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「知って、どうする」
分かりません。答えられていたのか、答えていないのかすらも分からなかった。この手で突き刺したのだ。知ってどうするのか。逃げ出したではないか。逆光する淡い色の毛が師と重なる。幼い日を思い出し、縹を見るのをやめた。
「君が望んだことを、彼自身は望まなかった。もしくはこれが彼の望み…幸せだった」
「知っていたんですか。…分かってたんですか、こうなること」
目の前が真っ暗になる。一瞬とたたずにそして視界を取り戻す。
「計画したのはボクだからね」
また目の前が暗くなった。瞬きとは違う。汗が噴き出すほど暑くなり、直後に身を震わせるほど寒気がした。
「巻き込んだんですか、紅を」
「それだけではないよ。利用した。君の師、共々」
眩暈だろうか。視界が光る。暗くなり、そしてまた色を取り戻し。繰り返される間隔が短くなっていく。無意識に素早く瞬いているのかと思ったが、瞬きとは違った。
「わたしが不甲斐ないあまりに…」
「違うよ。事情が変わったんだ」
縹がまた灰白へ身体を向けた。目元を押さえていた腕を下ろす。墨汁を垂らしたように視界が黒く滲んでいく。
「君を裏切って、心身ともに傷付く結果になってしまった。本当に、済まなく思う」
淡い色の髪が揺れる。縹はゆっくりと頭を下げた。
「お互い目的の為に斬り捨て合う関係ですよね。いいんです。…頭なんて下げるな」
後ろ手に静かに閉扉する。頭を下げたままの縹が視界を流れて消えていく。額に触れる。視界がまた暗くなり、何度も何度も色を取り戻す。四季国の夜空で見た一点の光に似ている。見慣れない廊下を戻る。窓から入る日の脚を潜り抜けながら。やはり灰白以外の誰の姿もなかった。城にも誰ひとりいないのではと錯覚を起こすほど静かだ。窓のすぐ近くの木に止まっていたスズメが飛び立つのを陰で認めた。ふわりと鼻をついた甘酸っぱい香り。誘われた。匂いを追う。嗅いだことがある、柑橘に似た、だがもう少し甘味とそれを緩く包む酸味のある香り。嗅いだことがあるのは確かだが、思い出せない。見慣れない廊下の知らない角を曲がる。記憶を拾い集めながら漠然とした戻るべき場所から遠ざかっていく。眉根から対面の目元に斜めに走った傷が一度大きく存在を主張した。甘酸っぱい香りが染み入っているようだった。顔面を走っていく簪。藤の花の飾りが揺れる光景。熟れた桜桃の瞳。花緑青から薫ったものと同じだと気付いた頃に目に入った落し物。廊下に横たわる折鶴。何度も折られた跡のある柔らかくなった紙で作られていた。腰を曲げ拾い上げると香りが強くなった。この先に香りの正体があるのではないかと灰白は扉に手を掛ける。植物か、空気に溶けて薄まった腐った果物か。開け放った瞬間、天井を見上げてしまった。広い部屋を等分する欄間のはずされた鴨居から垂らされた縄。末端は輪になっている。真っ白い装いの泣きじゃくる下回りの男が灰白を赤くなり濡れた顔で見上げた。椅子の上に乗った後ろ姿が身を翻し、4つの双眸が刺さる。甘酸っぱい香りが鼻に纏わりついたまま頭の中が真っ白になくせ視界は暗闇と光を転々としている。脳裏で遠雷を見ている。
椅子を踵で蹴り倒す。右腕が使えず左肘で床に転落する身体に馬乗りになって顎を捕らえる。力任せに後頭部を押し付ける。
「飼い犬風情が手前勝手に死に方を選べると思ってるの」
真っ白い装い、死装束の下回りが駆けずり寄ってひたすらに頭を床に振り下ろす。痣が浮かぶ顔に一筋雫が流れていく。眦を伝い、茶けた黒髪の中に入っていく。
