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蒸れた夏のコト 全36話+α(没話)。年下男子/暴力・流血描写/横恋慕/高校生→大人
蒸れた夏のコト 23
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「ねぇ」
涙を堪え顔を真っ赤にして鼻を啜る祭夜を夏霞は血の気の失せた顔で見下ろしていた。彼は丸い目を照り光らせて元恋人を覗く。
「祭夜ちゃんが身を引いたって、わたし舞夜さんのことは好きにならないし、付き合わなかった」
乱暴な手付きで祭夜は目元を拭う。
「でも舞夜は……オレよりずっと……」
「わたしが見た目で選んでると思ってた?それなら最初から……」
祭夜の人格や肉体を直接否定するような言葉が吐けない。嘘でも言えない。恋心が喉を締め上げる。彼の可愛い犬顔が好きだ。均等に鍛えられたしなやかな肉付きは少年のようであまり背の高くないところも接しやすい。構いたくて仕方がなくなる情けなさに惹かれる。素直に弱さを認め、それでいて急に頼りになる差異と共に在りたいと思った。
「祭夜ちゃんが身を引くとか関係ない。祭夜ちゃんがいなくても、わたし舞夜さんとは付き合ってなかったと思う」
皺を刻む眉を震わせながら祭夜は夏霞を見上げ続ける。
「じゃあなんで、なんでだよ……いつから?」
「高校生の時から。3年の夏休み。舞夜さんに、図書館で」
「オレと、一旦別れたのは………」
「そう。あの人と関係を持っちゃったから」
祭夜はがくりと頭を垂れた。
「訳分かんなくなってきた。夏霞ちゃんと舞夜の関係…………」
「セックスフレンド、じゃない?痴情が縺れて結局は閉じ込められちゃったけれど」
平静を装うには嘘が効く。祭夜の堪えた姿が苦しく愛しい。防衛本能がこの痛みを快感に置換し酔わせ、誤魔化そうとしているに違いない。
「じゃあオレも、そういう関係にしてよ………夏霞ちゃんと離れたくない。カラダの関係だけでもいいから、離れたくない。ちゃんとするから。ちゃんと夏霞ちゃんに尽くすから………都合の良い男でいいから、オレのこと、放さないで………っ」
歔欷する元恋人を突き離せない。
「自分のこと裏切った人と、まだ………付き合うの?」
「だってまだ好きなんだもん………簡単なことで諦めたくない。好きだよ、夏霞ちゃん。情けなくてみっともなくても、好きなんだもん。離れたくない」
潤んだ眼に見上げられ、夏霞の胸の中は掻き乱される。拾い上げ撫で回さなければならない。義務だった。彼の傍に寄ると、悲哀に満ちた表情に怯えが兆す。
「夏霞ちゃん……」
「3回目も、裏切るかも知れないよ」
「裏切っていいから。オレを放さないで。オレ、夏霞ちゃんの道具でいいから。離れたくない………」
おそるおそる彼は手を伸ばした。接触を試みようとして、しかし目的を果たす前に下ろしてしまった。夏霞はその手を握った。
「夏霞ちゃん………好き。諦めたいケド、ゴメン、諦めきれない。好き」
子供みたいに泣く相手を抱き竦める。艶を残さない。ただ子供を相手にするような心持ちで、強張る肩を抱く。
「わたし、誰かの恋人でいるのとか、きっと向かない」
硬い毛質が彼女の巻いていない柔らかな髪を掠る。
「夏霞ちゃんがいい……夏霞ちゃんじゃなきゃヤダ。夏霞ちゃんとまた付き合いたい」
グレーの長毛猫がキャットタワーから夏霞を軽侮している。芒を束ねたような尾を気紛れに揺らし、呆れた顔をしている。
「祭夜ちゃん……しようか」
「え……?」
「してみて、冷静になってから考えよう?」
祭夜の表情は溶けたようにゆっくりと落胆を示した。
「夏霞ちゃ……オレ、別に………」
「男の子だもの。仕方ないよ」
傷付いた目が夏霞を抉るが、何も感じていないふりをした。
「夏霞ちゃん………」
彼の冷たくなった手に胸を触らせた。
「やだよ、夏霞ちゃん。ココロが欲しいよ。カラダだけなんてヤダよ」
胸に添えられた手を引こうとしている。彼が可愛くて仕方がなかった。好きだと言っていいものか。口にはしてみてもどうせ上手く響きはしない。上面だけのものになる。それでいい。そのほうが都合が良い。本心として届かないほうが。祭夜のような純真な人間は貞淑な人間と結ばれるべきだ。それが幸せだ。それ以外、許せない。夏霞は子供みたいになってしまった祭夜を見つめた。
「キスしていい?」
「して。夏霞ちゃん。キスして」
夏霞は彼の肩を押さえる。甘えた目は不安に揺れている。何度か唇をもにもにと噛んでいる。落ち着きのないそこへ口付けた。行き場のない冷めきった手を捕まえて握った。柔らかいところ同士がバウンドするように離れた。
「もっとキスしたい」
祭夜は意外とあざといところがある。おそらく無意識なのだろう。相手の瞳の動きを的確に捉えて放さない。
「もう一回、キスしたい。夏霞ちゃん。キスしたいよ」
「祭夜ちゃんからして」
言い終わるやいなや祭夜が首を伸ばす。軽く弾む。手を握り合ってどちらからともなく三度目の唇を交わす。角度を越えてぶつけ合う。彼の引き締まった胸板に入り込もうと自分の膨らみを押し付けてしまう。性感とは異質の気持ち良さがある。還るところに還った感じがした。弾力の衝突を繰り返しているうちに唇が開いていく。好きな人と重なりたくなる。手の甲に彼の指が立つ。
