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テンパリングな苦味 全3話/クリスマス個人企画/意地悪カレシ/※あまり明るくない終わり
テンパリングな苦味 1
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昔から意地の悪い人だった。千世子は拳を握る。
離れたところに見えるのは待ち合わせしていた恋人の真野鈴於である。若い女と共にいる。見たことのない笑顔を浮かべ、千世子はやられたこともないが、共にいる彼女の肩に手を回している。マフラーで乱れた髪を直し、やはり知らない柔らかな笑みを晒している。真野鈴於から優しい笑みを向けられたことはない。親げに女の肩を抱き、寄り添って歩いていく。今日のデートはどうなるのだろう。
関係が終わりを告げた。それは知らない女との待ち合わせがダブルブッキングしていたことでも、その女と仲睦まじくしていたためでもない。恋人から向けられた情が冷めたに違いないからである。これからも交際を続けるのならば互いに不毛である。新たに好きな女とこれからの人生を歩めばいい。
踵を返した。ショーウィンドウに反射する自身に恥じらいが生まれる。真野鈴於から送られたチョコレート色のマフラーがばからしくなって外した。昨夜決めたコーディネートが虚しい。道化師である。指先が冷たい。手を握り締めながら元来た道を戻る。駅前の広場で温かいミルクティーを買い、ベンチに座る。
待ち合わせの時間を少し過ぎた。誤差の範囲だ。何も送らないのは却って変だろうか。どうぞ新しい女とよろしくやってください、とばかりに千世子は自ら引き下がった。今日のデートは行けそうにないとメッセージを送る。土壇場のキャンセルではあるが、当の真野鈴於ときたら他の女と待ち合わせているのだから実質的な迷惑はかかるまい。送ってしまってから『今日は行けなくなりました』の文面を読み返し、唐突な敬体に後悔する。
缶から熱をもらい、少し冷やしてから缶を開ける。今頃、共にいる女と嗤い合っているのだろうか。これからの2人歩む道を容易に手に入れられたことを喜び合っているのかも知れない。否、もしかするとあの女性は真野鈴於が他の女とすでに交際していることを知らない場合もある。
ぴこんと端末が鳴った。返信が来ている。『後ろ振り返って』。何を訝しむでもなく、咄嗟に振り返った。鈴於が立っている。アランニットにブラウンのコーデュロイのボトムスとオレンジのマフラーを巻いた服装は、先程見た姿とは違っていた。知らない女といた彼はネイビーのダッフルコートだった。相変わらずのむっつりもした無愛想そうでいて加虐的な表情は鈴於だった。先程の人物と顔貌はよく似ていた。酷似したいたといっていい。しかし違う人間であることを認めざるを得ない。
千世子は目を見開いた。恋人とそうでない人物とを間違ったのだ。それだけでなく、彼を裏切り者のように扱ってしまった。真野鈴於は恋人であり、幼馴染でもある。長い年月、何を見てきたのだろう。まだ熱さのある缶を握っていても手は冷えていく。恋人として相応しくない。誤解を突き進み、話も聞かずに逃げ出そうとしてしまった。最低だ。
「なんだよ。どうした?」
彼は自分のマフラーを取って隣に座りながら千世子の首に巻こうとする。だが彼女は磁石の同じ極同士を近付けたみたいに座面から弾かれた。
「わ、わ………別れて!」
今度は鈴於が目をひん剥く。言葉も出ない様子である。あまりにも唐突だった。しかし彼は意地の悪そうな口元を吊り上げた。
「見たんだ?待ち合わせ場所、ここじゃなかったもんな」
彼は意味深長に笑い、含みのあることを言う。
「え?」
「安心しろ。あれはオレじゃなくて、オレのいとこ。顔も背丈もそっくりだろ?」
フリーズした。気温が低いからではない。鈴於は得意げに笑っている。
「ちよ」
彼は立ち上がった。伸びた腕を払い除けてしまう。これには鈴於も驚いたらしい。
「ちよ?」
「あ……わ、わたし、鈴於くんだって、分からなかった……こんな長くいて、鈴於くんのこと、何も分からないってコトだよね……?あ、あ、……わたしたち、多分上手くいかないよ。わ、別れよ……?っていうか、別れて」
ただでさえ意地の悪そうな顔が、さらに険しいものに変わっていく。
「なんで?なんでそれくらいで、別れなきゃなんないの」
彼は首を傾げた。
「ドッキリのつもりだったんだけど、怒ってる?」
千世子の脳裏には鈴於とまったく同じ顔をして、彼のやらないことはすべてやるような甘い表情や仕草が駆け巡った。
「あ……う、」
元々の目付きとはまた別の鋭さを前に千世子は言葉を失ってしまった。
「あれは本当にオレのいとこ。信じてくれてない?呼ぼうか。まだそう遠く行ってないだろ」
「そういうことじゃなくて……とにかく、別れよ?また幼馴染に戻ろう。鈴於くんにはもっと似合う子いるよ」
「はぁ?なんだそれ。オレはとにかく、ちよはオレ以外に似合う男なんか他にいないだろ」
