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ああ紙風吹、鶴が舞う電脳 人見知り年下攻/四肢欠損受/単孔/産卵/記憶操作/ザル設定
ああ紙風吹、鶴が舞う電脳 5
しおりを挟む「鳥空揚が食べたい」
「まったくだな」
呟きに返事があった。2度3度瞬いて声のほうを向いた。肉感のある硬い肌で触られる。銀髪の青年がいた。上半身を包帯で巻かれている。
「オレのこと殺すの」
煙の中から助け出された時はぐったりしていたが、今ではセオノアよりもはっきりした意識を持っている。
「殺すわけないだろう」
「じゃあもう死んじゃったんだ」
五指のないハーブレイの腕の先端から顔を背け、寝返りをうつ。柔らかな質感と心地良い温かさは幼い頃から言われていた死後の世界に違いない。
「生きているさ」
少し重い瞼を閉ざす。眠気が押し寄せた。
「ロミュスと会ったのか」
「…誰だっけ」
「なら、いいんだ」
優しい眠りの誘いだった。もう目覚めない気がした。
「彼は、俺の義弟だ」
「知らないって言ってんじゃん…」
布団を被った。どこも痛くはない。今にも寝落ちてしまう心地良さだけだった。
「君は、彼の姉によく似ている」
「どうでもいい」
「俺の妻だ」
妻。セオノアはわずかにハーブレイのほうへ首を曲げた。保温性が高いが重量感のない布団が擦れた音を立てる。
「結婚してたんですか」
「ああ」
体勢を戻し、また寝に向かう。既婚者に言い寄られたわけだ。尊敬していたし、今でも尊敬していたいと、割り切れない思いを抱いたままの上司のことが浮かんだ。
「興味無いです」
また、"鳥類空揚野郎"に襲われはしないかと寒さに身体を抱き込んだ。
「寒いのか」
「人の心弄んだり、殺されかけたりしたら、そりゃ薄ら寒くもなりますよ…」
「弄んだ?他に何かされたのか?」
「酷いなぁ。忘れてくれって言ったクセに…」
「どういうことだ?」
うるさいです、と言って眠ってしまうことに決めた。
翠玉の美しい銀髪の青年の横で黒髪の女が笑う。2人は対面に座る少年に微笑みを向けていた。キュィ、キュィ。ゴムが硬質な物体に摩擦される音に似ていた。少年は2人から意識を逸らす。彼は青い目を眇める女を一瞥し、そして近付いた。女と同じ青い目に覗き込まれる。指が近付き、視界が跳ねる。少年の身体が迫った。2人を正面から捉え、2人は何か話してまた笑った。キュィイ、キュィ、キュィ。スキール音はまた上がった。絆創膏が巻いてある若々しい指が近付いた。キュィ、キュィ。
キュィ、キュィ…
キュィ、ピィ…
喉が痛んだ。喉が痛くなるまで叫んだ感じがあった。玄関扉が開き、小さな人影が現れる。カウンターキッチンのカウンター部分に接したダイニングテーブルの脇の血溜まりに彼は膝をついた。飛び上がるように立つと隣の部屋に入っていく。茫然自失とした顔で戻ってくると、玄関扉はまた開いた。スーツ姿の男が銃を向ける。少年は両手を上げた。固まった幼い頬から涙が落ちる。スーツ姿の男の背後からさらに数人、スーツ姿の者たちが現れ少年を捕らえる。
キュィイ、キュィイ、ピィピィピィ
目が覚めたがまだ少し寝ていたいどっちつかずな欲求があった。枯草の匂いが微かに籠る、渋い色調の狭い部屋には誰もいない。襖を開けると広間があった。長い木目調の長テーブルには荷物と共に着替えが畳まれていた。時間を見る。昼前だ。皆勤を逃した今となっては大した落胆もない。おそるおそる傷があるはずの首に触れた。だが痛みはない。痛ましい夢だった。慣れない洗剤の匂いに身を包み、荷物を確認する。端末はバッテリーが切れていた。部屋を出て、旅館のガラス張りのロビーを歩く。眩しいほどの陽射しで館内が薄暗く感じられるほどだった。あまり人はいない。ソファに茶髪の後姿があった。服装や背格好に覚えがあり、口を開きかけて、閉ざした。駐車場の、しかもエントランスの目の前に停まっていたショーファードリブンカーのドアが軽快に開き、中からスーツにサングラスの男たちが降り、セオノアの前に整列した。皆統一された格好で、違いは鼻や口元の造形、背丈などの個人差くらいしかなかった。ハーブレイの言付けによって自宅まで送るという旨で、徒歩でも帰れるのだと主張しかけたが、"燻製鳥類野郎"の鋭い牙を思い出すとまるで脅迫のようだった。訊いてもいないというのに、ハーブレイはフルールディアマントータシェル社でシミュレーション訓練を受けていると説明された。
「あれ」
旅館の真前の交差点を左折し東に行かねばならないはずが、車は右折した。両端に2人ずつ座る威圧的な没個性のスーツの者は無言だった。
「あの…」
運転手に声を掛ける。訳を話す隙も与えず、左折しづらかったのだと答えられてしまえば何も文句は言えなかった。しかし車は一向に西に向かい、時折南に行き、東に直る気配は見せなかった。自宅アパートには帰してもらえないことだけは確かに分かった。それを察した頃になって、置物然と化していたスーツが、喉は渇いていないかだの腹は減っていないかだのと口を開く。端末のバッテリーが切れたことだけを伝えると、カーアクセサリーとして充電器が備え付けてあった。
「一体どこに向かっているんですか…」
告げられた場所は予想に反していた。セオノアはトータシェル社に連れて行かれるものかと思っていたが、試運転開催場だという。新興住宅地らしき同じような、砂浜を思わせる淡い色調の家々が田園風景と電線路の奥に見えた。ぽつりぽつりと古い造りの家も見える。人は確かにいるがとにかく中途半端な田舎だった。
「あれはなんですか」
工事中ということだけは分かる貼り紙に覆われた物体が、信号で止まった時に車窓から見えた。道路に面した民家の塀にまで貼り紙があり、数枚は道路で轢かれていた。黒字で大きく何か書かれ、縦書きで、知らない言語表記だったが叫んでいるらしい記号だけはこの地も共通らしかった。感嘆符と、怒っているらしき人のイラスト。グレン地方産のホラー映画にも紙を貼り付けるシーンがあった。室内に細長い紙を貼り、そうすると退魔の効果があるのだという。その紙には紅い陣を描かなければならなかったが、あの貼り紙はサイズも違い、黒い縦書きのテキストが記されていた。運転手は、ソーサラーパネル反対運動ですよ、と淡々と答えた。ソーサラーパネルは、新しい発電システムで地神に干渉し電気を発生させるとスクールではただ単語の意味を知るためだけに習ったようなものだった。セオノアの故郷では主流ではない。地神に衣食住の世話まで頼りきった冒涜的システムだと敬虔な教師は憤慨していた。しかし風土も文化も異なるグレン地方では特に珍しいことでもなさそうだ。
「反対してるんですか?」
日照問題と景観でしょう。運転手はそう言った。車は発進し、貼り紙だらけのソーサラーパネルは見えなくなる。だがセオノアの口は今まで消費出来なかった体力をここで消費するかの如くぺらぺらと回った。
「ああっ!なるほど。最近は素材の軽量化が図られてますけど結局のところ耐久性の高い原料は―、地盤が特に緩い土地ではなかなか安全性が、特に斜面に設置される場合なんかは―…以前見たものでは雪によって―…と習いましたて…―一部の宗教的観点でいえば涜神的とされていますがそもそも人々との関わり方が―、その辺りがしっかりと定義されていないので―…神と工業に於ける―…」
セオノアは気が狂ったように延々と喋り続けた。返事も相槌もなかった。スクールで学んだ知識や本社で得た技術が一気に押し寄せ、繋がっていく。「各地で普及し手軽く地神の力を授けられるというこのソーサラーパネルは、敬虔な宗教家からは妖術師のような扱いを受け発明者からも忌み嫌われながらも、神の核とも云える紅赤石を通して求められた日差しによって我々を射抜き、鏡のような反射性を持つ、この素材は空を飛び回るカラスの黒を一際輝かせ、あたかも使者のように見せ、我々を見張っているという心理的解釈も難くない。ソーサラーパネルとは一種の聖堂代わりであり、確かに見えないところで衣食住を支えているという点では『神は無言』という典籍を地で行く新たなテクノロジーですよね」と結んだ。スクールでの卒業論文はこれにしておくべきだったとさえ思った。車内はセオノアの講釈が終わっただけで変わらず静かで、エンジン音もまた静かだった。到着するまで、到着しても車内は静かだった。試運転開催場はコンビニエンスストアがぽつんとあるだけであとは遠巻きに住宅地があり、少し南に高速道路が走っている、あまり開拓の進んでいないような土地にあった。コンビニエンスストアにショーファードリブンカーを停め、運転手は駐車の許可を取ってくることを告げ店内に消え、他のスーツの者に案内される。そこは小さな丘のように盛り上がっていた。子供が遊ぶ公園にありそうな小さな山ともいえた。だが表面はソーサラーパネルに埋め尽くされ、ある種の気味悪さを醸し出している。ソーサラーパネルを肯定的に語ったのを後悔しそうなほどの異様な光景だった。無機質なものの逆襲に遭うかのような、肉感のない生々しさもないグロテスクさがある。
ここが開きます。その電力はソーサラーパネルで賄われております。スーツの男は言った。当日は旧型を一部改良したものを操縦していただきます。セオノアは適当な返事をした。何故それを自分に説明するのかいまいち分からずにいた。所長や他にも上司はいるはずだ。一番関わりが薄い自分を何故連れて来たのだろうと思ったが、すぐにそれが理由なのだと考えつく。新人研修なのだ。それなら前もって説明してくれてもいいのに、と半目でスーツたちを見た。ソーサラーパネルに肯定的な方でよかった。スーツの1人はそう言った。それがどこか私語めいていてセオノアの意識に残った。小さな丘を見上げているとバイクの音がした。このバイク音を知っている。後輪が巨大なバイクのはずだ。細部パーツに暗いパープルが入り、メタリックブルーにホログラムのメーカーロゴが入っている。一度だけしか目にしたことがないが印象に残っている。
「ノアさん、乗って!」
スーツの男たちは一斉に警棒らしき細い武器を取り出した。ロミュスだった。バイクが跳んだ。セオノアに手を伸ばし、叫ばれるまま手を伸ばす。だが届かなかった。銃声が響く。金属の潰れる音や弾ける音がしてバイクは慣性に従いアスファルトに摩られていく。ロミュスは肩を押さえて道路に屈んでいた。スーツの男たちに囲まれていく。
「ま、ま、待ってくださいよ」
セオノアはスーツの男たちの間に割って入った。肩を押さえるロミュスに近寄った。
「友達なんです、色々あって、きっと…オレを心配して来てくれただけですから!」
スーツの男たちは警棒を収めない。
「ノアさんのこと、アガルマとかドールとかフィギュアとかいうそんな感じの薄気味悪いロボットに乗せる気だよこいつら」
「は?」
肩を押さえていたロミュスは事も無さげに立ち上がった。セオノアは振り返る。デニムジャケットには穴が空いていたし血も付いているがけろりとした顔をしている。
「傷は…」
「ぼく怪我すると数秒で治っちゃうから」
「何言ってんの?強がるなって!上着脱いで。化膿したらどうするんだ」
スーツの男たちのことも忘れロミュスのデニムジャケットを掴む。少し値の張りそうなアイボリーのフード付きスウェットシャツの肩も破れ、血が滲んでいた。しかしその下の肌に傷はない。
「ハーブレイお兄ちゃんと同じ。バケモノなわけ」
スーツの男たちはさらに警戒心を見せた。
「バケモノ?」
「あの人がなんでパイロットか知ってる?なんで"オウミ様"なんて呼ばれてるか、聞いた?あの鳥類丸焼野郎は何も言わなかったんだ」
ロミュスは鼻で笑う。距離を詰めようとしているスーツの囲いからロミュスを庇った。
「ノアさん。それはぼくの役目だって」
背中に隠したロミュスが前に出てセオノアを庇う。
「ロミュスくん年下じゃん」
「馬鹿言え、これでも23だよ。17で止まったけどな」
「う、嘘、年上…?」
ロミュスはセオノアの反応に気を良くしたの軽快に笑った。
「そ。まぁ堅苦しいの好きじゃないし、今まで通りね。年下扱いされんの、悪くなかったし」
ロミュスの頭は会話の外でスーツの男たちの様子を伺っていた。少しずつ後ずさっている。
「あの、オレがロボットに乗るってのはどういう…?」
「褐色焼鳥類野郎に何かされたっしょ。目が赤いよ」
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「甲斐性なしのハーブレイお兄ちゃんがあの変なロボット操れないからってノアさん利用するのやめてよね」
自身よりもわずかに背が高いセオノアを抱え上げ、白のスニーカーが地を蹴る。ひと跳びでバイクの脇に着地した。1人は銃を構えているがセオノアにら当たることを恐れているのか発砲しない。
「あれってね、寿命削ってるんだよ。ハーブレイお兄ちゃんはバケモノだからとにかく、ノアさん、あんたはそうもいかないよ」
今開発しているのはその負担を軽減するものだ!スーツの男は叫んだ。
「どうだかな」
ロミュスはバイクを起こす。銃声。スーツの男たちの持つそれにはサイレンサーが付いているらしかった。タイヤに穴が空き、ロミュスは溜息を吐く。
「ハーブレイさんと話します」
「ちょっと…」
セオノアはロミュスから離れスーツの男たちのもとへ歩み寄る。難色を示される。
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「あ~もう、ノアさんのこと好きだな?」
下心も他意もなく、うんざりしたようにロミュスは言った。年上らしいがやはり彼からをそのように見ることは出来なかった。
ロミュスは後ろ手に拘束されショーファードリブンカーに乗せられた。バイク事故の回収業者を待つのに時間がかかり、ハーブレイに連絡を取らせ今からフルールディアマントータシェル社に向かうことになった。車内は相変わらず静かでロミュスも黙ったままだった。顔が痒いと言って頬を掻かされた。
「アガなんとか、見たことあんの?」
「ない。一部だけ。企業秘密とかあるからあんま言えないけど」
「企業秘密ね。じゃあ…、これは全部ぼくの推測で、ぼくの考察でしかないし答え合わせする気もないけど…あのロボットは薄気味悪い」
車内は静かだった。気が狂ってしまったらしき少年がひとり喋る。
「イカれてる話だ。ぼくの"顔見知り"。こいつが元凶だったんだ。すべて。この人こそいなければ、ぼくはきっとかわいいカノジョを作っていたし、こんな片田舎に来ることもなかった。今頃どこかの一流企業にいたんじゃないか。それがどうだ、刺しても死なない撃たれても死なない。おまけに幻聴が酷い。語りかけて来るんだ。問題はこの幻聴がどこまで本当なのか…」
ロミュスは青い目をぐるりと回して止まった。
「ハーブレイ・ヘリングボーンは、」
急ブレーキがかかり、シートベルトに身体が減り込む。身体が重力に反するような、強制された浮遊感だった。後続車はなかったため追突は免れる。運転手は何も言わず、何もなかったかのようにアクセルを踏む。他のスーツも何も言わない。
「はいはい、ここではオウミ・ハーブレイって呼べって?で、オウミ・ハーブレイ。あの人こそ最大の犠牲者だよ!なんたって、その"顔見知り"と結婚しちゃったんだからさ」
「じゃあロミュスくんのお姉さん?」
セオノアは叫んだ。ロミュスが黙ってセオノアを見据えたため、車内は再び静寂に包まれる。
「オレに似てるとかいう…」
子犬のような甘い顔が尖る。眉間に皺が寄り、それは怒り以外のなにものでもなかった。
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「ノアさん、きょうだいいる?」
「いない」
セオノアは首を振りながら答えた。弟が欲しいと思ったことはあるが、やはり弟を持つことはなかった。たとえ今生まれたとしても兄弟にしては大きな年齢差がある。
「唯一の家族の死因になったヤツと、上手くやっていけるほどぼくは慈悲深い性格じゃないもんだからさ。なんであの人だけのこのこ生きてるんだろ?…オウミ様、ね。オウミ様、か」
ロミュスは繰り返した。セオノアは遠いところを見始めた青い目を横から見ていた。
「ここの守神に似てるんだ。だから手足ぶった切られたあの人が、オウミ様、オウミ様って、持て囃される」
ぶった切られた、という表現が生々しくセオノアは顔を顰めた。
「あのさ…!あ~…」
ロミュスはまた快活にまた話をはじめたが、直後に躊躇いを見せた。空気を咀嚼しているのか口をもごもごと動かした。セオノアは青い双眸を捉えた。逸らされる。
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「あの人のことなんて最初からどうだってよかった。もう関わりたくないくらいだったのに。許せないんだ。まだ姉さんにこだわるなんてさ。あれは謀(はかりごと)で、姉さんに必要だったのは遺伝子と腹だっただけのはずなのに。それでぼくは、幻聴が聞こえる狂人にされちゃったわけ。あんたを殺せ、ってさ。あの椰子油揚鳥類野郎には殺されかけたみたいだけど?」
「やっぱ、夢じゃなかったんだ」
傷も痛みもない首に触れた。泣き喚いたことも知られているのだろうか。恥ずかしくなってロミュスから顔を背ける。
「安心しなよ。陳皮鳥類野郎は大恩ある飼主によく似たあんたを殺せないんだから。…ぼくもパス。胸糞悪い。ここであんたを殺したとして10年くらいは忘れられないんじゃないかな。人殺すってそんなもんだよ」
互いに両端の黒スーツに肩を引かれ、距離を取らされた。やんねぇっ言ってんじゃん、とロミュスはぼやいた。
「ぼくは馬鹿で間抜けな根性無しの"オウミ様"に会うつもりないから、その辺に放り出しておいてくれる。ねぇノアさん。あんた、住民票移さないであっちの法律であの人と結婚しなよ。姉さんを解放してくれ。姉さんを殺したも同然なあの人とずっと籍入れっぱなしなんてつれぇからさ」
ロミュスはけたけた笑いながら言った。青い目の奥に焔が映る。車窓に大きな建物群が入った。中でも大きなビルにはフルールディマントータシェル株式会社の菱形の中に花が描かれた模様の甲羅を背負う亀のロゴマークが入っている。まるでひとつの都市の縮図のように思えた。駐車場はシャークスモールクレスト重工業株式会社の本社のものより広い。
「冗談だよ。あんたこそ、あんたは誰に利用されることなく生きてくれよ。浅はかにもスパイを好いちまった愚かな"知り合い"とは違う道を生きてくれよな。お節介な人生の先達者のアドバイスだ」
降り際に座ったままのロミュスは言った。後ろ手は拘束されたままだった。
「あとでバイク、乗せてよ」
「いいね、それ。海見に行こ。帰りに蕎麦食ってさ」
ロミュスは笑い、ドアは閉まる。ショーファードリブンカーは少年を乗せたまま去っていく。1人だけ降りた案内役のスーツの男が、あの者の言うことは真に受けませんよう、と言った。オウミ様はあの者がいうようなお方ではありません。そう続いた。トータシェル社には初めて入った。内部は暗く、黒タイルで張られ、ディスプレイが重苦しい空間を明るく見せていた。受付嬢たちは愛想が良く、エントランスに溶け込むよう黒と白を基調とした制服だが髪の色は明るく装飾品は鮮やかで、彼女たちはどこか無機質な場を彩る花瓶の如き扱いという感じがあった。ディスプレイからは会社案内の機械音声と靴音が響く。エントランス真ん中に座る女に案内役は話しかけた。眼球が動き、口が動く。ぎこちない。ディスプレイの光を浴びた肌の質感や唇の色合いに違和感がある。目は動くが案内役を見ていない。髪の毛の光沢も不自然で、それが女体を模した無機物であることが分かった。案内役はカードを受け取り、それをストラップに入れるとセオノアに渡す。青い紐を首に通し、ブラックライトが照るエレベーターに乗った。暗く重苦しく無機物で窓がないのは1階か下方の階だけのようでセオノアが降りた階は天井が低かったが廊下はガラス張りで明るかった。寂れた古めかしさまで感じられる。煤けた布製の床が靴音を鈍くしていた。黒スーツの男は立ち止まり、セオノアに対する。改まった態度で、ハーブレイの気持ちを掻き乱したり神経を逆撫でしたりするようなことは言うなというふうなことを言った。特に貴方の言葉には敏感なのですから、とさらに念を押される。
ハーブレイは眩しいくらいのガラス張りの廊下の最奥の部屋にいた。点滴に繋がれているが意識はあり、見た感じの健康状態も悪くはなさそうだった。特に驚く様子もなくセオノアを迎える。入ってきた廊下と垂直の壁にある大きな嵌め殺しの窓から大きな山脈が望めた。観覧車が小さく見えた。片田舎の風景は宝探しのような風情があった。ハーブレイは点滴を刺していない片腕にだけシリコンで覆われた義手を付け、電動車椅子をセオノアが意識を逸らしてしまった窓に向かわせた。
「この地はいいな。気分が凪ぐ」
「ロミュスくんに聞きました。お姉さんのこととか。なんでスティカさんが関わるなって言ったのかも、なんとなく分かりました」
ハーブレイは遠く山を眺めてから、俯き、一息吐くと顔を上げる。また山を見ていた。セオノアもその視線の先を追う。
「オレは、あの大きな機体に乗るんですか」
「…俺は、望まない」
そこで終わった。
「そうですか」
セオノアは窓から顔を逸らす。扉の脇で控えている黒スーツに目で合図した。サングラスの真上の眉毛が歪む。もう帰るのかと言わんばかりだった。
「じゃあ、試運転頑張ってください」
無難な言葉で別れを切り出すがハーブレイはびっくりした顔をした。
「待て。すまない。話を終わらせたつもりじゃない。何を言うべきか考えていた」
あまりの愚直さにセオノアも意表を突かれた感じがあった。黒スーツの小さな咳払いが聞こえた。
「ロミュスはきっと俺を恨んでいるだろうな。無理もない。唯一の肉親だった姉を死なせてしまったんだから」
「ロミュスくんのお姉さんとの結婚は、打算だったんですか」
霜柱のような睫毛と睫毛の間が縮まった。遠慮も気遣いもなかった。古傷を弄ばれた悲しみと首に纏わりついた痛みの覚えがそうさせた。
「あの女と結婚したのは打算だ。それ以外にない。結婚など、人生の墓場だな。一体どうしてそれを自ら望むんだ?」
「そういうものですか。分かりました。じゃあ籍はそのうち抜くんですか」
ハーブレイは放心しているように思えた。セオノアはハーブレイを呼び、2度目で我に返る。
「そうだな。それなら、近いうちに…」
「オレには関係ないんですけどね」
話はそろそろ終わったのだろうか。また黒スーツを一瞥する。反応は無い。
「セオノア。その…スティカが、すまなかったな。悪かった。許してくれとは言わない。君は死にかけたんだからな。だが、すまなかった。あの後スティカに聞いたんだが、君の過去のことを掘り返して脅したらしいな。そのことも、本当にすまなかった」
セオノアは黙ったまま黒スーツに目配せした。まだドアを開ける様子は見せないが、もう話すことなどなかった。ハーブレイとしては件の人型有人機動兵器にセオノアを乗せるつもりはないと言っているのだから、それが聞けたなら長居する必要もない。すぐに帰って、明日に備えて休みたいところだった。食材を買っていくのも良かったがまだ冷蔵庫を置いていない。
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