彩の雫

結局は俗物( ◠‿◠ )

文字の大きさ
277 / 339

277

しおりを挟む
「参考にします」
 彼は照れたように笑った。外見では不精で懶惰らんだな雰囲気があったが、箸の持ち方や茶碗を支える手付き、食べ方には洗練された感じがあった。
「自分の作った物を食べてもらうって、何だか不思議な気分になりませんか。すべて前の妻に任せていたものですから、あまり慣れませんね、ええ。時折、長春や弁柄で小さな食堂に行くと、どうして人に料理を提供しようという気になったのか…興味が湧くんですよ。勿論、需要がある以上商売になります。料理は面倒ですし。ただやっぱり、何となく、手料理を提供されると、何かこう…金銭面だけではない妙な情が…起こってしまうんです」
 魚の食べ方も美しかった。身をひとつも余さずに骨だけが楕円形の皿に残っている。
「わたしはあまりそう思いませんが…言葉でも表情でも手でもなく、味覚で繋がってしまうからでは。不言の飯屋のような商売用の味付けならとにかく、あの辺りの食堂というと家庭の味ですものね」
 不言通りの飯屋は均一された味付けで少し濃い。反して繁華街から外れた区画の食堂は味付けの濃淡が多少変わることもあり、季節や日によって品や具材自体が変わってしまうこともあった。
「ああ…それもあるかも知れませんね」
 赤茄子の玉子とじは加熱によって赤茄子の甘味が増し、卵には出汁が効いていた。
「では菖蒲殿の家庭の味をいただいているということで」
「なんだか照れちゃいますよ」
 穏やかな朝餉の時間が終わり、菖蒲は帰っていった。彼には銀灰のために使うようにといくらか金を渡した。弟の仕送りに充てると決めていた。菖蒲は母親に徴収されないようにすると言っていた。それから少したってまたひとり来訪者があった。紅を連れた城の者かと思い勢いよく転げ出ていったが、玄関の前に立っていたのは柘榴だった。まだ温かい瓦版の包みを土産としてもらった。焼き饅頭だと告げられる。
「今開けてお出ししてもいいですか」
「アテクシは結構よ、太っちゃうわ。いきなり来て悪かったわね」
 光沢のある鮮やかな深紅のドレスは何着も持っているのかと思おう程どれも同じにみえて細部の模様や袖の有無、生地の厚みや生地自体が会うたびに違っていた。
「お茶を淹れてきます」
「お気遣いなく」
 極彩は卓袱台の近くに座布団を置いて、以前柘榴の持ってきた数種類の茶の詰め合わせとは別の茶を淹れた。
「今日は火傷しなかった?」
 居間に茶を運ぶと前回の失態を揶揄される。
「はい」
 柘榴はカリカリきゅいきゅいと大窓の硝子を引っ掻く野良猫の手へまた目を戻した。三毛と雉虎の手が姿を見せず腕だけを伸ばしている。
「すみません。エサをやってきます」
「飼っているの?」
「おそらく野良猫だと思うのですが…住み着いてしまっているみたいで」
 玄関に猫のエサが大量にしまわれている。縁の下にある皿に水分量の多い缶のエサを入れると猫は窓を引っ掻くのやめて極彩を押し退け体当たりして皿へ突進した。居間に戻り来訪者の対面に座す。不自然なほど長く濃い睫毛に覆われた目が極彩を値踏みするかのように観察した。
「杏さんのご容態はいかがですか」
「もう元気よ。後遺症もないわ。連れてくるのがよかったかしら」
「いいえ…お元気ならよかったです。時機をみてこちらから会いに行きます」
 忘れられるはずもないが、しかし忘れていた繁華街の大火事は一度思い起こしてしまうと粘っこく脳裏に張り付いた。激しい怪我を負った者の心情を想うと息が苦しくなる。素人目からしても、もう完治はしないだろう負傷者や、切断しか方法のなさそうな怪我人を現場で幾人かみている。
「大丈夫?アナタ」
 ぼんやりしてしまい、柘榴が怖い顔をして極彩を覗き込んだ。
