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「どうした」
「本当に…いや…その、」
言葉を待っていたが却って無言でいることが威圧的であることを彼女は承知していた。しかしやり過ごす台詞もまた出てきはしなかった。
「これくらいの、小さい子なんだが…苦手か」
「え…は、はい。子供はどうも…」
やっと絞り出せた冗談に桜は律儀に答えた。だがやはり雄黄が姿を見せないことが気掛かりだった。それほどまでに深く傷付けてしまっただろうか。
「でも良い子だぞ。聞き分けはいいしな。わたしがあれくらいの頃は我儘ばかりで大人を困らせていた」
「ご、御主人…?本当に…本当にどうにかなってしまったんですか?しっかりしてください!お願いですから…気が触れてしまったんですか!御主人…」
癇癪を必死に抑えようとする様に似た呻きを漏らし、怯えと大きく顔を歪ませ桜は極彩の両肩を掴んで揺さぶる。腕が痺れ、頭の中が浮遊する。
「桜こそ、どうしたんだ?やはり疲れているんじゃないだろうな」
「御主人っ!どうしてなんです?どうして御主人を襲った張本人を自分から呼ぼうだなんて言うんですか?精神錯乱まで引き起こすなんて…」
最後はもう呟きだった。呆れを滲ませ、泣きそうな目元でゆるゆると頭を振る。極彩の足元に崩れ落ちた。その様を見て、言葉を失い、苦笑する。
「雄黄だぞ?」
「あの少年ですよ。あの少年こそ御主人を狙ったんです…お気付きじゃなかったんですか……」
何もかも白状し、もう身体のどこにも力が入らないといった感じで項垂れていた。
「だってまだほんの…」
「年齢なんて関係ないです。僕の元いた家はそういうところなんです。箸だの筆だの握る前から剣だの槍だのを握らされるんです」
そんな中で不出来だから僕は。極彩の両腕の前で彼は顔を覆った。そして暗器だと断言された短い矢を差し出す。
「これはあの家庭で使われていたものです。信じたくなかった。でも繋がるんです、全部。点と点が」
「わたしに対する復讐心、か」
控えめに頷きが返ってくる。自嘲し、また苦々しい笑みが浮かんだ。
「仕方のないことだな。憎しみは話し合いでは決着しない。圧倒的暴力でしか。一時の達成感でしか、抑えられない」
「達成感なんてあるわけないですよ!何も還ってきはしないんですよ。起こったことは消せない。背負うしかないんですよ。どうして混ぜっ返すような真似を認められるんですか。一体全体何を取り戻した気になれるんです?理性と良心の箍が外れた怪物になるだけだ…!」
桜は勢いよく否定した。一房跳ねた髪が芒のようで愛らしかった。
「怪物になってでも成さなきゃならないことがある。生まれ、飯を食み、生殖し、眠るのだけが能じゃないはずだ」
「僕は御主人に付いてゆきます、どこまでも。たとえ僕の意に反しても。僕の御主人だから。ただ忘れないでください。人の肉を裂く感触を。皮膚が破れていく瞬間とか。息が止まって、脳味噌が死んでいく様とか。もう、一度味わったら頭から離れなくなることを」
頭を抱え、もう何も話したくないと態度が訴えているくせ桜はまだ話を続けた。
「自分の腹を切った感触が忘れられないんです。誰かを斬ってしまったらどうしようかと怖くなる。もう一度切ってみたら治まるかも知れない、それは人の為に活かそうと医業の道に行ったのに…」
普段の彼からは想像もつかなかった心境を吐露され、極彩は祈るような格好の少年をただ見下ろしていた。
「僕はあの家の血から結局逃れられない…杉染台のこと、みんな、腫物みたいに接してくれるけど、僕は…僕は結局、自分の本性に驚くばかりで、あの人を殺めたことなんて何ひとつ……これっぱかりも」
そうだったかな。極彩は思いながらも口にはしなかった。焼くの焼かないのと条件を突き付けた話が後付や欺瞞のようには思えなかった。震える肩に触れた。痺れが襲うも肘を伸ばす。桜は項垂れたままだった。
「お前の腹の傷はわたしも見た。痛々しかったな。でも、お前の中の傷みたいなのは、わたしには見えていないんだ。浅くはないのだろうな。けれどそれ以外分からない。それは桜もなんじゃないのかな。見えない傷を想像して、何度も何度もなぞっては痛みを味わって、確かめようとしているだけなんじゃないのかな。分からないことは不安だからな。とはいえ、お前がそういう嗜好を実際に持っていて、良心の呵責に耐えかねているというのなら、それも否定しない。ただ止めるだけだ。解決はしないかもしれないが、傍にいよう。その際は」
足枷が増えていくね。幻聴に過ぎなかった。桜を立ち上がらせ、彼自身が運んできた椅子へと座らせる。
「ごしゅ、ごしゅじん…」
荒れた肌に滴りそうな雫を指で拭う寸前に数人目の来訪者が現れた。天藍だ。返答の隙も与えられず開扉された。
