18禁ヘテロ恋愛短編集「色逢い色華」

結局は俗物( ◠‿◠ )

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雨と無知と蜜と罰と 弟双子/気紛れ弟/クール弟

雨と無知と蜜と罰と 27

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「姉ちゃん」
 気遣わしげなノックを聞いて枕に伏せた顔を上げた。
「なに……?」
 震えた声を抑える。
「泣いてるん……?」
「泣いてないよ。どうしたの」
 誤魔化そうと咳をするがわざとらしくなる。
「マナツ兄ちゃんと、何かあったん?」
「何もないよ。呼んでくれてありがとう。おかげで助かった。ごめんね、あーくん。今起きるから」
「寝ててへーき」
 嵐恋あれんの声はいつもよりどこか素気無い。
「ごめんなさい。心配させちゃって」
「だから、へーきだって。暫くお弁当要らないから姉ちゃんはちゃんと休んでよ。霙恋えれんくんのコトもあるしさ」
 加霞かすみは涙を適当に拭いた。
「あーくん……ごめんね」
「謝んなくていいって。おでそろそろ風呂入る。ごはん、食べられそ?」
「うん。もう随分と良くなったから」
 嵐恋の表情が見えないのが怖い。ドア越しのために冷めて聞こえるのだろうか。


 翌日の夜には生天目なばためから労りの電話があった。三者面談の日程がそのまま決まる。嵐恋も快諾というほど積極性のある感じではなかったが、特別嫌な様子も見せなかった。しかしらどこか冷たい。学校帰りに霙恋を見舞い病院に行ったきり、遅くまで帰って来なかった。普段とほとんど変わらない。それでいて以前よりもわずかばかり、加霞の思い込みと言われたら否定できない程度に冷たく、素っ気なく感じられる。目も合わない。それでいて、ほとんど態度は変わらなかった。ただ確かに口数は少なくなっている。触れたら爆ぜる危険な毒性植物みたいなところがあった。初めて、可憐であどけない、無邪気な末弟を恐れている。否、普段から恐れていた。伸び伸びと過ごしていてほしいが手放しでいてはいけない、その儚さを恐れていた。
 数日躊躇ったが、末弟の様子は変わらない。
「あーくん」
 ソファーに居る嵐恋に声を掛ける。様子を窺った。加霞の態度も日に日に胡麻を擂るようなものに変わっている。彼女自身、自分のぎこちなさに辟易していた。
「なに、姉ちゃん」
 普段どおりのようでいて、やはり嵐恋は冷淡な、薄情な感じがあった。雫恋か霙恋のどちらかにもそういうところがあった。
「少し2人で話そう?三者面談もあるしさ……」
 彼女の怯えを弟は看破しているのかも知れない。返事もなく、彼はソファーから腰を上げた。観察地点みたいになっていたテーブルセットへと移動する。
「進路のコト?」
「うん。それもあるけれど……まずは、あーくんのこと」
「おでのコト?なんで?」
「うん……えっと…………お姉ちゃん、最近あーくんのこと見てて、様子が変だなって思って。だから、お姉ちゃんに相談できることなら、してほしいなって思ったの。お姉ちゃんには、言えないかな」
 彼はきょとんとして無防備な目を加霞に晒した。直後に、ふいと顔ごと逸らしてしまう。
「別におで、なんも……」
「何か悩みがあるのかと思って。お姉ちゃんや、生天目先生に言えないことならそれでいいし、仕方ないと思う。お姉ちゃんにも先生にも言えないことってあるから。無理に聞こうとはしないよ。ただ、あーくんのお友達には話せてる?一人で抱え込んでない?」
「姉ちゃんはどうなん?姉ちゃんは?」
 明らかに嵐恋は不機嫌そうな顔をする。
「わたし……?」
「マナツ兄ちゃんに聞いてもらってるん?職場の友達?それとも、あの眼鏡のお兄さん?」
 眼鏡のお兄さんというのは、最初加霞の中では生天目が思い浮かんだけれど、それならば「先生」と言うはずである。おそらく弘明寺ぐみょうじ愛恵めぐみを差している。あの者も度の入っていない眼鏡を掛けていた。
「どうして?」
「姉ちゃん、マナツ兄ちゃんと、付き合ってるん?」
「付き合って、ないけれど……」
