MIBUROU ~幕末半妖伝~

きだつよし

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第一章 壬生の狼  其の二

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 街中を抜けた囮の隊列は、人気の少ない川べりの道にさしかかった。
 いつのまにか陽はとっぷり落ち、辺りは暗闇に包まれ、川を流れる水音が静かに響き渡っている。これから先は闇の中を進むことになる。近藤は隊列を止め、提灯に灯をいれるよう指示を出した。
 隊列をつけてきた浪人笠の男も歩みを止め、木の影に身を潜めている。相変わらず近藤達に気づく様子はなく、暗い闇と川の水音が彼らの感覚を遮り、不審な存在を完全にかき消している。
 浪人笠の男は木の陰に隠れたまま息を殺し、止まっている隊列をジッと見つめている。暗い上に編み笠に隠れているため表情はわからないが、いつでも飛び出せるよう身構え、時をうかがっていることだけは、その身に漂う気配が醸し出している。
 提灯に灯を入れた隊列が再び動き出した。
 浪人笠の男も後を追って歩き出そうとしたが、その行く手をスッと突き出た剣先が遮った。身を固くし歩みを止めた男は、静かに、そしてゆっくり振り返った。肩口につけられた剣を目でたどると、そこには土方が立っていた。
「また会ったな」
 新選組に囮作戦の命が下った時、土方はそれを利用しようと思いついた。敵の目を引くのは近藤達に任せ、自分は人知れず、更に後方から目を光らせる。隊の動きから独立して自由に動きながら、隊列が進む道筋に広く目を配り、近づく敵を待ち伏せする……思惑は見事に的中した。
「俺は新選組副長土方歳三。貴様に尋ねたいことがある」
 土方は剣をつけたまま、男の浪人笠をとろうと反対の手をのばした。
 が、その手を男がいきなり掴み、突き刺すような痛みに土方は顔を歪めた。
 暗くてよく見えないが、手を掴む男の爪は刃物のように鋭くとがっているらしい。土方は、強い力でギリギリ食い込んでくる爪を力まかせに振り払った。男に掴まれた手を見ると、くっきり爪痕が残り、血が滲んでいる。
 浪人笠の男は隙をついて逃げようとするが、土方はすぐさま体制を立て直し、男に斬りこんだ。男は抜き放った剣で土方の攻撃を払うが、土方は素早く剣を返し、男に打ち込む。男はそれを剣で受けとめ、鍔迫り合いにもつれ込んだ。
 こいつの動きは只者じゃない。この暗がりで距離をとれば前のように逃げられるのがオチだ。距離を詰めている間に動きを止めるしか捕らえる術はない……土方は瞬時に判断し、あわせた刀をぐいと返した。
 剣をあわせたまま横並びになった男を力まかせに押し込むと、男はそばの木に体を打ちつけ体制を崩した。土方は間髪入れず突きを繰り出すが、男は突き連続を機敏にかわして剣を横薙ぎに振るが、土方は深く沈んでそれをかわし、伸びあがると同時に素早く斬り上げた。男はすんでのところで剣をかわすが、剣先は男の被った浪人笠をとらえ、大きく弾き飛ばした。
 その時、雲の切れ目から月が顔を出し、薄っすらと差し込んだ柔らかな光が浪人笠を飛ばされた男の顔を照らし出した。



