174 / 174
自作詩を見せているつもりで結局自分語り
風は知り吹き抜けてその中で。 戦争の話
しおりを挟む
あんまり、これが何の詩なのか明言したくないところがあって、それを傲慢とするのか、解釈の制限解除とするのかは分からないんですけれども、多分、恐れがある。伝わらなかったら、力量不足を痛感しなければならないわけで。
それからテーマがあまり無難じゃないというのもある。それはのちほど。
+++
わたしの知らない遠い過去 今は自然な流行りの文化
わたしの知らない深いところ 爪痕ばかり追ってみるけれど
わたしの知らない飢えた頃 銀数枚で買える常識
わたしの知らない焼けた花 ゆらゆら綻び日を浴びる
わたしの知らない荒れた肌 名誉名誉と遅れた抑圧
わたしの知らない溶けた土 吹き飛ぶ岩と濁った砂浜
わたしの知らない わたしの知らない わたしは知らない
スベテは スベテは 知ったつもりで 知れたつもりの
わたしは知らない呪いの言葉 わたしの知らない断たれた団欒
掃いて捨てた恵み 今ではありふれて
飽いて投げた温もり 当たり前にそこに
風は吹いて 揺れるガラス玉 夏の訪れ 汗が滲んで
蝉が鳴いて まだ鳴く季節
背を押されて炎 首を振り冷ややか さようなら日常
夏の歌はどこまでも 秋に向かってどこまでも 冬に眠り 春に咲くのか
画面の向こう 仮想世界に閉じる
風が吹いて 揺れる草原 夏の真中 まだ少し暑い
蝉が鳴いて 響いて消える
背を押されて蛍 首を振り烙印 ささやかな日常
夏の歌はどこまでも 秋に向かってどこまでも 冬に眠り 春に咲くのだろう
画面の手前 現実世界に開く
風は知っている 揺れた草原 夏の終わり 赤とんぼが舞う
風は知っている 静かに撫ぜていって 歌が続く
蝉が鳴いて 響いて 夕日に揺れる
(2019.6.18)
+++
小さい頃から「島唄」/the BOOMが好きで、最近とある合唱団の合唱動画を観ていまして、「夏の終わり」/森山直太朗もよく聴いていてこういう作品を作りたいんだよな…っていうのがやっぱりあって。
でも戦争経験したいワケじゃ絶対にないけど、戦争経験したことないし、戦争したくない。かといって、あれは有名ミュージシャンがやるからこそなんだけれど、反戦の歌とか作るやれ左翼だ、日本を持ち上げればやれ右翼だと。
「島唄」(地方の童謡ではなくthe BOOMの)が出来た過程でも沖縄の人々の反発があったりなかったりしたみたいなので。間に受け過ぎかとは思ったのだけれども、無難じゃないのかもな~って思った。知名度が無いに等しく極めて低いという点では別にそこを考慮する必要はまるでないんですけれども。
わたくしは戦争とは無縁…ではないけれど戦争を語るには経験というか感受性と分別が足りていない感じがする。祖母に話を聞いて、次の日に学校が無くなっていたとか、覚えがあるのはそれくらいで、あとはよく聞く話。さつまいもは御馳走で蔓を食べていたとか。
大学時代に「道具論」という授業を取っていたけれど、戦時中の巻脚絆とか。飯盒とか。黙々と使い方の再現を見ていて最後に戦友に捧ぐという形で飯盒で炊いた米を握って、もう多分平成に入っている頃の田舎の住宅街の脇の畑の中で黙祷するやつ。古いビデオだったと思う。平成1桁くらいの頃のなんじゃないかな。カラーだけどVHS独特の横線の波みたいな映像割れ?みたいなの入ってたし。
一番大きかったのは高校の修学旅行の沖縄。FF10が大好きだったので、舞台ではないけれどちょっと沖縄モチーフ入っていたし、飛行機は怖かったけど乗ってみたら全然だった。
糸数アブチラガマで、人生で初めて熱中症になりかけたのがあったな。尾瀬でもあったかな。日本で一番暑い県トップ3に入りがちでピンポイントでその市だったりもするけれど。それは置いておいて。
別のクラスの副担任が社会科の担任で、「視えちゃうタイプの人は尊重します。無理にとはいいません。過去にも泣いて嫌がる子がいました」と言って基本的には糸数アブチラガマに入ること前提でしたが強制ではありませんでした。わたくしは心霊系信じていないので「視える」「視えない」とかは鼻で嗤っていたのですが、どこか重苦しい感じがして入らなくてもいいかな、と思っていて。人の死を理解するキャパが頭になかった。だから先輩が死んだとき、理解しようと必死になって事故現場に行ったりした。同級生が死んだとき、棺桶の中を確認しなかったこともありただ行方不明になったきりでいるというつもりでいた。ただ多分ガマに入った途端、ここで戦争中に亡くなった人の存在を認めてしまう・戦争自体を認めてしまうという逃避めいたところがあった。高校2年だか3年でもまた戦争が本当にあって、苦しんでいた・苦しんでいる人がいるということが頭で分かっていてもどこか絵空事で終わっていた。それがガマに入ったらリアルのガチのマジになってしまうことを恐ろしく感じた。苦しみ・飢え・悲しさ・寂しさを肯定できなかったんだと今になって思う。
母親に相談した。母は「今の若い世代に戦争の責任はないけれど戦争を知る義務はあるかもね」というようなことを言った。そうなると、すとん、とどこか腑に落ちたな当時。
それでその修学旅行で、目と耳で見たり聞いたりしたよ。大きな講堂で戦時中のことを語り部のおじいさんから聞いた。切羽詰った声音になったり、激しい抑揚で迫力があったな。途中で泣いているんじゃないかと思った。語り部としてプロっぽかったけれど、それで語り慣れた内容でも、やっぱり泣くのかな。
時折、学校の宿題で戦争のことを祖父母とか老人に聞くのドイヒーなコトなんじゃないかと思う時がある。思い出したくないことってあると思うんだ。時が経つにつれ戦時中を知る者は減っていくわけだから、知らせる義務が生じてしまうのかな。話す義務を背負わされて?まるでこの世に生を受けた時から納税・勤労・なんとかの義務みたいに?(あとひとつ忘れた→教育でした)
たとえば、わたくしの人生に於いて個人的な部分ではなくそういう国家規模でヤバかったことといえば東日本大震災だけれど、それはわたくしの家族は全員無事で家もタンスが開いたくらいしかなかったからあの日の体験を話せるし綴れるわけだけれど、被災地の人々や当時被災地へ実際訪れた人だったら果たしてどうなのだろう?と思ってしまう。口にすると、内心では留めていられたものが留めていられなくなることってない?わたくしはあるんだ。
ただ誰かが話さなくては消えていく。知る者がいなくなれば真実は虚構になってしまうのかも分からないですわ。
話がめちゃくちゃ逸れたんですけど、それで糸数アブチラガマで、ヘルメット借りるんですな。それでわたくしは身長が低いので、頭上注意と言われたところがどこだか分からず、隣にいた背の高い男子が屈んだためにここのことか…と分かったという話なんですけど、狭かっただろうな、というのがそれで強く印象に残った。これは現代感覚だと思うんですけれども。中は広いんですよ。でもなにか窮屈なんです。本当にここで暮らしていたのか?暮らせていたのか?という疑問だらけで、それでも映画では暮らしているところが表現されているんですわ。
それで、一度照明を落とされるんです。各々ライトを持参したような、気がするんですけど。
シン…って静寂と、真っ暗。本当に真っ暗。こう書くと厨二チックなんですが「漆黒の闇」ていうか。夜中の目を閉じた時より暗いというか。もう手の施しようがない人たちはここで死を待っていたのだと説明されたような気がするんですわ。
記憶曖昧で申し訳ないのだけれども、天井に鉄板が突き刺さっていたような気もしたな…画像検索しても出てこない。
それからもう消されたサイトかも分からないのですが、糸数アブチラガマは戦争教育のために一般公開されているらしいのですが、修学旅行前後に調べたところ、「本当は先祖(家族とか身内とかそんなニュアンス)の骨が埋まっているかもしれない所を戦争も知らない人たち(本土の人たち?)に踏み荒らされたくない」というような旨のことが書かれていたのが数年経ってもまだ印象に強く残っていて。
これはわたくしのこだわりなんですけれども、あまり犠牲者とか英霊とかいいたくなくて。犠牲者っていうと、なんだかな…国が犠牲にしたんだろ…?とか思わなくもない。しかしその犠牲があったことで戦争はしない!と決まったのなら、犠牲とは生贄のことで糧にして得る物がある、という点で正しいけれど…政治の犠牲者…かな。政治の被害者?
英霊なんて表現はもう、マジか?って感じ。美談にしていいの?あれって国が追いやったことなんじゃないの…?って。わたくしの解釈がまるきり反対だったら戦争教育の反面教師のひとつにもならないかも知れないけれど。英霊になりたかったのか?家族と居ることを捨てて、満足に飯も食えないのに?
英雄になりたい・ヒーローになりたい・救世主になりたいの裏側にあるのは、社会・人々の困窮や不平不満なのでゎ?という疑問に従えば英霊なのかな。御国の為に散った英霊だと持ち上げていいのか?あの時代にあの国に生まれたというだけで、御国の為に死になさいって、自殺・飢死・病死を迫られたも同然で。
戦争の話と向き合うと、戦争をさせられ、引き延ばすために結果として無駄死や飢死を迫られた歴史があって、その上でわたくしは(わたくしたちは?)戦争をしないという約束のもとに生まれ、少なくとも戦争はしないという平穏を無条件に享受し、しかし彼等の努力や気概や意志を否定せねばらない罪悪感が否めない。
戦争の捉え方、戦争で死んでいった人々への捉え方はそれぞれだと思うんですわ。ただ多分、その歴史を肯定しながら否定するという曖昧さとそれゆえの罪悪感とは共通して持っているのかも分かりませんわ。
ただ戦争をしたがる同国の一部の人々を食い止めるために、憲法9条はあるのかもしれませんな。
いや、これでまじで、訳知り顔で語ったけど、戦争教育が足りてないわ…ってなったらどうしようもないから端的にいうと、飢えるの嫌だし、隠れて怯えながら生きるのも嫌だし、表現や言語や食物に規制がかかるのも嫌だし、家族が銃弾に倒れるのも嫌だし御国のために自決したくないし、ただ敵対しているからという記号的な理由だけで相手国の人殺したくないし、同じ理由で殺されたくないし、知識も技術もなく負傷兵の手当したくないし、その辺に死体が転がっているのも嫌。
2019.6.18
それからテーマがあまり無難じゃないというのもある。それはのちほど。
+++
わたしの知らない遠い過去 今は自然な流行りの文化
わたしの知らない深いところ 爪痕ばかり追ってみるけれど
わたしの知らない飢えた頃 銀数枚で買える常識
わたしの知らない焼けた花 ゆらゆら綻び日を浴びる
わたしの知らない荒れた肌 名誉名誉と遅れた抑圧
わたしの知らない溶けた土 吹き飛ぶ岩と濁った砂浜
わたしの知らない わたしの知らない わたしは知らない
スベテは スベテは 知ったつもりで 知れたつもりの
わたしは知らない呪いの言葉 わたしの知らない断たれた団欒
掃いて捨てた恵み 今ではありふれて
飽いて投げた温もり 当たり前にそこに
風は吹いて 揺れるガラス玉 夏の訪れ 汗が滲んで
蝉が鳴いて まだ鳴く季節
背を押されて炎 首を振り冷ややか さようなら日常
夏の歌はどこまでも 秋に向かってどこまでも 冬に眠り 春に咲くのか
画面の向こう 仮想世界に閉じる
風が吹いて 揺れる草原 夏の真中 まだ少し暑い
蝉が鳴いて 響いて消える
背を押されて蛍 首を振り烙印 ささやかな日常
夏の歌はどこまでも 秋に向かってどこまでも 冬に眠り 春に咲くのだろう
画面の手前 現実世界に開く
風は知っている 揺れた草原 夏の終わり 赤とんぼが舞う
風は知っている 静かに撫ぜていって 歌が続く
蝉が鳴いて 響いて 夕日に揺れる
(2019.6.18)
+++
小さい頃から「島唄」/the BOOMが好きで、最近とある合唱団の合唱動画を観ていまして、「夏の終わり」/森山直太朗もよく聴いていてこういう作品を作りたいんだよな…っていうのがやっぱりあって。
でも戦争経験したいワケじゃ絶対にないけど、戦争経験したことないし、戦争したくない。かといって、あれは有名ミュージシャンがやるからこそなんだけれど、反戦の歌とか作るやれ左翼だ、日本を持ち上げればやれ右翼だと。
「島唄」(地方の童謡ではなくthe BOOMの)が出来た過程でも沖縄の人々の反発があったりなかったりしたみたいなので。間に受け過ぎかとは思ったのだけれども、無難じゃないのかもな~って思った。知名度が無いに等しく極めて低いという点では別にそこを考慮する必要はまるでないんですけれども。
わたくしは戦争とは無縁…ではないけれど戦争を語るには経験というか感受性と分別が足りていない感じがする。祖母に話を聞いて、次の日に学校が無くなっていたとか、覚えがあるのはそれくらいで、あとはよく聞く話。さつまいもは御馳走で蔓を食べていたとか。
大学時代に「道具論」という授業を取っていたけれど、戦時中の巻脚絆とか。飯盒とか。黙々と使い方の再現を見ていて最後に戦友に捧ぐという形で飯盒で炊いた米を握って、もう多分平成に入っている頃の田舎の住宅街の脇の畑の中で黙祷するやつ。古いビデオだったと思う。平成1桁くらいの頃のなんじゃないかな。カラーだけどVHS独特の横線の波みたいな映像割れ?みたいなの入ってたし。
一番大きかったのは高校の修学旅行の沖縄。FF10が大好きだったので、舞台ではないけれどちょっと沖縄モチーフ入っていたし、飛行機は怖かったけど乗ってみたら全然だった。
糸数アブチラガマで、人生で初めて熱中症になりかけたのがあったな。尾瀬でもあったかな。日本で一番暑い県トップ3に入りがちでピンポイントでその市だったりもするけれど。それは置いておいて。
別のクラスの副担任が社会科の担任で、「視えちゃうタイプの人は尊重します。無理にとはいいません。過去にも泣いて嫌がる子がいました」と言って基本的には糸数アブチラガマに入ること前提でしたが強制ではありませんでした。わたくしは心霊系信じていないので「視える」「視えない」とかは鼻で嗤っていたのですが、どこか重苦しい感じがして入らなくてもいいかな、と思っていて。人の死を理解するキャパが頭になかった。だから先輩が死んだとき、理解しようと必死になって事故現場に行ったりした。同級生が死んだとき、棺桶の中を確認しなかったこともありただ行方不明になったきりでいるというつもりでいた。ただ多分ガマに入った途端、ここで戦争中に亡くなった人の存在を認めてしまう・戦争自体を認めてしまうという逃避めいたところがあった。高校2年だか3年でもまた戦争が本当にあって、苦しんでいた・苦しんでいる人がいるということが頭で分かっていてもどこか絵空事で終わっていた。それがガマに入ったらリアルのガチのマジになってしまうことを恐ろしく感じた。苦しみ・飢え・悲しさ・寂しさを肯定できなかったんだと今になって思う。
母親に相談した。母は「今の若い世代に戦争の責任はないけれど戦争を知る義務はあるかもね」というようなことを言った。そうなると、すとん、とどこか腑に落ちたな当時。
それでその修学旅行で、目と耳で見たり聞いたりしたよ。大きな講堂で戦時中のことを語り部のおじいさんから聞いた。切羽詰った声音になったり、激しい抑揚で迫力があったな。途中で泣いているんじゃないかと思った。語り部としてプロっぽかったけれど、それで語り慣れた内容でも、やっぱり泣くのかな。
時折、学校の宿題で戦争のことを祖父母とか老人に聞くのドイヒーなコトなんじゃないかと思う時がある。思い出したくないことってあると思うんだ。時が経つにつれ戦時中を知る者は減っていくわけだから、知らせる義務が生じてしまうのかな。話す義務を背負わされて?まるでこの世に生を受けた時から納税・勤労・なんとかの義務みたいに?(あとひとつ忘れた→教育でした)
たとえば、わたくしの人生に於いて個人的な部分ではなくそういう国家規模でヤバかったことといえば東日本大震災だけれど、それはわたくしの家族は全員無事で家もタンスが開いたくらいしかなかったからあの日の体験を話せるし綴れるわけだけれど、被災地の人々や当時被災地へ実際訪れた人だったら果たしてどうなのだろう?と思ってしまう。口にすると、内心では留めていられたものが留めていられなくなることってない?わたくしはあるんだ。
ただ誰かが話さなくては消えていく。知る者がいなくなれば真実は虚構になってしまうのかも分からないですわ。
話がめちゃくちゃ逸れたんですけど、それで糸数アブチラガマで、ヘルメット借りるんですな。それでわたくしは身長が低いので、頭上注意と言われたところがどこだか分からず、隣にいた背の高い男子が屈んだためにここのことか…と分かったという話なんですけど、狭かっただろうな、というのがそれで強く印象に残った。これは現代感覚だと思うんですけれども。中は広いんですよ。でもなにか窮屈なんです。本当にここで暮らしていたのか?暮らせていたのか?という疑問だらけで、それでも映画では暮らしているところが表現されているんですわ。
それで、一度照明を落とされるんです。各々ライトを持参したような、気がするんですけど。
シン…って静寂と、真っ暗。本当に真っ暗。こう書くと厨二チックなんですが「漆黒の闇」ていうか。夜中の目を閉じた時より暗いというか。もう手の施しようがない人たちはここで死を待っていたのだと説明されたような気がするんですわ。
記憶曖昧で申し訳ないのだけれども、天井に鉄板が突き刺さっていたような気もしたな…画像検索しても出てこない。
それからもう消されたサイトかも分からないのですが、糸数アブチラガマは戦争教育のために一般公開されているらしいのですが、修学旅行前後に調べたところ、「本当は先祖(家族とか身内とかそんなニュアンス)の骨が埋まっているかもしれない所を戦争も知らない人たち(本土の人たち?)に踏み荒らされたくない」というような旨のことが書かれていたのが数年経ってもまだ印象に強く残っていて。
これはわたくしのこだわりなんですけれども、あまり犠牲者とか英霊とかいいたくなくて。犠牲者っていうと、なんだかな…国が犠牲にしたんだろ…?とか思わなくもない。しかしその犠牲があったことで戦争はしない!と決まったのなら、犠牲とは生贄のことで糧にして得る物がある、という点で正しいけれど…政治の犠牲者…かな。政治の被害者?
英霊なんて表現はもう、マジか?って感じ。美談にしていいの?あれって国が追いやったことなんじゃないの…?って。わたくしの解釈がまるきり反対だったら戦争教育の反面教師のひとつにもならないかも知れないけれど。英霊になりたかったのか?家族と居ることを捨てて、満足に飯も食えないのに?
英雄になりたい・ヒーローになりたい・救世主になりたいの裏側にあるのは、社会・人々の困窮や不平不満なのでゎ?という疑問に従えば英霊なのかな。御国の為に散った英霊だと持ち上げていいのか?あの時代にあの国に生まれたというだけで、御国の為に死になさいって、自殺・飢死・病死を迫られたも同然で。
戦争の話と向き合うと、戦争をさせられ、引き延ばすために結果として無駄死や飢死を迫られた歴史があって、その上でわたくしは(わたくしたちは?)戦争をしないという約束のもとに生まれ、少なくとも戦争はしないという平穏を無条件に享受し、しかし彼等の努力や気概や意志を否定せねばらない罪悪感が否めない。
戦争の捉え方、戦争で死んでいった人々への捉え方はそれぞれだと思うんですわ。ただ多分、その歴史を肯定しながら否定するという曖昧さとそれゆえの罪悪感とは共通して持っているのかも分かりませんわ。
ただ戦争をしたがる同国の一部の人々を食い止めるために、憲法9条はあるのかもしれませんな。
いや、これでまじで、訳知り顔で語ったけど、戦争教育が足りてないわ…ってなったらどうしようもないから端的にいうと、飢えるの嫌だし、隠れて怯えながら生きるのも嫌だし、表現や言語や食物に規制がかかるのも嫌だし、家族が銃弾に倒れるのも嫌だし御国のために自決したくないし、ただ敵対しているからという記号的な理由だけで相手国の人殺したくないし、同じ理由で殺されたくないし、知識も技術もなく負傷兵の手当したくないし、その辺に死体が転がっているのも嫌。
2019.6.18
0
この作品は感想を受け付けておりません。
あなたにおすすめの小説
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
母の下着 タンスと洗濯籠の秘密
MisakiNonagase
青春
この物語は、思春期という複雑で繊細な時期を生きる少年の内面と、彼を取り巻く家族の静かなる絆を描いた作品です。
颯真(そうま)という一人の高校生の、ある「秘密」を通して、私たちは成長の過程で誰もが抱くかもしれない戸惑い、罪悪感、そしてそれらを包み込む家族の無言の理解に触れます。
物語は、現在の颯真と恋人・彩花との関係から、中学時代にさかのぼる形で展開されます。そこで明らかになるのは、彼がかつて母親の下着に対して抱いた抑えがたい好奇心と、それに伴う一連の行為です。それは彼自身が「歪んだ」と感じる過去の断片であり、深い恥ずかしさと自己嫌悪を伴う記憶です。
しかし、この物語の核心は、単なる過去の告白にはありません。むしろ、その行為に「気づいていたはず」の母親が、なぜ一言も問い詰めず、誰にも告げず、ただ静かに見守り続けたのか——という問いにこそあります。そこには、親子という関係を超えた、深い人間理解と、言葉にされない優しさが横たわっています。
センシティブな題材を、露骨な描写や扇情的な表現に頼ることなく、あくまで颯真の内省的な視点から丁寧に紡ぎ出しています。読者は、主人公の痛みと恥ずかしさを共有しながら、同時に、彼を破綻から救った「沈黙の救済」の重みと温かさを感じ取ることでしょう。
これは、一つの過ちと、その赦しについての物語です。また、成長とは時に恥ずかしい過去を背負いながら、他者の無償の寛容さによって初めて前を向けるようになる過程であること、そして家族の愛が最も深く現れるのは、時に何も言わない瞬間であることを、静かにしかし確かに伝える物語です。
どうか、登場人物たちの静かなる心の襞に寄り添いながら、ページをめくってください。
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
中1でEカップって巨乳だから熱く甘く生きたいと思う真理(マリー)と小説家を目指す男子、光(みつ)のラブな日常物語
jun( ̄▽ ̄)ノ
大衆娯楽
中1でバスト92cmのブラはEカップというマリーと小説家を目指す男子、光の日常ラブ
★作品はマリーの語り、一人称で進行します。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる