彩の雫

結局は俗物( ◠‿◠ )

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「昨日は行けなくてすまなかったね」
 縹は昼前に離れ家を訪れた。どこか不機嫌な色を纏っていたが、灰白に当たるでもなく穏やかな笑みを浮かべている。
「群青殿は?」
「まだ眠っているよ。これで少し回復してくれるといいのだけれど」
 いつか倒れるだろうと思っていたが、それはあまりにも早かった。
「紫暗はどうして来ないんですか。世話係って日替わりでしたっけ。蹴られたところが悪かったとか…ですか…」
 縹は灰白から顔を背けた。
「情は捨てなさいと言ったよね。彼女が心配かい」
「だって…わたしのこと考えていてくれたし…」
「公子に手を上げれば死罪。たとえ非がなくともね。彼女は責任を感じてそれを被った」
 灰白の身体が自然に動く。どこへ行くのかも分からないまま。ただ珊瑚の部屋が頭に浮かんでいた。縹の手が灰白の腕を強く掴む。
「どこへ行くつもりかな」
「…っ、死罪って、」
 冷静な面をした縹を睨む。
「今ここは人手不足でね。執行人がいない。いるにはいるけれど、過労で寝込んでいるから」
「じゃあ群青殿が目覚めたら、…紫暗は殺されるってこと、ですか」
「ボクが書類作ったからボクの許可なく執行は出来ないよ。特に群青くんみたいに紙面の決まり事ばかりの類の者は。ただ」
 灰白は、ただ…と繰り返す。縹の言葉に焦れている。
「情は捨てろと言ったはずだ。足枷だ」
 不機嫌の理由はこれなのか。また新たに呪いがかかる。
「情を捨てろっていうのは、見殺せってことですか。何も気にするなってことですか。目の前で理不尽に殴られて蹴られても、気にするなって意味ですか。紫暗は…わたしの仇に関係ない」
「関係の有る無しこそ関係がない。無関係の者も、見ず知らずの者も巻き込むのが仇討ちだ。直接だろうが、間接だろうが。その覚悟はやはり君にはなかったのかい。亡国を思い出しなさいな。君が失ったものは世話係か?違うだろう。何のために護衛と決別した。これでは彼も安穏には暮らせないな」
 あくまで穏やかな口調が灰白には冷たく感じられる。真っ直ぐ見ることが出来ず、俯いた。
「彼女は君を庇った。群青くんに妙なことは言わないようにね。それは無理かな。でも君は何を成すのかもう一度考えて」
「仇はちゃんと討ちます…」
 声が小さくなってしまう。結構。縹は穏やかな表情を崩す。
「この国は朽葉様を不要と見做みなした挙句殺した。こんな国滅ぶべきだ」
 話はそれだけだよ、と縹は踵を返す。
「…縹さんは情を捨てろと言うけど、紫暗の命を助けてくれてありがとうございます」
 縹は足を止めたが、何も返さず去っていく。
「紫暗…ッ」
 灰白は力が抜け、膝をつく。明るい空を窓から見上げた。死罪。暴力から庇っただけだ。だが善悪の判断もせず咄嗟に珊瑚へ掌を振り下ろしたのは灰白自身だった。厨房で見た殺伐とした光景、廊下ですれ違う者の不自然な傷。抵抗することもなく耐えていたのだ。今まで何人が処されたのだろう。理不尽な暴力に抗って。込み上げるものを押さえ、山吹の部屋へ向かう。
 山吹の体調はすっかり良くなっていた。部屋を走り回っていたが灰白の姿を認めると足を止め、方向転換し勢いよく抱きついた。
「ごくさい、くもり。あめ。ごくさい」
 山吹はぽんぽんと背に回した手で灰白を叩く。珊瑚を助けてほしい、または支えてほしいという山吹の頼みは叶えられない。
「しあん」
「紫暗は来ません」
 言葉にすると、不本意な感情が連れられてくる。山吹の手が灰白の後頭部へ上がる。
「ごくさい、しあん、やまぶき…」
 山吹の声音が下がる。後頭部を撫でられる。
「珊瑚様のことは、わたしには無理です」
「やまぶき、たいよう。ごくさい、あられ」
 山吹が気を遣っている。
「わたしも元気です。山吹様が元気になってくださってよかったです」
 山吹はくるりと視線を宙に投げてから灰白の手を取る。そして部屋を飛び出した。歩幅が違い、山吹は足が速かったため何度か転びそうになる。
「ぐんじょ!」
 執務室の扉を容赦ない力で連打する。扉が壊れそうで灰白は山吹を止めた。
「ぐんじょ!やまぶき、かみなり」
「はい」
 群青がゆっくり扉を開ける。
「やまぶき、かみなり!ごくさい、しあん、がらす」
 群青はまだ隈を残している。灰白と山吹を交互に見遣る。山吹の怒りの理由は灰白にあると踏んだらしい。
「しあん、やまぶき、しあん。ごくさい、あられ。やまぶき、かみなり」
「紫暗…?ああ、あの下回りの…申し訳ありませんが、昨日の記憶がございません」
「…珊瑚様の部屋の前で倒れたの。過労らしいけど。もう大丈夫なの」
「さようでございましたか。ご心配をおかけしました」
 簡潔に説明する。群青は眉を顰めながら床を凝視している。目が一度見開く。
「思い出しました」
 寒気がした。どこまで思い出したというのだろう。灰白が珊瑚に手を上げたところまでか。
「やまぶきかみなり。しあん、ぐんじょ」
「山吹様。少々お待ちください」
 山吹が群青に訴える。
「極彩様」
 群青の目が灰白を捕らえる。灰白は拳を強く握った。言ってしまいそうで、言うそうにない。死罪。縹がどうにか処理したらしいが、紫暗は汚名を被った。
「極彩様、どうかなさいましたか」
 山吹が群青との間に割って入り、灰白の背を撫でる。
「紫暗はどうなるの…」
「申し訳ありませんが、その件につきましては縹殿が担当したので、わたくしの知るところではありません」
 都合が悪そうにわずかに顔が伏せられる。仕事を途中から放棄せざるを得ない状況になったことが気に入らないらしかった。
「しあん、つばめ」
「彼女は懲罰房にいます。ですが懲罰房へ入ると3日間面会が出来ませんので、3日、ご辛抱くださいませ」
 群青の無感情な声が苛立った。
「今までこういうこと、何度かあったの?」
「はい。わたくしが担当したのは3件ほどです」
「そのたびに死罪になるのね」
「はい」
 あまりにも軽く中身のない返事に灰白の握った拳は震える。
「群青殿はどう思ってるの」
「わたくしは規則に従うまででございます。そこに私情は必要ありません」
 癪に障った。冷ややかに嗤われているような気がした。
「ごくさい」
 山吹がまた背を撫でる。山吹には些細な感情の機微を悟られてしまう。
「では、失礼します」
 恭しい一礼も空虚なものに見える。
「ごくさい…」
「珊瑚様のことは、ごめんなさい」
 山吹の部屋へ戻る。山吹に本を読み、竹笛の練習に付き添い、与えられていた教本に沿い指導する。高い学や特殊な知識を必要としないものだった。だが灰白は内容をほぼ覚えていない。脳裏に紫暗と珊瑚と群青が浮かんでは消える。
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