「?!」
 土方は男の顔を見てギョッとした。
 その顔は深い毛で全てが覆われていた。鼻は雄々しく前にせり出し、大きく裂けた口から鋭くとがった牙がのぞいている……それはまさに獣、狼のそれであった。
 予想外の光景に土方はしばし我を失った。
 狼顔の男はその隙を逃さず、土方の腹に強烈な蹴りを喰らわせた。ふいの攻撃をもろに喰らい、土方は膝をついた。
 狼顔の男は拾った浪人笠を被り直し、走り去ろうとしたが、土方は痛みをこらえながら手を伸ばし、袴の裾を掴んだ。捕まった男は大きく足を振り上げ、土方を払った。同時に男の懐から何かがこぼれ落ち、地面に落ちた瞬間、チリンと音が鳴り響いた。それは小さな鈴だった。
 男はハッとなり、鈴を拾おうとしたが、先に掴んだのは土方だった。
 男は逃げるのを止め、土方に斬りかかった。土方は痛む腹をかばいながら初手をかわすが、続く斬りこみが容赦なく襲いかかる。足をとられて倒れた土方に男が大きく振りかぶった。
「!」
 土方は思わず息を詰めた。やられた……と思った。
 だが、男の剣は首筋でピタリと止まっていた。
 浪人笠の奥で不気味に光る獣の目が土方を静かに見下ろしている。男は静かに手をあげると、鈴を返せというようにその手を前に差し出した。
 なぜ斬らない?鈴を返して欲しいなら俺を斬れば済むことだ。なのになぜ?……土方は、浪人笠の奥に潜む妖しい気配に神経を集中した。
 と、男が急に鼻をひくつかせ、辺りを見た。
 次の瞬間、突然割り込んできた影が浪人笠の男に斬りかかった。
 男はすんでのところで攻撃をかわすが、割り込んだ影に続いて、暗がりに待機していた侍達が現れ、次々に斬りこんだ。
 浪人笠の男は剣をかわしながら土方に近づこうと試みるが、状況不利と悟ったのか、侍達を振り払い、そのまま闇の中へ駆け出した。
「追え!」
 初めに斬り込んだ影が叫ぶと、侍達は男を追って走り出した。
 土方も後を追おうとするが、男に蹴られた痛みがひどくうまく立ち上がれない。そんな土方を影が嘲るように見下した。影は……佐々木只三郎だった。
「無様だな」
 佐々木は鼻で笑い、走り去った。
「チッ……」
 闇の中に遠ざかる後ろ姿を見ながら、土方は苛立った。
 近藤の隊列を見張っていたのは自分だけではなかったらしい。見廻組が更に後方に待機し、敵の襲撃を待ち伏せていたのだ。今の戦いも暗がりから監視し、飛び出す時機をうかがっていたに違いない。自分は、佐々木の掌の上で泳がされていたのだ。
 苛立ちと共に手の傷がうずき出した。戦っているあいだは忘れていたが、思いのほか痛みはひどい。改めて見ると、男に握りこまれた爪痕はかなり深かった。
「奴は一体……」
 土方は痛みをこらえながら、さっき見た光景を思い返した。
 獣のような深い毛で覆いつくされた男の顔……あれはまさしく狼だった。だが、浪人笠を被って顔を隠していれば、風体は人と何ら変わらない。人の体に狼の顔を持つ侍……あれは何だったのか?……夢か?……それとも幻か?
 土方は傷を負った手に握っていた鈴を見つめながら、謎に満ちた男の正体に思いをめぐらせた。

