彩の雫

結局は俗物( ◠‿◠ )

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「今更だと思うけれど。労わってくれるのなら言うことをきいて」
 彼の目は狼狽えながら伏していくった。結果としてかかる体重は変わらないというのにゆっくりと、もどかしいほどにゆっくりと腰を下ろす。きちんと舗装されていない道は小石や砂利、硬い枝に車輪をとられた。それでも大きな凹凸はなく、車椅子よりも幅の広い轍からみるに荷車などが頻繁に通っているようだった。道標みちしるべ同然の生え残っている叢を轢いて進む。斜面を上がっていくにつれ寒さが増していった。体温が高くなり、その差に震えている病人へ極彩は上着を貸した。見上げられる。頬に赤みが差し、それは雀斑そばかすに似ていた。口を開きかけていたが相手にせず車を押す。木々の密度がさらに増した一本道は落葉で滑りやすくなっていた。幅の狭い崖沿いとなるとうっかり車椅子ごと落としはしないかと気を遣う。仮に転落させたとしても生い茂った木にぶつかり引っ掛かるだろう。しかしその衝撃に著しい衰弱をみせはじめている青年が耐えられるとは思えなかった。白い息の吐かれる間隔も短くなっている。冬の近付く山へ、慣れていない者2人どころか、片方は明らかな流行病の罹患者に登山を命じた二公子の底意地の悪さが極彩の芯を温める。群青は咳をしながら極彩の上着の下で抱いた腕を摩っていた。凍えている。車椅子の下部に偶然にも畳まれて入っていた薄い毛布と上着ではまるで足らないようだった。
「あ、の…お召し物…お返しいたします…」
 歯を鳴らし群青は上着を持ち上げる。
「寒いのは平気。貴方が使っていて」
 しかし実際寒くて仕方がない。2人まとめて凍死させる策略を疑うほどだった。一度は打ち消した考えだったが現実味を帯びる。過ぎた知覚は疑心を掻き立て、怒りと熱へ置換する。説明された宿が実在するのかも、目的の人物がいるのかも怪しい。ひとつ森を抜けると、木々の密度が下がり、岩と岩の狭間の道にでた。埃のような雪が舞っているが積もってはおらず、積もりそうにもなかった。白く映っては消えていく。抗いがたい脱力感に襲われるが休んでいる暇もなく、車椅子を押し続ける。細雪ささめゆきは、艶のない群青の髪に頭垢ふけの如く絡み、溶けていった。しかしそうしている間にも次々と病人を白く覆った。
「群青殿」
 すっかり動かなくなった瀕死の病人に肝を潰した。息もしていない。だが懲罰房でみた症状では洗朱風邪の者には無呼吸状態があるらしかった。肩を揺する。
「は…」
 声を発し、弱々しく首を捻って極彩の双眸を捉えた。心臓が胸の位置から落下するような一瞬にも満たない苦しさがあった。
「寝ないでくれる」
「…申し訳、ございませ…ん」
 叱るような口調になってしまったが、言われた当人は反発もなく素直に謝り、咳を連続すると胸を押さえた。共に下山できない可能性がふと浮かんだ。群青の脳天をじっと見ていた。車輪が枝を断ち切った音で我に返る。風花かざはなはやんでいた。木々の天井も途絶ええると石畳とその隙間を埋めるように砂利が敷かれてはいるものの斜面が伸び、薄紅色の空へ向かっているようだった。高地にいるらしく片側は木々の一本一本が鮮明に望める。寒暖のことも死にかけの病人がいることも忘れるほど美しかった。しかし風景に見惚れていると車輪が浮いた石畳の角に引っ掛かった。群青の頭がぐらりと大きく揺れ、肘掛に前のめりになった。振り落しそうになり、慌てて痩せた肩を押さえた。吊り下げた腕のある右肩だったため弾かれたように手を離す。体力ももう限界だろう。
「しっかりして」
「すみ…ま、せ…」