「夏霞ちゃん………好き」
舌先が触れ、艶めいた動きもなく離れてしまう。祭夜は喉を引き攣らせ、嘆いているみたいだった。ただそれだけで夏霞の身体はほんのりと色付く。
「わたしも、好き……祭夜ちゃん………」
少し乱暴に銅線の柔らかくなったような髪を捕まえ、キスを再開する。遠慮がちな腕を背に回させる。
「ふぁ……っ」
少女みたいな声を上げた祭夜に嗜虐心を覚える。軽く塗った淡いピンクのリップカラーが落ちていく。
「祭夜ちゃん、触ってもいい?」
「触って…………」
膝の間がこんもりとしている。カーゴパンツ越しに掌を当てる。
「ゴメンね……勃っちゃった」
「したかった?」
犬を思わせる彼は寒がる子猫によく似ていた。
「夏霞ちゃんに触りたかった」
「触っていいよ。祭夜ちゃんの好きなところ」
「夏霞ちゃんの触ってほしいところしか、触りたくない」
ぷるぷると首を振る様を見ると、暴力的な情感が込み上げて仕方がない。彼は手を取り、胸元を触らせた。鼓動を感じてほしい。
「夏霞ちゃん…………?」
「祭夜ちゃんに触られると安心する」
顔を見られたくなかった。他の男にも言っていることだと躱せばよい。高校生にも死んだいとこにも言っていたことだと。
手の中にある祭夜の膨張を軽く揉む。彼は駄々をこねる男児の如く高く呻いて腰を引く。
「我慢できなくなっちゃう……」
「我慢しなくていいよ。直接触る?」
明確な動きで2枚の布越しに形を捉える。繊維の上を滑った。
「夏霞ちゃ………っ、怖い。夏霞ちゃ………オレ、夏霞ちゃんのモノになれたら、それでい………いから。オレに何も、くれなくてイイ、から………っ」
敏感なところを焦らされ彼の開きっぱなしの口腔が泉く。感じ方がいつもよりも鋭い。
「祭夜ちゃん、我慢してたの、全部出しちゃおっか」
彼ははぁはぁ言いながら腰を離そうとした。嫌がっている。弟には反抗期が無かったことをふと思い出した。思春期のそういう生々しい苦労を知らない。記号的でいくらか美化されたその概念に他人事に等しい憧れを抱いている。今まさに、意地を張られている。踏み込んでしまいたくなる。構い倒して嫌がられてみたくなる。
「祭夜ちゃんの感じてるところ、観たいな」
「恥ずかしい、から………っ」
よく濡れたヘーゼルブラウンの瞳を見つめながら硬熱を扱くと、祭夜は眉を八の字にして目を細めた。
「ぁぁうっ!」
「一回ちゃんと気持ち良くなってから、考えよ?」
擦り続けるたびに腰を突き上げる反射を起こすのが滑稽でいて愛しい。幻滅できないことに夏霞は苦しくなってしまった。こうなっては祭夜の人格が堕落でもしない限り、彼を嫌いになれそうにない。
「別に気持ち良くならなくても、オレ、夏霞ちゃんのコト、ホントに好き!信じて、出したくない、ヤダ、ヤダ、ぁぅっ!」
抱き着きながら床に相手を押し倒す。後頭部に添えた手に傷んだ毛が刺さった。
「夏霞ちゃ、の……匂い……なんだから久しぶり」
「ねぇ。じゃあ賭けしよう。祭夜ちゃんが先に気持ち良くなっちゃったらバイバイ。わたしが先に気持ち良くなっちゃったら祭夜ちゃんのモノになる」
「そんなの、負けちゃう………そんなの負けちゃうよ、夏霞ちゃんとしちゃったら、負けちゃうから、ヤダ。それに夏霞ちゃんはモノじゃないもん。オレ、ちゃんと夏霞ちゃんとして付き合い直したいんだもん。好きなの、好き、夏霞ちゃん、好き………!付き合って、お願い、捨てないで」
好きで仕方ない相手の悲鳴は下腹部の奥で火を灯す。この肉体で彼を狂乱させたい。夢中にさせてみたくなる。この子犬を獣にさせて、食われてしまいたい。
「わたし二度も君のこと裏切ってる」
「裏切っていいよ、裏切っていい。夏霞ちゃんがオレのとこ帰って来てくれたらそれでいいから。夏霞ちゃんの帰るところでいいから……夏霞ちゃんの罪悪感になるなら、ワガママ言わない、もう好きって言わないから、一緒にいて。放さないで。だから離れようとしちゃイヤダ」
地上で溺れ、上に被さる夏霞へ祭夜は一生懸命にしがみつく。
「ダメだよ。もっと自分を大切にしなきゃ。祭夜ちゃんはとっても素敵な人だから、わたしみたいな浮気ばっかりしてる人と一緒にいたらダメになる」
「ダメにして、ダメにしてよ!夏霞ちゃんがダメな人なら、オレも一緒にダメになりたい」
「そんなの、いけないよ。ちゃんとシアワセになって。お願いだから。これ以上祭夜ちゃんの生活を壊したくない」
彼は夏霞の細い腰を抱き寄せた。支えていた肘が折れ、彼を潰してしまう。
「それなら一緒にいて……こんなのヤダ。ちゃんと一緒にいて、少しずつ冷めていきたいよ。ちょっとず変わっていきたいよ。こんな好きなのにいきなり別れるなんて納得できないよ。夏霞ちゃん、ホントはもう、オレのコト、好きじゃない?」
精算を強いられた。ここで潔く一撃喰らわせてしまうのが優しさであると、すでに答えが出てしまっている。
「うん」
少し明るい瞳の色が白く輝る。
