彩の雫

結局は俗物( ◠‿◠ )

文字の大きさ
257 / 339

257

しおりを挟む
 深夜帯に菖蒲がやって来て居間で寝転がっている天晴組の長の姿に妙な顔をした。縁側に座り腰を下ろす中年男に石黄の祖父のことについて、石黄のことであることは伏せて訊ねた。その者は現在、極彩の知っている限りでは山奥に籠っているはずだった。しかしその者の孫はすでに亡くなっている。菖蒲は灰皿へ短くなった煙草を潰す。酒を勧めたが苦笑とともに断られた。
「牛車はそうではないのですが…馬車はまだ法的整備がきちんとなっていないんです、ええ」
 菖蒲は腕を組み、春に近付きながらも肌寒い風に吹かれていた。
「これがどういうことかと言いますと…そうですね、万が一、人を轢いた場合、一生慰謝料を払い続けるより、殺してしまったほうが安上がりでして。轢き逃げなんかの場合は他に宛てを失くした被害者やその家族が助けた人に請求するなんて事例もありましたね。息があるなら潰すんです、何度も、死ぬまで。見るからに死んでいても死亡判定をするのは医者の仕事ですからね、生きてちゃ困るので…完全に頭を潰すまでぎたぎたに潰すんですよ。ボクも見たことがあります。藤黄殿の子息もそういう事故だと聞いています。ボクは報告書しか見ていませんけれど。この国は被害者になったら終わりです」
 話の内容とは裏腹に彼はいつの間にかもう1本煙草を吸いはじめ深夜の空に煙の輪を作る。
「法改正の声もあったんですが、通りませんでした、ええ。確か群青さんが詳しいですよ。ただの事故死じゃなかったと随分経ってから暴いたの彼なので」
 若造の正義感溢れた法整備の声なんて誰の耳にも届きませんでしたけどね。わはは!と両腕を開いて彼は笑った。
「菖蒲殿はあのお人が好きなんですね」
「ええ、大好きですよ。山吹様とは意味合いが異なりますが」
 突然山吹を引き合いに出す意味を極彩は分からないでいたが適当に返事をした。
「極彩さんは?」
「これという感情は、特には」
 そうですか、残念。菖蒲は煙を噴く。夜の音が静かな住宅地に響いた。
「既婚者になってしまったからですか」
 この話題は終わったものかと思ったが彼の中ではまだ続いているらしかった。
「いいえ」
「貴方を長いこと騙していたからです?」
「仕事上のことですから、騙されたとは別に…」
 菖蒲はずいと前のめりになって極彩へ迫った。
「全体的に不健康っぽいからですかね?」
「酔っているんですか」
「酒臭い極彩さんに言われたくないですよ」
 彼は短くなった煙草を灰皿へ磨り潰す。
「わたしがあのお人を好いていないと何か困ることがある?」
「もう忘れてください。この話は無かったことにしましょう」
 怒っているような感じを持ちながら彼は山積みの洗濯物を片付け始める。

