クリスマス・デス ~25歳で死ぬ病~

坂本 光陽

文字の大きさ
64 / 64

キトラの男③

しおりを挟む

 荒川河川敷は薄い暗闇に包まれている。

 恭介は茅野原大橋の方に向かって、堤防の暗い道をブラブラと歩いていた。足元がよく見えないので、水溜りに足を突っ込んだり、段差につまずいたりした。

 二人の濃紺ツナギがついてくるのはわかっていた。おそらく四六時中、マークをするつもりなのだろう。

 もう、やっていられない。恭介の心は冷え切っていた。自分の理解者は一人もいない。世界中を敵に回したような気分である。

 その時、左足が何かを蹴飛ばした。目を凝らすと、草むらに突っ込む形で、自転車が放り出されていた。

 このバカげたゲームから降りるのは簡単だ。ルールを破りさえすればいい。

 例えば、ハッピー条例の③だ。「自転車は安全に乗ろう」。無灯火で自転車に乗れば、それだけで済む。恭介は身をかがめて、自転車を引き起こした。

 こんな偶然があるものだろうか。その自転車は数日前に盗まれた恭介自身のシティサイクルだった。

 溝呂木が殺された時、河川敷グラウンドから持ち去られたから、ほんの数百メートルを動かされただけだ。自転車泥棒はあまりのボロさにあきれ果て、乗り捨てたのかもしれない。

 雨でぬれたサドルを手で払い、恭介は自転車にまたがった。

 前輪にとりつけてあった発電機は、ずっと前から壊れたままだ。足を蹴って、少し自転車を前に進めれば、その瞬間にハッピー条例③に違反する。

 背後で、濃紺ツナギたちが息を飲む気配がした。恭介の考えを察したらしい。

 恭介は天を仰ぎ、目を閉じて深呼吸をする。さぁ、いくぞと思った瞬間、誰かが遠くで叫んだ。

「尾白さん、生きてっ!」
 それは詩織の声だった。彼女に頬を打たれたような気がした。

 もちろん、幻聴だ。今は、茅野原大橋を渡る列車の走行音しか聞こえない。
 恭介はサドルから尻をはがし、自転車を押して歩きながら、しばし考える。

 ここでもし、自転車を放り出したら、ハッピー条例の①「ゴミのポイ捨てはやめよう」に違反する恐れがある。これはゴミではないと言い張っても、「鍵もかけずに自分の自転車を放置したら、それはゴミでしょう」と解釈されては敵わない。

 かすかな危険を察知して、心配事は速やかに排除する。自覚はないが、恭介の脳下垂体は今、〈キトラシオン〉を分泌したのだろう。鈴木は〈危機回避に対する認識力〉と言っていたが、おそらくこれがそうなのだ。

 そう考えると、恭介の中に反発心が目覚めてきた。

 真壁マキナは言っていた。「七日目を迎えた者は一人もいない」と。日付が変われば七日目となり、恭介は前人未到の領域に挑むことになる。

 ならば、七日目を見事に乗り越えてやろう。
 妨害工作を受けても八日目を迎えてやろう。
 もちろん、九日目、十日目、十一日目もだ。

 厚い雲が月を覆い隠すと、辺りは闇に等しかった。
 それでも恭介は、自転車を押しながら歩き始める。
 前方を睨みつけ、まっすぐ暗闇の中を歩き続ける。




                  了


しおりを挟む
感想 0

この作品の感想を投稿する

あなたにおすすめの小説

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

母の下着 タンスと洗濯籠の秘密

MisakiNonagase
青春
この物語は、思春期という複雑で繊細な時期を生きる少年の内面と、彼を取り巻く家族の静かなる絆を描いた作品です。 颯真(そうま)という一人の高校生の、ある「秘密」を通して、私たちは成長の過程で誰もが抱くかもしれない戸惑い、罪悪感、そしてそれらを包み込む家族の無言の理解に触れます。 物語は、現在の颯真と恋人・彩花との関係から、中学時代にさかのぼる形で展開されます。そこで明らかになるのは、彼がかつて母親の下着に対して抱いた抑えがたい好奇心と、それに伴う一連の行為です。それは彼自身が「歪んだ」と感じる過去の断片であり、深い恥ずかしさと自己嫌悪を伴う記憶です。 しかし、この物語の核心は、単なる過去の告白にはありません。むしろ、その行為に「気づいていたはず」の母親が、なぜ一言も問い詰めず、誰にも告げず、ただ静かに見守り続けたのか——という問いにこそあります。そこには、親子という関係を超えた、深い人間理解と、言葉にされない優しさが横たわっています。 センシティブな題材を、露骨な描写や扇情的な表現に頼ることなく、あくまで颯真の内省的な視点から丁寧に紡ぎ出しています。読者は、主人公の痛みと恥ずかしさを共有しながら、同時に、彼を破綻から救った「沈黙の救済」の重みと温かさを感じ取ることでしょう。 これは、一つの過ちと、その赦しについての物語です。また、成長とは時に恥ずかしい過去を背負いながら、他者の無償の寛容さによって初めて前を向けるようになる過程であること、そして家族の愛が最も深く現れるのは、時に何も言わない瞬間であることを、静かにしかし確かに伝える物語です。 どうか、登場人物たちの静かなる心の襞に寄り添いながら、ページをめくってください。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。

ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。 真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。 引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。 偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。 ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。 優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。 大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。

中1でEカップって巨乳だから熱く甘く生きたいと思う真理(マリー)と小説家を目指す男子、光(みつ)のラブな日常物語

jun( ̄▽ ̄)ノ
大衆娯楽
 中1でバスト92cmのブラはEカップというマリーと小説家を目指す男子、光の日常ラブ  ★作品はマリーの語り、一人称で進行します。

(完)百合短編集 

南條 綾
恋愛
ジャンルは沢山の百合小説の短編集を沢山入れました。

日本の運命を変えた天才少年-日本が世界一の帝国になる日-

ましゅまろ
歴史・時代
――もしも、日本の運命を変える“少年”が現れたなら。 1941年、戦争の影が世界を覆うなか、日本に突如として現れた一人の少年――蒼月レイ。 わずか13歳の彼は、天才的な頭脳で、戦争そのものを再設計し、歴史を変え、英米独ソをも巻き込みながら、日本を敗戦の未来から救い出す。 だがその歩みは、同時に多くの敵を生み、命を狙われることも――。 これは、一人の少年の手で、世界一の帝国へと昇りつめた日本の物語。 希望と混乱の20世紀を超え、未来に語り継がれる“蒼き伝説”が、いま始まる。 ※アルファポリス限定投稿

妹の仇 兄の復讐

MisakiNonagase
青春
神奈川県の海に近い住宅街。夏の終わりが、夕焼けに溶けていく季節だった。 僕、寺内勇人は高校三年生。妹の茜は高校一年生。父と母との四人暮らし。ごく普通の家庭で、僕と茜は、ブラコンやシスコンと騒がれるほどではないが、それなりに仲の良い兄妹だった。茜は少し内気で、真面目な顔をしているが、家族の前ではよく笑う。特に、幼馴染で僕の交際相手でもある佑香が来ると、姉のように慕って明るくなる。 その平穏が、ほんの些細な噂によって、静かに、しかし深く切り裂かれようとは、その時はまだ知らなかった。

処理中です...