彩の雫

結局は俗物( ◠‿◠ )

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「極彩様、おどきください」
 首を振って拒絶する。
「斬り殺してもいいよ。ああ、素敵だな。夫婦共々切り刻んで果てる…オレもそう在りたかったな。でも残念だよ。隣に選んだのがオレじゃないなんてさ…そんななら要らない。オレを選ばないなら要らない。縹はどんなカオするだろう?もう目覚めないだろうね。群青はどんなツラして悲しんでくれるかな?ああ見えて薄情だからなぁ。あの片輪の子はどうなるんだろう?紫暗ちゃんが面倒看てくれるね。楽しみだなぁ…ほら、退いて。その男は君を守っちゃくれないよ。君もその男を守れないんだから」
 若い剣士がどのような行動を取るかは分かりきっていた。
「雄黄も報われるだろ?よろしく頼むよ、死後あっちの世でさ」
 胸に抱いた夫だけが確かだった。銀灰と桜のことがわずかに心残っている。
「お嫁さん…どいて…お願い…」
 激しい熱に打ち砕かれる。骨ごと皮膚を断ち切られる軋みと響き。眠そうな目が大きく開く。視界が下がっていった。頭を強く打ち、夫を見上げる。湿っていき、濡れていった。身体に力が入らず、内側から物凄い力によって下方へ吸い寄せられていく。視界が濃い緑色に染まり、耳鳴りが激しい。
「本当に斬ったのか!」
 天藍は叫ぶ。だが数秒後に、「続けて」と添えた。嗅覚も視覚も歪む。冷たい手に抱き起されるが、背中の痛みに思考が剥奪された。夫は世話係たちを押し退け妻へ迫ろうとしていたがさらに強まった拘束により床に膝を着かされていた。
「…お嫁さ…っ」
「彩ちゃん。答えて」
 二公子の純白の衣服が女から広がる血に汚れていく。
「お嫁さ…っ」
 不本意に涙ぐむ視界で世話係によって顔半分を覆う布が捲られる。素顔を見られるのを恥ずかしがっていた。血に染まった手が伴侶へ伸びた。しかし真っ赤に染まった指に阻まれる。
「オレだけをみて。すぐに楽にしてあげるよ、オレを選んで」
 すでに霞んだ視界では、紫煙の箸に挟まれた蜚蠊ごきぶりが暴れていたこともよく分からなかった。ただ何か不適切な物が夫の口へ運ばれていくということしか判断力の低下した頭では理解できなかった。手首の鈴も赤い雫を垂らしていた。熱が引いていき、寒さの中で激しい痛みに悶える。
「ゆ…る…し、て…」
「彩ちゃん、彩ちゃん。答えて。彩ちゃん…!」
 沈香の香りに吐き気がする。繋がれた手を拒み、箸を咥えさせられた夫へ宙を掻く。
「天藍様!」
 扉が蹴破られるように開き、溌剌とした女の声が響き渡る。
「嬢ちゃん」
 続いて甘く溶けるような、それでいて切羽詰った低い声がすぐ脇で聞こえる。
つるばみを放しなさいよ!」
 元気な娘が夫を捕まえる者たちを投げ捨てる。垂れ目が視界に大きく入り、彼女と夫を隠した。届かなかった赤い手を大きな掌に預けた。
「なんで…」
 似合わない女の絶望を耳が拾った直後に眼前に飛び込んできた夫の素顔に、妻は凍えながら眠りに落ちた。


