彩の雫

結局は俗物( ◠‿◠ )

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 与えられていた山吹の1日の課程を終えると、厨房へ寄って粥を作る。視界に入った空の茶碗に目の裏が沁みた。長葱も生姜も刺激になりそうなものは入れず、溶き卵を流して牛乳で蒸した。艶を失った淡い毛先。血色の悪い唇。細い手首。穏やかで爽やかながらも片情張りだったが、それが失せていた。縹には会えないと直感する。厨房を出てすぐに歩いていた下回りに縹がいる部屋へ運ぶよう頼み、極彩は離れ家に帰った。
 足元がはっきりとしなかった。竹林へと体勢を崩しながら踏み入っていく。朽葉。墓へ進む。中身のないただの石。また踏んだ土が消えていくような浮遊感に転びそうになりながら竹から竹へ渡って、竹に支えられながら墓石を睨む。覚束ない足取りで近寄っていく。石の前に置いてある見知っていた髪飾りは錆びていた。珊瑚はここに供えることを良しとしたらしい。脆くなった髪飾りを手に取った。尖った作りのため、指に刺さる。朽葉様。声には出さず、墓を凝視する。指の中の華奢な金細工が軋む。唇を噛んで、頼りにならない死者に供え物を返す。結局は生者の世だった。そのための死者への石でしかなかった。中身は伴わないくせ意義を果たしている小さなこの場所も結局のところ珊瑚の拠所でしかない。つまらないことをしたと思った。引き返し、離れ家へ戻る。次に訪れるときは何か持って行こうと決めて。
 離れ家では紫暗がどう対応していいか分からないという態度で極彩に接した。初めて会った日よりも緊張している。
「紫暗」
「はい!」
 力んだ応答。
「明日出掛けるから。帰りはいつ頃になるか分からない」
 紫暗は極彩を見つめたまま動かない。数秒無言で視線が外される。
「叔父上の症状がどうなるか分からないけど」
「はい。そういうことなら」
「誰かに紫暗が怒られちゃったらごめんね」
「いいえ。極彩様の指示に従うことは、自分の独断でもあります」
 縹殿の容態が急変したらどうするんですか。そう言われると思っていたが紫暗はあっさりと承諾した。
「大変だと思いますけど…何かあったら言ってください。役に立てるかはちょっと分からないですけど」
 覚えのない罪悪感が胸の中で小さく主張した。


