彩の雫

結局は俗物( ◠‿◠ )

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 桜は沈みきり、よろよろと膝を伸ばし、腰を上げる。荷物を持って持って墓石の列から抜け出した。だがやはり、間が悪かった。7人ほどいる男女の集団と鉢合わせてしまう。先頭を歩く白髪ながらも豪壮な風体の男がおそらく桜の父親で、その後ろにいる若い男女が桜の同胞はらからだろう。藤黄に雰囲気が似ている。男は2人を見たが通り過ぎようとした。死んだ存在だった。桜は俯いていた。極彩は身を震わせ動けなくなっている桜の手を取る。桜の姉や兄や弟と思しき者たちが2人をじろじろと見ていた。
「次に会った時は確実に死んでもらう、そう言ったはずだが」
 桜は黙って首を振る。
「一度は死んだ存在だからと黙っておれば、女なんぞ侍らせおって。立派な身分になったものだな」
 桜の父の後ろでざわめく。彼等彼女等からは、悪意を感じられなかった。むしろ桜に同情や惜別の意や狼狽を感じた。
「…またこのような惨めな姿をお見せしていまい、…申し訳ございません…」
 桜の父は桜の足元に棒状の漆塗りを投げる。
「この場で自害せよ。母の眠る前で、名の通り潔く果てんか。この世に落とした責として、首はこの手で刎ねてやる」
 桜は立っているのもやっとのようで、乱れた。その呼吸の音が、極彩の心臓を引き絞られるような痛みを誘う。桜の足元の脇差を拾い上げた。
「女が口を出す気か」
 何も言わず、膝を着いて座り、背を前へ倒す。額の傷を渇いた石畳に擦り付ける。思い出す。
「御主人…」
「何の真似だ」
「彼をください。できないならば、まずわたしを斬れ」
 目と鼻の先で蟻が自身より大きいが、極彩にとっては小指の爪よりも小さい羽根を運ぶ。
「くだらん」
 お父様、父上。桜の同胞の声がする。血の繋がりを極彩は知らない。目にしたことしかない。それでも不満はなかった。孤独は知らなかった。
「貴様は緋寒ひかんのなんだ」
 桜の本名らしい。桜もまた“親”から与えられた名を名乗れなかったのか。桜は美しいが、すぐに散ってしまう。その姿を愛でられながら。控えめに、淑やかに。
「彼はわたしの側近です。彼はわたしの血潮であり骨肉です」
「大袈裟な」 
 言い捨てられる。
「恥を知れ!これ以上醜態を晒すな」
「僕とあなたは、もう何も関係が無いはずです!」
 肩と腕を支えられ、立ち上がらせようとする桜を突き放す。
「ならば何故ここにいる。この家とは無縁と?よくそのようなことが申せるな!」
 額の傷を石畳に擦り付ける。磨かれていたが人の足で粗くなっている。石材や石造りが美しいこの地は墓園の石畳もまた石ごとの色味を使い、美しかった。その上を転がる砂利や小石が塞がりかかっている薄い膜を押す。思い出せ、思い出せ、思い出せ。
「後顧の憂いを断つ。安心せよ、すぐにその首を刎ねてくれる」
「お待ちください」
 手が震える。砂利が掌の皮膚に入り込み、白くなるほど石畳に爪を立てる。
「一騎打ちを申し込みたく存じます」
「……気が触れているのかこの娘は。手前で腹も掻っ切れぬこの小僧に何が…」
「お相手はわたしです」
 時が止まる。赤子の手を縊るより容易だろう。桜の動く気配が間近でした。
「御主人!何をおっしゃってるんですか!申し訳ございませっ…」
 隣で同じく地に頭を伏せようとする桜を制する。極彩はそのまま頭を上げた。ゆっくりと立ち上がる。
「正直勝機は微塵も感じていない。車賃は出すと言ったな。適当に漁れば財布が入っているはずだ」
 桜のほうも見ず、衣服を叩く。手にした脇差の中身を見て、自嘲した。竹だ。竹光だった。師からの教えは、教えられただけは体得しているつもりだ。武器がほぼ使い物にならない場合の技。