千世子もまた混乱しているらしかった。何故このようなことをするのか。何故遠目から見た姿で鈴於と断じてしまったのか。ああいう機会に陥ったとき自分という人間は引き下がり逃げ出す選択をするのだ。また、鈴於という恋人にその程度の感情しか抱けていなかったのだ。何よりも、鈴於と同じ顔がどのように笑い、どのような甘い所作をとるのか見てしまった。鈴於にもあのような面を見せる相手が他にいるはずなのだ。しかしそれは自分ではなかったのだ。
「でも、わたし、多分、鈴於くんと、釣り合わない、から…………」
「だから、なんでそう思うんだって訊いてんだよ」
腕を掴まれる。顔を近付けられたが、そこに甘い雰囲気はない。喧嘩を売る様に似ている。
「鈴於くんのこと、あんまり好きじゃないみたい」
彼女の声は虚ろだった。しかしこの言葉は鈴於に大きな効果を発揮したらしい。緩んだ手から腕を取り戻す。
「じゃあね、バイバイ」
千世子は逃げ出す。鈴於は呆然としていた。
電車の中で鈴於とのことを思い出していた。最も印象的なのは小学時代のバレンタインデーだった。千世子は隣の隣のクラスの男子が好きだった。バレンタインに手作りの菓子を渡す約束をしたが、当日になって、作り置いておいたケーキは無惨にも、我がもの顔で家にやってくる鈴於に食われてしまった。中学時代は修学旅行の最後の夜も、隣のクラスの男子と取り付けた約束を勝手に断ってやって来た。高校も同じところに通い、体育祭の後夜祭なんかはいつの間にか勝手に付き合っていることにされて、それを口実に憧れの先輩から断られてしまった。大学に入ってやっと鈴於とは違う道を行ったけれども、高圧的に交際を迫られた。千世子は実家暮らしだが、鈴於も実家暮らしが可能な通学圏にあるにもかかわらず、一人暮らしをしてしまった。
細々と鈴於には手を焼かされ、泣かされ、悔しい思いをしてきた。しかし意地が悪く威圧的で陰険な鈴於に逆らえないのである。彼に酷似した男の甘い雰囲気を目にしたとき、理解してしまった。今までの交際のなかにあったものは恋慕ではなく服従だったのかも知れない。元々、温厚柔和な印象を受ける容貌にやはり中身も穏やかな男性が好きだった。暴力を振るわれたり、罵詈雑言を投げつけられたりしたことはないけれど、鈴於は千世子の好みとは真反対にある。彼の好きな女性タレントなどを見ても、派手で垢抜けた容姿が多い。
電車に揺られ、自宅へ帰る。浮かれた服を脱ぎ捨て、メイクも落としてしまう。洗面台の前でオイルを染み込ませたコットンを肌に当てた。今日使おうと思って買った新しいメイク用品が呆気なく拭われていく。脳裏には恋人と瓜二つの愛嬌のある姿が張り付いている。異様な惨めさが起こった。昨晩塗り込んだ少し高いヘアオイルがうるさく薫った。鈴於の意地の悪さに屈した結果がこれである。服従のみで付き合った結果は身から出た錆なのかも知れない。うっ、と咽せかけて顔を洗った。
家族団欒で意外にも忘れてしまった。夜になってインターホンが鳴る。高校生の弟が風呂上がりのアイスを取って戻ってくるついでに応対した。そして千世子が呼ばれた。玄関には2人の鈴於が立っている。片方は気拙そうに俯き気味できょろきょろと目を泳がせている。
「ちよ」
鈴於と彼にそっくりな人物の2人いるのはこれで証明されてしまった。
「こいつが、お前に見せたオレのいとこ」
「……わざわざ来てもらったの?」
鈴於に酷似した人物がどの程度今回の、彼が言うところの"ドッキリ"に関与しているのかは分からないけれど、千世子は怒っているわけではない。似た人物を連れて来られたところで示す反応はこれといってない。
「浮気なんかしてないからな。こいつにはこいつでカノジョいるけど、ちよが見たのはオレじゃないって、証明しておきたかった」
実は知らない女と居たのは鈴於で、駅前にやって来たのはこのいとこの方ではあるまいか。鈴於ならばそういう狡猾な計画も練れるであろう。いとこの様子は少し怯えて見える。どこか上下関係をはっきりさせられているような。だがそれを問うてみても、はっきりと千世子もどちらがどちらだったのが判じられていなかった点は揺らがない。
「ちよ。オレはちよと別れるつもりない」
温柔敦厚とはいえない目と暫く瞳を搗ち合わせていた。しかし側められる。鈴於は彼女の後方を捉えていた。振り返るとリビングから家族が頭を出して玄関の様子を、つまり大津家の長女ともしかすると姻戚になる可能性が極めて高い近所の真野家の息子のやり取りを窺っていた。
「お邪魔してます」
鈴於という男は外面はよい。ゆえに、彼の悪行を訴えても誰も信用しないのである。今も愛想をよくして頭を下げている。
「痴話喧嘩してるん?」
弟がアイスを齧りながら訊ねた。弟は鈴於を兄貴分として長いこと慕っている。
「違うよ」
千世子が先に繕った。面倒な話になりそうである。内々で片付け、家族にはそれとなく察せさせる算段だった。恋人関係を終わらせるのである。幼馴染ひいては近隣住民としてまだ続けばよい。彼の実家も歩いて1分とかからない。