「ごめんね。もう冷めちゃった。高校時代の恋愛はもう終わらせよう?送り迎えもして、ご飯も食べさせて、すごく好きなのに、すぐ浮気する女はよくないよ。しかも未成年と、あんないやらしいことをする女なんかは」
夏霞はすっと身を引いた。いくらか乱れた髪や服を整える。
「帰るね。さようなら」
最寄りのコンビニエンスストアで叔父と待ち合わせる。
「元気がないね」
緋森家の庭に迎えを頼んだわけではない。その意味を叔父もある程度理解している様子だった。それを婉曲的に問うている。
「置いていったものをどうするかって話ですよ」
咄嗟に出てきた嘘を並べた。夏霞は苦笑した。最も真実を知られたくないのは祭夜よりも家族なのかも知れない。心配も侮蔑もされたくない。
「そう……ボクは彼になら、夏霞を任せられると思ったのだけれど」
「……そうですか?」
冷たいようで穏和な対応をする叔父が元恋人と打ち解けている様子なのは知っていたが、それは顔見知りに対する慣れた態度、元恋人の親しみやすい性格によるものだと思っていた。叔父のほうから能動的にそういう考えがあったとは予想だにしていなかった。
「うん。とはいえ、そればかりは君の気持ち次第で、ボクの意見なんて尊重する必要はないけれど。反社とおかしな宗教信者以外なら、ボクの口を出すことではないね」
祭夜に送られていた時のルートとは違った道順で自宅へ帰る。だが反対の方角に車が曲がる。
「少しドライブしようか。遅くはならないよ。少しだけだ」
「………はい」
急に買う物を思い出したのかと彼女は思った。
「後悔しないね?後悔は気持ちだけ過去にワープするから厄介だよ、夏霞」
「はい。数年後、後悔させたくないから別れました」
「ままならないね」
彼はそう呟いた後も帰路には就かなかった。市内のホームセンターまで出掛け、彼女にケータリングのクレープを食わせた。店の前にあるベンチで2人並ぶ。目の前にはガーデニングのエリアがあり、花や鉢植えが売られていた。天気は曇っている。
「大学が始まれば、きっとすぐ忘れるよ」
「そうですね。あと数日だけお世話になって、向こうに戻ろうと思います」
「お世話になるだなんて君は何を言っているんだい。馬鹿を言うんじゃないよ。君の実家でもあるのだから。世話なんてしていない。戻りたいのなら無理に引き留めはしないよ」
チョコレートとイチゴの入ったクレープは美味いが、その味に集中できなかった。
「暑詩にもひとつ買っていこうか。何がいいだろう」
「チョコバナナ、好きだと思います」
「じゃあそれにしよう。待っていて、買ってくるから」
美しい叔父が芍薬然とした所作で腰を上げ、もう一度ケータリングに向かっていく。彼の百合の花を彷彿とさせる後ろ姿を眺めているとバッグが振動した。知らない番号が表示されている。個人情報がどこからか漏れ出ているらしい。アルバイトや就職活動の際に登録したWEBサイトからか、一人暮らし先のアパートで契約したインターネット回線の会社か、他にも思い当たる節はいくらでもある。新しいサービスの営業だろう。高を括って出ることはしなかった。一応のところ留守番電話だけ聞いた。しかし夏霞の想定していた相手ではない。
『僕です、夏霞さん。瑠夏です。夏霞さんがイケナイんですよ?僕、元カレさんにあの写真見せちゃいましたからね。本当ですよ。夏霞さん。夏霞さんがイケナイんです!貴方が、貴方が僕を無視するから。次も応じてくださらないなら、今度はあのセーラー服の送ります。あんな、レイプされたみたいなやつじゃなくて。えっちな声出してる音声と一緒に』
もちもちとした食感のクレープを齧りながら留守番電話を削除した。
◇
叔父も弟も出払っていた。インターホンが鳴り、玄関を開ける。怯みながらも済まなそうな貌で祭夜が立っていた。
「祭夜ちゃん………」
顔面を殴打されたのかと思うほどの衝撃に立ち眩みを起こした。祭夜は落ち着いた様子ではあったが、珍しく険しい面持ちで、鼻を鳴らす。
「ストーカーみたいなコトしてゴメン。でも、出て来たのが夏霞ちゃんでよかった。なぁ、なんだよ、コレ」
祭夜は自分の写真を見せた。光沢のある紙に写っているのは、セーラー服姿の自身―つまり夏霞であった。スカートが捲られ、剥がれ落ちた純白の紐パンツを下敷きに、花肉が生々しく避妊具に包まれた牡根を咥えている。多少のぼやけがあれども快感に瀞んだ顔は個人を特定できた。その耳を食む故人のこともすぐに分かる。
「こんなの送られて、オレどうしたらいいんだよ?」
彼は泣きそうだった。
「大丈夫なの?夏霞ちゃん………オレ、もう夏霞ちゃんのコトに口出せる立場じゃないの分かってるケド、こんなコトする人と関わってるの………大丈夫なの?」
「あの子はどうしてる?」
「もう練習には来てないよ。この前の画像送り付けられた時、ブロックしちゃったし………」
「そう……ごめんなさい、祭夜ちゃん。他の人を巻き込まないようにきちんと言っておくから」
祭夜は夏霞を掴もうとしてやめてしまった。上げかけた腕が宙に留まる。開いた口が魚になり、焦燥して吃る。
「あ、あ、会っちゃダメ……会っちゃ、ダメだよ。危ないよ。ヤキモチじゃないんだ。これはヤキモチで言ってるんじゃなくて……」
「分かった。会わないよ。こんなことに巻き込んじゃってごめんね」
頭の中は真っ白でも言葉は次々と浮かんできた。彼女ははたからみると淡々としていた。
「頭おかしいよ、あの子。ホントに、もう会っちゃダメだよ。何されるか分かんないよ」
「ありがとう、祭夜ちゃん。優しくしてくれて。でもこれで分かったでしょ?祭夜ちゃんに隠れて、こんな変態なコトしてたって」
「夏霞ちゃん………」
素直な眼が忙しなく泳ぐ。
「ありがとう。もう会わないから安心して。祭夜ちゃんのことも、もう巻き込まないようにするから」
力無く頷いた彼は肩を落として帰っていった。呼び止めたようかと魔が差す。迷いを断ち切ったつもりで、また彼に交際を申し込みたくて仕方がない。簡単なことだ。声に出し言葉にすればいい。それをどうにか抑える。胃が痛んだ。どうにも落ち着かない。風薫からの誘いもここ数日断っていた。人と喋る気が起きない。叔父と弟とさえ長いこと話せなかった。腹は減れども飯が上手いこと腹に入らず、飲み水と少量の菓子で満足してしまう。憂鬱だ。キッチンに戻った。包丁がふと目に入る。舞夜から受けた呪いが突拍子もない展開を彼女に植え付けた。柄を握り、白刃を見つめる。だがふと馬鹿らしくなって刃物を返した。扇風機が軋めく中、横になる。そろそろ弟が連絡を入れそうなものでスマートフォンの電源を入れた。起動が済んだ直後、掌サイズの機械は痙攣した。着信が入っている。スライドが必要なほど縦に同じ数字の列が並ぶ。吐気がした。激しい脇腹の疼きを知覚しながら折り返した。
2コール目が終わったかどうかというところで繋がる。
『夏霞さん!やっと出てくれた!夏霞さん!会いましょう、ねぇ、会いましょう!もうあの変態写真、元カレさんに送っちゃいましたよ、夏霞さん。でも夏霞さんがいけないんですよ。僕を無視するから。会ってください。元カレさんにもお願いしましたんですよ?もしかしてもう、元カレさんから聞きましたか?』
よくもそこまで反射的に喋ることがあるものだと感心するほど、瑠夏は一気に捲し立てる。
「祭夜ちゃんに、何言ったの」
『あれれ、聞いてないんですか。元カレさん、薄情だな。僕に会うよう伝えてくれなかったらあの写真、バラ撒くって脅したんです。ははは、夏霞さん、元カレさんに実は恨まれてるんじゃないですか』
「祭夜ちゃんに迷惑かけないで」
『それは夏霞さんの態度次第です。僕、舞夜さんの実家の住所知ってますからね。あの写真をあの人の家に送ることもできるんですよ。宛名は誰がいいかな。舞夜さんのご両親は、自分の息子が自分の甥と1人の女を取り合ってたって知ってるんですか?心証から言って、自損事故だったものが自殺に切り替わるんじゃないですか。お通夜でみたご両親、可哀想だったなぁ。喪服姿の元カレさんはかっこよかったですよ。同い年のいとこを不慮の事故で失くしたって感じでした。そこに1人の女性の陰があるなんて、きっと他の参列者は誰も知らなかったでしょうね』
耳鳴りなのか電波が悪いのか分からない雑音があった。
『着信拒否、解除してください。固定電話から掛けるの厄介なので。僕の両親に夏霞さんの存在が知れちゃってもいいなら別ですよ』
「何が目的なの」
『会いたいです』
食い気味に子供は言った。
「会ったら二度と、祭夜ちゃんに迷惑かけない?舞夜さんの話出したりして、祭夜ちゃんのこと、苦しめない?絶対に?」
『はい。約束します。だって夏霞さんが会ってくれたら僕、元々あの人たちに興味ありませんからね』
「……分かった。じゃあ、会おう。その約束、信じるからね」
日時が決まり、通話を切った途端に胃を叩かれたような気持ち悪さに襲われ嘔吐いてしまった。
恐怖の時間はそこまで迫っていた。時間をかけて図書館まで歩き、文化センターの中にある喫茶店で一杯コーヒーを飲んでから瑠夏の家に辿り着く。胃には黒檀色の液体しか入っていない。腹は減ってもやはり食欲がなかった。
「夏霞さん」
門の前で夏場にも関わらず日に焼けた様子のない色白の美少年が立っている。彼の正体さえ知らなければ、白い翼と金色の輪を背と頭上に探したことだろう。それでいてやることは悪魔のそれだった。美しい身形で油断させ人を貶めるのを何よりの悦楽にしている。まさしく悪魔の本業そのものではあるまいか。姿を認めた途端に夏霞は膝を折ってしまった。日傘が転がり、灼熱のアスファルトに両手もついた。力が出ないのは、飯も食えず、深い眠りを得られない日々が続いたからだけではない。
「夏霞さん」
日の光の下を歩けなさそうなほどの美白を誇る高校生が傍まで駆け寄ってきた。
「すぐ行くから……」
「夏霞さん一人くらい抱き上げられますよ」
屈んで腕を伸ばす華奢な腕を拒んだ。
「その細い腕で?無理に決まってるでしょう」
瑠夏の癇に障ったのが分かった。銀世界を思わせる可憐な顔に、雪崩の前のような静寂が訪れた。布下で炙られていた夏霞の身体が持ち上げられる。膝の裏に細腕が入り、背中を支えられている。さらさらとした髪が陽射しに透けている。
「軽くなりましたね、夏霞さん。随分と軽くなりました。尻も軽くなったんじゃないでしょうね」