「紫暗に怒られる前に逃げなさい。貯金はあるだろう?」
「御主人!そうではなく!無茶苦茶だ!」
 腕にしがみつかれる。強い力だった。振り払おうとしても桜は離れなかった。
「すまない。お前の問題だから、口を出さないつもりでいたが…万一勝ったら、恨め」
 それからは何も口にしなかった。ここは死者が眠る地だ。そこで死者を増やす。相手は高名な家柄らしい。その後の処遇は分からないが、せめて斬殺体の片付けくらいはしていくだろう。高名な家柄であるなら尚更。
「本当に死者が帰って来てるなら、せめて息子のこと、少しでもいいから、何か、いいこと起こしてやってくれないか」
 手にした竹光に塩辛蜻蛉が止まった。曇った空の色に少し似ていた。蜻蛉に語りかける。竹トンボよりも頼りなさそうな竹光の刃を模した塗装をなぞる。塩辛蜻蛉は飛んでいく。桜は、父は将軍だと言っていた。何故将軍が竹光など持っているのか。物持ちの良さがおかしかった。今日桜が来ることを知っていたのか。あと少しで命が絶たれるというのに呑気な思考をしていた。むしろ、桜がこの日に家族が来ることを知っていたとしたら。健気さの報われない男だな。薄らと思った。卑怯だ。国と矜持に散った朽葉と、それに報いたいと病魔に侵されながら気を張る縹。必死に生きようとする杉染台の者や、支援のために自身の貧困を惜しまない人々。黙れ。誰の人生だ?傷が塞がらないから、死地を求めていた。気付かないうちに。桜の足元に投げられた漆塗りに、喉を突きたくなった。胸でもいい。おそらく痛い。将軍というからには、一撃で仕留めてくれるかも知れない。師は一度も剣技を褒めることはしなかった。おそらく才はない。ならば負ける。手も足も出ず。
竹光を構える。腹にも突き刺さらない華奢なつくり。腹切りが形式だけのもので、斬首で済ませるつもりだったのなら、それは父の情と信じていいのか、二度目の生存を許さないためか。そのような物でどう将軍と立ち向かう。桜に大きな傷を残す。だが斬られてしまえばどうということはない。この世とは、「生」とは、さらばだ。ただ死ぬつもりはなかったが、師から教わった才のない技と竹光では勝ち目がない。これで人を斬ることは不可能といっていい。あの将軍の血飛沫を浴び、死骸を抱く光景が思い描けない。師の落胆した顔がふと浮かんだ。
「何を笑っている」
 教えられていたものは、殺人術だった。道を究めるための方法や、その過程ではなかった。故意的に、敵意も悪意も関係なく身を守るために人を殺めるすべだった。ここに来て、分かった。師との喧嘩の中にあったものを。真剣を持たせることを渋っていたのだ。殺人術を教えることを躊躇っていたのだ。だがやる。おそらく負ける。技術の差、武器の差、意志の差。ひらひらと舞う蝶が現れて、それが合図だった。白い羽根がひらひら。繰り返す。目の前で揺れた冬毛の貂に似た白い髪。斬れない。斬りたくない。動きが緩やかに見えた。短剣。朽葉。厚意。病魔。婚約。祭り。弦楽器。餅菓子。左肩で受け入れ、一撃目は半身が千切れてでも生き延びれば、相討ちは狙える。絵に描いたように上手くはいかない。絵だって上手くないのだから。白くちかちか光る視界の全てが遅く動く。迫ってくる男の首が細く光って大きく傾く。鍼治療に似ている。鍼治療だと素早く頭が回転し、やっとそれらしい単語が浮かぶ。傾く男の太い首を狙って跳ぶ。左腕を曲げ、引っ掛けようとした時、極彩の首にもチクリと鋭い痛みが走った。蚊にしては強い。蜂か。視界が滲む。あとは右腕に寄せて固定したあの頭部を身体ごと捻れば、落下して地に叩き付けられるだけのはずだ。跳んだ身体は高度を増している。おかしい。首が痺れる。視界が真っ白くなる。この感覚は、勝利ではない。
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