「オレたちマジでラブラブなんで」
咄嗟に鈴於を振り返った。彼は悪戯っぽく笑っている。
「と、とりあえずいとこさんはもう帰ってもいいんじゃないかな。―ごめんなさい、こんなことに巻き込んでしまって……」
鈴於からその隣の瓜二つの青年に視線を移す。小さく頭を下げる。
「あ、い、いいえ……もとはおれが似てるのが悪いんですから……」
鈴於のいとこはまったく理不尽な謙遜をした。気の弱い性格なのかも知れない。そこに、この隣の極悪非道な男が散々つけ込んだ想像は難くない。
「全部鈴於くんが仕組んだんでしょ?協力してたの?」
いとこは鈴於のほうに目を泳がせる。圧倒的な上下関係があるらしい。だとすればこのいとこが共謀していたとしても責めるのは酷だ。
「律には言ってない。こいつ、律って言うんだけど、だってお前のコト紹介したら、カノジョあっさり捨てて、ちよに惚れちゃうかも知れないだろ」
律とかいうのは俯きを深くして顔を真っ赤に染める。
「何それ」
「だってこいつ、オレと好みのタイプ似てるからね」
呆れたように彼は鼻を鳴らした。
「だ、大丈夫です。おれ、今のカノジョが大好きですから。千世子さんが、」
「気安く呼ぶな」
「いいって」
「はぁ?」
鈴於は律の話の腰を折るどころか、続きを促した千世子を睨みつける。律は怯えて手で彼女を示した。
「―鈴於クンのカノジョさんは、素敵な方だなって思いましたけど、おれは今のカノジョが一番大切なので……」
語末が徐々に消え入っていく。しかしそこには隠しきれない照れ笑いがあった。
「なんだとこら」
「ちょっと、鈴於くん!」
いとこにまで噛みつきそうな鈴於を宥めるが、千世子は律のほうを見ていた。同じ顔で鈴於は口が裂けても言わないことを、顔が爆発してもしない貌で言う。鈴於に巻き込まれてふられてしまった気分だ。だが律は悪くない。忖度せずに自身の恋人に真摯になっただけである。
「もういいから。ちょっと考えさせて」
「おい!」
「鈴於くんは嫌じゃないの?長いこと一緒にいたのに、2人の判別もつかなかったカノジョのこと。鈴於くんのほうでもちゃんと考えてよ。そんな恋人とこれから上手く続くのかって。それでそんな悪戯、仕掛けられたわたしの気持ち……」
千世子はまだ来訪者の突っ立っている玄関の明かりを消した。そして背を向ける。
最後のは蛇足だったかも知れないと、小さく去り際の挨拶を耳にしてから考えた。最後のは、八つ当たりだ。鈴於の顔で優しく微笑み、肩を抱き寄せ、しまいには恋人のいないところで謙ることもなく恋人に対する真摯な姿勢を貫いた。顔も名前もよく知らない律の恋人への羨望と妬みだ。笑って赦す寛容な女が鈴於の周りにはたくさんいるだろう。彼は小中高と異性に人気があった。大学ではどうだか定かではないけれど。
千世子はリビングには戻らず自室に篭ってしまった。
〈ごめん、ちよ。反省してる〉
―不在着信
〈話したい〉
〈電話でもいいから。声聞きたい〉
―不在着信
〈ちよ〉
〈ブロックすんなよ〉
ぽむ、ぽむ、と端末が振動し画面が光る。風呂から上がったときに気付く。鈴於の必死な姿が浮かんで、ちくりと胸が痛んだ。中学時代、体育の授業中に貧血で倒れたことがある。その時に彼が顔真っ青にして駆け寄ってきたことがあった。必死な幼馴染の腕に支えられ起こされたのだ。保健室には保健委員と体育の担任の教師と行ったけれども、鈴於も顔を見せた。その後数日間、睨まれてばかりでまともに口も利かなかった。彼の行動は気紛れで、昔からよく振り回されていた。
それでも悄らしい姿を想像すると弱かった。だが奸智に長けた鈴於のことだ。意外と活気付いているのかも知れない。
千世子はスマートフォンを手に取った。絶縁を望んでいるわけではない。不在着信から電話を掛ける。
「鈴於くん?」
3コール内に繋がった。
『おい、ちよ!オレは別れるつもりないからな』
第一声は咆哮である。
『お前がオレと律の見分けがつかなかったからってなんだよ。オレと律は、律の同胞だって見間違えるほど似てんだ。オレはちよに、オレか律か見分けて欲しかったワケじゃねぇかんな。ただ、ちよの反応が見たかった。ちよの反応は全部見たい』
「……鈴於くん、えっとね………、多分今日のことは積み重なってきたものの限界だったんだと思うな。わたし、隣を一緒に歩けるような穏やかな人が好きだから………鈴於くんは違うでしょ。自分で引っ張っていきたいんでしょ?そういうの好きな女の子って結構いるしさ、そういう子、探したら?応援するよ」
まだ律を鈴於だと思ったときの感情が鋭くなって現れはじめた。柔らかく甘い表情もできるのかと驚いた反面、交際しておきながらそのような一面を見せられたことのない立場に虚しさが込み上げた。
『そうだったな。お前昔から、王子様系好きだったもんな。そっか、分かった。王子様系な』
しかしアプローチの途中だったり、告白の直前になって鈴於から妨害され邪魔をされ意地悪を言われるのである。