          ◯

 翌朝、京都守護職屋敷に出頭するよう土方に知らせが入った。土方が近藤と共に屋敷を訪れると二人を待つ亀井の脇に佐々木只三郎の姿があった。
 浪人笠の男は、土方の前から姿を消した後、見廻組の追跡を逃れて再び行方をくらませたと亀井が話した。男の浪人笠を土方が弾き飛ばすところを目撃している佐々木は、男の人相や手がかりを土方に尋ねた。
「佐々木殿は男の顔を見ておらぬのですか?」
「だから貴様に聞いている」
 佐々木は表情を変えず答えた。
 なるほど、あの暗がりだ。佐々木の位置からでは浪人笠を弾き飛ばすのは判別できても、男の顔までは見えなかったらしい。ということは、男の顔を見たのは自分だけということか……土方がそう考えていると佐々木が急かすように尋ねた。
「答えろ。男の顔を見たのか?見なかったのか?」
 土方は一間おいて答えた。
「……見ました」
 佐々木は控えていた人相書きの絵師を呼び、土方に説明を促した。説明を聞きながら絵師が人相書きを描きあげると、そこには……目つきが鋭く強面の、いかにも悪人面の男の顔が浮かび上がっていた。
「この顔に相違ないか」
「はい」
 土方は佐々木をまっすぐ見て答えた。
 男の顔が狼のようだったことも、男が落とした鈴を拾ったことも、佐々木に話す必要はない。いや、話すものか……土方はそう決めていた。
 佐々木はしばらく人相書きを見つめると、「御苦労」と言い捨て足早に部屋を出て行った。残った亀井は、近藤と土方に囮作戦の労をねぎらい、引き続き協力を仰いだ。会合はそれでお開きとなった。
 帰り道、黙って歩く土方に近藤が声をかけた。
「おめえ、何か隠してるな」
「……」
 さすが長年のつきあいだけあって、近藤には土方の心のうちが読めるらしい。
「手柄を横取りしようとした見廻組に話してやる必要はねえが、俺には話してくれてもいいだろ?浪人笠の男……ほんとはどんな顔だったんだ?」
 土方は昨日の経緯を近藤や沖田に詳しく話していない。話したのは、一人で見張っていて敵を発見、見廻組の邪魔が入って取り逃がしたということだけだ。
「……すまん、近藤さん。今は話せねえ」
 土方はいつになく神妙な顔つきで答えた。
 盟友の近藤には本当のことを話しても構わない。いや、話すべきだと思っている。だが話が突飛すぎる上に、自分の見たことが現実なのか今でも信じがたい。ならば、あれが本当だったと確信が持てるまで話すのは控えた方がいい……土方はそう思っていた。
 土方の心のうちを察したのか、近藤が笑いながら答えた。
「わかった。話せるようになったら話してくれ。だがな、トシ。隠しごとはほどほどにな。俺はまあいいとして、拗ねて機嫌を悪くするやつもいるからな」
 近藤がそう言いながら前に目線を送ると、屯所の入口に仁王立ちし、仏頂面で土方を睨みつける沖田の姿があった。
 沖田は、近藤と別れた土方の腕をつかむと壬生寺に引っ張っていった。
 壬生寺は新選組屯所のすぐそばにあり、隊務の合間に散歩したり、屯所で話せないことを話したりするのにちょうどいい場所だった。
「どうして僕に一言声をかけてくれなかったんです?」
 土方を石段に座らせるなり、沖田は問い詰めた。
 沖田が言っているのは、昨日の単独行動のことである。土方から話を聞いた近藤は手柄を横取りしようとした見廻組に憤慨したが、沖田は自分に黙って一人で後方から見張っていた土方が気にいらないらしい。
「話すと一緒に行くと言うだろう」
「いいじゃないですか、僕が一緒でも」
「お前は新選組の看板だ。新選組の一番隊隊長が籠を守ってなきゃ囮にならんだろう」
「だとしてもです。隊列と離れて待ち伏せするなら、近藤さんや僕に話を通しておくのが筋です。それが作戦というものでしょう」
「まあそうだが、俺が後方にいると知れば囮部隊も油断して……」
「とかなんとか言って。要は一人でケリをつけたかっただけでしょ?」
 沖田の言うことは当たっていた。林の中で逃げられて以来、浪人笠の男を捕らえるのは自分だと土方は決めていた。だから組とは行動を別にし、男が来るのを一人で待ち伏せたのだ。その胸の内をズバリ言い当てられ、土方は黙り込んだ。
 そんな土方の顔をのぞき込み、沖田は楽しそうに続けた。
「けど、今回もケリがつかなかった。これで、土方さん一人じゃ無理ってことがよ~くわかったはずです」
「何言いやがる。見廻組の邪魔が入んなきゃ……」
「一人でも大丈夫だったと言いたいんですか? いやいや、それは自分の力を買い被りすぎです。土方さんがいくら強いと言っても、所詮はケンカ殺法。近藤さんがいうように相手が相当の手練れだとしたら、土方さんじゃ太刀打ちできません」
 土方はムッとして言い返そうとしたが、沖田がそれを遮るように続けた。
「僕ならその男を必ず仕留めます。今後、浪人笠の男を追うことがあれば、僕を絶対連れて行ってください」
 自信に満ちた顔できっぱり言い切る沖田に土方は苦笑いした。
 沖田は土方より十ほど年下だが、剣の腕前は相当なもので、試衛館時代は当主近藤周助をして“天才剣士”と言わしめたほどの実力の持ち主である。彼の剣から繰り出される三段突きを破った者は未だかつておらず、新選組局長近藤勇もその力を高く評価し、組の要として一番隊隊長の任を託したほどである。沖田もその期待に応え、数々の功績を収めてきた。
 土方もそれは重々承知していた。自分の腕では太刀打ちできないと言われたのは癪だが、言い返せば、「剣で片をつけましょう」と沖田が言い出しかねない。そんなことになればそれこそ面倒だ……土方はこれ以上話すのは無駄だと口をつぐんだ。
 土方の沈黙を観念とみなしたのか、沖田が楽しそうに尋ねた。
「で、次はどうします? どんな手で浪人笠の男を誘い出すんですか?」
「さあな」
 土方は、ぶっきらぼうに答え、足早にその場を去った。

