彩の雫

結局は俗物( ◠‿◠ )

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 灰白は起き上がらない珊瑚をただ見下ろす。虚しい姿だった。何の達成感も優越感もない。公子扱いされない山吹の教育課程にも簡単な武芸があった。だが珊瑚には武芸を習った気配がない。朽葉も二公子も武芸は身に付けないのか。
「一方的に何かを痛めつけられる立場にいるのって楽しい?わたし、もう疲れたよ」
 灰白は楽しいとは思わなかった。珊瑚は楽しいのだろうか。楽しがっているようには思えない。
「俺にこんなことして、ただで済むと思ってんの?」
「わたしは一度もあなたに手を上げてない。あなたが勝手に転んだだけ」
 紫暗の姿。抵抗せず、平伏す雑用係や群青。手を出せば死罪。灰白は手を出したつもりはない。だが珊瑚が言えばこれも死罪に当たる可能性はある。
「わざとだろうが、コケにしやがって!」
 仇を忘れていたつもりはない。死罪。朽葉の目。縹の声。紅の掌。四季王の背中。仇を討たねばならない。灰白の身体が瞬時に熱くなる。殺すか?物騒な提案が浮かんでしまう。死罪になれば仇は討てなくなる。前に縹に言った言葉が突き刺さった。風月王だけが仇で、その他関係のない者を傷付けるつもりなどなかった。仇の息子でも傷付けるつもりはなかった。だが今、背に馬乗りになり背後から首を捻れば叫ぶ間も与えず殺せる。その技術を四季国で得ている。
 仇は討つ。でもこの者は仇の息子であって仇ではない。だが死罪が確定してしまうのならここで仇から何かひとつ奪わねばならない。
 仕方がない。誰かに乱暴するのなら自分も乱暴される覚悟が必要だ。だがその程度も範囲も選べないのが、世の摂理。言い訳が次々と溢れ出す。口の中が乾く。選択肢として浮かんでも迷いはある。仇は討てなくなる。迂闊さを呪う。珊瑚を殺せば、生き地獄が待っているだろう。仇の息子では意味がない。詐称とはいえ叔父ということになっている縹もまた汚名を着、期待を裏切る。紅との誓いを反故にし、朽葉の厚意を無駄にする。
 迷っているうちに珊瑚は起き上がり灰白を殴る。頬に衝撃が走り、それは熱となり痛みに変わる。体勢を崩して腰を床へ打ち付ける。頭がついていかず呆然と目の前に立ち、陰を作る男を見上げる。逃さないとばかりに珊瑚は灰白の髪を掴んだ。感覚が研ぎ澄まされる。迫る拳が遅く感じた。だが避けられない。顔や頭に鈍い衝撃が叩き込まれる。
「どうしたんだよ。さっきみたいに逃げろよ」
 暴力の雨が止む。殴るほうも痛いはずだ。歯によって切れた口内で話すのが面倒になり灰白は黙っていた。この城に来た日、縹も口角を切らしていた。疼く頬骨。群青の痣は目を引いたものだった。白黒にちかちかする視界。紫暗や下回りたちはこのような目に何度遭ったのだろう。
「受け止めるから、どうぞ続けて」
 髪は掴まれたままだが構わずに頭を引いた。
「バカにするなよ…!」
 珊瑚の愉快そうな表情が崩れ、引き攣らせている。
「誰かが受け止めれば、気が済むんでしょ…?わたしが受け止める…」
 腹部を蹴り上げられた。胃がぐっと迫り上がる。うっ、と小さく呻いて腹を押さえた。慎重に息をする。
「何様になったつもりだよ!つまらない自己犠牲で!俺に手ぇ出す覚悟もねぇくせに!」
 珊瑚の脚が浮く。回し蹴りが首に当たるが瞬時に見切って息を止める。力の方向に微妙に身体を傾け、痛みはあるが和らげることが出来た。
「命は惜しいよ、わたし1人だけのものじゃないから」
 独特の甘みを纏った唇を舐める。熱を持っている。腫れている気がした。口内同様、歯で切ってしまった。
「愚民はいいな?粛清される心配もねぇ!」
 乾いた音がする。だがすでに耳鳴りで珊瑚の怒声以外、聴覚が働くことを拒否している。頭の中で痛みが響く。
「外野が!何のカンケーもないクセに!」
「粛清される心配はないけど、理不尽な暴力と、理不尽な死罪とは隣り合わせだね」
 ばつん、がつんと灰白の頬は打たれていく。光る視界。耳鳴り。口の中が不快な甘みを帯びていく。頭痛に眉を顰めた。
「知るかよ!俺が決めたコトじゃねーよ!勝手に殺されて!処分しました、あぁそうですかって、紙切れ1枚で済まされる!それだけの価値なんだよ、お前らは!」
 珊瑚の息切れしていた。攻撃が止む。灰白は倒れ込む。意識はしっかりとあるが起きていられない。
「…だから、平気で手を上げられるんだ、」
「悪ぃかよ」
「…誰かに手を上げた時、自分もまた危険に晒すってことは分かっておいて」
 身体中が痛い。首に蹴りが入った時に喉を痛めてしまい声が出づらい。
「紙切れ1枚の愚民にも矜恃はあるから」
 よろよろと立ち上がり、故意的に薄ら笑って挑発する。処された者たちがどこか襲撃を受けた四季国と重なってしまう。風月国にあるような道具はなく技術も文化も無かったけれど、豊穣で穏やかな国だった。蹴られた腹が鈍く痛む。
「約束ね。他の人には乱暴しないで」
 息をするのも身体のどこかが軋む。四季国での武術の稽古が懐かしい。褒められたことはやはり思い出す限り記憶にない。だが好きだった。上達しても師は良い顔をしなかったけれど。
「あなたに抗って処された人たちの業も、不安もわたしを殴って、蹴って、罵ったら消えるかも知れないから」
 大きく息を吐く。珊瑚の暴力を待つ。逃げたがる身体。目を逸らすなと、一度だけ強く目を閉じた。
「明るい未来がないなんて、つらいもんね」
 ふと目を向けたところに朽葉の姿が描かれた大きな札があった。光沢を帯びた写実的なそれは、四季国にはない写真というものだった。勤めていた茶屋の壁にも飾られていた。そしてその写真の前に置かれた逆さのグラスと広げられた懐紙の上の菓子。厨房で見えた怯えた目。山吹の部屋へ急ぎ足の背。何も感じていないはずがない。この感情的過ぎる少年が。兄の死に。
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