『律みたいな感じ?律みたいになればいい?』
「彼は、関係ないでしょう……」
関係あるのかも知れない。今でも千世子の脳裏には鈴於の顔で柔和に頬を緩ませる姿が離れないのだ。
『今までホの字だった奴等みたいに、なれば、別れるとか言わないんだよな?』
「だからそういうことじゃなくて……だってそんな付き合い方したって、鈴於くんが苦しいだけじゃない。それにわたしも、白々しい……」
『オレは別に。ちよと別れるつもりないし、ちよが別れないって言うならそれでいい』
投げやりな態度に聞こえなくもなかった。
「いいよ……元々合わなかったのに無理矢理合わせて付き合ったって破綻するだけ。わたし、鈴於くんのこと、幼馴染として大切だけど、カレシとして好きだったのか、もう分からないの。それに鈴於くん、わたしのこと、好きなの?」
年を経て彼は丸くなった。嫌いとは思っていても言わないだろう。また、嫌われているとまでは思ったことはない。ただ、複雑な感情のもとに憎まれてはいるのかも知れないと思ったことはある。たとえば今日もそれだった。彼女が想像する最も生々しい返答は「もう好きではない」ということだ。
『あ………ぅ、嫌いじゃない』
たった2文字で済むところを態々そう言うということは、彼も婉曲的にこの関係を続ける理由がないと答えているのも同然だ。傷付けまいとしているのかも知れない。怒らせ、泣かれて困るのは鈴於のほうである。彼は自ら悪役を買うこともない。諷意を込めても要はほぼ同じであるというのに。
「嫌われてないのは分かってるけど、でも好きでもないんでしょ?鈴於くんに親切にしてもらったことは何度もあるけど、カノジョとして好かれてるなって思ったことは、あんまりない」
鈴於は黙った。
「今までありがとうね。プレゼントとか、返したほうがいいかな?」
プレゼントはたくさん贈られた。しかし物足りなかった。後から気付くのである。またここでも、律の待ち合わせの相手を愛しむ眼差し、慈しむ仕草が甦った。その場限りで消えてしまうものでもいい。もっと別のものが欲しかった。そういうものを大切にしていける恋人を探していた。求めていた。理想としていた。鈴於と同じ顔をした鈴於と反対の気質を持った者との不本意な邂逅で今までの不完全燃焼な喜びが明確化されてしまった。
『返すな。別れるつもりオレはない。ち、他に好きなヤツでもデキたのか?」
他に意中の相手が現れて現在の交際相手に難癖をつけていると思われていたのなら心外だ。
「そんなワケないでしょ。でも、別れて、新しい人見つけて、幸せになるから鈴於くんも……」
『ふざけんな!お前を仕合わせにすんのはオ・レ!オレなの!別れないからな』
千世子は困り果てて所在なく部屋の中を見回していた。壁掛けのカレンダーが目に入る。12月25日に丸がついていた。クリスマスだ。鈴於と予定を入れていた。ケーキを作る約束をしたのだ。
「鈴於くん」
『なんだよ』
「わたしはクリスマス、ひとりで過ごすのとかあまり気にならないし……鈴於くんも今から一緒に過ごす相手、見つけたらいいじゃない」
クリスマスは一人で過ごしたくないと鈴於は毎年冬になると口にしていた。そのために彼は粘っているのだろう。
『ちょ、え、はぁ?ちよ、お前本気で言ってんのか』
「自分を好いてくれる人と一緒に過ごすのが、多分一番幸せなクリスマスなんだと思うな」
『オレは、自分の好きなヤツと過ごしたい。オレのこと好きなヤツとかどうでもいい。それにその理論ならお前は、オレと過ごすべきなんだよ……』
短い間に情緒不安定に陥ったみたいに彼は語気を荒げたかと思うと、喋っていくうちに声が萎んでいってしまった。
『何が足らなかった?何が悪かった?言ってくれ』
ここまでくると悪逆を極めた底意地の悪い、根性のひん曲がって円形さえ描けそうなこの男の声も意気沮喪としていた。
『言ってくれ……正直に…………』
躊躇いがある。鈴於を変えたいわけではない。彼は彼のまま、彼の気性と合う人物と巡り会えばよいのだ。要求し、彼の在り方を変えてまで付き合っていく必要はない。
「性格が、元々合わなかったんだと思うな。ここでわたしのワガママ言ったって、仕方のないことなんだよ」
『嘘だな。はっきり言えよ。ちよの全部が知りたい。多少ムリしてもカレシでいたい。だから教えて』
今度は宥めるような柔らかく、しかつめらしい声音に変わる。
「律くんは悪くないけれど……律くん見たときに、鈴於くんだと思って……鈴於くん、わたし以外の前ではあんな風に笑うんだ、あんな風にするんだって思って、わたし、鈴於くんに抱き寄せられたり、目、見たまま笑いかけてくれたことなかったなって…………ごめんね。 わたし、オウジサマケイガスキダカラ…………」
口にすると鈴於に対する済まなさが込み上げる。自身の色恋に対する貪婪ぶりにも引いてしまった。
「またね。じゃあ」
