彩の雫

結局は俗物( ◠‿◠ )

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 座敷牢から解放されて身を清める。菖蒲は縁側で煙草を吸いながら、膝に乗せた野良猫を撫でていた。遠くへ視線を投げ、紫煙を吐く。
「久々のヤニは美味しいです…ええ、はい。ここではちくちく言う人がいなくていいですね」
 荒れた手が煙草を口から遠ざける。薄い唇からまだ煙が漂っている。髪を布で乱雑に拭きながら極彩はその姿を見下ろしていた。闇に自ら溶け込んでいきそうな捻くれた雰囲気を帯びていた。
「毒ですから近付かないことですよ、ええ。洗朱風邪よりも、静かにゆっくりゆっくり、肺をダメにしていくんですから…うん」
 近付いてくる足に気付き、彼は衣嚢いのうに手を突っ込む。
「ボクの数倍、貴方は毒を吸う。しかしボクはやめられない。毒を振り撒き、近しい者を蝕むんです。近ければ、近いほど…まるでしがらみです…ええ、意味深長いみしんなことを言ってみたかっただけです。他意はありませんよ」
 すぐ傍まで行くと、勝負はまだ吸える余裕のある煙草を取り出した携帯灰皿に潰す。
「一度は辞めたんですがね、喫煙タバコ。若い身体を害するわけにはいきませんからね」
 紫煙と同じ銘柄か、それに近い香りだった。
「うちの息子くんもね、酒をやめないんです。酒か煙草ですよ。お手軽な福祉すくいです。こういったものに依存していまうのは遺伝ですね。まだ娘氏はそういう年頃じゃないんですが、どっちに転ぶやら。両方かも知れませんね、恐ろしいな。子育てには胃痛ふあんが絶えませんよ。好きにさせるのも手なんでしょうが、どうも自我が出てしまいましてね。息子くんは煙草はやりませんが、酒浸りだし、娘氏はあの様子だと両方継いじゃうかな。どうも口煩くなっていけない。まだボクが親だ、ボクの所有物モノだという認識が抜けないんですね、ええ」
 嗜好品を失い、暇になった手が膝を摩る。彼は掘り起こされた庭園の不自然に均された土を捉えていた。
「ああ、息子といえば三公子なんですが、どうやら拘置所にいるらしくて。驚きですが、何でも淫行の罪とかで」
 蘇芳のように珊瑚が息子の世代に近いのか、息子と三公子が彼の中でどう結びついたのか分からなかったが、極彩は黙って聞いていた。猫が小さく鳴き、菖蒲は缶入りの珈琲を一口飲んだ。酸味のある苦味の強い豆の香りがした。
「そろそろ兄弟で決裂する頃なんですかね。どうみても二公子にがあるというのに。何をそんなに弟が気に入らないんでしょうね」
 膝の猫にも問いかける。
「ちょっと語弊がありますけど淫行の罪といいましても、ある貴人の部屋に頻繁に入り浸っていたってだけですよ。何か被害を受けただなんて届けもありませんでした。ただ部屋を出入りする姿を幾度も目にしたという複数の情報だけが確かです」
 胡麻を擂るような態度の中年男は眉を上げ、あっさりした目を極彩にくれた。何か言え、とばかりだった。
「その貴人が割れているのなら、本人にお訊ねになったのでしょう?」
 身体は湯冷めしていくが、固く包帯に巻かれた2本の指先だけは熱を持って疼いた。
「ボクの管轄外だったので、その後の動向は分かりません」
 大仰に肩を竦める。風が吹き、肌と濡れた髪を荒らす。
「強奪によって満足した者は強奪を恐れるものです、ええ。人単位然り、国単位然り」
 彼はまた珈琲を口にする。二公子もその器ですかね。呟きが攫われていく。
「さて、怪我の具合を看ましょう。当分の家事はボクがやりますよ、ええ。ご安心ください。これでも得意なんですよ。息子くんが娘になったつもりで最善を尽くしますよ、ええ」
 両手を叩き、夜に木霊する。太った冬毛の猫を地面に下ろす。珈琲を飲み干し、居間へ促された。腫れた指を寒い空気が包んだ。救急箱を持ち出し、部屋の真中に大袈裟な動作で腰を下ろす。勧められるまま対面に座った。
「明日、診療所に行きますか。支えが必要です。今すぐにでも行きたいところですが…ええ、もう閉まっているでしょう。緊急性は…怪我自体にはありませんけど、きちんと治さないと梅雨と冬に痛くしますから」
 その場を凌ぐ程度の笑みを浮かべ、慣れた手付きで彼は湿布を貼り、包帯を巻いていく。
「外に出てもいいんですか」
「許可は下りていると伝わっています。何か不安がおありでしたら、ここに呼びますよ」
「いいえ。特に不安はないです」
「それは良かった。貴方が起き次第行きましょう。昼過ぎまで寝ているなんてことはありませんよね?」
 彼は自身でへらへらと笑った。乱雑に救急箱を片付けていく。菖蒲は布団の脇には寄らなかった。襖を閉められ、暗い空間の中で眠った。
『ええ…運んでください。はい―こちらでどうにかしますよ。ええ、この季節ですし、あのカビ臭いところよりは…―彼女もそのほうが…』
 襖と襖の狭間から漏れる光から陽気さと胡散臭さの失せた話し声が聞こえた。