 嵐恋は忙しなく唇を舐めたり噛んだりした。そこに驚きはなかった。あくまで前提の確認といった様子である。
「……おでは、姉ちゃんはマナツ兄ちゃんと付き合ってると思ってた。女の人はカレシに相談するものだって、霙恋くんも言ってたから……」
「わたしが何か悩んでるみたいに見えたの?」
「悩んでないん?おでには悩んでるように見えた。でも、きっと誰にも話せないんだろうなって」
 加霞の表情に狼狽の色が滲む。
「たとえば、どんなことで?」
「おでのコトとか」
「あーくんのこと?」
「おでがいるから、結婚できない」
 彼女の眉間に深い皺が寄った。弟はそれに刹那的な怯えを見せたが、瞬時に打ち消し、穏和な彼にしては険しい顔をする。
「霙恋ちゃんの言ってたこと?」
 唇を尖らせて嵐恋は頷く。
「おでがいると結婚できないから、おでは、姉ちゃんといつまでも仲良く幸せにしていなさいって霙恋くん言ってた」
 腹の奥で瞋恚しんいの炎が燃え滾った。霙恋にとって嵐恋は利用価値がある。嵐恋の名前すら出しておけば、姉に対する長年の雪辱を果たせるのだ。牡の業を片すこともできる。恋人を持つことも捨て、自分を可愛がらず叱りつけた姉を仇敵同然に甚振り、屈服させなければ気が済まないのだろう。そのためならば弟の悩みも費うのだ。
「真に受けなくていいんだよ……?」
「でもそれは、おでが前々から思ってたコト。マナツ兄ちゃんならもしかしたら、おでがいるの赦してくれるかもって思ってた。さすがに悪いし、ダメなんて言えるワケないから、おでも自分から言わないケド……………でも、他の人じゃムリだよ。結婚するのにさ、もう1人付いて来るんじゃ、ダメだ。姉ちゃん結婚できなくなる。おでのせいで……」
「その話、前にもしたよね?わたし別に結婚なんて望んでないよ。どうしてかな。幸せって結婚だけじゃないでしょ?」
 むすっとしていた彼の口が開かれると同時に、突如としてその大きな目から滂沱の涙が溢れ出した。
「嘘だ、そんなん。みんな結婚して子供欲しがるんだもん。高校生まででしょ、そんな、ただなんとなく付き合ってれば幸せだとか言ってるん。嘘だもん。みんな結婚して、子供欲しがってるんだもん。霙恋くんも雫恋くんも言ってた。姉ちゃんは子供欲しがってるって。そろそろカレシ捕まえて結婚しとかなきゃ、出会いなんかもうないって言ってた。そろそろ姉ちゃんは、結婚相手に厳しくなる歳だって……」
 彼はテーブルに突っ伏してしまった。うっうっと嗚咽が曇って聞こえる。
「あーくん?本気でそう思ったの?」
 幼少期から圧倒的強者にいた2人の兄から言われたならば、彼の意思や価値観に関わらず、思想を上塗りされるのも無理はないことなのかも知れない。
「半分合ってるかも知れないけれど……だとしたらわたしは例外。霙恋ちゃんと雫恋ちゃんは……いっぱい女の人と関わる仕事してるのに、女の人が嫌いみたい。わたし含めてね。だから、決め付けておかないと不安なんだと思う。そのほうが、相手に呑まれないでしょ。色々な人がいるから。それで色々な人生があって、結婚をゴールにしてる人もいればスタートにしてる人もいて……わたしは別にゴールテープもスタート地点も用意してないんだ。もし誰かを好きになったら……そのときに考える。お金とか相手の都合とかあって、叶わないこともあるけれど……それで今は、別に、好きな人もいないからさ」
 胸がずき、と痛んだ。目の前で一番大好きな相手が泣いているからだ。この世で最も大切な人に想われているからだ。そうに違いない。
「あーくんが産まれたときにわたしはもういたね。でもわたしにとってあーくんは、人生の途中で出会った子なんだ。それってね、すごく……ちょっと怖いんだ。不安定で、さ。あーくんがいるのってわたしにとって当然のことじゃないんだ。何か間違ってたら会えなかったかも知れない、そういう子なんだよ。あーくんにとってわたしは最初からいた大切なお姉ちゃんってことも伝わってる。大切にし過ぎたらいけないなって思うのに、大切に仕方も分からなくて、だからちょっと、あーくんのこと、もしかしたら寂しくさせたのかも知れないね」
 嵐恋はおんおんと泣いて震える。
