救済

ヤマ

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日常

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 兄が消えたのは、火曜日だった。



 それは突然のことだった。

 朝、いつも通り制服に袖を通し、トーストをかじりながら、テレビを見ていた。

 「行ってきます」と言って、玄関を出た。



 それっきり、帰ってこなかった。



 学校には行っていなかった。
 事故にも遭っていない。

 防犯カメラには、駅に入る姿が映っていたが、その先は何も残っていなかった。

 警察は、「家出の可能性もある」と言った。

 だが、兄が、私に何も言わず、家を出るなんて、ありえない。

 兄の部屋の机の上には、参考書と、私と一緒に行ったカフェのチラシが置いてあった。

 それを見た両親は、何も言えなかった。

 私は、泣かなかった。

 泣けなかった。



 兄は、普通の人だった。

 優しいけど鈍感で、
 真面目すぎて少し不器用で。

 先週だって、「結婚記念日のプレゼント、何が良いかな」なんて、まるで子供のように私に聞いてきた。

 プレゼントを一緒に買いに行く予定だった。

 まだ、何も決めていなかったのに。



 日常というのは、実にあっけないものだ。



 いなくなる前と後で、周囲の風景は何一つ変わらない。

 駅も、家も、学校も、いつも通り回っている。



 兄がいないことだけが、異常だった。



 *



 兄がいなくなって、しばらく経ったある夜。

 自分の部屋の整理をしていたとき、机の引き出しの奥から、文庫本が出てきた。

 異世界ファンタジーもののライトノベル。

 兄が高校生になって、初めての私の誕生日に、面白いからと勧めてきた作品だった。

 漫画くらいしか読まない中学生だった私は、あまり喜ばなかったのを覚えている。

 だから、ちゃんと読んでもいなかった。

 何度か感想を求められていたのに。



 ページを開く。

 内容は、王道と言えるもので、勇者が世界を救うお話。



 私は、物語を読み進めた。





 視界が滲む。

 そんな場面じゃないのに。





 兄がいなくなって、私は、初めて泣いた。





「面白かったよ」

 物語を読み終え、感想を述べる。





 兄は、私達の前から、消えた。





 私達の手の届かないところで、何かを見て、何かを知って。
 そして多分、何かを救っているのだろう。





 それが何かは、私にはわからない。





 けれど、兄は、優しい人だから。

 兄自身も、救われてほしいと、願う。





 私は、文庫本を元通り、引き出しの奥に仕舞った。





 明日からまた、日常が始まる。







 兄のいない、

 それでも続く、日常が。
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