 牛車を乗り継ぎ杉染台へ向かう。洗朱地区の北西で城からはほぼそのまま西。洗朱地区よりも近かった。街路建築と呼ばれる、大通りに面した壁面が看板の役割も兼ねた、店舗と住宅が一体化した建物が並ぶ。弁柄地区も蔵造りという点を除けば同じように店の2階が住宅だった。たった一度行った時と同じように、この町も目に入る店が閉まっている。弁柄地区と違ったのは営業していないだけでなく、経営している様子そのものがなかった。通りがかる店をひとつひとつ観察しながら縹に教えられた旧病棟を探す。駄菓子屋や精肉店、八百屋や古書店、目に入ったどの店もやはり閉まっていた。旧病棟がある気配はなかった。看板が壊れた診療所はあったが2階の窓は石を投げいれたように割れていた。
「白梅ちゃん!」
 他の店同様、経営破綻したらしい呉服屋の前を通った時聞き覚えのある声で慣れない名を呼ばれ辺りを見回した。ここよ!と大声が静かすぎるほど静かな町に響き渡る。呉服屋の斜向かいの工具屋の2階の窓から身を乗り出す、輝いた髪の持ち主。色濃く縁取られた目元は遠目でもよく分かった。柘榴だ。
「何してるの、こんなところで」
「旧病棟を探しているんです」
 柘榴の大きく縁取られた目が大きく開く。慌てた様子で窓から身を引っ込める。少しすると暗い工具屋から柘榴が現れた。
「ここよ。何の用?」
 2階を指す。窓辺での会話よりも明らかに不機嫌だった。
「野暮用で」
「でしょうね。でなきゃ、とんだ好事家こうずかよ」
 手招きされて工具屋へ入り、2階へ上がる。弱い酒の匂いと薄荷の香り。それから木や埃の匂い。室内に寝台が所狭しと置かれ、床にも布が敷かれていた。そこに横たわる人々。血の滲んだ包帯、当て布。板に支えられた腕や天井から吊るされた脚。
「早々と用、済ませてちょうだい」
 立ち尽くす極彩の肩に厚い掌が乗ってすぐに離れた。
「とある人から洗朱地区に行くと話したら、ここに行くようにと言われて…」
 窓の真下に寝かされていた者の前で極彩は立ち止まってしまった。全身を包帯で巻かれ、顔も目元以外は包帯や当て布で覆われていた。白い部分を小さく残し、血液とその他の体液で滲んでいる。深く息をするたび沈む腹部。充血した目は瞼が焼けているために瞬きを赦されない。極彩を曇った瞳で見上げている。洗朱で見た骨と皮の子どもと同じ眼差しだった。
「とある人、ね」
 柘榴は極彩の背を押して奥へと進ませる。
「あの人は、」
「分かるでしょう。見込みがないわ」
 振り返ろうとするとさらに強く背を押され歩くよう促される。衝立ついたてに隠された扉の奥へ押し込まれる。
「お前は」
 暗く狭い室内には杏がいた。それから見知らぬ若者。2人は室内の大半を占める大きなテーブルを挟んで対面に座り、紙を広げていた。
「この前はお世話になりました」
 極彩は拱手する。杏は否定するように手を振った。
「知り合い?」
「洗朱でな」
 柘榴が訊ね、杏が答える。若者は極彩を一瞥したがまた杏との話を戻そうとしていた。
銀灰ぎんかいちゃん」
 若者が顔を上げる。珊瑚と同じほどの年に思えた。銀灰と呼ばれた若者は吊り目を柘榴へ投げる。誰かに似ていると思った。
「なん?」
「彼女が」
 柘榴は視線で極彩を差す。銀灰という若者は柘榴から極彩へと目が滑っていく。記憶を掠める面影を残した眦が大きく見開く。
「どうも、縹の息子です」
 極彩は耳を疑った。年齢的にも信憑性に欠く。縹は自身のことをあまり語らないとはいえ、息子がいたという話は聞いたことがない。
「本当…なんですか」
 眉を顰めて、疑いを隠さず確認する。
「嘘。冗談。本気にした?」
 眉間の皺がさらに寄る。銀灰といった若者は陽気に笑って極彩に接近した。
「オレ、銀灰いおる…銀灰っての、よろしくな」
 片手を差し出される。
「わたしは…白梅しらうめと…」
「本当は?」
 柘榴が鋭く口を挟む。
「…極彩」
「じゃなくて?」
 柘榴は珊瑚が城の者だと気付いていた。となれば極彩が城の者だということにも気付いているかも知れない。だが四季国から使っていた名があることまで知られているのか。
「柘榴、いいだろう」
 杏が溜息を吐いて、銀灰が苦笑した。
「そうね。悪かったわ。でも安心して。アテクシたちはあなたの味方だから」
「…味方?」
「敵の敵は味方よ。そうでなくても…あなたのこと、任されてるの。…ね?」
 柘榴が銀灰に問う。銀灰は無邪気に笑った。
「縹さんに?」
「彼も含むわね」
 縹の名を出して、そして喉に何かが引っ掛かる重みを感じた。柘榴たちと知り合いであるのなら、今の状態を話すべきではないか。だが柘榴たちが今置かれている環境を考え、話さないと決めた。
「えーっと、じゃあなんて呼んだらいいんかな…」
白梅しらうめちゃんのほうが何かと都合がいいんでしょう?」
「そうですね。白梅しらうめとお呼びください」
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