「別にわたしが誰とナカヨクしたっていいでしょう」
桜色の唇が吊り上がった。麗かなくせ、妖しい空気を醸す。
涙を堪え顔を真っ赤にして鼻を啜る祭夜を夏霞は血の気の失せた顔で見下ろしていた。彼は丸い目を照り光らせて元恋人を覗く。
「祭夜ちゃんが身を引いたって、わたし舞夜さんのことは好きにならないし、付き合わなかった」
乱暴な手付きで祭夜は目元を拭う。
「でも舞夜は……オレよりずっと……」
「わたしが見た目で選んでると思ってた?それなら最初から……」
祭夜の人格や肉体を直接否定するような言葉が吐けない。嘘でも言えない。恋心が喉を締め上げる。彼の可愛い犬顔が好きだ。均等に鍛えられたしなやかな肉付きは少年のようであまり背の高くないところも接しやすい。構いたくて仕方がなくなる情けなさに惹かれる。素直に弱さを認め、それでいて急に頼りになる差異と共に在りたいと思った。
「祭夜ちゃんが身を引くとか関係ない。祭夜ちゃんがいなくても、わたし舞夜さんとは付き合ってなかったと思う」
皺を刻む眉を震わせながら祭夜は夏霞を見上げ続ける。
「じゃあなんで、なんでだよ……いつから?」
「高校生の時から。3年の夏休み。舞夜さんに、図書館で」
「オレと、一旦別れたのは………」
「そう。あの人と関係を持っちゃったから」
祭夜はがくりと頭を垂れた。
「訳分かんなくなってきた。夏霞ちゃんと舞夜の関係…………」
「セックスフレンド、じゃない?痴情が縺れて結局は閉じ込められちゃったけれど」
平静を装うには嘘が効く。祭夜の堪えた姿が苦しく愛しい。防衛本能がこの痛みを快感に置換し酔わせ、誤魔化そうとしているに違いない。
「じゃあオレも、そういう関係にしてよ………夏霞ちゃんと離れたくない。カラダの関係だけでもいいから、離れたくない。ちゃんとするから。ちゃんと夏霞ちゃんに尽くすから………都合の良い男でいいから、オレのこと、放さないで………っ」
歔欷する元恋人を突き離せない。
「自分のこと裏切った人と、まだ………付き合うの?」
「だってまだ好きなんだもん………簡単なことで諦めたくない。好きだよ、夏霞ちゃん。情けなくてみっともなくても、好きなんだもん。離れたくない」
潤んだ眼に見上げられ、夏霞の胸の中は掻き乱される。拾い上げ撫で回さなければならない。義務だった。彼の傍に寄ると、悲哀に満ちた表情に怯えが兆す。
「夏霞ちゃん……」
「3回目も、裏切るかも知れないよ」
「裏切っていいから。オレを放さないで。オレ、夏霞ちゃんの道具でいいから。離れたくない………」
おそるおそる彼は手を伸ばした。接触を試みようとして、しかし目的を果たす前に下ろしてしまった。夏霞はその手を握った。
「夏霞ちゃん………好き。諦めたいケド、ゴメン、諦めきれない。好き」
子供みたいに泣く相手を抱き竦める。艶を残さない。ただ子供を相手にするような心持ちで、強張る肩を抱く。
「わたし、誰かの恋人でいるのとか、きっと向かない」
硬い毛質が彼女の巻いていない柔らかな髪を掠る。
「夏霞ちゃんがいい……夏霞ちゃんじゃなきゃヤダ。夏霞ちゃんとまた付き合いたい」
グレーの長毛猫がキャットタワーから夏霞を軽侮している。芒を束ねたような尾を気紛れに揺らし、呆れた顔をしている。
「祭夜ちゃん……しようか」
「え……?」
「してみて、冷静になってから考えよう?」
祭夜の表情は溶けたようにゆっくりと落胆を示した。
「夏霞ちゃ……オレ、別に………」
「男の子だもの。仕方ないよ」
傷付いた目が夏霞を抉るが、何も感じていないふりをした。
「夏霞ちゃん………」
彼の冷たくなった手に胸を触らせた。
「やだよ、夏霞ちゃん。ココロが欲しいよ。カラダだけなんてヤダよ」
胸に添えられた手を引こうとしている。彼が可愛くて仕方がなかった。好きだと言っていいものか。口にはしてみてもどうせ上手く響きはしない。上面だけのものになる。それでいい。そのほうが都合が良い。本心として届かないほうが。祭夜のような純真な人間は貞淑な人間と結ばれるべきだ。それが幸せだ。それ以外、許せない。夏霞は子供みたいになってしまった祭夜を見つめた。
「キスしていい?」
「して。夏霞ちゃん。キスして」
夏霞は彼の肩を押さえる。甘えた目は不安に揺れている。何度か唇をもにもにと噛んでいる。落ち着きのないそこへ口付けた。行き場のない冷めきった手を捕まえて握った。柔らかいところ同士がバウンドするように離れた。
「もっとキスしたい」
祭夜は意外とあざといところがある。おそらく無意識なのだろう。相手の瞳の動きを的確に捉えて放さない。
「もう一回、キスしたい。夏霞ちゃん。キスしたいよ」
「祭夜ちゃんからして」
言い終わるやいなや祭夜が首を伸ばす。軽く弾む。手を握り合ってどちらからともなく三度目の唇を交わす。角度を越えてぶつけ合う。彼の引き締まった胸板に入り込もうと自分の膨らみを押し付けてしまう。性感とは異質の気持ち良さがある。還るところに還った感じがした。弾力の衝突を繰り返しているうちに唇が開いていく。好きな人と重なりたくなる。手の甲に彼の指が立つ。
「夏霞ちゃん………好き」