「死な…せて、ください…」
絞り出された言葉に灰白は嗤った。極彩様、ご容赦ください、と下回りは頭を下げ続ける。
「飼い犬がどうしてそんな意思を持つの。飼い犬でもあなたは駄目犬だ」
真新しい傷だらけの顔が歪む。長い睫毛が濡れて光った。眉間に深く皺を刻み、眇められた目から止め処なく涙が零れて、灰白の手に触れた。
「死な…くださ……ッ、もう、わたくしは…」
「襤褸雑巾としての役目も果たせないの?何のために汚れてきたの。正絹にでもなりたいの?」
掴んだ顎を揺らす。下回りの男が、お許しください、ご容赦くださいと叫ぶ。
「洗朱の人たちは焼け死んでいったのに?あの死にかけの刺客は滅多刺しになったのに?気楽なものだね!ご主人様がお偉いと、首括って死ねるんだ?」
群青の悲鳴が、嗚咽が漏れて唸って響く。
「あなたは犬なんだから、心なんて要らない…罪悪感なんて要らないでしょ…?」
上体を倒し、顔を近付ける。波打った髪が群青の頬に降りかかる。目を閉じ群青は漏れ出る声を殺そうして、それでも溢れた。
「死神になってあげる。見ててあげる。わたしが」
乱暴に顎を放し、灰白は頭を下げ続ける下回りの男の前に立つ。怯えた目を向けれた。
「何、それ。物騒」
下回りの男の脇に置かれた剣を持ち上げ、投げる。鈍い音が耳障りで顔を顰めた。
「軽蔑はしないよ。むしろ素晴らしいって。風月国に殉じるんでしょ。…次があるなら……次があるなら利用されるだけの飼い犬じゃなくて、無条件に愛でられる鳥に生まれること、わたしも祈ってるよ」
立ち上がらない群青に吐き捨て、垂れ下がる輪を見上げる。さようなら。口にはしなかった。だが内心で誰に向けてでもない別れが強く思い浮かんだ。
分かりません。答えられていたのか、答えていないのかすらも分からなかった。この手で突き刺したのだ。知ってどうするのか。逃げ出したではないか。逆光する淡い色の毛が師と重なる。幼い日を思い出し、縹を見るのをやめた。
「君が望んだことを、彼自身は望まなかった。もしくはこれが彼の望み…幸せだった」
「知っていたんですか。…分かってたんですか、こうなること」
目の前が真っ暗になる。一瞬とたたずにそして視界を取り戻す。
「計画したのはボクだからね」
また目の前が暗くなった。瞬きとは違う。汗が噴き出すほど暑くなり、直後に身を震わせるほど寒気がした。
「巻き込んだんですか、紅を」
「それだけではないよ。利用した。君の師、共々」
眩暈だろうか。視界が光る。暗くなり、そしてまた色を取り戻し。繰り返される間隔が短くなっていく。無意識に素早く瞬いているのかと思ったが、瞬きとは違った。
「わたしが不甲斐ないあまりに…」
「違うよ。事情が変わったんだ」
縹がまた灰白へ身体を向けた。目元を押さえていた腕を下ろす。墨汁を垂らしたように視界が黒く滲んでいく。
「君を裏切って、心身ともに傷付く結果になってしまった。本当に、済まなく思う」
淡い色の髪が揺れる。縹はゆっくりと頭を下げた。
「お互い目的の為に斬り捨て合う関係ですよね。いいんです。…頭なんて下げるな」
