1 / 19
1
しおりを挟む君は惨めなお姫様だ。
優しい母は死に、継母はいじわるで、連れ子の兄姉は冷淡だった。
可愛い君は泣いて暮らした。父親は継母の言うことを鵜呑みにして、食べることが好きな君からご飯を取り上げた。
彼らは君に野菜しか与えない。
沢山の雑用をやるように言った。
君は泣いて暮らしたけれど、純真だったから、なんの反抗もせず素直に受け止めて、あんなに可愛かったのにそれほどガリガリに痩せてしまった。
"僕"はかわいい君にそんな仕打ちをする彼らが許せない。
いいことを思い付いたのです。
お姫様、僕の手を取って。すぐに地獄から救って差し上げましょう。
節くれだった細長い指が差し出された。
目の前にいたのは陰鬱な雰囲気の男だった。
色の抜けた長い髪が目元を隠し、かわいた薄い唇を横に引き伸ばした笑みをする男。
彼が誰かを私は知っていた。
ここがどこか、急いで目を走らせる。
見覚えのある暗い森だ。死に物狂いに逃げた場所のはずだった。
ではなぜ自分はこんなところにいるのか?
おぞけが走り、歯がガチガチと鳴っている。
震えてしまって身動きがとれない。
この男は遠く古の時代よりこの魔法の森に住んでいる、古い魔法使い。
気まぐれで残忍、狡猾で執着が強い、とても恐ろしい男だ。
男は首を傾げる。どうして己の手を取らないのかわからないようだ。
「お、お言葉ですがっ」
緊張に声が上擦った。
彼の長い前髪から切れ長の赤い目が伺う。
「私、みじめではありませんわ」
決死の言葉だった。
「ええ、ええ。すぐに惨めではなくなるよ。僕の可愛いお姫様」
不気味なほど青白い肌をほのかに赤くして、嬉しさの滲み出ている様がよくわかる。
「皆も、あなたが言うような人達じゃないわ!」
「わかっているよ。もっともっと酷い人たちだったんだね」
彼が一歩近付く。
つんと高慢そうにすました高い鼻が頬に触れそうになって、下がった。
後ろは壁だ。咄嗟に横に走ろうと思ったら、両腕を付き出してきて退路を断たれてしまった。
しかし、なんとか顔は背けて逃れる。
ここで怯むわけにはいかない。
「い、いいえっ……もっともっと優しい人たちだったのよ……!」
「そんなはずはない。君は素直な良い子だから、いじめられていることにさえ気づかなかったんだ。証拠にほら、前はもっと柔らかくって可愛いお腹が…」
彼の掌がそっと私の腹を擦った。多少は痩せたと自負している下腹部を悲しげに。まるで触れられた箇所から嫌悪感に満たされるようだった。
否応なしにゾクゾクと鳥肌がたつ。
嫌悪にも気付かず、彼はぴっとりと密着してきた。
「わ…わっ…私の健康に悪いから、みんなが手伝ってくれているの…。ご飯もちゃんと美味しいわ。雑用って言うのもただ、魔法に頼らないように歩きなさいって、それだけよ…」
恐怖と気色の悪さににじんだ涙が、溢れて頬に垂れてしまった…。こんな男の前で泣くつもりなど微塵もなかったのに、止めようと思っても無理だ。
ガタガタと体が震える。
すると、男はなにを思ったか、かぱっと口を開けた。
「…ひっ!」
頬に濡れた柔らかい感触がした。
「君が、」
頬をぴたぴた舐める男が合間合間に言葉を発する。
「来てくれないから。僕はすごく寂しかったんだ。魔法を教えてって、楽しそうに来る。君が、君だけが…」
そうしてつとつとと喋る男の目にも、うっすらと涙が浮かびはじめた。
「とっても寂しかったんだよ」
「…突然行かなくなって…それは、ごめんなさい…。痩せたらまた伺おうと思っていたの…ほんとよ」
それはとっさについてでた、まったくの嘘だ。
この男に対する師事の気持ちなど微塵もありはしない。
頬から目元にたどり、のこる眼球まで舐められてしまうのではないか?そんな恐ろしさに涙も引いた頃、ようやく舌が離れた。
「いいんだ…まだまだ、君の知らない魔法は沢山あるからね」
頬に残るおぞましい感触をどうにか拭う姿なんて気に止めず、指の一本一本を確かめるように絡み合わせて、手が繋がれた。
ぎゅうと握りしめ、胸元に引き寄せられると、とたんに軋むような痛みが襲う。手を振りかぶって離そうとした。
しかし、手のひらを掴むその手はまるで枯れ枝のようにも思えたけれど、それでも男のものだった。揺れはしたけど離れはしない。
彼は無様な様子を嘲ったように笑っている。
彼は掴んだ私の手を引き寄せると、胸元に抱え込んだ。 どうやったって離れないんだと気付かせたいようだった。
「かよわい人間には危ないものばかりだから、優しい魔法を新しく造り上げたんだ。君の短い一生をかけても修められないほど沢山ね」
「やめてっ!!離れて!」
「ねえお姫様。あんな家は捨ててしまって、また前みたいに一緒に遊ぼう?昼ともなく夜ともなく、時間すら迎えない僕の森で永遠に二人でいよう…」
「嫌よ!誰が、あなたの元へなんか行くものですか!」
激しい嫌悪を露にしたが、彼はまったくなんら意に介さない。
ただ、ひたすらに陶酔していた。白い肌を耳まで朱に染め上げて、うっとりと目を潤ませて、耳が食まれるほどの距離で囁いてくる。
「――日毎に百のドレスを、一月に千の従者を、ひととせに万の宝石を…どんなものだってあなたに差し上げる。僕がもつ全てあなたに捧げたって構わない…」
