彩の雫

結局は俗物( ◠‿◠ )

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 1日の仕事を終え、紫暗と面会し、夕食や入浴を済ませると布団に入る。紫暗以外の世話係になかなか慣れず、早々下がらせてしまった。何か果物が食べたくなり、厨房へ向かう。林檎を大量に仕入れてしまい、数十個が食堂に置かれている。自由に食せということだった。籠の中に長持ちしないようなわずかな傷みのある林檎が大量に置かれていたのを思い出す。その話を聞いてから少しずつ林檎を食べたい欲が湧いていた。厨房近くの大浴場に明かりが点いている。女湯の暖簾が光に透け、暗い廊下に人影を浮かび上がらせる。鮮やかな赤のローブに散る色素の薄い毛。
「縹さん?」
「おや、君か」
 女湯の前に置かれた竹の長椅子に腰掛けている。覗きにしては堂々とし過ぎている。
「何してるんですか」
「…覗き」
「え、」
「見張りだよ。変な意味ではなくてね」
 近付いてから大量の紙をはさみで細かく切り刻んでいる。雪よりは粗いが、時折黒を滲ませた白い紙片が屑籠に散っていく。
「見張りって、誰の?」
「あの芸妓げいぎさんだよ。恥ずかしがり屋でね。そもそも彼女はもてなすべき相手だからね。誰も入らないように見張っているんだ。本職は呑んだくれ、副職は女湯の見張り、内職に公務。最高な暮らしだね」
「花緑青殿、一室借りたって聞きましたけど、そこには無いんですね」
「来賓用の浴室が今改修中でね。君の使ってる第一浴場はこの時間もう止まっているんだ。彼女も本業の修行とかあるからこの時間になってしまう」
 灰白の使う離れ家に浴場はあるが外側から板で封じられている。外から見ても狭そうで使えたとしても来賓に使わせられるようなところではないのだろう。
 鋏(はさみ)の音がする。屑籠は刻まれた紙で何層にもなっている。まだ仕事中なのか不似合いなローブを身に付けたままだ。
「君は?眠れないのかな」
「いいえ。リンゴがいっぱいあったから食べようと思って。縹さん、剥いたら召し上がりますん」
「そうだね、もらおうかな」
 じゃあ剥いてきます、と灰白は厨房へ向かう。2人分を剥いて爪楊枝を刺す。大浴場の前で縹は手を止めることなく不要になった書類を切り刻んでいる。
「不思議なものだよ。君のことを何も知らない。まさか林檎の皮剥きが出来るとは」
 いただくよ、と林檎を口に入れた。
「ちゃんと話していませんでしたもんね、色々なこと」
「…いや、忘れてくれ。それでいいんだ。そのほうが良い。君を利用して、斬り捨てるのだから」
 林檎は甘酸っぱかったが中身が詰まっていた。四季国の物よりもしっかりした味だ。傷のあった部分は削り取ってしまったため少し歪になっている。
「君の過去を要らないと言ったのはボクなのにね。少しだけ、触れたくなってしまうよ。少しだけ…」
「いくらでもお教えしますよ、縹さんになら」
 縹は穏やかに微笑を浮かべる。片側の顔は闇に呑まれている。
「いや、ボクにはそれを返すだけの過去がないから遠慮するよ。一方的に聞くのは良しとしない」
 細い指に摘まれた紙が繊維を断たれ消えていく。試し押しなのか余白に連打された印が裂けていくのを見て思い出す。あの日縹が押印していた姿と、群青が代わりに印を押させていた姿。
「そういえば、群青殿から珊瑚様のお話って聞きました?」
「君の世話係から聞いたよ。群青くんも療養中とはいえ、まさか外の話を牢屋の中の人から聞くなんてね」
「すぐに言わず、すみません」
 新たな紙が摘まれ、縦に切り込みを入れられ、横に切られて散る。紫暗が縹に話していたらしい。紫暗は縹に話したことを言わなかったが。群青と時間的な機会が得られず話せていないか、もしくは優先事項としては下のほうなのかも知れない。
「結論がまだ出ていなくてね。君の本心がどちらにあるか、測りかねるが君の意思を出来るだけ尊重したい」
「わたしが山吹様の付き人になったのって、もしかして珊瑚様の情緒が不安定だからですか」
 灰白なりに言葉を選んだつもりだったが縹はおかしそうだった。
「それもある。口実といえばそうだね。彼が恐れているのは内部の権力争いだ。彼の被害妄想で済む程度ならいいのだけれど、生憎妄想ではすまなそうだ」
「二公子が帝位に就いたら…って話は何度かしていまいたけど、それですか」
「今の段階ではそれまでだ。まだどちらにするか指名もない。二公子は帝位に就きたがる性分ではないしね…でも、その時期を早めるのは、君とボクだよ」
 縹の穏やかな声が低くなる。朽葉がいなくなったことで不安定な立場がさらに不安定になってしまったということか。
「珊瑚様は昔から…ああいった様子なんですか」
「もともとだよ。朽葉様の死がさらに三公子を不安定にさせたのは間違いないけれど」
 珊瑚の怯えた目は鮮明に焼き付いている。群青への辛辣な詰りも。花緑青への疑心も。
「そうだったんですか」
「朽葉様はボクに手紙をくれたんだ。自刃する前の晩だった。最期も匂わせない短い文だったよ」
 林檎の噛む音も鋏の音も消えていたことに、また音がしてから気付いた。
「自死を命じられた時、何を思ったのか時々考えてしまう」
 白い手に支えられた紙が刃を受け入れていく。
「優しく明るい男だった。2つ下だったけれど、時には兄のようで、弟のようだったよ。…彼がこの国の天辺に立つことをずっと望んでいたのにな。ボクがここを辞め…」
 大浴場から現れる人影。タオルを頭に乗せた夜着姿の花緑青。顔の紋様が落ちている。それが恥ずかしいのかタオルで顔を隠してしまったが、逆光しているため素顔はよく分からない。
「あら、極彩様」
緑青ろくしょう殿。リンゴ、食べます?」
「はい、いただきます。あの…こちらで何を?」
 皿を差し出すと、顔を隠すタオルの下から林檎を口に入れた。
「リンゴ食べたくなっちゃって。ほら、余分に仕入れちゃったらしいから」
「まぁ、良かったですわ。縹様が退屈しているんじゃないかと思って。縹様、ありがとうございます」
「お安い御用だよ」
 まだ破棄すべき書類は多かったが縹は脇に抱えて屑籠を抱く。
「ではお休みなさい」
 灰白は空になった皿を取って、厨房によってから離れ家に戻る。花緑青が、縹と共にいた灰白を見た時に驚いたような戸惑った顔をしていたのを逆光の中で微かに見た。気付いてはいけない甘酸っぱさなのではないかと思い、灰白は口元を緩めた。
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