          ◯

 その夜……。
 全てを闇が覆い、街が寝静まった頃、新選組屯所を密かに抜け出す人影があった。暗い中で提灯も持たず、人影は深い闇の中をただ一人歩いていく……それは土方歳三だった。
 土方は街中を抜けたところで立ち止まると、懐から小さな鈴を取り出した。それは、昨夜の斬り合いで浪人笠の男が落としたものだった。
 土方は、おもむろに鈴を振った。
 チリン……。
 鈴が奏でる音は、か細く小さいが心地よく耳に響き、清らかに澄んでいた、
 土方は、その鈴を鳴らしながらゆっくり歩き始めた。
 チリン……………チリン……………。
 深い闇の中に心地よい音が溶け込んでゆく。土方はその音色に身を委ねるよう静かに、ただ静かに、黙って歩き続けた。
 そうやって歩くうち、土方は真っ暗な一本道に差しかかった。道の両側には点々と木が生い茂っているが暗くてよく見えない。風がないので木もそよがず、暗闇には心地よい鈴の音だけが小さく鳴り響いている。
 道を少し進んだところで土方は足を止めた。
 辺りは闇に包まれ何も見えない。だが、その中に何かがいる。何かはわからないが、闇の中から自分を見つめる目がある……土方はゆっくりと辺りを見渡し、気配のする方に目を向けた。
「現れたか」
 土方は、相手がわかっているかのように闇に向かって声をかけた。
 その声に答えるように、闇に紛れた木の陰から何者かが歩み出た。それは……浪人笠の男だった。
 土方は男の姿を認めるとスッと鈴を前にかざした。
「お前の用はこれだろ」
 そう言いながら鈴を振ると、心地よい音色が土方と男のあいだに小さく響いた。
 浪人笠の男は土方の問いに答えず黙っている。笠の奥に隠れた表情はわからない。だが、剣の鯉口に指をかけたまま身構える男の手が鈴を取り戻さんとする強い意志を物語っていた。
「これは大事なものらしいな」
 男の気配を見て取り、土方は自分の考えが間違っていなかったことを確信した。
 昨日斬りあった時、ほんの一瞬だったが、浪人笠の男が鈴を落として狼狽するのを土方は見逃さなかった。男は、そのまま逃げようと思えば逃げられたところを敢えて留まり、佐々木達の襲撃を受けても尚、ギリギリまで鈴を取り返そうとやっきになっていた。男にとって鈴は大事なものに違いない。それを自分が持っていると知れば、男は必ず取り返そうと現れる……そう考えた土方は、鈴を囮に男を誘い出したのだ。
「貴様には聞きたいことが山ほどある。これを返して欲しいなら、おとなしく俺の質問に答えてもらおう。……貴様は一体何者だ?」
「……」
「一連の幕府要人暗殺は貴様の仕業か?」
「……」
 浪人笠の男は黙ったまま答えない。
「口が聞けないのか?それとも答える気がないのか?俺の質問に答えん限り、この鈴は……」
 その時、男が抜き放った剣が土方の言葉を遮った。土方は斬りこみをかわしながら鈴を懐に収め、即座に剣を構えた。
「答える気がないならそれでもいい……捕まえて吐かせるまで!」
 今度は土方が斬りかかった。
 この鈴がある限り男が逃げることはない。男は鈴を奪い返すまで必ずここに留まる。仕留めるなら今をおいて他にない……この好機を逃してなるかと、土方は次々に剣を繰り出した。
 土方と編み笠の剣技は五分と五分。二人の気概が激しくぶつかりあう。
 この男、腕は立つが剣筋に癖がない。どうやら生真面目な奴らしい。ならば……土方は男の剣を払って体ごと懐に突っ込んだ。
 ふいに体当たりをくらった男は派手に倒れて剣を落とした。土方は落ちた剣をすかさず蹴り飛ばし、倒れた男に乗りかかった。
「これがバラガキのケンカ殺法だ」
 土方は男の浪人笠を掴んで放り捨て、首元に剣をつけた。
 露わになった男の顔は……確かに昨日見た《狼顔》だった。
「勝負あったな、狼顔」
「……」
 狼顔は沈黙し、観念したかに見えた。が、その手が土方の剣を無造作に掴んだ。
「何ッ?」
 深い毛で包まれた狼顔の手が素手で剣を掴んでいる。土方は驚きながら、握り込んだ剣をギリギリ押し返してくる力に抗った。
 狼顔は握った剣を力まかせに振り払い、鋭い爪を土方に突き出した。土方はとっさに離れるが、狼顔は獣のごとく機敏に起き上がり、両手の爪で襲いかかった。その動きは先ほどの斬り合いとは比べ物にならぬほど速く、攻撃に転じる隙がない。剣を持つ土方の腕を鋭い爪が大きく切り裂いた。
「うっ……」
 剣を落とした土方は、傷口を押さえながら距離をとった。