「来るのが遅くなったごめんよ」
天藍は起立した桜を一瞥し、極彩へ微笑みかける。
「御心配をおかけしました」
「あの部屋はすぐに直すよ。なんだかんだオレも気に入ってるし。犯人もすぐに見つかると思うけど…」
二公子は再び桜に目をくれ、言葉を止める。そして、「誰であっても覚悟したほうがいい」と続ける。それは誰であるかに対してなのか、処遇に対してなのかは分からなかった。
「君に惚れていても傍で守ることができないというのは苦しいものだね。こんな狭苦しいところじゃなくて、オレの部屋に来るかい?……ってのは冗談だよ。仕事が手に就かなくなっちゃうし」
ひとり笑うが口元だけだった。眼差しは室内の全てを捉えようと張り巡らされている感じがあった。穏和な調子は崩さないが、あくまで皮であり、装いであり、飾りだった。澄んだ瞳はただ無機質に光る石という趣しかない。
「…会うかい」
「どなたとです」
「またまた~。この流れから言ったら、容疑者とでしょ」
桜の顔面が蒼褪めていた。天藍は彼女が部屋の隅のしがない付添人を確認したことを気に留め、口元をさらに吊り上げた。
「会いません」
「そう。まぁ、会える状況にはないんだけどね」
意味ありげに言った。何かを探られているふうだったがこれという伝えるべき事柄はない。否、あるにはあったが伝える気はなかった。
「どういうことですか」
「何者かが先に、随分とやらかしてくれたみたいでね。この場合手柄でもあるんだけど…尽力してるけど、どうなるんだか。おっと、これ以上はいけない」
肩を竦め、内容の割りに口調は軽く、再び部屋の隅の桜をその煌めきを秘めた瞳は観察していた。
「君のことは聞いてるよ。元々は官吏だったっていうのに、実は素晴らしいお医者様なんだってね。君の手にかかれば…“洗朱風邪”も治まるんじゃないかな?」
付添人は完全に委縮していた。鼠を遊び心から追い込む猫そのままに天藍は顔を上げられない元官吏を視線で嬲り殺さんばかりだった。
「適材適所にすべきだったかな」
「もったいなき、お言葉…」
桜は戦慄しながら拱手する。
「天藍様。其奴はわたくしの大切な下僕。城に戻すつもりは毛頭ございません」
権力者は極彩にただ微笑だけを返す。城に戻れなどとこの者が命を下せば窮鼠をさらに委縮させるだけだ。
「残念。オレも君に飼われたいものだよ」
真正面から捉えられる。標的が変わった。無遠慮に身体を眺められ、胸元に触れられた。柔和な顔立ちから表情が消えている。
「何。彩ちゃん、怪我してるの」
「本当に…いや…その、」
言葉を待っていたが却って無言でいることが威圧的であることを彼女は承知していた。しかしやり過ごす台詞もまた出てきはしなかった。
「これくらいの、小さい子なんだが…苦手か」
「え…は、はい。子供はどうも…」
やっと絞り出せた冗談に桜は律儀に答えた。だがやはり雄黄が姿を見せないことが気掛かりだった。それほどまでに深く傷付けてしまっただろうか。
「でも良い子だぞ。聞き分けはいいしな。わたしがあれくらいの頃は我儘ばかりで大人を困らせていた」
「ご、御主人…?本当に…本当にどうにかなってしまったんですか?しっかりしてください!お願いですから…気が触れてしまったんですか!御主人…」
癇癪を必死に抑えようとする様に似た呻きを漏らし、怯えと大きく顔を歪ませ桜は極彩の両肩を掴んで揺さぶる。腕が痺れ、頭の中が浮遊する。
「桜こそ、どうしたんだ?やはり疲れているんじゃないだろうな」
「御主人っ!どうしてなんです?どうして御主人を襲った張本人を自分から呼ぼうだなんて言うんですか?精神錯乱まで引き起こすなんて…」
最後はもう呟きだった。呆れを滲ませ、泣きそうな目元でゆるゆると頭を振る。極彩の足元に崩れ落ちた。その様を見て、言葉を失い、苦笑する。
「雄黄だぞ?」
「あの少年ですよ。あの少年こそ御主人を狙ったんです…お気付きじゃなかったんですか……」
何もかも白状し、もう身体のどこにも力が入らないといった感じで項垂れていた。
「だってまだほんの…」
「年齢なんて関係ないです。僕の元いた家はそういうところなんです。箸だの筆だの握る前から剣だの槍だのを握らされるんです」
そんな中で不出来だから僕は。極彩の両腕の前で彼は顔を覆った。そして暗器だと断言された短い矢を差し出す。
「これはあの家庭で使われていたものです。信じたくなかった。でも繋がるんです、全部。点と点が」
「わたしに対する復讐心、か」
控えめに頷きが返ってくる。自嘲し、また苦々しい笑みが浮かんだ。
「仕方のないことだな。憎しみは話し合いでは決着しない。圧倒的暴力でしか。一時の達成感でしか、抑えられない」
「達成感なんてあるわけないですよ!何も還ってきはしないんですよ。起こったことは消せない。背負うしかないんですよ。どうして混ぜっ返すような真似を認められるんですか。一体全体何を取り戻した気になれるんです?理性と良心の箍が外れた怪物になるだけだ…!」