舌先が触れ、艶めいた動きもなく離れてしまう。祭夜は喉を引き攣らせ、嘆いているみたいだった。ただそれだけで夏霞の身体はほんのりと色付く。
「わたしも、好き……祭夜ちゃん………」
少し乱暴に銅線の柔らかくなったような髪を捕まえ、キスを再開する。遠慮がちな腕を背に回させる。
「ふぁ……っ」
少女みたいな声を上げた祭夜に嗜虐心を覚える。軽く塗った淡いピンクのリップカラーが落ちていく。
「祭夜ちゃん、触ってもいい?」
「触って…………」
膝の間がこんもりとしている。カーゴパンツ越しに掌を当てる。
「ゴメンね……勃っちゃった」
「したかった?」
犬を思わせる彼は寒がる子猫によく似ていた。
「夏霞ちゃんに触りたかった」
「触っていいよ。祭夜ちゃんの好きなところ」
「夏霞ちゃんの触ってほしいところしか、触りたくない」
ぷるぷると首を振る様を見ると、暴力的な情感が込み上げて仕方がない。彼は手を取り、胸元を触らせた。鼓動を感じてほしい。
「夏霞ちゃん…………?」
「祭夜ちゃんに触られると安心する」
顔を見られたくなかった。他の男にも言っていることだと躱せばよい。高校生にも死んだいとこにも言っていたことだと。
手の中にある祭夜の膨張を軽く揉む。彼は駄々をこねる男児の如く高く呻いて腰を引く。
「我慢できなくなっちゃう……」
「我慢しなくていいよ。直接触る?」
明確な動きで2枚の布越しに形を捉える。繊維の上を滑った。
「夏霞ちゃ………っ、怖い。夏霞ちゃ………オレ、夏霞ちゃんのモノになれたら、それでい………いから。オレに何も、くれなくてイイ、から………っ」
敏感なところを焦らされ彼の開きっぱなしの口腔が泉く。感じ方がいつもよりも鋭い。
「祭夜ちゃん、我慢してたの、全部出しちゃおっか」
彼ははぁはぁ言いながら腰を離そうとした。嫌がっている。弟には反抗期が無かったことをふと思い出した。思春期のそういう生々しい苦労を知らない。記号的でいくらか美化されたその概念に他人事に等しい憧れを抱いている。今まさに、意地を張られている。踏み込んでしまいたくなる。構い倒して嫌がられてみたくなる。
「祭夜ちゃんの感じてるところ、観たいな」
「恥ずかしい、から………っ」
よく濡れたヘーゼルブラウンの瞳を見つめながら硬熱を扱くと、祭夜は眉を八の字にして目を細めた。
「ぁぁうっ!」
「一回ちゃんと気持ち良くなってから、考えよ?」
擦り続けるたびに腰を突き上げる反射を起こすのが滑稽でいて愛しい。幻滅できないことに夏霞は苦しくなってしまった。こうなっては祭夜の人格が堕落でもしない限り、彼を嫌いになれそうにない。
「別に気持ち良くならなくても、オレ、夏霞ちゃんのコト、ホントに好き!信じて、出したくない、ヤダ、ヤダ、ぁぅっ!」
抱き着きながら床に相手を押し倒す。後頭部に添えた手に傷んだ毛が刺さった。
「夏霞ちゃ、の……匂い……なんだから久しぶり」
「ねぇ。じゃあ賭けしよう。祭夜ちゃんが先に気持ち良くなっちゃったらバイバイ。わたしが先に気持ち良くなっちゃったら祭夜ちゃんのモノになる」
「そんなの、負けちゃう………そんなの負けちゃうよ、夏霞ちゃんとしちゃったら、負けちゃうから、ヤダ。それに夏霞ちゃんはモノじゃないもん。オレ、ちゃんと夏霞ちゃんとして付き合い直したいんだもん。好きなの、好き、夏霞ちゃん、好き………!付き合って、お願い、捨てないで」
好きで仕方ない相手の悲鳴は下腹部の奥で火を灯す。この肉体で彼を狂乱させたい。夢中にさせてみたくなる。この子犬を獣にさせて、食われてしまいたい。
「わたし二度も君のこと裏切ってる」
「裏切っていいよ、裏切っていい。夏霞ちゃんがオレのとこ帰って来てくれたらそれでいいから。夏霞ちゃんの帰るところでいいから……夏霞ちゃんの罪悪感になるなら、ワガママ言わない、もう好きって言わないから、一緒にいて。放さないで。だから離れようとしちゃイヤダ」
地上で溺れ、上に被さる夏霞へ祭夜は一生懸命にしがみつく。
「ダメだよ。もっと自分を大切にしなきゃ。祭夜ちゃんはとっても素敵な人だから、わたしみたいな浮気ばっかりしてる人と一緒にいたらダメになる」
「ダメにして、ダメにしてよ!夏霞ちゃんがダメな人なら、オレも一緒にダメになりたい」
「そんなの、いけないよ。ちゃんとシアワセになって。お願いだから。これ以上祭夜ちゃんの生活を壊したくない」
彼は夏霞の細い腰を抱き寄せた。支えていた肘が折れ、彼を潰してしまう。
「それなら一緒にいて……こんなのヤダ。ちゃんと一緒にいて、少しずつ冷めていきたいよ。ちょっとず変わっていきたいよ。こんな好きなのにいきなり別れるなんて納得できないよ。夏霞ちゃん、ホントはもう、オレのコト、好きじゃない?」
精算を強いられた。ここで潔く一撃喰らわせてしまうのが優しさであると、すでに答えが出てしまっている。
「うん」
少し明るい瞳の色が白く輝る。
「ごめんね。もう冷めちゃった。高校時代の恋愛はもう終わらせよう?送り迎えもして、ご飯も食べさせて、すごく好きなのに、すぐ浮気する女はよくないよ。しかも未成年と、あんないやらしいことをする女なんかは」
夏霞はすっと身を引いた。いくらか乱れた髪や服を整える。
「帰るね。さようなら」