「わたしにも好き嫌いがあって、同時に向き不向きがあって、わたしは結婚っていうか、誰かと付き合うのって向いてないんだ。うん、その、性格が悪いの。だから好きになってもらうことがあっても、返せないから。そこにあーくんのことは関係ないよ。全部わたしたちの問題だし……あーくん居なきゃやっていけないのは、わたしのほう。だからそのことについては全然気にしなくていいんだよ。むしろ、分かってあげられなかったね。ごめんね。気を遣うよね……」
 多感な少年を追い詰めてしまった。喜びと小さな落胆ぶりしか見せない、そういう点で感情表現の乏しい彼が号泣するほどに悩ませてしまっていた。そこに慰めにも気休めにもならない返答しかできない自身の不甲斐なさに加霞は怒り、そして己の感情を押し殺した。
「霙恋ちゃんに話したの?そのこと……」
 真正面を向いている旋毛つむじを見つめた。彼は両腕に顔を埋めながら首を横に揺らす。
「今度の三者面談で話されるかも知れないから先に言うけれど、生天目先生からね、あーくん、寮に入らないかって。居場所に困るなら。でもわたし、断っちゃった。余計にあーくんが気負っちゃうんじゃないかって思って。どうしても、わたしと一緒に暮らすのが苦しいって言うなら止めないよ。ただ、わたしはあーくんと一緒に暮らすって決めた時から、あーくんが大学卒業するまでは2人で暮らすんだなって大体決めてたし、その心算こころづもりだった。大学だってキャンパスの場所に依るし、大学行っても行かなくても就職にしたって場所に依るものね。もしかしたらわたしより先にあーくんが結婚して、相手の人がわたしと暮らせるってなったら、ここで3人で暮らすこともあるのかなって考えたりもしたんだよ」
 加霞は努めて平静を装った。対面の大切な弟が顔を伏していることに安堵する。今にも氾濫しそうな眼を見られたくなかった。
「それを、あーくんを追い出したりなんかするはずないでしょ。考えてもみなかった。あーくんがいるからできない結婚なんてわたしから願い下げ。お父さんお母さんから離れて、お友達とも離れなきゃならなくなって、やっとこっちでお友達できてさ、先生も真摯に対応してくれて、なのにわたしがダメにするはずないよ。霙恋ちゃんと雫恋ちゃんはわたしのことが嫌いなの。わたしが女の人だからかな、本当はお兄ちゃんが良かったのかも知れないし、理由はなくてただ気に入らないだけなのかも知れないけれど……だから、意地悪言いたくなっただけだと思うよ。女の人には年齢とか結婚できないこと言っておけば傷付けることができるって。だから真に受けなくていいんだよ。あーくんは、わたしとあの2人の仲の悪さに巻き込まれちゃったんだね」
 涙を拭く姿がいじらしい。ふと彼の幼少期が思い出されて胸の張り裂けるような感じが目蓋に裏に留めた水膜を押し出そうとする。成長途中なのか、これで発育は止まったのか。兄たちと比べると小柄ながらに、細くはあるが筋肉質で、健康的に育った。7つ8つほど違う弟は目に入れて瞳孔に捩じ込み、眼窩を貫いても痛くないことだろう。
「だから大学進学のことは学費のことも環境面のことも気にしないで平気。あーくんは、ちゃんとごはん食べて、ちゃんと寝て、学校行って勉強して、遊んで、悩みがあったらわたしでも、先生でも、お友達でも頼ること。わたしのこと傷付けちゃうかなって思っても、誰かに話してみて。あなたが一人で抱え込むことほどわたしが苦しくなることなんかないから」
 彼の友人から聞いた、この弟の希死念慮を思い出し、加霞はとうとう涙を溢した。
「あーくんは昔からすごく優しくて控えめな子だった。いつか潰れちゃうんじゃないか、潰されちゃうんじゃないかと思ってた。周りを頼ってもいいんだよ。周りを頼りなさい。あーくんが押し潰されるくらいなら、全部わたしの所為にして、頼って。周りを」
 顔を両手で覆う。嵐恋もまた姉の歔欷きょきに気付いたらしかった。顔を上げ、赤らんだ目元がぱちぱちと目瞬いた。涙の柱が睫毛に立っている。
「ごめん……………姉ちゃん」
「ううん、謝らないで。話してくれてありがとう。お姉ちゃん、ちょっと安心した」
 濡れた眦を擦る。