桜は勢いよく否定した。一房跳ねた髪が芒のようで愛らしかった。
「怪物になってでも成さなきゃならないことがある。生まれ、飯を食み、生殖し、眠るのだけが能じゃないはずだ」
「僕は御主人に付いてゆきます、どこまでも。たとえ僕の意に反しても。僕の御主人だから。ただ忘れないでください。人の肉を裂く感触を。皮膚が破れていく瞬間とか。息が止まって、脳味噌が死んでいく様とか。もう、一度味わったら頭から離れなくなることを」
頭を抱え、もう何も話したくないと態度が訴えているくせ桜はまだ話を続けた。
「自分の腹を切った感触が忘れられないんです。誰かを斬ってしまったらどうしようかと怖くなる。もう一度切ってみたら治まるかも知れない、それは人の為に活かそうと医業の道に行ったのに…」
普段の彼からは想像もつかなかった心境を吐露され、極彩は祈るような格好の少年をただ見下ろしていた。
「僕はあの家の血から結局逃れられない…杉染台のこと、みんな、腫物みたいに接してくれるけど、僕は…僕は結局、自分の本性に驚くばかりで、あの人を殺めたことなんて何ひとつ……これっぱかりも」
そうだったかな。極彩は思いながらも口にはしなかった。焼くの焼かないのと条件を突き付けた話が後付や欺瞞のようには思えなかった。震える肩に触れた。痺れが襲うも肘を伸ばす。桜は項垂れたままだった。
「お前の腹の傷はわたしも見た。痛々しかったな。でも、お前の中の傷みたいなのは、わたしには見えていないんだ。浅くはないのだろうな。けれどそれ以外分からない。それは桜もなんじゃないのかな。見えない傷を想像して、何度も何度もなぞっては痛みを味わって、確かめようとしているだけなんじゃないのかな。分からないことは不安だからな。とはいえ、お前がそういう嗜好を実際に持っていて、良心の呵責に耐えかねているというのなら、それも否定しない。ただ止めるだけだ。解決はしないかもしれないが、傍にいよう。その際は」
足枷が増えていくね。幻聴に過ぎなかった。桜を立ち上がらせ、彼自身が運んできた椅子へと座らせる。
「ごしゅ、ごしゅじん…」
荒れた肌に滴りそうな雫を指で拭う寸前に数人目の来訪者が現れた。天藍だ。返答の隙も与えられず開扉された。
「来るのが遅くなったごめんよ」
天藍は起立した桜を一瞥し、極彩へ微笑みかける。
「御心配をおかけしました」
「あの部屋はすぐに直すよ。なんだかんだオレも気に入ってるし。犯人もすぐに見つかると思うけど…」
二公子は再び桜に目をくれ、言葉を止める。そして、「誰であっても覚悟したほうがいい」と続ける。それは誰であるかに対してなのか、処遇に対してなのかは分からなかった。
「君に惚れていても傍で守ることができないというのは苦しいものだね。こんな狭苦しいところじゃなくて、オレの部屋に来るかい?……ってのは冗談だよ。仕事が手に就かなくなっちゃうし」
ひとり笑うが口元だけだった。眼差しは室内の全てを捉えようと張り巡らされている感じがあった。穏和な調子は崩さないが、あくまで皮であり、装いであり、飾りだった。澄んだ瞳はただ無機質に光る石という趣しかない。
「…会うかい」
「どなたとです」
「またまた~。この流れから言ったら、容疑者とでしょ」
桜の顔面が蒼褪めていた。天藍は彼女が部屋の隅のしがない付添人を確認したことを気に留め、口元をさらに吊り上げた。
「会いません」
「そう。まぁ、会える状況にはないんだけどね」
意味ありげに言った。何かを探られているふうだったがこれという伝えるべき事柄はない。否、あるにはあったが伝える気はなかった。
「どういうことですか」
「何者かが先に、随分とやらかしてくれたみたいでね。この場合手柄でもあるんだけど…尽力してるけど、どうなるんだか。おっと、これ以上はいけない」
肩を竦め、内容の割りに口調は軽く、再び部屋の隅の桜をその煌めきを秘めた瞳は観察していた。
「君のことは聞いてるよ。元々は官吏だったっていうのに、実は素晴らしいお医者様なんだってね。君の手にかかれば…“洗朱風邪”も治まるんじゃないかな?」
付添人は完全に委縮していた。鼠を遊び心から追い込む猫そのままに天藍は顔を上げられない元官吏を視線で嬲り殺さんばかりだった。
「適材適所にすべきだったかな」
「もったいなき、お言葉…」
桜は戦慄しながら拱手する。
「天藍様。其奴はわたくしの大切な下僕。城に戻すつもりは毛頭ございません」
権力者は極彩にただ微笑だけを返す。城に戻れなどとこの者が命を下せば窮鼠をさらに委縮させるだけだ。
「残念。オレも君に飼われたいものだよ」
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