彩の雫

結局は俗物( ◠‿◠ )

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 荷物と化した車椅子を群青が押し、帰路に就く。日没までには特に生い茂って暗い区間を抜けられるだろう。筋肉痛に耐えながら斜面を上がり、そして下った。天気はよかった。あとは帰るだけという気軽さも加わっている。だが二公子のもとに報告に行かねばならないというのは今からでも緊張感が伴うことだった。
「極彩様」
 片側は山中に続き、片側には雑草が生い茂り、日の光がよく届いている道で2歩ほど後ろを歩く群青に呼ばれる。歩きながら振り返った。彼が立ち止まったため、極彩も足を止めた。そして身を翻して彼と対する。
「申し上げるのが大変遅れてしまいましたが、ご成婚…おめでと、う…ございます…」
 少しずつ消え入っていく。眉間を寄せて、瞳が泳いだ。挙動不審さに首を傾げる。
「ありがとう」
 改めてもらう言葉でもなかった。つい先程、婿と勘違いしたことにばつが悪くなる。内容とは裏腹にまったくありがたがる様子もみせず吐き捨てた。詳細を聞くことはないだろう。そして自ら教えることもない。群青へ背を向けまた進む。
「極彩様は」
「何」
 呼んだ者は再び止まったようだが、極彩は止まらなかった。距離は開かず群青はついてきた。
「あとどれほど、わたくしと居てくださいますか」
「帰ったらすぐだと思う」
 車椅子が小石を撥ねる。雑草を掻き分けていた音がやむ。
「帰ったら、すぐ…」
「今はわたしの奴隷になっているけれど、貴方に用なんてないから」
 構わず進んだ。見失いはしないだろう。道は暫くひとつだった。群青の表情は強張り、固まっている。
「言い分は変わらない。恨みもしない。けれど、」
 鈴が軽やかに鳴った。木々が頭上でざわめいた。指先が冷たくなる。もう一度だけ振り返った。
「帰ったら…わたしの前から消えて」
 声音には怒りも軽蔑もなかった。ひとつの提案のように言った。乾いた風が群青の焦げ茶の毛先が傷痕の治りきっていない頬を叩いている。話は終わったとばかりに極彩は再び進行方向へ直った。彼も動く気配がした。一つ覚えのような「承知しました」は聞き逃していたのだろう。何の返事も聞こえなかった。
「嫌です」
 立ち止まる気にもならなかった。雑草が車椅子に轢かれる音が断続的に聞こえているが、空耳に違いなかった。
「よく聞こえなかった」
「諦めきれないのです…極彩様の前から消えることなど出来ません」
 左右を森に囲まれた暗い道へ入っていく。
「わたしの腹を潰しておいて?」
「はい」
 吃逆と聞き違うような引き攣った笑い声が出た。
「それ、わたしの夫の前で言える?」
「はい」
 即答され、溜息を吐いた。
「それも貴方に課せられた任務のうちなの」
「どういう、ことですか」
 控えめに彼は訊き返した。歩き続けられないのか、頻りに立ち止まる。しかし待つつもりはなかった。
「二公子に、揶揄からかうよう命じられてでもいるの?あの水銀みたいな薬だって本物かどうか分からないのだもの。実際証明だってしていないのだし、二公子だってあんなに軽々しくお飲みになられたものね。わたしは……まんまと踊らされていた?それなら大成功。最高傑作。国に誇っていいほどの出来栄え」
「まったく違います!」
 群青の声が強く木々に吸い込まれていった。極彩は首を傾げただけだった。
「あれは本物です。俺の気持ちが伝わらなくても、それだけは、本当なんです」
「そう」
 淡々と返す。これという感慨も湧かなかった。
「極彩様…」
 耳障りな声に舌打ちをする。
「初めて食べたクレープとかいうお菓子、美味しかった。貴方と歩いた不言通りも楽しかった。一緒に行った祭も、淡香寺で観た花火も。いい思い出として留めさせておいて。恨みたくないから」