 もうすぐ死ぬという譫言を聞いた2日後に石黄の訃報が届いた。下回りの者が葬儀のために天晴組の不在を伝えにやって来た。絹毛鼠がからからと滑車を回し、極彩は故人の置いていった酒を硝子杯に注いで卓袱台に供えた。外には天晴組ではない集団が包囲していた。昼前に官吏のひとりが珊瑚の腕を引いて1日預かるように言った。菖蒲のことを訊ねれば彼も葬儀に出席しているらしかった。三公子は額に吸熱剤を貼り、口覆を付けていた。官吏は彼の世話を頼むとそそくさと帰っていく。玄関に2人きりで残され、三公子は極彩を見上げたがその瞬間に顔を逸らして咳をした。
「風邪ですか」
 蒼い顔をして三公子は頷く。居間へ通すと彼は卓袱台に置かれた酒を見つめて行儀よく腰を下ろす。
「それ、お酒なので飲まないでくださいね。今お湯を沸かしますので」
珊瑚は反発するように眉を顰める。台所へ向かうと給湯甕に水を汲み、沸騰させる。少しの時間を要するため居間へと戻った。三公子は緊張しているのか背筋を伸ばし、姿勢よく座っている。
「熱はあるんですか」
「ちょっと」
 喉は嗄れ、ほとんど息だった。彼はまた卓袱台の上の硝子杯を見つめる。
「喉が渇いているんですか」
「…誰か死んだのか」
 掠れきった声で彼は訊ねる。咳を繰り返し、溜息を吐く。
「天晴組の人が亡くなったと聞いています。わたしの家ではないので寛いでくださいというのもおかしな話ですが、楽にしたらいかがです」
 珊瑚は咳払いをして礼を言うと脚を崩した。
「布団を敷きます。食欲は」
「さっき食べさせてもらった」
 洗朱風邪とも花労咳とも違う咳の音だった。湯が沸くまで居間の隅に布団を敷く。隣室は荒れ果てていた。
「なぁ」
「なんです」
「空巣でも入ったのか」
「いいえ」
 珊瑚は床を這うようにして壁際によるとそこへ背を凭れさせた。給湯甕が沸騰を告げる。
「葛湯とお茶、どちらがいいですか」
「お茶」
 卓袱台の上の硝子杯を回収し、茶を淹れる。幼い男児に付けられ消えないままの肩の傷が痛んだ。居間にも茶を持っていくと珊瑚は目を閉じて眠っているようだったが、人の気配にあっさりと目を開いた。
「ひとつ思い出したんだけどさ」
 聞いているだけで自身の喉も傷みそうなほど掠れている。
「診療所で、ありがとな」
「夢の話をされても分かりません」
「あんた…俺のこと嫌いなのか」
 問いには答えず、衣類や布団が散乱した隣室を片付ける。
「あんたがずっと傍に居てくれた気がした」
「気の所為ですね」
 布団を押し入れにしまい、衣類は畳んで箪笥に入れる。珊瑚の渋い面の前を横切り、洗濯物の山に手を付ける。
「手伝おうか」
「いいえ、休んでいてください」
 口覆に殆ど隠れた蒼い顔が畳まれていく洗濯物を眺めていたがそこに下着が混ざってくると慌てて目を逸らす。
「変なつもりじゃなかった」
「何の話ですか」
 兄弟に似ていない目が泳ぎ、嗄れた声で弁明する。しかし極彩は熱病患者の譫言と決めてかかって突き放した。
「布団敷いてあるので寝てくださいね」
「うん…悪り」
 咳をしながら珊瑚は布団へ身体を引き摺るように移動した。
「着替えますか」
「何かあるのか」
「はい」
 菖蒲によって綺麗に畳まれた弟の寝間着を三公子へ渡す。彼は妙な眼差しで寝間着と極彩を見遣った。
「もしかしてさっきの硝子杯グラス…」
「いいえ、全然違います」
 何か言いかけた三公子の重苦しげな目はすぐにその考えを露わにしていた。
「誰かと住んでたのか?あの捨て猫?」
「いいえ」
「じゃあ他に誰がいるんだよ」
「誰だっていいでしょう」
 病熱に潤んだ目で睨みつけられる。またいくらか目の合う位置が変わっている気がした。弟の痩せた肉体を思い出し、極彩は眉を顰める。
「群青?」
「…彼はもう既婚者ですから、あまり誤解を招くような発言は控えることです」
 吸熱剤と口覆に挟まれた吊り目が真っ直ぐ極彩を射抜いた。朽葉にも天藍にも山吹にも似ていない。
「結婚したのか、あいつ…」
「ええ」 
 極彩の髪を目の前の少年の体温が炙る。髪を撫でる生温い手を剥がして振り落とす。
「なんです」
「いや…色々と、複雑だなって、思ってよ」
「これといって複雑なことはありません」
 三公子は苦笑した。弟よりも1つか2つ若いはずだが表情のひとつひとつに発育が窺えた。
「やっぱ何かあったろ。前より分かりやすい、あんた」
 珊瑚の着替えに背を向け、残りの洗濯物を畳んだ。間を置かず彼は眠った。冷蔵庫の中の菖蒲にすべて管理を任せていた食材で炒蕎麦を作り、書置きを添えて女豹倶楽部へ出掛けた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

本物の夫は愛人に夢中なので、影武者とだけ愛し合います

こじまき
恋愛
幼い頃から許嫁だった王太子ヴァレリアンと結婚した公爵令嬢ディアーヌ。しかしヴァレリアンは身分の低い男爵令嬢に夢中で、初夜をすっぽかしてしまう。代わりに寝室にいたのは、彼そっくりの影武者…生まれたときに存在を消された双子の弟ルイだった。 ※「小説家になろう」にも投稿しています

