彩の雫

結局は俗物( ◠‿◠ )

文字の大きさ
57 / 339

57

しおりを挟む
 紫暗が離れ家から出ている間、極彩は短剣を眺めていた。曇りはない。人を刺した。だが流れ出たのは血ではなかった。それでも肉感はまだ覚えている。紅を貫いた白く美しい刀身。一面の銀世界を映したような。真冬に入る熱い湯のような。
 山吹の部屋には行かず、不言いわぬ通りへ向かった。牛車ぎっしゃにも不言いわぬ通りと伝えたが途中で長春小通りへと変更した。質屋や骨董品店は幾度か通った空気感から長春小通りのほうがしっくりきていた。細長い布袋に入れた短剣を膝に乗せ、暫く元の持ち主のことを考えていた。何が最善なのか、明確なものがなかった。最善最悪善し悪しがあるのかすらも。何を考えてこの短剣を贈ったのか。縹は選択をした、約束は果たしたと言った。ならばこの短剣は意義を果たせたのか。
牛車が揺れ、車窓から不言いわぬ通りの日常が耳に届き、それから少しして目的の停留場へ着く。よく晴れていた。不言いわぬ通りの延長的な軽食や甘味、奇妙な色味の食材を用いた飲食店街から離れ、 雑貨屋や日用品、衣料品店などが多い区画へ入り、そこからまた外れの質屋、骨董品店、不動産屋が並ぶ路地へ入る。掃除が行き届き、看板も磨かれ上品な印象がある場所だった。不言いわぬ通りに影響され長春小通りにまで伸びてきている景観を崩す奇抜な飲食店とはまた違う、落ち着いて質素な喫茶店も目に入った。建物と建物の間から大きく拓く天気は清々しかったが気分は曇った。もう一度だけ短剣を見て、近くの質屋に入る。買い取りを希望し、手袋を嵌めた鑑定士へと短剣を渡す。真っ白い柄と鞘を見ると接客用の緩い微笑から驚きへと表情が変わっていく。訝しんだ眼差しと必死で隠そうとする微笑を短剣と極彩との間で器用に使い分ける。
「友人からの形見です」
 朽葉を友人と括れるのかは分からない。珊瑚と城の小山を下った時にふと脳裏を過った光景でいえば友人といえたかも知れないが、あれが何なのかが思い出せずにいる。感嘆の声を漏らしながら鑑定士は短剣を睨む。告げられた金額は想像を上回った。相場が分からないが不言いわぬ通りの繁華街の数区画は買い占められるとのことだった。それくらいの金があれば杉染台の生き残りたちは助かるのだろうか。
「売ります」
 鑑定士は目を丸くし、困った顔をした。2時間後に短剣を持ってまた来るように伝えられる。
 することもなく以前群青に教えられた淡香うすこう寺に寄った。階段を囲む紫陽花は殆どが枯れていた。強い日差しが照り付け、眩しさに腕を翳す。流水の芸術的な造形物は足水に使えるように形を変えられひのきの槽へ水が送られる仕組みになっていた。周辺も簾天井が設けられている。吊り下げられた風鈴がどっちつかずに揺れた。日差しは強いがまだ湿度は高くなく不快感はない。極彩は簾天井の下に敷かれた段のある畳へ座り、花弁の浮かぶ水へ足を入れた。水面は日差しできらきらと照っていたが、ひんやりとしている。花弁が揺れ、引いては寄せる。両足で水を蹴って、軽快な音が立つ。少しの間は必死に水面を蹴って足に纏わりつく花弁を眺めてはしゃいだが、すぐに飽きる。穏やかになっていく水から目を離し、遠くに広がる街並みを見た。洗朱地区は死角になっているため展望出来ない。視界の脇に入った出店はまだ開いていなかった。初めて食べた甘味の味を思い出す。あの日は、今こうして生きていられると思っていなかった。全て果たせている頃だと思っていた。弱い風が吹いて、高い音を残していく。暑くなる季節がすぐ傍まで来ている。怪我人には厳しくなるだろう。病人にも。叔父と偽った共謀者の姿が思い浮かび、足首に残った一枚の花弁を水に戻す。明るい波の影が歪な輪を描いて槽の中を泳ぐ。
 西瓜すいか、いかがですか。
 目の前に差し出された水々しく光る黄色の果肉。赤いものしか見たことがなかった。珊瑚へ切った彌猴桃びこうとうもそうだったが、風月国の果物は色が違うのだろうかと思った。いただきます。一切れ手にする。日に負けず照り眩しい。季節的にはまだ早い気がしたが、口内に響く音と広がる甘さは十分に熟れていた。
「美味しいです」
 西瓜を持って来た者を見上げた。透けた生地の黒い衣も身に着け、頭を布で巻き、余った長布を首から垂らしている。一目で淡香うすこう寺の宗教家だと分かった。四季国にもいた。河教せんきょうという思想・信仰の体系。寺を持つほどの学を修め、戒律を守る者を、河教せんきょうでは開祖の末子または末弟、近頃では末妹をも意味する「河始季せんしき」と呼んでいた。極彩はそういったことにあまり熱心ではなかったため深い教義は知らないでいた。勧誘だろうか。何度か受けたことがある。
 もうひとつ、いかがですか。
 長く染み付いた観念が覆るとは思わなかった。覆り、何か…、河教せんきょうが拝み崇めるいかだに宿る霊魂に縋り、盲目的になり、救いを見出せるのならそれもひとつの現状の打開策になるかも知れないとすら思えた。仇に固執することも冷め、縹の病のことも諦め、杉染台の人々を忘れ、河教せんきょうの戒律と救済にのみ縛られ生きていくことが答えとして選び取れたら。
「いただきます」
 勧誘を求め、西瓜に手を伸ばす。
 暑いのでお気を付けてくださいね。塩もありますから。
 宗教家は西瓜を乗せた盆の横にある塩瓶を振る。立ち去ろうとしたため、思わず呼び止めてしまった。
「勧誘しないんですか」
 宗教家は苦笑した。日に焼けながらも張りのある肌は「河始季せんしき」の座を得られるにはまだ若さを伺わせる。
 ワタクシのやることなすこと全てが勧誘目的なワケ、ないじゃなないですかぁ。
 垂れがちな切れ長い目が細められる。砕けた語調。反対に極彩は目を見開いた。
 今日は日差しが強いので、訪れた方に西瓜でも配ろうと思っていたんですよ。他意はありません。
 柔らかく笑う。「河始季せんしき」が宗教家として活動する間は着用することが義務付けられているらしい「戒衣かいえ」は、布地は薄いが足首までの丈があり黒いため見ているだけで暑苦しかった。
「今なら…宗教に逃げ込むのも…」
 困ったなぁ。他ならとにかく河教うちは逃げ込むところじゃあありませんからねぇ。
 宗教家は極彩の隣に間を空けて座った。宗教家は畳の上に上がって足を崩す。礼儀正しく厳格で格式高く窮屈な印象が崩れ去る。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