 群青を肩越しに一瞥した。彼が口を開いた途端、叫び声が轟いた。女の高い声で、誰かを呼んでいる。群青は地を蹴り、極彩の視界から姿を眩ました。追うつもりでいた。だが一瞬、肩に熱が触れた。緑に染まった霰餅がひとつ足元に転がる。季節柄日没が早く、そしておそらく今は一昨日と比べて温暖であるが、気温も急激に下がるだろう。うんざりしながら群青と影の溶けていった森を眺めていた。早く帰らねば叔父の容態はどうなっているか分からない。二公子に告げられた日数も1日多く越えている。冬の訪れた山にはそぐわない軽装だ。群青を置いて行くことはできた。だが足が動かなかった。立ち尽くしたまま、視界に入った木々に残っている葉の1枚1枚を数えてでもいるのか極彩はそこで彫像になっていた。霰餅を蟻が運んでいく。
『見殺しておけばよかったのに』
 ゆっくりと横を確認した。誰もいない。
『叔父上だって前に訊いた。彼も殺す?って』
 反対側にも人はいない。
『腹潰されて、憎いんでしょ。もう子供、産めないね。お母さんになれないね。お祖母ばあちゃんに、なれないね……まだ未来なんて夢みてるんだ?どこで?ここで?』
 森の奥へ目を戻す。何時間経っていたのか分からない。少しずつ山は暗くなっている。空はまだ幾分かは明るいかもしれない。
『死んじゃいなよ。何も出来ないなら。叔父上もあとはいくつか夜越えて死ぬだけ。紅だって、もうあんたみたいな薄志弱行の意気地なし、必要ないよ』
「そうだね」
 唇が震えた。車椅子を押した。
『分かってない』
「叔父上のことだけは、看取らせて」
『じゃああの人が死んだら、もう死んで。みっともない姿、これ以上わたしに晒さないで』
「考えておく」
 把手を握る力が強まり、大きく曲がった。車椅子が横転する。救急箱の内部が派手な音を立てた。小石が取り除かれ木の無い空間から外れて落葉が敷かれ、枝々の張り巡らされた斜面へ転がっていく。
『腑抜け!仇討ちなんてもうとっくにするつもりなんかないクセに!』
 細い木に引っ掛かり、ぶつけた腕を摩った。枯葉や土を払う。
『矜持とともに死になよ。四季国と一緒に…!風月国に染まったわたしなんて許せない…あんな屈辱を受けてまだのこのこ息してるなんて…!信じられない!』
 すぐ横の木へ頭を打ちつける。粗い樹皮が荒れた痛みをもたらした。全身の土や枯葉を落とし、斜面の上にある車椅子と救急箱を拾った。下方から声が聞こえ、極彩は宙を見回し耳を澄ませた。男の声だった。助けを求めているというよりは何者かへ呼び掛けている。車椅子を置いて、声のするほうへ下りた。思いのほか近く、男のいた場所も木々が少なく、道ではなかったが大きく開けていた。都会的な身形の30代前半といったくらいの男で極彩の登場に驚いたようだった。そして駆け寄り、人を探していると言った。極彩の胸には届かないくらいの背丈で、9歳ほどの男子だそうだった。首を振る。山はすっかり暗くなっていた。どれくらい前からはぐれたのかと訊ねた。男は、7日は経っていると答えた。研がれた石がしまわれた懐を撫でていた。一度浮かびかかった疑いを否定した。その子供の名はトクサというらしく、彼の父親らしき男はいかに彼が素晴らしい才能を有しているかについて語った。郷学所でも筆学所でも優秀で、将来は官吏になることを周囲から期待されるほどだったという。7日も行方が分からないのなら役人には頼んだのかと訊ねた。男は夜目が利く中で拙そうな顔をして首を振った。彼のことだからきっと森の中で上手くやっているに違いないと男は言った。だがそろそろ寒くなるのだし迎えにいってやらねばならないのだと添えられる。遠くで聞こえた女の声のことも訊ねた。彼女は男の妻らしかった。
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