「はい。すみません。杏さんが元気になってよかったです」
 あの事件の被害者当人や被害者家族の前で同じことが言えるのか。怪我ひとつ負わずにいることに、現場を歩いていたくせ友人の回復を他人事のように喜んでいることに、まるで加害者のような気分になった。
「桜くんには会った?」
 柘榴はまだ怖い顔をやめてはいなかったがわずかに和らがせ、話しを始めた。
「はい」
「最近、なかなかいいオトコと仲が良いみたいね。ああいうの、好きよ、アテクシ」
 誰のことだかすぐに分からずにいると「あのタレ目の大きなよ」と添え、条件に合う者が1人に絞られる。
「いいオトコはいいオトコだケド…銀灰ちゃんを返してくれないのよね。そうしたら突然、桜くんを連れていっちゃうワケ。寂しいわ、アテクシ。銀灰ちゃん、ここに居るんでしょう?たまには会わせなさいよ」
「ここには居ません。母親のところに帰しました」
 柘榴の形良く描かれた眉が歪んだ。黒く縁取られた目が鋭さを帯びる。
「アナタの元に居るんじゃないの」
「訳あって…」
「訳?どんな訳?追い出したんじゃないでしょうね?」
「…追い出した―に、等しいかも知れません」
 柘榴の声音は険を持ち、語気は強い。銀灰との間に起こったことをどう説明していいのか分からなかった。彼が柘榴の言った相手に失恋し、そこから会えなくなってしまったと大雑把に、そして歪曲わいきょくを加えて話す。姉ではなく女として見られていた、ということが打ち明けられずにいた。それは自己保身なのか、弟の名誉のためであるのかも上手く整理ができないでいる。叱咤を待って、極彩は俯いた。来客は真っ赤に塗られた唇を吊り上げる。
「銀灰ちゃんがアナタに会うことを拒んでいるの?」
「どちらかというとわたしが…会っていいものか、迷っていて…いいえ、わたしが銀灰くんに会えずにいるんです」
「どうして?アナタの言葉でいえば、失恋したあの子にかけてやる言葉がない?」
 怒っていると思いきや、その調子は面白いものを期待しているような、しかし意地の悪さを伴った興味を秘めていた。
「あの母親(あばずれ)の所に居ると分かっているなら、迎えに行ってあげなさいよ。あの女は…暴力は振るわないケド、あの子をいじめて遊ぶのが大好だぁいすきなんだから。何されても笑ってるでしょ?泣いたり、怒ったりするよりきっと楽しいんでしょうね、笑うあの子を泣くまで甚振るのは」
「共通の知り合いに銀灰くんのことは頼みました。わたしには、何もできません」
「ふぅん、菖蒲おじさんでしょう?あの親仁おじじは女に弱いから、結局カオ合わせれば流されるのよ!アナタが会わなきゃイミないわ」
 極彩は柘榴の目を見られなかった。会えるだろうか。会えない。姉ではない。姉として見られないというようなことを言われたら。
「失恋したその相手は本当に胡桃ちゃんなの?」
 肯定も否定もできなかった。ゆっくり顔を上げるのが精々で、知らないふりをすることもできたが、かといって弟の気持ちを無かったことにしたくても無下に扱えず、その話題自体を彼方に投げ捨てたくなった。
「縹くんの遺言とは異なる形になれど、外面が同じならいいんじゃないかしら。アテクシは銀灰ちゃんを応援しているんだから。でも、それはあの子の望む形で…っていうのが一番なんだケドね」
「それはつまり、銀灰くんと、」
 その次の言葉を継げなかった。柘榴からは聞いている。しかし口にすることは憚られ、考えることも罪深く感じられた。
「義理の姉弟よ。血は繋がっていないわ。取り持つ後見人っていうのもまだ現れていないんでしょう?もう会った?」
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