後ろ手に静かに閉扉する。頭を下げたままの縹が視界を流れて消えていく。額に触れる。視界がまた暗くなり、何度も何度も色を取り戻す。四季国の夜空で見た一点の光に似ている。見慣れない廊下を戻る。窓から入る日の脚を潜り抜けながら。やはり灰白以外の誰の姿もなかった。城にも誰ひとりいないのではと錯覚を起こすほど静かだ。窓のすぐ近くの木に止まっていたスズメが飛び立つのを陰で認めた。ふわりと鼻をついた甘酸っぱい香り。誘われた。匂いを追う。嗅いだことがある、柑橘に似た、だがもう少し甘味とそれを緩く包む酸味のある香り。嗅いだことがあるのは確かだが、思い出せない。見慣れない廊下の知らない角を曲がる。記憶を拾い集めながら漠然とした戻るべき場所から遠ざかっていく。眉根から対面の目元に斜めに走った傷が一度大きく存在を主張した。甘酸っぱい香りが染み入っているようだった。顔面を走っていく簪。藤の花の飾りが揺れる光景。熟れた桜桃の瞳。花緑青から薫ったものと同じだと気付いた頃に目に入った落し物。廊下に横たわる折鶴。何度も折られた跡のある柔らかくなった紙で作られていた。腰を曲げ拾い上げると香りが強くなった。この先に香りの正体があるのではないかと灰白は扉に手を掛ける。植物か、空気に溶けて薄まった腐った果物か。開け放った瞬間、天井を見上げてしまった。広い部屋を等分する欄間のはずされた鴨居から垂らされた縄。末端は輪になっている。真っ白い装いの泣きじゃくる下回りの男が灰白を赤くなり濡れた顔で見上げた。椅子の上に乗った後ろ姿が身を翻し、4つの双眸が刺さる。甘酸っぱい香りが鼻に纏わりついたまま頭の中が真っ白になくせ視界は暗闇と光を転々としている。脳裏で遠雷を見ている。
椅子を踵で蹴り倒す。右腕が使えず左肘で床に転落する身体に馬乗りになって顎を捕らえる。力任せに後頭部を押し付ける。
「飼い犬風情が手前勝手に死に方を選べると思ってるの」
真っ白い装い、死装束の下回りが駆けずり寄ってひたすらに頭を床に振り下ろす。痣が浮かぶ顔に一筋雫が流れていく。眦を伝い、茶けた黒髪の中に入っていく。
「死な…せて、ください…」
絞り出された言葉に灰白は嗤った。極彩様、ご容赦ください、と下回りは頭を下げ続ける。
「飼い犬がどうしてそんな意思を持つの。飼い犬でもあなたは駄目犬だ」
真新しい傷だらけの顔が歪む。長い睫毛が濡れて光った。眉間に深く皺を刻み、眇められた目から止め処なく涙が零れて、灰白の手に触れた。
「死な…くださ……ッ、もう、わたくしは…」
「襤褸雑巾としての役目も果たせないの?何のために汚れてきたの。正絹にでもなりたいの?」
掴んだ顎を揺らす。下回りの男が、お許しください、ご容赦くださいと叫ぶ。
「洗朱の人たちは焼け死んでいったのに?あの死にかけの刺客は滅多刺しになったのに?気楽なものだね!ご主人様がお偉いと、首括って死ねるんだ?」
群青の悲鳴が、嗚咽が漏れて唸って響く。
「あなたは犬なんだから、心なんて要らない…罪悪感なんて要らないでしょ…?」
上体を倒し、顔を近付ける。波打った髪が群青の頬に降りかかる。目を閉じ群青は漏れ出る声を殺そうして、それでも溢れた。
「死神になってあげる。見ててあげる。わたしが」
乱暴に顎を放し、灰白は頭を下げ続ける下回りの男の前に立つ。怯えた目を向けれた。
「何、それ。物騒」
下回りの男の脇に置かれた剣を持ち上げ、投げる。鈍い音が耳障りで顔を顰めた。
「軽蔑はしないよ。むしろ素晴らしいって。風月国に殉じるんでしょ。…次があるなら……次があるなら利用されるだけの飼い犬じゃなくて、無条件に愛でられる鳥に生まれること、わたしも祈ってるよ」
立ち上がらない群青に吐き捨て、垂れ下がる輪を見上げる。さようなら。口にはしなかった。だが内心で誰に向けてでもない別れが強く思い浮かんだ。
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