最寄りのコンビニエンスストアで叔父と待ち合わせる。
「元気がないね」
緋森家の庭に迎えを頼んだわけではない。その意味を叔父もある程度理解している様子だった。それを婉曲的に問うている。
「置いていったものをどうするかって話ですよ」
咄嗟に出てきた嘘を並べた。夏霞は苦笑した。最も真実を知られたくないのは祭夜よりも家族なのかも知れない。心配も侮蔑もされたくない。
「そう……ボクは彼になら、夏霞を任せられると思ったのだけれど」
「……そうですか?」
冷たいようで穏和な対応をする叔父が元恋人と打ち解けている様子なのは知っていたが、それは顔見知りに対する慣れた態度、元恋人の親しみやすい性格によるものだと思っていた。叔父のほうから能動的にそういう考えがあったとは予想だにしていなかった。
「うん。とはいえ、そればかりは君の気持ち次第で、ボクの意見なんて尊重する必要はないけれど。反社とおかしな宗教信者以外なら、ボクの口を出すことではないね」
祭夜に送られていた時のルートとは違った道順で自宅へ帰る。だが反対の方角に車が曲がる。
「少しドライブしようか。遅くはならないよ。少しだけだ」
「………はい」
急に買う物を思い出したのかと彼女は思った。
「後悔しないね?後悔は気持ちだけ過去にワープするから厄介だよ、夏霞」
「はい。数年後、後悔させたくないから別れました」
「ままならないね」
彼はそう呟いた後も帰路には就かなかった。市内のホームセンターまで出掛け、彼女にケータリングのクレープを食わせた。店の前にあるベンチで2人並ぶ。目の前にはガーデニングのエリアがあり、花や鉢植えが売られていた。天気は曇っている。
「大学が始まれば、きっとすぐ忘れるよ」
「そうですね。あと数日だけお世話になって、向こうに戻ろうと思います」
「お世話になるだなんて君は何を言っているんだい。馬鹿を言うんじゃないよ。君の実家でもあるのだから。世話なんてしていない。戻りたいのなら無理に引き留めはしないよ」
チョコレートとイチゴの入ったクレープは美味いが、その味に集中できなかった。
「暑詩にもひとつ買っていこうか。何がいいだろう」
「チョコバナナ、好きだと思います」
「じゃあそれにしよう。待っていて、買ってくるから」
美しい叔父が芍薬然とした所作で腰を上げ、もう一度ケータリングに向かっていく。彼の百合の花を彷彿とさせる後ろ姿を眺めているとバッグが振動した。知らない番号が表示されている。個人情報がどこからか漏れ出ているらしい。アルバイトや就職活動の際に登録したWEBサイトからか、一人暮らし先のアパートで契約したインターネット回線の会社か、他にも思い当たる節はいくらでもある。新しいサービスの営業だろう。高を括って出ることはしなかった。一応のところ留守番電話だけ聞いた。しかし夏霞の想定していた相手ではない。
『僕です、夏霞さん。瑠夏です。夏霞さんがイケナイんですよ?僕、元カレさんにあの写真見せちゃいましたからね。本当ですよ。夏霞さん。夏霞さんがイケナイんです!貴方が、貴方が僕を無視するから。次も応じてくださらないなら、今度はあのセーラー服の送ります。あんな、レイプされたみたいなやつじゃなくて。えっちな声出してる音声と一緒に』
もちもちとした食感のクレープを齧りながら留守番電話を削除した。
◇
叔父も弟も出払っていた。インターホンが鳴り、玄関を開ける。怯みながらも済まなそうな貌で祭夜が立っていた。
「祭夜ちゃん………」
顔面を殴打されたのかと思うほどの衝撃に立ち眩みを起こした。祭夜は落ち着いた様子ではあったが、珍しく険しい面持ちで、鼻を鳴らす。
「ストーカーみたいなコトしてゴメン。でも、出て来たのが夏霞ちゃんでよかった。なぁ、なんだよ、コレ」
祭夜は自分の写真を見せた。光沢のある紙に写っているのは、セーラー服姿の自身―つまり夏霞であった。スカートが捲られ、剥がれ落ちた純白の紐パンツを下敷きに、花肉が生々しく避妊具に包まれた牡根を咥えている。多少のぼやけがあれども快感に瀞んだ顔は個人を特定できた。その耳を食む故人のこともすぐに分かる。
「こんなの送られて、オレどうしたらいいんだよ?」
彼は泣きそうだった。
「大丈夫なの?夏霞ちゃん………オレ、もう夏霞ちゃんのコトに口出せる立場じゃないの分かってるケド、こんなコトする人と関わってるの………大丈夫なの?」
「あの子はどうしてる?」
「もう練習には来てないよ。この前の画像送り付けられた時、ブロックしちゃったし………」
「そう……ごめんなさい、祭夜ちゃん。他の人を巻き込まないようにきちんと言っておくから」
祭夜は夏霞を掴もうとしてやめてしまった。上げかけた腕が宙に留まる。開いた口が魚になり、焦燥して吃る。
「あ、あ、会っちゃダメ……会っちゃ、ダメだよ。危ないよ。ヤキモチじゃないんだ。これはヤキモチで言ってるんじゃなくて……」
「分かった。会わないよ。こんなことに巻き込んじゃってごめんね」
頭の中は真っ白でも言葉は次々と浮かんできた。彼女ははたからみると淡々としていた。
「頭おかしいよ、あの子。ホントに、もう会っちゃダメだよ。何されるか分かんないよ」
