灰の上で待っている

鯛田乃際鞠

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1章

1−1:火蓋は切って落とされ

 大陸中どこからでも見える白亜の塔。これは【エステリア王国】の権威の象徴だ。

 国教である【聖樹教】の大聖堂であり、白亜の枝が幾重にも折り重なるような意匠は、聖樹教のシンボルである【聖樹】を荘厳に表現している。
 今日は雲一つない晴天。特別な日。入口から身廊にかけての道には、金刺繍の美しい絨毯の道が出来上がっていた。
 その両側には大聖堂に務める高僧たちが並んでいる。大巡司以上の位を持ち、誰もが何かしらの輝かしい功績を持った者たちだ。
 皆が同じ紋章の入った面布とローブを身に着け、道を飾る花のように等間隔で、頭を下げた状態で並んでいる。

 これから、戦勝祈願の儀が始まるのだ。

 エステリアと大陸を二分する連邦国【シグザパル】との一大戦争に向けての大切な儀式。
 聖樹の蓄える膨大な魔力を、祈りによって天に捧げ、エステリアの大勝を願う聖なるもの。
 儀式を取り仕切る聖樹長は既に聖堂内の祭壇中央にいて、あとは儀式の主役を待つのみ――。

(ようやく、ここまで来た)

 大聖堂内、祭壇布巾の道を飾る高僧の中で、ちらりと灰色の毛先が揺れた。
 彼は最近大巡司の位を授かったアドラだ。元々はエステリアの末端の街エーグの教会に務めていた一般教徒の青年で、暇さえあれば大聖堂の聖母率いる慈善隊へ参加していた。
 卓越した語学力と薬草学の知識に加え、聖樹教独自の魔法体系【白術】の達人。国や民族を問わず隅々まで配慮の行き届いた援助を行う事ができる。
 その実力と長年の慈善隊への貢献を認められ、若くして高僧の仲間入りを果たしたのだ。
 
(心を押し殺し十年……骸の塔までたどり着けたか)

 噛み締めた唇やつり上がった眉と連動して大きな火傷痕がギリリと痛むが、気にせずアドラは憎悪を燃やす。
 ここまで色々あった。苦痛を伴う火傷の治療も、寝る間を惜しんでの努力も、理不尽な暴力も、歯を食いしばって乗り越えた。
 
 ――全ては、復讐のために。
 
 エステリアは、数多の国を武力で平らげ大きくなった国だ。
 国の更なる発展と平和のためと称し、土着の信仰があるため聖樹教を認めない国や民族を滅ぼし、時に同盟に加えて従えた。
 この大聖堂は、おぞましき侵略行為の犠牲者たちの骨で作られている。そう他国から揶揄される程に、エステリアは苛烈なのだ。
 
 段々と鼓動が速さを増していく中、アドラはこっそりと胸元に隠したナイフへと触れる。
 これは、エステリアに滅ぼされた故郷とアドラを繋ぐ、唯一の物。
 ゆっくりと迫りくる馬の蹄の足音に耳をそば立てながら、ローブの上からナイフを握りこんだ。

 ――来た。

 ガシャリと、馬から降り立ったのは黒髪の美青年。【救国騎士】スピネル・タイラン。
 聖樹により得た超常的な力を持って、戦場を蹂躙する戦の象徴。時に戦神や武神とも例えられる存在だ。

(毒や怪我を負っても瞬時に回復する不死身の祝福を宿し、剣風すら斬撃と化す武力……)
 
 化け物の間違いだろうと、アドラは思う。
 エステリアの騎士たちが纏う質素なものとは違い、細やかな炎の装飾を彫り込まれた黒い甲冑。絨毯の道を進む度ひらりと舞う返り血交じりの真紅のマント。
 それらを着こなすだけの屈強な肉体と、彫刻のように整った顔貌を持つ。
 口元には柔らかな笑みが常に張り付けられているが――。

(相変わらず、目は笑っていない)

 気味が悪い。長いまつ毛に縁どられた垂れ目気味の緋色の瞳は、どこまでも澄んでいるが底が見えない。
 美しいが魂が籠っていない。人形のような瞳だ。

「……え」

 緋色の光が、スピネルの灰の瞳に入り込み、火の粉が散っているように輝く。
 一瞬だけだが確かに、スピネルとアドラの視線がかち合ったのだ。
 感情の籠っていない瞳に、その時だけ爛々とした光を宿して――。

(な、何だ。殺気を嗅ぎ取ったのか……?)

 獰猛な肉食獣にじわりと狙いを定められたような心地だ。動揺で指の先から熱が失われていく。心臓が早鐘を打ち、冷や汗が身体の芯から大量に湧き上がって来て眩暈まで覚えるが、倒れるわけにはいかない。

 今は、儀式の真っ只中。今のは偶然だと必死に言い聞かせて、アドラはぎゅっと目を瞑った。他の僧侶に馴染み、救国騎士の花道を彩る装飾品として徹する事にした。
 シャランと、聖樹長が奏でる祈りの鈴の清涼な音色が響き渡る。

「此度来る戦争も、過去の通り。いや、過去よりも鮮烈に、大陸中へ我らエステリアの権威を示そう。
 聖樹と民の祈り宿りし我が剣により、道を切り開こう」

 淡々と、しかし自身に満ち溢れた低い声で、祝詞が唱えられていく。
 誰もがうっとりと鈴の音と祝詞を聞き入る中で、アドラは一人、瞼の裏で忌まわしき記憶が引きずり出されていった。

「敵は一切残さず、天と地に捧げよう」

 剣が肉を断つ音、建物が崩れゆく音。悲鳴と断末魔と、何かが爆ぜてごうごうと燃える音。友と笑い合った日や姉と助け合い楽しく生きて来た日々が塗りつぶされていく。
 友も、先生も、近所の優しいおばあさんも。誰もが地に伏せ、血溜まりを作って息絶える。
 燃え盛る我が家の中、自分を庇って前に出る姉、揺れる視線。血を流しゆっくりと倒れ行く姉の影から、黒い鎧を纏う聖騎士が現れた。

 死神のような救国騎士は、薄ら笑いを浮かべて、血に汚れた剣をさらに振り上げるが――。

「……ここに勝利は約束された」

 その直後、アドラは焼け落ちた天井に潰され、剣から逃れた。
 顔を始めとした全身を焼かれながらも、騎士たちの目をかいくぐり、たった一人だけだが逃げ果せたのだ。

『根を張れ、枝を広げよ!』

 祝詞を終えた瞬間、高僧たちが一斉に鬨の声を上げた。これで儀式は一通り完了だ。

(姉さん……仇は討つよ。この手で)

 大きな戦争が始まる前に。必ず。
 これで勝利したも同然と、安堵の空気が漂う中で、アドラはそう決意した。
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