彩の雫

結局は俗物( ◠‿◠ )

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 杏と別れ、不言通りを歩く。通りすがりの者が柔らかい懐紙を渡す。大丈夫かと声を掛けられ、頭を下げる。医者を呼ぶかと問われ首を振る。手術するならあの診療所の腕が良いと教えられ適当に躱す。停留している牛車ぎっしゃを見かけ、そこからは牛車に城へと帰った。離れ家で泥と血で汚れた手を洗い、言われたとおりに杏から渡された布を捨てた。粉塵が付着していた。っため屑籠に掛けられた、やたらとうるさい透明の袋を結び、新しく掛け直す。着ていた衣類も脱いだ。杏が気にしていたのは瓦礫の砂埃だったらしい。内側に畳み込む。
「極彩様、お帰りなさいませ」
 着替える極彩のもとに紫暗がやって来る。極彩が脱いだものを拾おうとする。
「それ、埃で汚れてるから下洗いしてもらってくれる」
 紫暗は、はいと返事して数秒極彩を見ていた。
「帰りに救急箱を持ってきますから、少々お待ちください」
 外通路を歩いていく小さな後ろ姿を見送って、蒸し暑さに窓を開ける。強い風が吹き込んで窓硝子を鳴らした。あと少しすれば茹るような暑い季節になるはずだが風月国はどうなるのだろう。杏は気候が安定してから来るようにと言っていた。城の周りの木々と引幕、窓枠を鳴らし、軋ませる。耳元では巻かれた毛先が踊っている。生温い強い風が好きだった。何かが起こりそうで。それが災厄をもたらす可能性があることも風に吹き飛ばされて。紫暗の声がさざめきの外で聞こえた。
「極彩様、お待たせしました。あの、群青殿が…」
 紫暗が離れ家に入ってきて、ちらりちらりと玄関を見る。磨り硝子の奥に見える群青の影を一瞥する。見知った格好ではなく緩い衣を身に纏っていた。紫暗に向き直る。
「下洗い、頼んでくれた?」
「はい」
 不意を突かれたらしく紫暗は返事に一呼吸を遅れた。手当するまでお待ちください、と群青に言って紫暗は極彩の傷を拭き取り、軟膏を塗る。血は止まっていた。
「ガーゼ当てます?瘡蓋ごと剥がしそうなので…」
「塗り薬だけでいいよ」
 手にした木綿糸の布を置いた紫暗に、礼を言って下がらせる。すれ違いに群青が入ってきた。土間で怯えた目が泳ぐ。
「上がったら」
何も言葉を発さない群青を放って開け放ったままの窓へ足を下ろす。群青はのろのろと上がりかまちを跨ぎ、部屋へ入る。
「ご迷惑をお、」
「迷惑なんてかかってないけど。テキトーなこと言わないで」
 頭を下げる群青を一度振り返ったが溜息をついて空を眺めた。この時期の風月国は空が赤くなるようだ。
「感謝しております。極彩様が来てくださらねばきっと、わたくしは…」
「そう?恨まれてると思った。…わたしはあなたのこれから続く人生、責任取れないし」
 群青は黙る。ゆったりした衣の音がするが、それも吹き込む風に消えていく。弱い風が勢いを増し、室内を揺らす。
「わたくしは世話係を死なせました」
 窓から見える雑木林がざわめく。四季国にいた時から不気味な木々のざわめきが好きだった。何してるんですかと世話係たちに訊かれ、そしてまたやってるんですかと笑われる。風月国でもずっとこうしていればいつか四季国の者が来てくれはしないかと。
「それだけではなく…三公子と極彩様のお気持ちも何も考えず…関係ない者を殉死させようとして…」
 極彩は相槌を打つこともせず窓枠に肩を預ける。洗朱地区の方角の空にも赤みが差していた。
「自分の手の汚さに、気付いてしまいました」
 沈んでいく語尾。
「あなたのように綺麗でありたかった…目の前の命を助けられるような…」
「馬鹿言わないでよ」
 立ち上がって群青を睨む。群青は床に座り、項垂れていた。
「人刺したの知らなかった?まだ消えずに残ってるよ、人の腹を刺す感触」
 骨にまで伝わった不愉快な軋み。質量感と抵抗する肉感。濁流から拾い上げ、寝る間を惜しみ護衛した人に返せたものは刃だった。
「わたしのこと何も知らないと、綺麗に映るんだ?」
「わたくしの知る極彩様は綺麗です…穏やかで、真っ直ぐで…」
「安い言葉。胡乱うろんだ。薄っぺらくて、ばかばかしい」
 群青は傷付いた顔をした。それが癪に障った。
「それでも、それでもわたくしは…」
 清涼感のある香りが近付いて、視界が翳る。左腕が伸ばされて、近付く胸を極彩は突っ撥ねた。
「生温い慰めでもほしいなら娼婦でも買ったらいい!」
 群青の身体がよろめいて半歩後ろへ退く。
「わたくしは…っ」
 悔しげな口元。伏せられた目元は前髪で隠れた。
「去れ!なかったことにしてやる。去れ!」
 げきした極彩の前から群青は引こうとしなかった。
「帰ってこられなかったらどうしようかと思いました。もう会えないのではないかと…」
「監督責任問われたら、大変だもんね?」
 自嘲的な笑みが弱気な顔に浮かべられる。
「人をいっぱい殺しました。罪のない人を…きっとこれからもまだまだ。死ぬべき人間で、ですがまだ死ぬべきではありませんでした。ありがとうございます」
「あなたの事情は知らないけど、あなたは自分の人生、これからも生きないんだね」
 肯定は小さく消えていく。
「わたくしに個人的な感情は必要ありませんでした。でも我を出してしまいました。…未熟でした」
 極彩はふぅん、と興味無さそうに鼻を鳴らす。
「素晴らしい。御国の為に鬼になると。相応の餌がもらえるといいね。与えられた傷は治らないだろうけど」
 両手を複数回叩き合わせる。群青は困惑気味に笑うだけ。
「心配してくださっているんですよね…あなたはそういう御人だ」
 磨滅した空虚な微笑を極彩は睥睨へいげする。
「隷属した狗馬くばが知った口利くんだね」
 早く帰れと玄関を指で差す。群青は拱手して、玄関先にいる紫暗に一言二言交わし、去っていく。紫暗は機嫌を窺うような強張った様子で離れ家へ上がる。
「彼は今日、休みだったの」
「暫く休暇を与えられたって話は聞いていましたけど…自宅に戻っていなかったのはちょっと驚きました」
 それから迷うような素振りを見せて紫暗は続ける。
「色々理由をつけてお払い箱にするつもりですよ。お偉い官僚さんたち、戻ってきましたし」
 険しい表情を瞬時に緩ませるが紫暗の目は笑っていない。紫暗は群青と長いようで朽葉とはまた違う兄貴分の冷遇に静かな怒りを感じているようだった。
「でもここにいたって、回される仕事は血生臭いものですから。これから多分増えます。きっと多分おそらく推測ですが」
 肩を落とした紫暗の背に手を添えた。離れ家が静寂に包まれ、雨の音がした。
「あの人の言うこと為すこと全てに頷けるわけじゃないですけど、あの人が出て行くならもう辞めてもいいかなって思うし、でもこのままあの人が不条理な仕事ばっかやらされるなら、不言いわぬで経営とかやってたらいいんですよ」
 勝手かもしれないですけど、と拗ねた呟き。極彩は紫暗の肩を抱いた。
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