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竹林は閑散としていた。誰もいない。山吹は珊瑚が地下牢に送られてから全く目にしていない。この国へ、この城へ何をしに来たのか。忘れてしまった。目の前のことひとつ片付けられないでいる。形ばかりの墓石を睨んだ。もうひとつの新しい墓もついでに睨んだ。八つ当たりだった。墓石は何も答えない。
「朽葉様…」
錆びた髪飾りの隣に棘だらけの殻斗に包まれた栗が置かれている。誰かがここに供えた物らしかった。動きも喋りもしない石と向かい合い、乾燥の中にいた。そうすることで考えることから逃れられた。まだ何も成せていない、という負い目からも赦された感じがあった。カラスが鳴いている。竹林が小さくさざめいた。
嘆願書でも出せば。もしくはさ…
雨粒がひとつ頬に落ちてきた。腹の音と聞き紛う空の響動めき。遠雷だ。雨もおそらく強くなる。季節は変わっているが翡翠に助け出された時と同じだった。竹の先の開かれた空を鳥の群れが飛んで行った。目線を下げ、新たに加わった墓石を捉えた瞬間に雨とは違うものが後方から髪を掠める。数えられるほどの毛が散った。柘榴に巻かれた毛が宙を舞う。敷地を囲い、竹林の果てを告げる墓石の奥の漆喰に突き刺さっている手裏剣。極彩は振り返った。竹林は静かでまだ雨音も聞こえはしなかった。しかし少しずつ雨は強まり、竹の葉を鳴らす。すでに聞こえなくなった鈴虫の合唱のような澄み渡るような響きが極彩を落ち着かせた。視界いっぱいを探るも気配も悟らせず現れる監視役はどうやらいないらしかった。湿った匂いが濃くなり、墓石も瞬間的な模様を浮かべはじめた。手裏剣の主はまだ竹林の中に身を潜めているのだろうか。無防備に俯いたと同時に手裏剣が飛ぶ。肩に痛みが走った。衣類を破り、肌に刺さっている。手裏剣を摘まんで、抜き取る。数秒と経たないうちに布が色を変えた。位置は分かった。墓石の奥の漆喰に刺さった金属を回収する。この墓場にはそぐわないのだ。刃物など。塀の上部にある瓦のさらに上を目指して手裏剣を投げる。この武器の扱い方は教わらなかった。雨が強まり、雷は近付いている。朽葉の墓を一瞥した。
この身が斬り苛まれることがあるなら。
人とは思えぬほど無機質な白の姿をした朽葉が脳裏を過った。珊瑚は命を弄んだ。逃げる術を持たない小鳥を私欲のために殺めたのだ。だが何故それを罵れる。謗れる。怒れる。逃げる術のある生き物なら殺めてもいいのか。憎き風月王なら。殺戮を繰り返したら風月王ならば殺害しても己からは何の咎めもないというのか。
なんでいけないの?だって簡単だよ?心臓を、止めるだけでいいんだから。
この身が斬り苛まれることがあるなら、貴方のご親友を―
死者に何が出来るのさ!
相手の殺意を叶えてやる気が起きたのだった。竹林の中を歩いて抜けた。肩の傷口は大した大きさではなかったというのに痛くて堪らなかった。だが傷からの疼きではないような感じがあった。
死者に何が出来るのさ!死者に!あんたを置いてさっさと死んだ奴等に!変な宗教家に変な夢でも見せられたってわけ?
竹林からは槍も刀も出てくることはなかった。だが抜けてきたところで生きているという心地も特にはなかった。身を引き摺るように離れ家に入り、衣服を脱いだ。血は止まっていなかった。だが痛みはない。毒でも塗ってあるのかも知れない。痛みが途端に安堵と化した。切り傷のようなものだった。三公子に殴られた時よりも痛くはなかった。師から簪を投げつけられた時よりも痛くはなかった。目の前で見知った男が滅多刺しにされた時よりも、親しくなってしまった官吏に白刃を突き付けられた時よりも。
寝たら?腰抜けめ。全部放り出せ!あんたも完全無欠な死人になっちまえばいいんだ!
