を見合わせた。確かに、廊下の真ん中で睨みあっていても埒があかない、脇を通りすがる看護師さん達への迷惑もあるし、面会時間も終わるので、いい加減、病院から出なくてはならない。
「いっちゃん達にもよろしく言っておいて、“二人”でね」
そうひらひらと手を振るキヨエに、二人は今度こそ病院から追い出される事となった。
***
「ひとまず家に帰りましょう」
再び匠海がそう言って、走らせる軽トラの助手席で、貴子は少し難しい顔で頷いた。
「あの、」
「大丈夫です、夜は家では寝ないので」
まっすぐと前を見つめる横顔には、苛立ちも面倒そうな様子も見えない。恐らく匠海は、自分を気遣って言っているのだろう、そう思えば、貴子の眉間にはますます皺が深くなった。
キヨエが家に帰るまで、少なくとも一週間はかかる。貴子は、一週間くらいなら匠海と同じ家で過ごすくらい、問題ないのではと思い始めていた。正直、初対面の人と気楽に会話が出来るタイプでもないし、人付き合いも得意ではない、年齢の離れた年下の男性とのコミュニケーションの取り方などもってのほかだ。それでも、匠海はキヨエと共に過ごしてきた大事な従業員だし、キヨエが信用しているのだから悪い人ではないだろうという思いもある。そもそも、三十路も半ばに突き進んでいる自分は、匠海にとっては通りすがりのおばさんくらいの感覚かもしれないし、何より自分は世話になる身だ、匠海が遠慮するのはやはり違う気がしてならなかった。
「いいよ、家で寝てよ」
「そういう訳には、」
「私もおばあちゃんの家でお世話になるから」
匠海はちらとこちらを一瞥したが、戸惑うように視線を前に戻した。いくら走っても似たような景色が目の前に広がるばかりで、対向車も殆ど出会わないが、匠海の運転は慎重だった。その態度からは、緊張感よりも安心感を感じて、貴子はそっと肩から力を抜いた。
「広い家だし、部屋もあるし、宿泊費もかからないし、他所に泊まったら、おばちゃん気にするかもだし」
「はい、だから、」
「それは匠海くんだって同じだよ。それに、私、おばあちゃんのお店に立った事ないし、きっと余計な神経使わせちゃうかもだし。そうなったら、使い慣れた布団で寝る方が疲れも取れるでしょ?部外者と同じ屋根の下は嫌かもしれないけど、」
「そんな事ないです」
やけにきっぱりとした返事に、貴子はきょとんとして匠海に視線を向けた。
「キヨエさんの家族を、そんな風には思いません」
その確かな声音に、貴子は不思議に思いながらも表情を緩め、「じゃあ決まりだね」と、「少しの間よろしくお願いします」と声を掛ければ、匠海は暫し思いを巡らせたようだったが、その後はしっかりと頷いてくれた。それからは無言の時間が流れ、貴子は暗くなった窓の向こうを眺めつつ、窓に映る匠海の姿をぼんやりと見つめた。
一体、匠海とキヨエは、どんな日々を過ごしていたのだろう。匠海のキヨエに対する思いには、ただの従業員と雇用主だけでは生まれない何かがあるような気がする。聞きたいけど、これ以上はプライベートに踏み込むようで尋ねる事を躊躇してしまい、それと同時に、この事を母に話した方が良いのかと、また新たな悩みが脳内を巡り、貴子は溜め息をこっそりと飲み込むのだった。
***
その日の夜は、久しぶりに貴子が来たと集落の家々から人が集まり、ちょっとしたお祭り騒ぎになった。それが過ぎれば、広い家で匠海と二人きりだ。色々と考えを巡らせ、色々と飲み込んで納得したつもりでも、どうしても頭に巡ってしまうのは、よく知りもしない男性と、嫁入り前である女の自分が同じ屋根の下で二人きりという事実。匠海にだって好みはある、自分よりも若いし、間違いなんて起きないだろうが、そうとは言いきれないのが、男と女だ。
だが、どうしよう、なんて考えていたのは貴子だけで、宴会を早々に抜け出した匠海はアルバイトに出掛けると言って、夜中まで帰って来ないという。
匠海については、昨夜の宴会で、お隣で暮らす一輝に少し話を聞いていた。彼は学生時代にラグビーをしており、その屈強な体つきは今も変わらず健在のようだ。
一輝によれば、匠海はキヨエの店では給料は受け取ろうとせず、給料を貰う代わりに、住む場所と食事を提供して貰えればそれで良いと言っているらしい。朝からお昼過ぎまでキヨエの店で働き、夜は大きな町に出て、別の蕎麦屋で働いているという。とは言え、要らないと言われても、匠海の給料はキヨエが別に口座を作り、積んであるそうだ。
それにしても、何故給料を受け取らないのか、こんな未来の希望に溢れた若者が、何故、赤字ギリギリの蕎麦屋で働いているのか、貴子にはやはり不思議でならなかった。
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