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<大正:英国大使館の悪魔事件 解決編>

断罪の呪い

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「の、呪いだと!わ、私を呪うと言うのかね!そんな事、許される事では有りませんぞ!」
「いいえ、別に参事官殿を呪うと言うのでは有りませんわ。ローレンスさんを襲ったウェンディゴを呪うだけですわ♪参事官殿がウェンディゴで無いのでしたら、関係の無い事、御安心して宜しいわ♪」
「そ、そんな事!!」

如何いかがかしら、大使閣下?」
「ミス蘆屋、さすがに呪いなどと言う物を認める事は出来ん」
参事官が一瞬、安堵の表情。

そして、大使閣下は目を瞑り、思案する様に続ける。
「だが、そもそも、呪いなどと言う物は私の専門外のこと。どのような事が起ころうとも、私のあずかり知らぬ事でもある」
まるで、猫の目の様に参事官の表情が再び変わる。
つまり、見て見ぬふりをして下さると言うこと♪

暗黙の了解は取れましたわ♪
魔法陣に手をかざし、魔力を送る。
魔法陣が紫色に輝き、中央に置かれたイシャイニシュスさんの牙がカタカタと震えだす。

「ウッ!」と呻く声。
皆さんの視線が集まる先、参事官が誤魔化す為かしら、腕を組む様にして左腕を押さえ、表情を強張らせながら、こめかみから汗をしたたらせていらっしゃる。

チョット楽しく成ってきましたわ♪
「参事官殿どうかされましたかしら?」
空々しく聞いてみる。
「い、いいえ、な、なにも……」
耐えてらっしゃる……けれど、イシャイニシュスさんの牙に込められた、ナンナ族集落54人分の恨みは、この程度の物では有りませんわよ♪

魔法陣に注ぐ魔力をより強く。
参事官の体が小刻みに震えているわ。
まだ、お耐えに成っていますわね。
案外我慢強いのかしら……あら?
腕を組む様にして左腕を押さえる右手の人差し指で、何やら魔法陣を描かれているわ。
フフ♪呪いを防ぐ為の結界を、イシャイニシュスさんの噛み跡に張っているのね。
何度も、何度も、呪いに結界を破られては張りなおしていらっしゃる様子……面白いですわ♪

セクメトの慧眼を使えば、瞬時にかたが付くのでしょうけれど……その様な無粋な事はしませんわ。
魔導士同士の力比べ、受けて立ちますわ♪

さらに、魔力を高めて魔法陣に注ぎ込む。
濃密な魔力が圧縮され、魔法陣の向こう側に見える大使閣下のお顔を、まるで蜃気楼の様に歪める。
そして参事官のお顔も、さすがに堪えられなくなって来たのか、苦悶に歪みだす。

「あまり我慢なされない方が良いですわ。そろそろ左腕が腐れ落ちますわよ♪」
まだ、耐え忍んでいるわ。
これ程迄の呪いを、此処ここまで耐えることが出来るのですから、参事官は思いの外、優秀な魔導士なのでしょうね。
でも、そろそろ、本当に……左手が変色して来たわ。
このまま、本当に腐れ落ちるまで、お耐えに成るお積りかしら……ん?

指先が変形していますわ……あれは鍵爪!
不味いわ。
このままでは、此処で眷属に変異なさるかも……。

「ゆ、ゆ、許しませんぞーーー!!」
参事官が苦痛に顔を歪ませ、血走った目で絶叫。
そして、左手を押さえていた右手を、強く握りしめて前に突きだし、その中指にはめた銀の指輪が紫に光ると、三匹のカラスが召喚され、此方こちらに襲い掛かって来る。

右のカラスにノワールが、左のカラスにブランが瞬時に飛び掛かり、その首に噛みついて紫の粒子へと変える。
そして、一直線に飛んでくる、真ん中の一体には、左手に結んだ刀印を振り下ろす。
刹那、真ん中のカラスは、真っ二つに切り裂かれ、紫色の粒子へと変わる。
やはりあのカラスは、参事官の召喚したモノだったんだわ。

左手の突風の魔法陣は、空気を圧縮して解き放つ事で、突風を起こす。
これはその応用、空気を刀印の指先に極限まで、薄く強固に圧縮する事で、見えない空気のやいばを形作る。
人や普通の動物相手に、こんな物騒な術を使う事は無いけれど、召喚されたカラスに遠慮する必要は無いわ。

でも、私とノワール、ブランがカラスを始末した隙を突いて、ガチャリと応接室の扉が開く音。
図られましたわ……逃げられましたわ……。
「ノワール、ブラン追って!!」
自然と閉まろうとする扉の隙間を、滑り込む様に二匹が後を追う。

「不味い事に成った」
イシャイニシュスさんが眉間に皺を寄せて呟く。
「そうですわね……参事官殿の指先が変形していましたわ。恐らく、もうすぐ眷属の姿に……」

「そうじゃない……いや、それも有るが、あいつは、あのコートの中から何かを持って逃げた。見覚えのある布にくるまれていた」
「ウェンディゴのトーテムですわ!」
「ああ、それに、奴は既にウェンディゴに呪われている。ウェンディゴのトーテムの一族の加護はもう無い」
「つまり今度、参事官殿がトーテムを使うと、理性を御失いに成ると云う事ですわね」
イシャイニシュスさんが頷く。
「奴がトーテムを使えば、只暴れ狂い、喰らうだけのモノになる。この前のウェンディゴと同じ。当然、もう人の姿には戻ら無い。例えトーテムに触れたとしても」

ではもし、参事官が逃走目的で、ウェンディゴに成ろうとトーテムを使うと、公使の時と同様に暴走すると云う事……。
「不味いわ!諏訪さん、直ぐに追いましょ!!」

「大使閣下、二等書記官殿、上村課長、御三方は危険ですので此方で」
諏訪さんが、ソファーから動けず、固まったままの御三方に指示を出す。
「い、いや、私には、事の顛末を見守る義務が有ります。遠巻きにでも、付き合わせて頂く」
ストーカーさんがそう答える。
「それは、私も同じです。先日の明治神宮の時同様、最後までお付き合いさせて貰います」
上村さんもそうお答えに。

さすがに大使閣下はお残りに成るようね。
ストーカーさんに頷くと、落ち着かれるためか、葉巻を取り出してらっしゃるわ。

「では、皆さん参りましょう!」
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