そうだな。
室内の中心部に聳える木の形状そのままを活かした円柱に凭れた。視界は暗くなる。瞼が重かったのだ。抗えなかった。気配が近付く。意識は遠かった。眠りの最中に目覚め、けれど意識ははっきりしない感覚に似ている。
「ねむいんだ」
刺客だと思われた。肩に触れられる。着替えろと言わんばかりに服を引っ張られる。
「ねかせてほしい」
肩口が生温く湿った。腕を強く掴まれ痺れた。意地でも起こすという気概だけが伝わるが強烈な眠気に沈み、喋ることさえ億劫だった。
「ねかせて…」
やっと願望が叶い、強い力を掛けられ身体は倒される。鼻を押さえられ、唇が開かれるとざらついた質感だったが冷たく柔らかな感触があった。口腔に液体が流れ込む。花のような匂いが微かに残っただけで嚥下した。
いったい誰がこんな…
世話になったね、すまない
そんなっ…出来ることをやっただけですから…
宙に浮く感覚があった。全身を心地良く包まれ、腕には小さな痛みが走ったが些細なことだった。
出来ることをやる、それも素敵なことだね
―様?
目が覚めるまで一緒にいてやってはくれないかな
何を考えてるのか分からないよ、どういうつもり?復讐を遂げるんでしょ、まぁ死ぬなら死ぬんでいいんじゃないの。思い出してよ朽葉様を。なんで彼が態々森の徘徊から抜け出して守ってくれたのかをさ。生き残ったあんたから目を眩ますためなんじゃないの。首まで斬られてさ、可哀想に!あんたと御親密なあの襤褸雑巾にさ!しっかりしてよ。正絹にでもなりたいなら諦めて。もう後戻りできないよ。憎き仇の五臓六腑を引き摺り回して野良犬に喰わせるか、でなきゃあの病人を見殺すか!幸いにも偽りで、情を捨てろって、見捨てろって言ってるんだから甘えて逃げ出して、見殺せばいいんじゃないの。ふたつにひとつだよ、残されてるのは。あれもこれもあんたがちんたらやってるからでしょ、後悔しなよ。後悔したらいいんだ、あんたなんか。最低。誰にでもいい顔してどうするの?こんな技術ばっかの中身のない国。二公子、二公子って、二公子ってことにしか価値のない破綻した男と添い遂げて寝首を掻く覚悟もないわけ。矜持なんて捨てなよ、仇討ちを誓った時からあんたに矜持なんて要らなかったんだから。肌晒して誘い込んで、誑かしてまであの悪達者を噛み殺すことくらい出来たんじゃないの。今からでも遅くないよ。今からでもね。どうだよ結局あんたが選ぶのはひとつしかないんだ、ねぇ、どっちがいいのさ。あの権力主義の繰り下がり野郎と、あんたの大事な病人。選びなよ。殺意を抱いた瞬間にあんたは何か失わなきゃならなかった。もう失った、じゃない。これからだよ。殺意を抱いてからだよ。恨むっていうのはそういうことなんだから。矜持を捨てなよ。情を捨てられないなら。何か守りたいなら矜持なんて捨てなよ。どうせ情を捨てられないんだから。あんたはあのろくでなしに抱かれるしかないんだ。あんたがぼうっとして見殺した大好きなお師匠様を針刺し代わりにしたあの哀れな世襲の奴隷にね!女の身の哀れなことだよ、どうしてこの手を利用しないのさ?色街で身まで売ろうとしたくせに?どうしてあたしたち生き物は脚の間に妖怪を買っているんだろう?あそこはそういうところなんだよ。矜持なんて捨てればあんたは何の苦労もなしにせめてひとつは事を成し遂げられるよ。そうしたら風月王のことはもう諦めて、あとは斬頭台に立つだけ!来世でまた会えばいいや!ぶち殺したあのろくでなしが前世の友だったのかも知れないのに?あの宗教家のくだらない筏思想に則るならさ。なんで来世を信じてるくせにあいつらはさっさと己の非を認めて死なないんだろうね?今生が当たりだったというわけかな?じゃあ早く、使い回し生命の循環をよくしなきゃいけない。それがやれないならあんたの足枷がぽっくり逝くまでここで寝ていたらいいんだよ、そのほうが楽なんだから。素晴らしい襲撃だったよ!まったく気の利いた下僕を持ったね。