 オレはこの景色が好きだよ。
 金色一面の小麦畑を眺めて青年は言った。彼の髪色によく似ていた。
 君も好き?
 小麦畑がそよいで順々に一瞬だけ色を変えるたび、子犬のような雰囲気のある癖毛が揺れた。猫の尾のような穂が手招きしているみたいだった。
 ひとつ実を落とせば、二つ三つ穂が芽吹く…でも落ちた実にも、やりたい生き方はあったと思うんだ。
 朗らかな声は弱くなる。
 自己犠牲を赦せば、次々と犠牲を要するよ。当たり前にしちゃいけないだろ。つらいかもしれないけど、耐えて。
 涼やかな風が再び麦畑を白銀に撫で付けていく。
 国に守られて、食うに困らず、着るにも不自由しない。明日の心配もない。でもだから、志が一緒じゃないなら、この身はさ…
 オレはこの風景が好きだよ。青年は話を切った。
 本当に、いいんだ。弟たちが幸せなら…違うね。弟が幸せなら、オレが幸せなんだ。だから何も言うな…それよりもお前だよ。理想の二人連れって噂になってたのにさ…
 青年の素直な表情は陰る。
 オレがいうことじゃ、なかったよな…
 波打った毛先が弾む。
 お前はいつもオレ優先だよな。兄ちゃんみたい。弟って案外いいかもな。でもお前が兄ちゃんに限ったら、か。でもずっと兄ちゃんって疲れるからさ、たまにはお前もオレの弟になったらいいじゃんね。
 淡い空の青さを彼は蜂蜜色の瞳に映して風車かざぐるまのように笑った。
 お前は意地っ張りだからな、たまにそこに甘えちゃうよ。
 青年は森へ消えていく。木漏れ日の中を振り向くこともせず進み、溶けていく。追うことは許されなかった。贈られたばかりの白い短剣が重い。
 もうやめようよ、復讐なんて本当に何も生まないよ。
 背後から女が語りかける。振り返ることができなかった。
 奪うだけじゃない…失ってばかり。
 氷と同じ温度の両手が目元を覆う。口調は優しかった。
 その手を汚してつらいこと我慢したって、何も帰ってこない…
 何も帰ってこなくても、ずっとこのままなら生きていけない。
 胸元に両腕が絡み、身動きを封じられる。
 耐えてそれが生き残った人たちが背負う試練だから。業だから。罪悪だから。償いだから。
 柔らかさに身を委ねたくなった。流されてしまいそうだった。おそらく上手く泳げるだろう。
 そんなふうに割り切って、生きてみたかった。
 彼女の両手を振り解く。目の前に女が立っている。
 討つべき仇が増えていくわけ?何を手間取ってるのさ?
 女は嫌らしく笑った。
 国が殺した。そのイミ分かる?きりのない悪意と理想を否定して退けて、殺意を重ねて暴力を良しとして生きていく?出来もしないくせに口ばっかりは一丁前いっちょまえだね!
 女は人形をあやしていた。人形ではなかった。片目が腫瘍で塞がった彼は虚空を見つめ、女の腕の中に身を預けていた。首が据わらず、肩に頭を倒し、どこでもないどこかを凝視している。黒煙が上がり、ひよこのような少年は燃えていった。女は立ち尽くす。
 何より生産性がない。いけないことだよ。殺したら殺されて、殺されたら殺して、みんながみんな産まずはぐくまず復讐を繰り返したら、どうなると思うのさ?大体死を罰だと思うなら、あんたも死んだほうがいいよ。
 女の手には少年の代わりに短剣が握られていた。鞘から抜かれ、異質な白さが目を惹いた。
 あんたは、あんたを好いた人間も、あんたが好いた人間もみんなを裏切ることだね。あんたを置いて死んでいった奴等に縛られて、あんたも暴力で決着するなら、あんたの最期も暴力で解決しなきゃ…それが復讐の礼儀なんだから。出来ないならあんたもただの殺戮者でしかないんだな。償いなんて出来やしないんだから。強いて言うなら世にあんたがたった1人残るまで殺し続けることさ。悲しみは消えるよ、そうしたら。あんたに対する恨みもね。くだらない矜持が怒りを生むね。死んでいったやつなんて何も考えちゃいなんだ。遺言に意味なんてないんだから。生きてる奴等の幻想ってやつだね。割り切らないと。死んだら終わりなんだから。それとも本当に河流れする?みんないかだを漕ぐことに必死で、あんたが何処どこの誰々さんを殺そうが殺すまいが関係ないさ。ささ、苦界から脱出するなら絶望の自害しかないよ。河教様、筏様も見放して、もう生まれなくていいんだから。
 女はけたけた笑って、白い短剣を自身の首に突き刺した。
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