 後日の三者面談でも同じような話をした。解決している。嵐恋の中でも吹っ切れたらしかった。生天目は少し意外そうに加霞を見て、それから柔らかく微笑を見せた。進路設計も就職から大学進学に書き換わった。
「お世話になりました」
 来客玄関で生天目に見送られる。世間から浮いたような風采で、相変わらず清潔感はあるもののもさっとした身形である。眼鏡のレンズにブルーやグリーンが反射している。
「お世話になっただなんて、そんな。私は何もしておりません」
「いいえ。生天目先生が真摯に対応してくださったおかげで、踏み込むことができました」
 冷淡そうな薄い唇だが、口角に少しウサギを思わせるような愛嬌のある口元が微苦笑を以って吊り上がる。
「微塵なりともお役に立てたなら幸いです」
「また何かありましたら頼りにさせてください。嵐恋のことをよろしくお願いします。わたしに言えない、頼れないことは生天目先生にご相談するよう言い渡しておきました」
「もちろんです。誠心誠意お応えします。ですが久城だけでなく、久城さんも、久城のことで何かありましたら遠慮なく」
 黒染めの落ちかかった前髪の奥で昏い双眸が凪いでいる。
「はい。本当にありがとうございました」
 彼は麗かに笑った加霞からすっと顔を背け、俯き気味に伏せた。
「気を付けて、お帰りください。久城にもよろしくどうぞ」
 来客玄関を出て振り返る。生天目はぼさっと突っ立っていたが、頭を下げた。雫恋の言うような"芋教師"というほど、服装を除いてはそこまで野暮ったさはない。校門前で生徒玄関から来た弟と合流し、2人で帰った。



 実家から電話があり、加霞は出掛けなければならなくなった。雫恋が、彼にとっての義父、加霞にとっての実父に物申したそうである。何故長弟の見舞いに一度も来ないのか。主旨はこれである。今から行けとばかりに叱り付けられ、加霞は嵐恋に昼飯代を置いて飛び出した。この弟はまだ寝呆けながら少し遅めの朝ごはんを食べていた。これから友人と遊びに行くらしい。
 マンションを出ると、フーセンガムを膨らました珍妙な身形の男がいた。明らかに人工毛と分かる栗毛の縦巻きロールの髪にサングラスと帽子は女性的な外観だが、それは変装した弟だった。黒いスキニーパンツにアメリカンコミック調のプリントの真っ黒なフーディ。サングラスの奥で目が合っているはずだが、挨拶代わりとばかりにガムを膨らませる。
「迎えに来たんだけど」
 声からしても雫恋だ。しずくれんであることを隠している。それにしても異様な服装だった。
「自分で行けるから平気……」
「車あるのに痴漢されるかも知れないバスに乗せるとかムリなんだけど」
「電車だし……」
 彼はまたぷすぅっと風船を作る。
「変わんなくてね?」
「そんな頻繁に、痴漢とか遭わないし……」
「頻繁に遭ってたほうが問題だろ。乗れよ」
 この弟が目の前に現れなければ、加霞は痴漢を恐れたに違いない。しかし強姦と脅迫を趣味にし、怨嗟を吐くこの弟についていくほうが、遥かに身も心も削り取られていく。
「いい……要らない。わたし1人で……」
 やがて喋るだけ無駄なことに気付く。言葉の通じる相手ではない。加霞は言葉を切って踵を返した。
「は?」
 彼女は腕を掴まれて引き留められてしまった。
「あんなにイき狂ってまだ躾け足らない?よく俺に逆らう気になったよね。姉貴が分からずやだから、姉貴のおまんこに分からせてあげたのに、まだ分からないんだ」
 往来で発する単語ではない。聞かされている側でも羞恥するが、発言者に悪怯れた様子はまるきりない。
「放しなさい」
「放してほしかったら言うこと利いて?姉貴、イヤイヤ期の赤ちゃんなの?じゃあ俺の特別なミルク飲ませてあげないとじゃない?」
 フーセンガムを咀嚼する口が下卑た弧を描く。そして相手を侮るようにぷうぅっと風船が膨らんだ。
「いや!嫌だって……」
「ふぅん。じゃあ病院に集合ね。ははは、姉貴って本当にバカ。アホ。本当にかわいいな。ここで俺とイくの断ったの、後悔させてやるから」
 簡単に彼は身を引いた。戯けた仕草で両手を上げている。
「あなた、撮影で帰って来られないって……」
「もうとっくに終わったよ。いつの話してんの?そういう忙しい俺がちょくちょくお見舞いしてんのに、姉貴は一度も行ってやらないなんて酷いよな。酷い姉貴だよ。サイテーだね。人間のクズだよ。そういう稀代の悪女をさ、俺が養ってあげるっていってるの。俺が妻にしてやるって言ってるんだよ?弟1人を自殺させて喜んでるサイコパス姉貴をさ。霙恋は最期、なんて言ってたの?どうせあいつのことだから、お姉ちゃんしゅきしゅき、とかだろ?お姉ちゃん許して、とでも言ってた?好きな女に自分の死体晒して喜んでるヘンタイだよな。自殺大好きなんじゃなくて、姉貴に自分の死体見せたいんだろうな。気を付けろよ、姉貴。姉貴の前でガソリン被って自分のこと燃やすかも知れない。姉貴は怪我する前に逃げなよ。犬死させとけ。ヘンタイなんだから。街に出る時なんかは真上に注意したほうがいいよ。目の前でびしゃっとクるかも知れない。姉貴を返り血の脳髄まみれにして喜んでるだろうよ。高層ビルから落ちてきたんじゃ即死だろうけどな。ここでまた死に損なったって、お姉ちゃんお姉ちゃんって言って、今度は姉貴の家に忍び込んで首吊るさ。だから世のため人のため姉貴のためにこのまま死んでおくべきだよ」
 雫恋はむぽぽっと風船を口から出した。加霞の表情は厳しい。
「霙恋ちゃんはあなたの双子のお兄さんでしょう?何その言い方。人の不幸を嘲笑って楽しい?」
「楽しい。こんな楽しいこと他にあるかよ。双子の兄。だから?双子だって他人さ、別個体だよ。俺は俺としてのアイデンティティがあるわけ。姉貴に自分の臓物見せて気持ちヨくなるのは分かるけど、姉貴遺して死にたいなんぞ思わないね。思い立ったら姉貴と死ぬよ。手首縛って一緒に崖から飛び降りような?」
 雫恋のへらへら笑う口からは、もぷぷっと風船が吐き出される。
「そうしたらあの抜作三男が見事、長男に返り咲きですわ。久城さん宅の期待の長男ほしじゃん?ほら、姉貴……嵐恋を可愛がるなら、俺を自殺に追い込みなよ。それで一緒に死のう。俺に自殺教唆して?俺に自殺幇助しろ!それで一緒に死のう。俺は霙恋みたいに他の人間にまで自分の臓物じんばら見せたいヘンタイじゃないんでね、姉貴も一緒なんだから。やるなら煉炭かガスがいいな。セックスしながら毒飲む?」
「やめて!わたしが最低なのは分かったけれど、あなたより最低じゃない。くだらない妄想にあーくんを巻き込まないで!」
 雫恋は卑しく笑い、ぽひゅっと風船を吹く。
「まぁいいや、あの死に損ないのヘンタイ男の病室集合な。俺とのドライブ断った罪は重いから、よろしく」
 胸糞悪い会話を終え、加霞は病院へと向かった。
 双子の弟から散々に詰られ罵られ誹られた霙恋は個室にいた。機械が低く轟いている。入って洗面スペースとカーテンで仕切られたトイレがあり、奥の左手にベッドが置かれ、右手にはソファーがある。寝間着やタオルの入ったカバンが放置されている。見覚えがあるのは嵐恋に持たせたものだからだ。
 ベッドの真横には白い花瓶に花が活けてある。雫恋ではないだろう。嵐恋が行きがけに花束を買ったのか。もしくは彼の勤めているホストクラブの者か、もしかすると彼に入れ込んだ太い客か。
 加霞はてっきり、父と母も来ているものと思っていた。久々に顔を合わせるものと思っていたが父と義母の姿はない。彼女からしてみれば肩透かしを食らってしまった。雫恋はまだ来ていない。今のうちに帰ることもできる。
「姉さん」
 横開きのドアの把手に手を掛けた。そのときにぞわりと寒気が背筋を逆撫でしていった。直後に後方で、ぎしりと音がする。
「姉さん」
 凍えるように歯ががたがた震えた。
「来てくれたのか」
 意識不明のはずではなかったか。
「姉さん……許してくれ」
 末弟との確執、仕事中のちょっとしたミス、毎日の目紛しい出来事、たとえば朝に見た遠くの地方の事件だとか事故だとか、今日明日の献立に沿った買い出し、家事、それからほんのりと蟠る人間関係等々に埋もれさせたあの光景が甦った。白い物体が落ちていく様と鈍い音が。
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