「ありがとう、祭夜ちゃん。優しくしてくれて。でもこれで分かったでしょ?祭夜ちゃんに隠れて、こんな変態なコトしてたって」
「夏霞ちゃん………」
素直な眼が忙しなく泳ぐ。
「ありがとう。もう会わないから安心して。祭夜ちゃんのことも、もう巻き込まないようにするから」
力無く頷いた彼は肩を落として帰っていった。呼び止めたようかと魔が差す。迷いを断ち切ったつもりで、また彼に交際を申し込みたくて仕方がない。簡単なことだ。声に出し言葉にすればいい。それをどうにか抑える。胃が痛んだ。どうにも落ち着かない。風薫からの誘いもここ数日断っていた。人と喋る気が起きない。叔父と弟とさえ長いこと話せなかった。腹は減れども飯が上手いこと腹に入らず、飲み水と少量の菓子で満足してしまう。憂鬱だ。キッチンに戻った。包丁がふと目に入る。舞夜から受けた呪いが突拍子もない展開を彼女に植え付けた。柄を握り、白刃を見つめる。だがふと馬鹿らしくなって刃物を返した。扇風機が軋めく中、横になる。そろそろ弟が連絡を入れそうなものでスマートフォンの電源を入れた。起動が済んだ直後、掌サイズの機械は痙攣した。着信が入っている。スライドが必要なほど縦に同じ数字の列が並ぶ。吐気がした。激しい脇腹の疼きを知覚しながら折り返した。
2コール目が終わったかどうかというところで繋がる。
『夏霞さん!やっと出てくれた!夏霞さん!会いましょう、ねぇ、会いましょう!もうあの変態写真、元カレさんに送っちゃいましたよ、夏霞さん。でも夏霞さんがいけないんですよ。僕を無視するから。会ってください。元カレさんにもお願いしましたんですよ?もしかしてもう、元カレさんから聞きましたか?』
よくもそこまで反射的に喋ることがあるものだと感心するほど、瑠夏は一気に捲し立てる。
「祭夜ちゃんに、何言ったの」
『あれれ、聞いてないんですか。元カレさん、薄情だな。僕に会うよう伝えてくれなかったらあの写真、バラ撒くって脅したんです。ははは、夏霞さん、元カレさんに実は恨まれてるんじゃないですか』
「祭夜ちゃんに迷惑かけないで」
『それは夏霞さんの態度次第です。僕、舞夜さんの実家の住所知ってますからね。あの写真をあの人の家に送ることもできるんですよ。宛名は誰がいいかな。舞夜さんのご両親は、自分の息子が自分の甥と1人の女を取り合ってたって知ってるんですか?心証から言って、自損事故だったものが自殺に切り替わるんじゃないですか。お通夜でみたご両親、可哀想だったなぁ。喪服姿の元カレさんはかっこよかったですよ。同い年のいとこを不慮の事故で失くしたって感じでした。そこに1人の女性の陰があるなんて、きっと他の参列者は誰も知らなかったでしょうね』
耳鳴りなのか電波が悪いのか分からない雑音があった。
『着信拒否、解除してください。固定電話から掛けるの厄介なので。僕の両親に夏霞さんの存在が知れちゃってもいいなら別ですよ』
「何が目的なの」
『会いたいです』
食い気味に子供は言った。
「会ったら二度と、祭夜ちゃんに迷惑かけない?舞夜さんの話出したりして、祭夜ちゃんのこと、苦しめない?絶対に?」
『はい。約束します。だって夏霞さんが会ってくれたら僕、元々あの人たちに興味ありませんからね』
「……分かった。じゃあ、会おう。その約束、信じるからね」
日時が決まり、通話を切った途端に胃を叩かれたような気持ち悪さに襲われ嘔吐いてしまった。
恐怖の時間はそこまで迫っていた。時間をかけて図書館まで歩き、文化センターの中にある喫茶店で一杯コーヒーを飲んでから瑠夏の家に辿り着く。胃には黒檀色の液体しか入っていない。腹は減ってもやはり食欲がなかった。
「夏霞さん」
門の前で夏場にも関わらず日に焼けた様子のない色白の美少年が立っている。彼の正体さえ知らなければ、白い翼と金色の輪を背と頭上に探したことだろう。それでいてやることは悪魔のそれだった。美しい身形で油断させ人を貶めるのを何よりの悦楽にしている。まさしく悪魔の本業そのものではあるまいか。姿を認めた途端に夏霞は膝を折ってしまった。日傘が転がり、灼熱のアスファルトに両手もついた。力が出ないのは、飯も食えず、深い眠りを得られない日々が続いたからだけではない。
「夏霞さん」
日の光の下を歩けなさそうなほどの美白を誇る高校生が傍まで駆け寄ってきた。
「すぐ行くから……」
「夏霞さん一人くらい抱き上げられますよ」
屈んで腕を伸ばす華奢な腕を拒んだ。
「その細い腕で?無理に決まってるでしょう」
瑠夏の癇に障ったのが分かった。銀世界を思わせる可憐な顔に、雪崩の前のような静寂が訪れた。布下で炙られていた夏霞の身体が持ち上げられる。膝の裏に細腕が入り、背中を支えられている。さらさらとした髪が陽射しに透けている。
「軽くなりましたね、夏霞さん。随分と軽くなりました。尻も軽くなったんじゃないでしょうね」
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桜色の唇が吊り上がった。麗かなくせ、妖しい空気を醸す。
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