 山の中よりは温かい。だが錯覚だ。油断できず、眠ってしまいそうな群青に声を掛ける。空への線路とも思えた斜面を上がっていくと、すぐに下り坂で、これが厄介だった。群青は歩くと言い出したが自身の病状をよく理解していない病人を介護しながら下るつもりはない。車椅子の重量を背にしながら慎重に石畳へ足を置いた。
「極彩様…」
「気が散る」
 脇には雑草の茂る、曲がりくねった道を降りていく。足元にしか気を配れなかったが、群青に呼ばれたために顔を上げると人里が目に入った。茅葺かやぶきの民家が並び、城下とは文明が違うような印象があった。
「もう少しだから」
「…はい」
 病がそうさせているのか声は沈んでいる。薄紅色の空は間を置かず暗くなった。村の燈火が眩しく映った。残るは平坦な道だったが、群青は肘掛に大きく身を倒していた。
「極彩様…」
 集落に入る前に群青は掠れた声を出した。どこか様子が今までの気怠く絡むようなものとは違い、眉を顰めてしまう。
「何?」
「わたくしを…、置いていってください…」
 突拍子もない発言で、もう少しの道程だというのに思わず足を止めてしまった。慣性によって群青の身が投げ出されそうに揺れる。
「人里離れた…この地に…、流行病を、」
 咳によって言葉は途切れる。車椅子の背凭れに背を打ち付けていた。落ちた毛布と上着をはたいて、掛け直す。
「賢明かもね」
 車椅子は発進した。集落の前を通る小道へ逸れ、把手を放した。極彩ひとりで村へと入った。魚の焼ける匂いに包まれ、辺りを見回す。暗くなった軒下で茣蓙ござを広げ、草履を編んでいた者に宿の名を訊ねる。怒っているような語調の強い訛りがあったが、まだ少し先であることは聞き取れた。足早に戻ると、脹脛のあまり意識したことのない部分が張っていることに気付く。病人は肩に頭を預け、死んだように目を閉じていた。退廃的な魅力があったが、極彩の手首の鈴の音で、目蓋が攣り、その直後に長い睫毛が上がっていった。不安に曇った眼差しから顔を逸らし、まだ休めそうにないことを告げた。ぼんやりしている額や頬で熱を調べる。暫く触れていたいほどに温かかった。反対に寒い空気に浸されながらも輪郭のある冷たさが恋しいのか、彼は人懐こい野良猫よろしく極彩の手へ顔を擦り寄せる。
「宿では隔離してもらおうか」
「宿…」
「泊まらないで行くのは無理。この有様で藤黄殿には会えない」
 極彩は体温を与えられた手を引っ込める。縋るような手が鈍く追う。戸惑っている熱っぽい瞳が眠そうに瞬いた。
「…わたくしを…捨てに来たのでは…」
 くだらない妄想を話し始めたため否定も肯定もせず黙って車椅子を動かした。
「極彩さ、」
「山奥にいるはずの藤黄殿に書簡を届けにきているの。間違っても貴方を山奥に捨てにきたわけではないよ。二公子から一時的に貴方の身柄を預かっているだけ」
 民家を避けるように遠回りしながらその奥にある道へ合流する。このまま進んでいけばいいらしかった。滑らかな地面に気が緩む。宿が見えてきた頃には、群青は眠っていた。宿から距離を置いて止めると、もう1枚だけ衣類を脱ぎ、時折呼吸を忘れている彼の上体へ掛けた。極彩ひとり宿へと入る。山奥にある建物にしては立派な造りだった。宿の主に事情を話すと渋い顔をして倉庫を提案した。罹病している者の連れだというのに門前払いもされず、泊まる場を設けられ、それだけでも厚遇されているような心地がした。洗朱風邪は名付けられたとおり、城下にのみ蔓延しているらしかった。布団は適当に使ってよく、代金は食事代のみということになった。礼を述べて外に置き去りにした車椅子を宿の正面から道を隔てた反対にある古民家を改装した中2階の倉庫へ押した。
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