本物の夫は愛人に夢中なので、影武者とだけ愛し合います

こじまき
恋愛
幼い頃から許嫁だった王太子ヴァレリアンと結婚した公爵令嬢ディアーヌ。しかしヴァレリアンは身分の低い男爵令嬢に夢中で、初夜をすっぽかしてしまう。代わりに寝室にいたのは、彼そっくりの影武者…生まれたときに存在を消された双子の弟ルイだった。 ※「小説家になろう」にも投稿しています

王様の恥かきっ娘

青の雀
恋愛
恥かきっ子とは、親が年老いてから子供ができること。 本当は、元気でおめでたいことだけど、照れ隠しで、その年齢まで夫婦の営みがあったことを物語り世間様に向けての恥をいう。 孫と同い年の王女殿下が生まれたことで巻き起こる騒動を書きます 物語は、卒業記念パーティで婚約者から婚約破棄されたところから始まります これもショートショートで書く予定です。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

五年後、元夫の後悔が遅すぎる。~娘が「パパ」と呼びそうで困ってます~

放浪人
恋愛
「君との婚姻は無効だ。実家へ帰るがいい」 大聖堂の冷たい石畳の上で、辺境伯ロルフから突然「婚姻は最初から無かった」と宣告された子爵家次女のエリシア。実家にも見放され、身重の体で王都の旧市街へ追放された彼女は、絶望のどん底で愛娘クララを出産する。 生き抜くために針と糸を握ったエリシアは、持ち前の技術で不思議な力を持つ「祝布(しゅくふ)」を織り上げる職人として立ち上がる。施しではなく「仕事」として正当な対価を払い、決して土足で踏み込んでこない救恤院の監督官リュシアンの温かい優しさに触れエリシアは少しずつ人間らしい心と笑顔を取り戻していった。 しかし五年後。辺境を襲った疫病を救うための緊急要請を通じ、エリシアは冷酷だった元夫ロルフと再会してしまう。しかも隣にいる娘の青い瞳は彼と瓜二つだった。 「すまない。私は父としての責任を果たす」 かつての合理主義の塊だった元夫は、自らの過ちを深く悔い、家の権益を捨ててでも母子を守る「強固な盾」になろうとする。娘のクララもまた、危機から救ってくれた彼を「パパ」と呼び始めてしまい……。 だが、どんなに後悔されても、どんなに身を挺して守られても、一度完全に壊された関係が元に戻ることは絶対にない。エリシアが真の伴侶として選ぶのは、凍えた心を溶かし、温かい日常を共に歩んでくれたリュシアンただ一人だった。 これは、全てを奪われた一人の女性が母として力強く成長し誰にも脅かされることのない「本物の家族」と「静かで確かな幸福」を自分の手で選び取るまでの物語。

ローザとフラン ~奪われた側と奪った側~

水無月あん
恋愛
私は伯爵家の娘ローザ。同じ年の侯爵家のダリル様と婚約している。が、ある日、私とはまるで性格が違う従姉妹のフランを預かることになった。距離が近づく二人に心が痛む……。 婚約者を奪われた側と奪った側の二人の少女のお話です。 5話で完結の短いお話です。 いつもながら、ゆるい設定のご都合主義です。 お暇な時にでも、お気軽に読んでいただければ幸いです。よろしくお願いします。

地獄の業火に焚べるのは……

緑谷めい
恋愛
 伯爵家令嬢アネットは、17歳の時に2つ年上のボルテール侯爵家の長男ジェルマンに嫁いだ。親の決めた政略結婚ではあったが、小さい頃から婚約者だった二人は仲の良い幼馴染だった。表面上は何の問題もなく穏やかな結婚生活が始まる――けれど、ジェルマンには秘密の愛人がいた。学生時代からの平民の恋人サラとの関係が続いていたのである。  やがてアネットは男女の双子を出産した。「ディオン」と名付けられた男児はジェルマンそっくりで、「マドレーヌ」と名付けられた女児はアネットによく似ていた。  ※ 全5話完結予定  

私を裏切った夫が、後悔しているようですが知りません

藤原遊
恋愛
政略結婚として、公爵家に嫁いだ私は 愛のない夫婦関係を「仕事」だと思い、正妻の役目を果たしてきた。 夫が愛人を持つことも、 その子を屋敷に迎え入れることも、黙って受け入れてきた。 けれど―― 跡取りを、正妻の子ではなく愛人の子にする。 その言葉を、人前で軽く口にした瞬間。 私は悟ったのだ。 この家では、息子を守れないと。 元々、実家との間には 「嫡子以外の子は実家の跡取りにする」という取り決めがあった。 ならば話は簡単だ。 役目を終えた私は、離縁を選ぶ。 息子と共に、この家を去るだけ。 後悔しているようですが―― もう、私の知るところではありません。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

処理中です...