 狼顔は腰を低くして身構え、剣を掴んで傷ついた手の血を大きな舌でなめている。肩で大きく息をしながら、土方を睨みつけるその目はまさに獣……獲物を狙う獰猛な狼の目つきそのものだ。
 これがこいつの本当の力か……土方はこれまで戦ったどの相手とも違う未知の敵に改めて脅威した。
「ガゥオオオオー!」
 その時、狼顔が激しく吠えた。
 気を滾らせ突進してくる狼顔を土方は素早くかわして振り向くが、狼顔はそれより早くしなやかに体をひねり、地面を蹴って空に舞った。
「!」
 土方はとっさに顔をあげたが、狼顔の姿は暗い夜空の中にかき消えた。
 気配は途絶えたが、必ず近くで自分を狙っている……土方は五感を集中し、静まり返った闇の中で気配を追った。
 すると突然、背中に衝撃が走り、体を地面に叩きつられた。土方はすぐさま起き上がろうとするが、倒れた体の上に狼顔が乗りかかり、土方にとどめの一撃をくらわせようと鋭い爪を振り上げた。
「勝負あった!」
 突然、闇の中から声が響いた。
 狼顔は腕を振り上げたまま動きを止め、声がした方を横目で見た。暗闇から新選組一番隊隊長沖田総司が姿を現した。
「全く。だから言ったでしょ?土方さんじゃ無理だって」
 沖田は、土方を押さえ込んだまま警戒する狼顔の男に向かって言った。
「すいませんが、その人を放してもらえませんか?」
 顔に笑みを浮かべてゆらりと立っているが、沖田に寸分の隙もない。
 土方に少しでも手をかけたら、瞬時に剣を抜き放ち男の腕を斬り落とす……そんな殺気が、さりげなく垂らした沖田の指から漲っている。
 狼顔の男は沖田の技量を見抜いたのか、振り上げた手をおろすと、土方から静かに離れた。
「ありがとう。あなたはいい人だ」
 屈託のない笑顔を狼顔に向ける沖田に、敵の姿が異様であることに動じる気配は全くない。肝が据わっているのか、興味がないのか、普通の人間なら一大事になるようなことを沖田はさらりと流してしまう。
 土方は、いつもと変わらぬ様子で狼顔と対峙する沖田にある種の凄みを覚えながら、そばに寄った。
「お前がどうしてここに……?」
「土方さんが約束を守ると思えなかったんで見張ってたんです。そしたら案の定、屯所からコソコソ」
「ずっとつけてたのか……?」
「あ、早く助けに出て来なかったからって怒らないでください。これは僕に黙って出かけたことへのちょっとした仕返しです」
「なんだと……」
 土方はこの状況を楽しんでいる沖田を小突きたくなったが、肝心の腕が斬られてあがらない。沖田は苛立つ土方を気にも留めず、狼顔に改めて向き直った。
「続きは僕がお相手します。鈴が欲しいなら僕を倒して奪ってください」
 狼顔は黙って沖田を睨んでいたが、やがてゆっくり腰を落として身構えた。
「よせ、総司。見ていたならわかるだろ。こいつは只者じゃない」
「だから楽しいんじゃないですか」
 沖田の目が遊び道具を手に入れた子供のように煌々と輝いている。沖田にとって強い相手と戦うことは生きがいだった。強い敵を倒し、自分の力を確かめることが生きる証、それ以外に自分が生きている実感を得ることは彼にはできないのだ。
「怪我人は下がってください。邪魔です」
 こうなった沖田はもはや誰にも止められない。土方は斬られた腕を押さえながら、止むを得ず後ろに下がった。
「いつでもどうぞ」
 沖田は両手をゆらりと垂らしたまま、静かに進み出た。
 狼顔は身構えたまま動かない。いや、動けなかった。沖田が放つ異様な殺気に気圧され、攻撃の隙を見出すことができずにいた。
「何してるんです?鈴を返して欲しくないんですか?」
 沖田が挑発するように声をかけた。
「ガゥオオオオー!」
 狼顔は咆哮をあげ、走り出した。
 沖田は身じろぎもせず、突っ込んでくる狼顔を見つめている。狼顔は自分の全ての力を叩きつけるように、沖田めがけて大きく爪を振り上げた。
 刹那……雷のような衝撃が三発、すさまじい速さで狼顔の体を貫いた。
 何が起こったのかはわからない……それほど沖田の剣は早かった。そばにはただ、抜き放った剣を突きの形で止め、必殺の三段突きを決めた沖田の姿があるだけだ。
 狼顔はグルルッと唸り声をあげると、白目をむいて地面に倒れた。
 恐ろしい男だ……土方は沖田の鮮やかな手並みに畏敬の念を抱きながら、地面に倒れ伏し動かなくなった狼顔に目をやった。
 沖田は剣を収め、土方に笑いかけた。
「だから言ったでしょ。僕なら必ず仕留めるって」


…続く
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