通話を切った。これで鈴於も分かったはずだ。。ネコで競馬の真似事はできないのである。イヌはカラスのように飛び回れないのである。それなりに器用な鈴於にも苦手なこと、出来ないこと、不可能なことはあるのだ。性分などが自分の意思で変えられるわけはないのである。
離れたところに見えるのは待ち合わせしていた恋人の真野鈴於である。若い女と共にいる。見たことのない笑顔を浮かべ、千世子はやられたこともないが、共にいる彼女の肩に手を回している。マフラーで乱れた髪を直し、やはり知らない柔らかな笑みを晒している。真野鈴於から優しい笑みを向けられたことはない。親げに女の肩を抱き、寄り添って歩いていく。今日のデートはどうなるのだろう。
関係が終わりを告げた。それは知らない女との待ち合わせがダブルブッキングしていたことでも、その女と仲睦まじくしていたためでもない。恋人から向けられた情が冷めたに違いないからである。これからも交際を続けるのならば互いに不毛である。新たに好きな女とこれからの人生を歩めばいい。
踵を返した。ショーウィンドウに反射する自身に恥じらいが生まれる。真野鈴於から送られたチョコレート色のマフラーがばからしくなって外した。昨夜決めたコーディネートが虚しい。道化師である。指先が冷たい。手を握り締めながら元来た道を戻る。駅前の広場で温かいミルクティーを買い、ベンチに座る。
待ち合わせの時間を少し過ぎた。誤差の範囲だ。何も送らないのは却って変だろうか。どうぞ新しい女とよろしくやってください、とばかりに千世子は自ら引き下がった。今日のデートは行けそうにないとメッセージを送る。土壇場のキャンセルではあるが、当の真野鈴於ときたら他の女と待ち合わせているのだから実質的な迷惑はかかるまい。送ってしまってから『今日は行けなくなりました』の文面を読み返し、唐突な敬体に後悔する。
缶から熱をもらい、少し冷やしてから缶を開ける。今頃、共にいる女と嗤い合っているのだろうか。これからの2人歩む道を容易に手に入れられたことを喜び合っているのかも知れない。否、もしかするとあの女性は真野鈴於が他の女とすでに交際していることを知らない場合もある。
ぴこんと端末が鳴った。返信が来ている。『後ろ振り返って』。何を訝しむでもなく、咄嗟に振り返った。鈴於が立っている。アランニットにブラウンのコーデュロイのボトムスとオレンジのマフラーを巻いた服装は、先程見た姿とは違っていた。知らない女といた彼はネイビーのダッフルコートだった。相変わらずのむっつりもした無愛想そうでいて加虐的な表情は鈴於だった。先程の人物と顔貌はよく似ていた。酷似したいたといっていい。しかし違う人間であることを認めざるを得ない。
千世子は目を見開いた。恋人とそうでない人物とを間違ったのだ。それだけでなく、彼を裏切り者のように扱ってしまった。真野鈴於は恋人であり、幼馴染でもある。長い年月、何を見てきたのだろう。まだ熱さのある缶を握っていても手は冷えていく。恋人として相応しくない。誤解を突き進み、話も聞かずに逃げ出そうとしてしまった。最低だ。
「なんだよ。どうした?」
彼は自分のマフラーを取って隣に座りながら千世子の首に巻こうとする。だが彼女は磁石の同じ極同士を近付けたみたいに座面から弾かれた。
「わ、わ………別れて!」
今度は鈴於が目をひん剥く。言葉も出ない様子である。あまりにも唐突だった。しかし彼は意地の悪そうな口元を吊り上げた。
「見たんだ?待ち合わせ場所、ここじゃなかったもんな」
彼は意味深長に笑い、含みのあることを言う。
「え?」
「安心しろ。あれはオレじゃなくて、オレのいとこ。顔も背丈もそっくりだろ?」
フリーズした。気温が低いからではない。鈴於は得意げに笑っている。
「ちよ」
彼は立ち上がった。伸びた腕を払い除けてしまう。これには鈴於も驚いたらしい。
「ちよ?」
「あ……わ、わたし、鈴於くんだって、分からなかった……こんな長くいて、鈴於くんのこと、何も分からないってコトだよね……?あ、あ、……わたしたち、多分上手くいかないよ。わ、別れよ……?っていうか、別れて」
ただでさえ意地の悪そうな顔が、さらに険しいものに変わっていく。
「なんで?なんでそれくらいで、別れなきゃなんないの」
彼は首を傾げた。
「ドッキリのつもりだったんだけど、怒ってる?」
千世子の脳裏には鈴於とまったく同じ顔をして、彼のやらないことはすべてやるような甘い表情や仕草が駆け巡った。
「あ……う、」
元々の目付きとはまた別の鋭さを前に千世子は言葉を失ってしまった。
「あれは本当にオレのいとこ。信じてくれてない?呼ぼうか。まだそう遠く行ってないだろ」
「そういうことじゃなくて……とにかく、別れよ?また幼馴染に戻ろう。鈴於くんにはもっと似合う子いるよ」
「はぁ?なんだそれ。オレはとにかく、ちよはオレ以外に似合う男なんか他にいないだろ」
千世子もまた混乱しているらしかった。何故このようなことをするのか。何故遠目から見た姿で鈴於と断じてしまったのか。ああいう機会に陥ったとき自分という人間は引き下がり逃げ出す選択をするのだ。また、鈴於という恋人にその程度の感情しか抱けていなかったのだ。何よりも、鈴於と同じ顔がどのように笑い、どのような甘い所作をとるのか見てしまった。鈴於にもあのような面を見せる相手が他にいるはずなのだ。しかしそれは自分ではなかったのだ。
「でも、わたし、多分、鈴於くんと、釣り合わない、から…………」
「だから、なんでそう思うんだって訊いてんだよ」
腕を掴まれる。顔を近付けられたが、そこに甘い雰囲気はない。喧嘩を売る様に似ている。
「鈴於くんのこと、あんまり好きじゃないみたい」
彼女の声は虚ろだった。しかしこの言葉は鈴於に大きな効果を発揮したらしい。緩んだ手から腕を取り戻す。
「じゃあね、バイバイ」
千世子は逃げ出す。鈴於は呆然としていた。
電車の中で鈴於とのことを思い出していた。最も印象的なのは小学時代のバレンタインデーだった。千世子は隣の隣のクラスの男子が好きだった。バレンタインに手作りの菓子を渡す約束をしたが、当日になって、作り置いておいたケーキは無惨にも、我がもの顔で家にやってくる鈴於に食われてしまった。中学時代は修学旅行の最後の夜も、隣のクラスの男子と取り付けた約束を勝手に断ってやって来た。高校も同じところに通い、体育祭の後夜祭なんかはいつの間にか勝手に付き合っていることにされて、それを口実に憧れの先輩から断られてしまった。大学に入ってやっと鈴於とは違う道を行ったけれども、高圧的に交際を迫られた。千世子は実家暮らしだが、鈴於も実家暮らしが可能な通学圏にあるにもかかわらず、一人暮らしをしてしまった。
細々と鈴於には手を焼かされ、泣かされ、悔しい思いをしてきた。しかし意地が悪く威圧的で陰険な鈴於に逆らえないのである。彼に酷似した男の甘い雰囲気を目にしたとき、理解してしまった。今までの交際のなかにあったものは恋慕ではなく服従だったのかも知れない。元々、温厚柔和な印象を受ける容貌にやはり中身も穏やかな男性が好きだった。暴力を振るわれたり、罵詈雑言を投げつけられたりしたことはないけれど、鈴於は千世子の好みとは真反対にある。彼の好きな女性タレントなどを見ても、派手で垢抜けた容姿が多い。
電車に揺られ、自宅へ帰る。浮かれた服を脱ぎ捨て、メイクも落としてしまう。洗面台の前でオイルを染み込ませたコットンを肌に当てた。今日使おうと思って買った新しいメイク用品が呆気なく拭われていく。脳裏には恋人と瓜二つの愛嬌のある姿が張り付いている。異様な惨めさが起こった。昨晩塗り込んだ少し高いヘアオイルがうるさく薫った。鈴於の意地の悪さに屈した結果がこれである。服従のみで付き合った結果は身から出た錆なのかも知れない。うっ、と咽せかけて顔を洗った。
家族団欒で意外にも忘れてしまった。夜になってインターホンが鳴る。高校生の弟が風呂上がりのアイスを取って戻ってくるついでに応対した。そして千世子が呼ばれた。玄関には2人の鈴於が立っている。片方は気拙そうに俯き気味できょろきょろと目を泳がせている。
「ちよ」
鈴於と彼にそっくりな人物の2人いるのはこれで証明されてしまった。
「こいつが、お前に見せたオレのいとこ」
「……わざわざ来てもらったの?」
鈴於に酷似した人物がどの程度今回の、彼が言うところの"ドッキリ"に関与しているのかは分からないけれど、千世子は怒っているわけではない。似た人物を連れて来られたところで示す反応はこれといってない。
「浮気なんかしてないからな。こいつにはこいつでカノジョいるけど、ちよが見たのはオレじゃないって、証明しておきたかった」
実は知らない女と居たのは鈴於で、駅前にやって来たのはこのいとこの方ではあるまいか。鈴於ならばそういう狡猾な計画も練れるであろう。いとこの様子は少し怯えて見える。どこか上下関係をはっきりさせられているような。だがそれを問うてみても、はっきりと千世子もどちらがどちらだったのが判じられていなかった点は揺らがない。
「ちよ。オレはちよと別れるつもりない」
温柔敦厚とはいえない目と暫く瞳を搗ち合わせていた。しかし側められる。鈴於は彼女の後方を捉えていた。振り返るとリビングから家族が頭を出して玄関の様子を、つまり大津家の長女ともしかすると姻戚になる可能性が極めて高い近所の真野家の息子のやり取りを窺っていた。
「お邪魔してます」
鈴於という男は外面はよい。ゆえに、彼の悪行を訴えても誰も信用しないのである。今も愛想をよくして頭を下げている。
「痴話喧嘩してるん?」
弟がアイスを齧りながら訊ねた。弟は鈴於を兄貴分として長いこと慕っている。
「違うよ」
千世子が先に繕った。面倒な話になりそうである。内々で片付け、家族にはそれとなく察せさせる算段だった。恋人関係を終わらせるのである。幼馴染ひいては近隣住民としてまだ続けばよい。彼の実家も歩いて1分とかからない。
「オレたちマジでラブラブなんで」
咄嗟に鈴於を振り返った。彼は悪戯っぽく笑っている。
「と、とりあえずいとこさんはもう帰ってもいいんじゃないかな。―ごめんなさい、こんなことに巻き込んでしまって……」
鈴於からその隣の瓜二つの青年に視線を移す。小さく頭を下げる。
「あ、い、いいえ……もとはおれが似てるのが悪いんですから……」
鈴於のいとこはまったく理不尽な謙遜をした。気の弱い性格なのかも知れない。そこに、この隣の極悪非道な男が散々つけ込んだ想像は難くない。
「全部鈴於くんが仕組んだんでしょ?協力してたの?」
いとこは鈴於のほうに目を泳がせる。圧倒的な上下関係があるらしい。だとすればこのいとこが共謀していたとしても責めるのは酷だ。
「律には言ってない。こいつ、律って言うんだけど、だってお前のコト紹介したら、カノジョあっさり捨てて、ちよに惚れちゃうかも知れないだろ」
律とかいうのは俯きを深くして顔を真っ赤に染める。
「何それ」
「だってこいつ、オレと好みのタイプ似てるからね」
呆れたように彼は鼻を鳴らした。
「だ、大丈夫です。おれ、今のカノジョが大好きですから。千世子さんが、」
「気安く呼ぶな」
「いいって」
「はぁ?」
鈴於は律の話の腰を折るどころか、続きを促した千世子を睨みつける。律は怯えて手で彼女を示した。
「―鈴於クンのカノジョさんは、素敵な方だなって思いましたけど、おれは今のカノジョが一番大切なので……」
語末が徐々に消え入っていく。しかしそこには隠しきれない照れ笑いがあった。
「なんだとこら」
「ちょっと、鈴於くん!」
いとこにまで噛みつきそうな鈴於を宥めるが、千世子は律のほうを見ていた。同じ顔で鈴於は口が裂けても言わないことを、顔が爆発してもしない貌で言う。鈴於に巻き込まれてふられてしまった気分だ。だが律は悪くない。忖度せずに自身の恋人に真摯になっただけである。
「もういいから。ちょっと考えさせて」
「おい!」
「鈴於くんは嫌じゃないの?長いこと一緒にいたのに、2人の判別もつかなかったカノジョのこと。鈴於くんのほうでもちゃんと考えてよ。そんな恋人とこれから上手く続くのかって。それでそんな悪戯、仕掛けられたわたしの気持ち……」
千世子はまだ来訪者の突っ立っている玄関の明かりを消した。そして背を向ける。
最後のは蛇足だったかも知れないと、小さく去り際の挨拶を耳にしてから考えた。最後のは、八つ当たりだ。鈴於の顔で優しく微笑み、肩を抱き寄せ、しまいには恋人のいないところで謙ることもなく恋人に対する真摯な姿勢を貫いた。顔も名前もよく知らない律の恋人への羨望と妬みだ。笑って赦す寛容な女が鈴於の周りにはたくさんいるだろう。彼は小中高と異性に人気があった。大学ではどうだか定かではないけれど。
千世子はリビングには戻らず自室に篭ってしまった。
〈ごめん、ちよ。反省してる〉
―不在着信
〈話したい〉
〈電話でもいいから。声聞きたい〉
―不在着信
〈ちよ〉
〈ブロックすんなよ〉
ぽむ、ぽむ、と端末が振動し画面が光る。風呂から上がったときに気付く。鈴於の必死な姿が浮かんで、ちくりと胸が痛んだ。中学時代、体育の授業中に貧血で倒れたことがある。その時に彼が顔真っ青にして駆け寄ってきたことがあった。必死な幼馴染の腕に支えられ起こされたのだ。保健室には保健委員と体育の担任の教師と行ったけれども、鈴於も顔を見せた。その後数日間、睨まれてばかりでまともに口も利かなかった。彼の行動は気紛れで、昔からよく振り回されていた。
それでも悄らしい姿を想像すると弱かった。だが奸智に長けた鈴於のことだ。意外と活気付いているのかも知れない。
千世子はスマートフォンを手に取った。絶縁を望んでいるわけではない。不在着信から電話を掛ける。
「鈴於くん?」
3コール内に繋がった。
『おい、ちよ!オレは別れるつもりないからな』
第一声は咆哮である。
『お前がオレと律の見分けがつかなかったからってなんだよ。オレと律は、律の同胞だって見間違えるほど似てんだ。オレはちよに、オレか律か見分けて欲しかったワケじゃねぇかんな。ただ、ちよの反応が見たかった。ちよの反応は全部見たい』
「……鈴於くん、えっとね………、多分今日のことは積み重なってきたものの限界だったんだと思うな。わたし、隣を一緒に歩けるような穏やかな人が好きだから………鈴於くんは違うでしょ。自分で引っ張っていきたいんでしょ?そういうの好きな女の子って結構いるしさ、そういう子、探したら?応援するよ」
まだ律を鈴於だと思ったときの感情が鋭くなって現れはじめた。柔らかく甘い表情もできるのかと驚いた反面、交際しておきながらそのような一面を見せられたことのない立場に虚しさが込み上げた。
『そうだったな。お前昔から、王子様系好きだったもんな。そっか、分かった。王子様系な』
しかしアプローチの途中だったり、告白の直前になって鈴於から妨害され邪魔をされ意地悪を言われるのである。
『律みたいな感じ?律みたいになればいい?』
「彼は、関係ないでしょう……」
関係あるのかも知れない。今でも千世子の脳裏には鈴於の顔で柔和に頬を緩ませる姿が離れないのだ。
『今までホの字だった奴等みたいに、なれば、別れるとか言わないんだよな?』
「だからそういうことじゃなくて……だってそんな付き合い方したって、鈴於くんが苦しいだけじゃない。それにわたしも、白々しい……」
『オレは別に。ちよと別れるつもりないし、ちよが別れないって言うならそれでいい』
投げやりな態度に聞こえなくもなかった。
「いいよ……元々合わなかったのに無理矢理合わせて付き合ったって破綻するだけ。わたし、鈴於くんのこと、幼馴染として大切だけど、カレシとして好きだったのか、もう分からないの。それに鈴於くん、わたしのこと、好きなの?」
年を経て彼は丸くなった。嫌いとは思っていても言わないだろう。また、嫌われているとまでは思ったことはない。ただ、複雑な感情のもとに憎まれてはいるのかも知れないと思ったことはある。たとえば今日もそれだった。彼女が想像する最も生々しい返答は「もう好きではない」ということだ。
『あ………ぅ、嫌いじゃない』
たった2文字で済むところを態々そう言うということは、彼も婉曲的にこの関係を続ける理由がないと答えているのも同然だ。傷付けまいとしているのかも知れない。怒らせ、泣かれて困るのは鈴於のほうである。彼は自ら悪役を買うこともない。諷意を込めても要はほぼ同じであるというのに。
「嫌われてないのは分かってるけど、でも好きでもないんでしょ?鈴於くんに親切にしてもらったことは何度もあるけど、カノジョとして好かれてるなって思ったことは、あんまりない」
鈴於は黙った。
「今までありがとうね。プレゼントとか、返したほうがいいかな?」
プレゼントはたくさん贈られた。しかし物足りなかった。後から気付くのである。またここでも、律の待ち合わせの相手を愛しむ眼差し、慈しむ仕草が甦った。その場限りで消えてしまうものでもいい。もっと別のものが欲しかった。そういうものを大切にしていける恋人を探していた。求めていた。理想としていた。鈴於と同じ顔をした鈴於と反対の気質を持った者との不本意な邂逅で今までの不完全燃焼な喜びが明確化されてしまった。
『返すな。別れるつもりオレはない。ち、他に好きなヤツでもデキたのか?」
他に意中の相手が現れて現在の交際相手に難癖をつけていると思われていたのなら心外だ。
「そんなワケないでしょ。でも、別れて、新しい人見つけて、幸せになるから鈴於くんも……」
『ふざけんな!お前を仕合わせにすんのはオ・レ!オレなの!別れないからな』
千世子は困り果てて所在なく部屋の中を見回していた。壁掛けのカレンダーが目に入る。12月25日に丸がついていた。クリスマスだ。鈴於と予定を入れていた。ケーキを作る約束をしたのだ。
「鈴於くん」
『なんだよ』
「わたしはクリスマス、ひとりで過ごすのとかあまり気にならないし……鈴於くんも今から一緒に過ごす相手、見つけたらいいじゃない」
クリスマスは一人で過ごしたくないと鈴於は毎年冬になると口にしていた。そのために彼は粘っているのだろう。
『ちょ、え、はぁ?ちよ、お前本気で言ってんのか』
「自分を好いてくれる人と一緒に過ごすのが、多分一番幸せなクリスマスなんだと思うな」
『オレは、自分の好きなヤツと過ごしたい。オレのこと好きなヤツとかどうでもいい。それにその理論ならお前は、オレと過ごすべきなんだよ……』
短い間に情緒不安定に陥ったみたいに彼は語気を荒げたかと思うと、喋っていくうちに声が萎んでいってしまった。
『何が足らなかった?何が悪かった?言ってくれ』
ここまでくると悪逆を極めた底意地の悪い、根性のひん曲がって円形さえ描けそうなこの男の声も意気沮喪としていた。
『言ってくれ……正直に…………』
躊躇いがある。鈴於を変えたいわけではない。彼は彼のまま、彼の気性と合う人物と巡り会えばよいのだ。要求し、彼の在り方を変えてまで付き合っていく必要はない。
「性格が、元々合わなかったんだと思うな。ここでわたしのワガママ言ったって、仕方のないことなんだよ」
『嘘だな。はっきり言えよ。ちよの全部が知りたい。多少ムリしてもカレシでいたい。だから教えて』
今度は宥めるような柔らかく、しかつめらしい声音に変わる。
「律くんは悪くないけれど……律くん見たときに、鈴於くんだと思って……鈴於くん、わたし以外の前ではあんな風に笑うんだ、あんな風にするんだって思って、わたし、鈴於くんに抱き寄せられたり、目、見たまま笑いかけてくれたことなかったなって…………ごめんね。 わたし、オウジサマケイガスキダカラ…………」
口にすると鈴於に対する済まなさが込み上げる。自身の色恋に対する貪婪ぶりにも引いてしまった。
「またね。じゃあ」
通話を切った。これで鈴於も分かったはずだ。。ネコで競馬の真似事はできないのである。イヌはカラスのように飛び回れないのである。それなりに器用な鈴於にも苦手なこと、出来ないこと、不可能なことはあるのだ。性分などが自分の意思で変えられるわけはないのである。
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