「朽葉様…」
錆びた髪飾りの隣に棘だらけの殻斗に包まれた栗が置かれている。誰かがここに供えた物らしかった。動きも喋りもしない石と向かい合い、乾燥の中にいた。そうすることで考えることから逃れられた。まだ何も成せていない、という負い目からも赦された感じがあった。カラスが鳴いている。竹林が小さくさざめいた。
嘆願書でも出せば。もしくはさ…
雨粒がひとつ頬に落ちてきた。腹の音と聞き紛う空の響動めき。遠雷だ。雨もおそらく強くなる。季節は変わっているが翡翠に助け出された時と同じだった。竹の先の開かれた空を鳥の群れが飛んで行った。目線を下げ、新たに加わった墓石を捉えた瞬間に雨とは違うものが後方から髪を掠める。数えられるほどの毛が散った。柘榴に巻かれた毛が宙を舞う。敷地を囲い、竹林の果てを告げる墓石の奥の漆喰に突き刺さっている手裏剣。極彩は振り返った。竹林は静かでまだ雨音も聞こえはしなかった。しかし少しずつ雨は強まり、竹の葉を鳴らす。すでに聞こえなくなった鈴虫の合唱のような澄み渡るような響きが極彩を落ち着かせた。視界いっぱいを探るも気配も悟らせず現れる監視役はどうやらいないらしかった。湿った匂いが濃くなり、墓石も瞬間的な模様を浮かべはじめた。手裏剣の主はまだ竹林の中に身を潜めているのだろうか。無防備に俯いたと同時に手裏剣が飛ぶ。肩に痛みが走った。衣類を破り、肌に刺さっている。手裏剣を摘まんで、抜き取る。数秒と経たないうちに布が色を変えた。位置は分かった。墓石の奥の漆喰に刺さった金属を回収する。この墓場にはそぐわないのだ。刃物など。塀の上部にある瓦のさらに上を目指して手裏剣を投げる。この武器の扱い方は教わらなかった。雨が強まり、雷は近付いている。朽葉の墓を一瞥した。
この身が斬り苛まれることがあるなら。
人とは思えぬほど無機質な白の姿をした朽葉が脳裏を過った。珊瑚は命を弄んだ。逃げる術を持たない小鳥を私欲のために殺めたのだ。だが何故それを罵れる。謗れる。怒れる。逃げる術のある生き物なら殺めてもいいのか。憎き風月王なら。殺戮を繰り返したら風月王ならば殺害しても己からは何の咎めもないというのか。
なんでいけないの?だって簡単だよ?心臓を、止めるだけでいいんだから。
この身が斬り苛まれることがあるなら、貴方のご親友を―
死者に何が出来るのさ!
相手の殺意を叶えてやる気が起きたのだった。竹林の中を歩いて抜けた。肩の傷口は大した大きさではなかったというのに痛くて堪らなかった。だが傷からの疼きではないような感じがあった。
死者に何が出来るのさ!死者に!あんたを置いてさっさと死んだ奴等に!変な宗教家に変な夢でも見せられたってわけ?
竹林からは槍も刀も出てくることはなかった。だが抜けてきたところで生きているという心地も特にはなかった。身を引き摺るように離れ家に入り、衣服を脱いだ。血は止まっていなかった。だが痛みはない。毒でも塗ってあるのかも知れない。痛みが途端に安堵と化した。切り傷のようなものだった。三公子に殴られた時よりも痛くはなかった。師から簪を投げつけられた時よりも痛くはなかった。目の前で見知った男が滅多刺しにされた時よりも、親しくなってしまった官吏に白刃を突き付けられた時よりも。
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