『犠牲者、か。聞こえはいいけど…そんなんじゃないだろ』
 夜から灯籠によって炙り出されていく青年は蜂蜜色の双眸を赤く揺らしていた。一瞬にして夜空が城内へ変わる。
『犠牲になったんじゃない!殺されたんだ!あんたらのお偉いさんに!』
 怒号が飛び、首が転がった。失礼しました。武器を納めた護衛が静かに言った。再び場面が変わる。
『美談じゃないか。平凡な家に生まれて、まぁある程度は他人様のために税を納めてさ。ほら、助け合いって大事だろう?それで働いて飯を食って、寝る生活なんだから。御国の為に死ぬ価値を見出された。傑物と呼ぼう。みんな、なけなしの存在意義をはたいて、ありもしない手前の才と器を見出して、捨て駒としての務めを果たしてくれるだろうさ。お前もそうだろ…?』
 麗らかな眼差しは兄に似ていたが、紡がれていく言葉はまるで異なっていた。
青人草あおひとぐさの血税で生かす価値なし、と…』
 少女の渡した書状を抱いて、崩れ落ちる。慟哭が退廃地区に轟く。波打った髪の青年が笑い、目を伏せ、背を叩き、また笑う。

「極彩さん」
 枕が動き、目が開く。はっとして視界に入った菖蒲に釘付けになる。
「魘されていましたよ。指、痛いですか」
 握り込んだ手の感覚は重かった。
「い、いいえ、ごめんなさい」
 寝ていたことも忘れるほどに頭は冴えていた。菖蒲はすでに活動的な、しかし彼独特の空気感が怠惰にさせてしまっている服装で、極彩は彼に時間を訊ねる。まだ寝ていても遅い時間帯ではなかった。
「菖蒲殿は寝られましたか」
 昨夜、意識が途切れるまで聞こえていた話し声を思い出す。
「快眠ですよ、ええ」
 彼はそう言って出て行った。朝支度をして近くの店で買った朝餉を摂ると、牛車に乗って診療所へ向かった。診療所では折れた指にわずかに角度のついた鉄板を当てられ、湿布と包帯で処置されると鎮痛剤を出され、診療は十数分とかからなかった。帰りに菖蒲から砂糖と牛乳が多量に入った珈琲をもらう。ボクだけ珈琲なのは不公平ですからね、と彼は添えた。息子や娘にもよくそうしていたらしかった。まだ幼かったため、果物牛乳や氷菓子にしていたのだと語っていた。彼は少しの間好き放題喋っていたが、屋敷に近付くにつれ言葉に詰まったり、媚びる笑みが薄らいだ。腹でも痛いのかと問えば、彼はあれこれと関係のない話をはじめたが、菖蒲の中には連想されるものとして強く結びつきのあることらしかった。
「極彩さん」
 もう少しで着くというところで彼は改まった。
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