王様の恥かきっ娘

青の雀
恋愛
恥かきっ子とは、親が年老いてから子供ができること。 本当は、元気でおめでたいことだけど、照れ隠しで、その年齢まで夫婦の営みがあったことを物語り世間様に向けての恥をいう。 孫と同い年の王女殿下が生まれたことで巻き起こる騒動を書きます 物語は、卒業記念パーティで婚約者から婚約破棄されたところから始まります これもショートショートで書く予定です。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

五年後、元夫の後悔が遅すぎる。~娘が「パパ」と呼びそうで困ってます~

放浪人
恋愛
「君との婚姻は無効だ。実家へ帰るがいい」 大聖堂の冷たい石畳の上で、辺境伯ロルフから突然「婚姻は最初から無かった」と宣告された子爵家次女のエリシア。実家にも見放され、身重の体で王都の旧市街へ追放された彼女は、絶望のどん底で愛娘クララを出産する。 生き抜くために針と糸を握ったエリシアは、持ち前の技術で不思議な力を持つ「祝布(しゅくふ)」を織り上げる職人として立ち上がる。施しではなく「仕事」として正当な対価を払い、決して土足で踏み込んでこない救恤院の監督官リュシアンの温かい優しさに触れエリシアは少しずつ人間らしい心と笑顔を取り戻していった。 しかし五年後。辺境を襲った疫病を救うための緊急要請を通じ、エリシアは冷酷だった元夫ロルフと再会してしまう。しかも隣にいる娘の青い瞳は彼と瓜二つだった。 「すまない。私は父としての責任を果たす」 かつての合理主義の塊だった元夫は、自らの過ちを深く悔い、家の権益を捨ててでも母子を守る「強固な盾」になろうとする。娘のクララもまた、危機から救ってくれた彼を「パパ」と呼び始めてしまい……。 だが、どんなに後悔されても、どんなに身を挺して守られても、一度完全に壊された関係が元に戻ることは絶対にない。エリシアが真の伴侶として選ぶのは、凍えた心を溶かし、温かい日常を共に歩んでくれたリュシアンただ一人だった。 これは、全てを奪われた一人の女性が母として力強く成長し誰にも脅かされることのない「本物の家族」と「静かで確かな幸福」を自分の手で選び取るまでの物語。

ローザとフラン ~奪われた側と奪った側~

水無月あん
恋愛
私は伯爵家の娘ローザ。同じ年の侯爵家のダリル様と婚約している。が、ある日、私とはまるで性格が違う従姉妹のフランを預かることになった。距離が近づく二人に心が痛む……。 婚約者を奪われた側と奪った側の二人の少女のお話です。 5話で完結の短いお話です。 いつもながら、ゆるい設定のご都合主義です。 お暇な時にでも、お気軽に読んでいただければ幸いです。よろしくお願いします。

地獄の業火に焚べるのは……

緑谷めい
恋愛
 伯爵家令嬢アネットは、17歳の時に2つ年上のボルテール侯爵家の長男ジェルマンに嫁いだ。親の決めた政略結婚ではあったが、小さい頃から婚約者だった二人は仲の良い幼馴染だった。表面上は何の問題もなく穏やかな結婚生活が始まる――けれど、ジェルマンには秘密の愛人がいた。学生時代からの平民の恋人サラとの関係が続いていたのである。  やがてアネットは男女の双子を出産した。「ディオン」と名付けられた男児はジェルマンそっくりで、「マドレーヌ」と名付けられた女児はアネットによく似ていた。  ※ 全5話完結予定  

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

私を裏切った夫が、後悔しているようですが知りません

藤原遊
恋愛
政略結婚として、公爵家に嫁いだ私は 愛のない夫婦関係を「仕事」だと思い、正妻の役目を果たしてきた。 夫が愛人を持つことも、 その子を屋敷に迎え入れることも、黙って受け入れてきた。 けれど―― 跡取りを、正妻の子ではなく愛人の子にする。 その言葉を、人前で軽く口にした瞬間。 私は悟ったのだ。 この家では、息子を守れないと。 元々、実家との間には 「嫡子以外の子は実家の跡取りにする」という取り決めがあった。 ならば話は簡単だ。 役目を終えた私は、離縁を選ぶ。 息子と共に、この家を去るだけ。 後悔しているようですが―― もう、私の知るところではありません。

処理中です...