本物の夫は愛人に夢中なので、影武者とだけ愛し合います

こじまき
恋愛
幼い頃から許嫁だった王太子ヴァレリアンと結婚した公爵令嬢ディアーヌ。しかしヴァレリアンは身分の低い男爵令嬢に夢中で、初夜をすっぽかしてしまう。代わりに寝室にいたのは、彼そっくりの影武者…生まれたときに存在を消された双子の弟ルイだった。 ※「小説家になろう」にも投稿しています

王様の恥かきっ娘

青の雀
恋愛
恥かきっ子とは、親が年老いてから子供ができること。 本当は、元気でおめでたいことだけど、照れ隠しで、その年齢まで夫婦の営みがあったことを物語り世間様に向けての恥をいう。 孫と同い年の王女殿下が生まれたことで巻き起こる騒動を書きます 物語は、卒業記念パーティで婚約者から婚約破棄されたところから始まります これもショートショートで書く予定です。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

五年後、元夫の後悔が遅すぎる。~娘が「パパ」と呼びそうで困ってます~

放浪人
恋愛
「君との婚姻は無効だ。実家へ帰るがいい」 大聖堂の冷たい石畳の上で、辺境伯ロルフから突然「婚姻は最初から無かった」と宣告された子爵家次女のエリシア。実家にも見放され、身重の体で王都の旧市街へ追放された彼女は、絶望のどん底で愛娘クララを出産する。 生き抜くために針と糸を握ったエリシアは、持ち前の技術で不思議な力を持つ「祝布(しゅくふ)」を織り上げる職人として立ち上がる。施しではなく「仕事」として正当な対価を払い、決して土足で踏み込んでこない救恤院の監督官リュシアンの温かい優しさに触れエリシアは少しずつ人間らしい心と笑顔を取り戻していった。 しかし五年後。辺境を襲った疫病を救うための緊急要請を通じ、エリシアは冷酷だった元夫ロルフと再会してしまう。しかも隣にいる娘の青い瞳は彼と瓜二つだった。 「すまない。私は父としての責任を果たす」 かつての合理主義の塊だった元夫は、自らの過ちを深く悔い、家の権益を捨ててでも母子を守る「強固な盾」になろうとする。娘のクララもまた、危機から救ってくれた彼を「パパ」と呼び始めてしまい……。 だが、どんなに後悔されても、どんなに身を挺して守られても、一度完全に壊された関係が元に戻ることは絶対にない。エリシアが真の伴侶として選ぶのは、凍えた心を溶かし、温かい日常を共に歩んでくれたリュシアンただ一人だった。 これは、全てを奪われた一人の女性が母として力強く成長し誰にも脅かされることのない「本物の家族」と「静かで確かな幸福」を自分の手で選び取るまでの物語。

ローザとフラン ~奪われた側と奪った側~

水無月あん
恋愛
私は伯爵家の娘ローザ。同じ年の侯爵家のダリル様と婚約している。が、ある日、私とはまるで性格が違う従姉妹のフランを預かることになった。距離が近づく二人に心が痛む……。 婚約者を奪われた側と奪った側の二人の少女のお話です。 5話で完結の短いお話です。 いつもながら、ゆるい設定のご都合主義です。 お暇な時にでも、お気軽に読んでいただければ幸いです。よろしくお願いします。

地獄の業火に焚べるのは……

緑谷めい
恋愛
 伯爵家令嬢アネットは、17歳の時に2つ年上のボルテール侯爵家の長男ジェルマンに嫁いだ。親の決めた政略結婚ではあったが、小さい頃から婚約者だった二人は仲の良い幼馴染だった。表面上は何の問題もなく穏やかな結婚生活が始まる――けれど、ジェルマンには秘密の愛人がいた。学生時代からの平民の恋人サラとの関係が続いていたのである。  やがてアネットは男女の双子を出産した。「ディオン」と名付けられた男児はジェルマンそっくりで、「マドレーヌ」と名付けられた女児はアネットによく似ていた。  ※ 全5話完結予定  

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

つまらない妃と呼ばれた日

柴田はつみ
恋愛
公爵令嬢リーシャは政略結婚で王妃に迎えられる。だが国王レオニスの隣には、幼馴染のセレスが“当然”のように立っていた。祝宴の夜、リーシャは国王が「つまらない妃だ」と語る声を聞いてしまい、心を閉ざす。 舞踏会で差し出された手を取らず、王弟アドリアンの助けで踊ったことで、噂は一気に燃え上がる――「王妃は王弟と」「国王の本命は幼馴染」と。 さらに宰相は儀礼と世論を操り、王妃を孤立させる策略を進める。監視の影、届かない贈り物、すり替えられた言葉、そして“白薔薇の香”が事件現場に残る冤罪の罠。 リーシャは微笑を鎧に「今日から、王の隣に立たない」と決めるが、距離を取るほど誤解は確定し、王宮は二人を引き裂いていく。 ――つまらない妃とは、いったい誰が作ったのか。真実が露わになった時、失われた“隣”は戻るのか。

処理中です...