熱い吐息が、微かな唇とぬるい舌が、感極まった切なげな声が、耳朶に触れる度犯されているような気分にさせた。
足掻く。
拘束された右手はまだしも、掴まれていない左手は薄い胸板を懸命に押し退けようと叩いている。
しかし、すぐに左手も捕まった。同じように無理矢理引き寄せられる。
無理矢理繋いだ自分の手との境に口付け、蕩けた顔に強い支配の色を乗せて、告げる。
「だから、大人しく僕のものになっておくれ」
「じゃあ…私のほしいものを先に出してよ」
意外といった様子だった。
叶えられないものはないと思い上がっているこの男は、私がそれを知っているため嫌としか言わないと思っているのだ。
それでも、彼にだって叶えられないものはある。
「あなたは私の母様を奪った。それだけじゃない、私の目の前で笑いながら幾度も汚したわ…!」
憎悪を込めた視線を送れば、いよいよ男から喜色を取り去る。
「なんでも叶えてくれるというなら、お母様を返してよ!あなたにおかしくされてしまう前の、生きた姿の母様を!」
「だって、それは…。僕から君を奪おうとした…。君も僕に願ったじゃないか…彼女が先に悪いことをしたんだよ。そうでしょう…?」
彼は一転して懇願しはじめる。
どうか怒りを鎮めて、また己に怯えるかわいいお姫様に戻るようにと思っている。
あろうことか彼は自分が母親を奪ったのだということを知っていてもなお、まだ己の元へ来ると思っているらしい。
頑是ない子供以下の道徳観だ。いや、子供だってもうすこしはましな常識を持っている。
「…私が欲しいならお母様を返して…。それができないなら、もう二度と私に近付かないで!」
強くがむしゃらに男を押すと、彼はよろめいて手を離した。やっと拘束が解けたので、安堵もそこそこに駆け出した。
「フォワレちゃん!それができたら、僕の元へ来てくれるんだね!今度は一生そばにいてくれるんだね!」
振り返りはしない。
痛いほどの視線が背中に刺さる。
きっと、振り向いたらその場に縫い止められてしまうだろうから。
「ああ、待っていて…!すぐに返してあげるから…。君には僕が必要なんだって、絶対わからせてあげるからね」
過呼吸のような気狂いじみた男の哄笑が、いつまでも私の背を追いかけた。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
極上イケメン先生が秘密の溺愛教育に熱心です
朝陽七彩
恋愛
私は。
「夕鶴、こっちにおいで」
現役の高校生だけど。
「ずっと夕鶴とこうしていたい」
担任の先生と。
「夕鶴を誰にも渡したくない」
付き合っています。
♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡
神城夕鶴(かみしろ ゆづる)
軽音楽部の絶対的エース
飛鷹隼理(ひだか しゅんり)
アイドル的存在の超イケメン先生
♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡
彼の名前は飛鷹隼理くん。
隼理くんは。
「夕鶴にこうしていいのは俺だけ」
そう言って……。
「そんなにも可愛い声を出されたら……俺、止められないよ」
そして隼理くんは……。
……‼
しゅっ……隼理くん……っ。
そんなことをされたら……。
隼理くんと過ごす日々はドキドキとわくわくの連続。
……だけど……。
え……。
誰……?
誰なの……?
その人はいったい誰なの、隼理くん。
ドキドキとわくわくの連続だった私に突如現れた隼理くんへの疑惑。
その疑惑は次第に大きくなり、私の心の中を不安でいっぱいにさせる。
でも。
でも訊けない。
隼理くんに直接訊くことなんて。
私にはできない。
私は。
私は、これから先、一体どうすればいいの……?
最高魔導師の重すぎる愛の結末
甘寧
恋愛
私、ステフィ・フェルスターの仕事は街の中央にある魔術協会の事務員。
いつもの様に出勤すると、私の席がなかった。
呆然とする私に上司であるジンドルフに尋ねると私は昇進し自分の直属の部下になったと言う。
このジンドルフと言う男は、結婚したい男不動のNO.1。
銀色の長髪を後ろに縛り、黒のローブを纏ったその男は微笑むだけで女性を虜にするほど色気がある。
ジンドルフに会いたいが為に、用もないのに魔術協会に来る女性多数。
でも、皆は気づいて無いみたいだけど、あの男、なんか闇を秘めている気がする……
その感は残念ならが当たることになる。
何十年にも渡りストーカーしていた最高魔導師と捕まってしまった可哀想な部下のお話。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
大丈夫のその先は…
水姫
恋愛
実来はシングルマザーの母が再婚すると聞いた。母が嬉しそうにしているのを見るとこれまで苦労かけた分幸せになって欲しいと思う。
新しくできた父はよりにもよって医者だった。新しくできた兄たちも同様で…。
バレないように、バレないように。
「大丈夫だよ」
すいません。ゆっくりお待ち下さい。m(_ _)m
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる