彩の雫

結局は俗物( ◠‿◠ )

文字の大きさ
8 / 339

8

しおりを挟む
 紅が出ていった夜も1人で寝ていた。長屋の部屋よりも少し広い。長屋にいた日々は紅が常に戸の近くに静かに佇み、2人部屋が実質1人だったため広く感じていた。それでも静かでも何も話さない小さな体躯でもその姿が見えると1人ではないということに安堵していた。だが今は。落ち着かずに城内を歩こうとすら考えた。縹はいるだろうか。会ったところで話すことはないけれど。ただこの城で知っている者、頼れる者は縹しかいない。情を捨てろと言った。立ちはだかる我慢しろと言った。きっとこの程度のことではない寂しさや悲しみがあるのだろう。灰白は敷いた布団の中に入り直す。長屋にあった薄く古びた布団とは違う。眩しいほど光沢のある素材の柔らかな布団。厚く、だが触れたら溶けそうな感触がある。背中が痛むこともなさそうだ。まだ夜にもなっていない時間だ。妖しい紫に少しずつ染まっていく窓の外を見ていると玄関扉が叩かれる。布団から飛び出て来訪者を迎えた。現れた円い目がぱちぱちと瞬く。小柄な黒髪の少女がいる。
「初めまして。今日から極彩様の身の回りの世話をさせていただく係となりました、紫暗と申します」
 紫暗と名乗る少女は頭を下げた。小動物を思わせる。
「世話係?」
 灰白はむしろ世話係は自分がなったつもりでいた。山吹の付き人とはそういうことではないのか。
「はい」
「なんで?わたし、山吹様の付き人だよ?」
「…えっと…山吹様の付き人というのは、いずれは婚約者になるという意味でしてですね…」
「婚約者…?」
「はい。…ご存知なかったですか?」
 紫暗は困惑した面持ちだが、灰白も縹の言葉の足りなさに困惑していた。仇と姻戚になる。一瞬にして体温が上がった。だがもともとは三公子の妾として潜入するはずだったのだ。誰と婚約しようが目的に変わりはない。
「極彩様?」
 紫暗の声が訝る。灰白は何でもない、と首を振った。
「でも、山吹様はそれでいいの?」
「お言葉ですが、山吹様は…」
 難しい顔で紫暗は説明する。婚約を理解することはなく、灰白を婚約相手だと理解することもなく、灰白との婚約に対しての是非を意思表示することもないのだと。
「そうかな」
 山吹には意思があるように思えた。深い関わり方はしていないけれど、竹林の奥で見せたもの、姿。
「ただ…三公子がおそらくこの先ご成婚なさることがないと思われるので…」
 紫暗は愛らしい顔に皺を寄せたままだ。もともとは三公子と婚約するはずだったが、突如変更になったのは何故なのか気になった。三公子が断ったのだろうか。
「それはどういうこと?」
 紫暗は目を見開く。知らないのか、と言った風な。もしくは知ってどうするんだ、という風でもある。
「三公子はとても気難しい方でいらっしゃいますから」
 紫暗が自身の左肘を労わるように撫でる。朽葉が賜死し、山吹は公子として認められていないらしい状態で三公子という立場は複雑なのだろう。
「三公子が婚約なさらない限り、あくまで極彩様は付き人ということになりますから気負わなくてよい…と、」
 灰白は紫暗を疑った。何か知っているのだろうか。それとも気付いてしまったのか。情を捨てろ。縹の忠告はまるで呪いだ。ここで斬り捨てるべきなのか。それが出来るのか。出来たとしてその後どうするのか。紫暗を見つめたままでいると、紫暗も妙な表情をした。
「縹様からの伝言です」
 紫暗は納得していないようだが伝言であるためか質問を投げてくることはなかった。
「そう。ありがとう」
 紫暗は一礼して玄関の前に静かに座る。
「ここにいるんだよね?」
「下がれとおっしゃるなら下がります」
 灰白は目の前に座るよう促す。紫暗は首を傾げたが灰白の対面に腰を下ろす。
「ふふ、良かった。なんだか慣れなくて」
 紫暗は立ち上がり、灰白を布団へ入れるように掛布団を翻す。灰白は布団へ横になり、肩まで布団を掛けられた。脇に座る小さな身体。
「では極彩様が寝るまで何か話しましょう」
 風月国に辿り着いた日からここに来る前日まで紅が話を聞かせていた。寡黙な紅はその外見からは思いもよらない経験を重ねていた。
「紫暗のことが知りたいな。他にもこの城の人たちのこと、教えてよ」
「私のことですか…自分は…」
 紫暗は口を開いて、止まる。視線が遠くへ投げられる。何かまずいことを訊いてしまったような気がして、話を逸らそうとすると、紫暗は続ける。
「よくある話で、つまらないですよ。食うに困ったからここで働こうと思ったんです」
 紫暗の紫暗自身の話は呆気なく終わる。この国には貧富の差がある。洗朱通りに寝転がる者と不言通りを行き交う者を見れば一目で分かることだった。
「つまらない話じゃないよ、紫暗は食べるためにここで働いているんだね。ここの暮らしは楽しい?それとも大変?」
「今はとても人手不足で。それまでは楽しかったんですけど。群青殿って分かります?多分極彩様を案内した人なんですけど」
 うん、と返事をする。
「基本的にはあの人の指示で動くんですけど、今にも過労で倒れてしまいそうで。なかなか気を遣うんですよね」
 ほぼ愚痴と化しているが紫暗のどこか開いた態度に気が楽になる。
「あ~、少し疲れた様子はあったかも」
 疲れたどころではなかった。それから顔も腫れ上がっていた。
「躍起になっていらっしゃるんですよ」
 正座する紫暗の膝の上に重ねられた小さな手を布団の下から取った。四季国の世話係にもこうしてもらっていた。紅にそうしてもらうわけにはいかなかったが。
「どうかしました?」
 紫暗がどうかしたのかと前のめりで灰白の様子をうかがう。四季国の世話係の中でも特に仲の良かった娘に背格好が似ていた。彼女はどうなっただろうか。視界が弱く滲む。
「手、握っててくれる?わたしが寝たら、下がっていいから」
 下がれと言うまで下がらないのかも知れない。ずっと傍にいさせるのは気が引ける。紫暗の手が灰白の手の下から擦り抜け、上に置かれる。柔らかく握られる。紅の小さく固い掌とも、縹の節くれだった白く細い指とも、山吹の無骨な指先とも違う、小さく柔らかく、滑らかなしっとりした手。
「極彩様、失礼します」
 目元を拭われた。灰白様、灰白お嬢様と慕っていた世話係たち。紫暗と同じくらいの年頃だった。
「突然環境が変わるのって、結構負担です。縹様にも群青殿にも報告はしませんから」
 紫暗の言葉に灰白は紫暗に抱き付いた。見た目通りの細い身体。肩に顎を預け、溢れる涙が紫暗の衣を濡らす。情を捨てろ。縹の言葉が何度も聞こえる。おやすみなさいませ。当然のように繰り返される毎日に疑うこともなく、最後に聞いた声。情を捨てろ。偽りの過去だけ持て。それが出来るか否か、自身に言い訳するのも億劫で、意識が沈んでいく。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

五年後、元夫の後悔が遅すぎる。~娘が「パパ」と呼びそうで困ってます~

放浪人
恋愛
「君との婚姻は無効だ。実家へ帰るがいい」 大聖堂の冷たい石畳の上で、辺境伯ロルフから突然「婚姻は最初から無かった」と宣告された子爵家次女のエリシア。実家にも見放され、身重の体で王都の旧市街へ追放された彼女は、絶望のどん底で愛娘クララを出産する。 生き抜くために針と糸を握ったエリシアは、持ち前の技術で不思議な力を持つ「祝布(しゅくふ)」を織り上げる職人として立ち上がる。施しではなく「仕事」として正当な対価を払い、決して土足で踏み込んでこない救恤院の監督官リュシアンの温かい優しさに触れエリシアは少しずつ人間らしい心と笑顔を取り戻していった。 しかし五年後。辺境を襲った疫病を救うための緊急要請を通じ、エリシアは冷酷だった元夫ロルフと再会してしまう。しかも隣にいる娘の青い瞳は彼と瓜二つだった。 「すまない。私は父としての責任を果たす」 かつての合理主義の塊だった元夫は、自らの過ちを深く悔い、家の権益を捨ててでも母子を守る「強固な盾」になろうとする。娘のクララもまた、危機から救ってくれた彼を「パパ」と呼び始めてしまい……。 だが、どんなに後悔されても、どんなに身を挺して守られても、一度完全に壊された関係が元に戻ることは絶対にない。エリシアが真の伴侶として選ぶのは、凍えた心を溶かし、温かい日常を共に歩んでくれたリュシアンただ一人だった。 これは、全てを奪われた一人の女性が母として力強く成長し誰にも脅かされることのない「本物の家族」と「静かで確かな幸福」を自分の手で選び取るまでの物語。

本物の夫は愛人に夢中なので、影武者とだけ愛し合います

こじまき
恋愛
幼い頃から許嫁だった王太子ヴァレリアンと結婚した公爵令嬢ディアーヌ。しかしヴァレリアンは身分の低い男爵令嬢に夢中で、初夜をすっぽかしてしまう。代わりに寝室にいたのは、彼そっくりの影武者…生まれたときに存在を消された双子の弟ルイだった。 ※「小説家になろう」にも投稿しています

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

王様の恥かきっ娘

青の雀
恋愛
恥かきっ子とは、親が年老いてから子供ができること。 本当は、元気でおめでたいことだけど、照れ隠しで、その年齢まで夫婦の営みがあったことを物語り世間様に向けての恥をいう。 孫と同い年の王女殿下が生まれたことで巻き起こる騒動を書きます 物語は、卒業記念パーティで婚約者から婚約破棄されたところから始まります これもショートショートで書く予定です。

つまらない妃と呼ばれた日

柴田はつみ
恋愛
公爵令嬢リーシャは政略結婚で王妃に迎えられる。だが国王レオニスの隣には、幼馴染のセレスが“当然”のように立っていた。祝宴の夜、リーシャは国王が「つまらない妃だ」と語る声を聞いてしまい、心を閉ざす。 舞踏会で差し出された手を取らず、王弟アドリアンの助けで踊ったことで、噂は一気に燃え上がる――「王妃は王弟と」「国王の本命は幼馴染」と。 さらに宰相は儀礼と世論を操り、王妃を孤立させる策略を進める。監視の影、届かない贈り物、すり替えられた言葉、そして“白薔薇の香”が事件現場に残る冤罪の罠。 リーシャは微笑を鎧に「今日から、王の隣に立たない」と決めるが、距離を取るほど誤解は確定し、王宮は二人を引き裂いていく。 ――つまらない妃とは、いったい誰が作ったのか。真実が露わになった時、失われた“隣”は戻るのか。

腹に彼の子が宿っている? そうですか、ではお幸せに。

四季
恋愛
「わたくしの腹には彼の子が宿っていますの! 貴女はさっさと消えてくださる?」 突然やって来た金髪ロングヘアの女性は私にそんなことを告げた。

ローザとフラン ~奪われた側と奪った側~

水無月あん
恋愛
私は伯爵家の娘ローザ。同じ年の侯爵家のダリル様と婚約している。が、ある日、私とはまるで性格が違う従姉妹のフランを預かることになった。距離が近づく二人に心が痛む……。 婚約者を奪われた側と奪った側の二人の少女のお話です。 5話で完結の短いお話です。 いつもながら、ゆるい設定のご都合主義です。 お暇な時にでも、お気軽に読んでいただければ幸いです。よろしくお願いします。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

処理中です...