あの日、自遊長屋にて

灰色テッポ

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九 お花

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 冬の陽射しに照らされた庭はいかにも気持ちよさげで、それを眺めながら相楽はごろ寝をしていた。用心棒の仕事が始まって十一日を数えるが、今日まで何の問題も起きてはいない。
 それゆえすっかり気も緩み、今も(陽だまりの中で居眠りでもしたら気持ち良かろうな)などと考えているのだから、まったく暢気なものである。

 今回の用心棒の仕事は、木場にある木曽甚という材木商からの雇われで、相楽の他に三人の浪人らしき男たち四人での仕事であった。

 屋敷の敷地内に、造りは古いが広さのある離れ屋があり、そこが四人の用心棒の住居にあてがわれている。三度の食事は屋敷の者がはこんでき、夜には一合とはいえ徳利一本がついてきた。それで何事もなければこうしてごろ寝をしていればいいというのだから、用心棒冥利に尽きるというものだろう。
 もっとも相楽はその冥利というやつに嫌気がさしているわけだが。

 しかしそれも何事もなければの話である。今回の仕事はひとたび問題が起これば、場合によっては命をも落としかねないほど厳しい。雇い主の木曽甚とて、むざむざと無駄金を使っているわけではないのだ。


 この時代、江戸や京、大阪などの大都市では、志士と称する浪人の集団が跋扈していたことは前にも述べた。その集団がここ近年、大きな商家などに尊皇攘夷の為の活動資金を提供せよと、まるで強請ゆすりのような真似をしだし、やがてその横行が社会問題となっていく。

 いうまでもなく彼らの殆どが、勤皇を称したごろつき浪人どもである。しかし商家ではそれが強請りであると分かってはいても、武装した集団の前では如何ともしがたく、ただ云われるがままに多額の金子きんすを包んで提供するより他ないのが現状である。

 もちろん徳川幕府も黙って看過していた訳ではない。強請りはおろか押し込み、強奪と次第に凶悪となっていくこれらの浪人たちに対して、この年、江戸では新徴組という警備集団を組織し、治安の維持にあたらせている。だが、それでも一向にこのての凶行が減る様子はなかった。

 そんな中、商家としては自衛の手段として用心棒を雇うようになっていく。移動手段も通信手段も、どれも未熟なこの時代である。事件が起こってから助けを求めたとしても、間に合うはずもない。それゆえの自衛であった。 
 むろんその結果、浪人同士の衝突から血を見るような事件の発生も予想されたが、幕府としては犯罪抑止の手段として、あるていどの流血沙汰は黙認せざるを得なかったようだ。

 今度の相楽の仕事はそういう用心棒であることを求められていた。


 ところでごろ寝をしている男に話を戻そう。相楽は大きな欠伸をしながら庭にある石燈篭をみていた。その石燈篭はただそこに置いてあるというだけで、庭との調和もなにもない、つまらない置物である。
 相楽とてそんなものに興味があるわけではない。眼球にそれが映っているというだけのはなしで、実際に彼にみえていたものは、昨日ここへ来たお花の面影であった。

 自遊長屋からこの木場まではおよそ二里(約八キロ)、女の足でも一刻(二時間)とはかからない距離だ。お花は相楽に着替えの衣類を渡し、雫の様子を話したあとに、唐突な感じで寺子屋の件について話しだしたようである。

(この私が寺子屋の師匠にか……)

 相楽は今、その時のことを思い出し、心の中でそう呟いた────


 正直なところ寺子屋の師匠になるなど考えてもいなかったので、はじめその戸惑いが露骨にその身に溢れてしまった。お花はそれを相楽が困っていると勘違いしたらしい。

「やっぱりどこかに御仕官なさるお考えなのでしょうか?」お花が不安気にそう訊くのに、相楽は少し驚いた顔をする。

「仕官? いやいや、それはもうとうに諦めました。どの国も家臣の人減らしに躍起になっている有様ですからな、とてもとても……」

 するとお花は、なおも云いづらそうにもじもじとしながら、恐る恐るという様子で云った、「では、もしかして……あの、尊皇攘夷のお仕事の邪魔になるとか……」

「尊皇攘夷ですって?」

「はい、あの、志士とかいう、その……」

「とんでもござらん」

 お花の問に答えた相楽は破顔一笑したものだ、「わたしは政治にはまったく無関心でしてな、そういうこころざしは生憎持ち合わせておりません」

 お花は思わず目を丸くして、どういうわけか少し嬉しそうに相楽をみつめている。

「むしろ」相楽はお花の変化には気づかず続け、「けしからんと思っています。最近は勤皇の志士だとかなんだとか云って、威張った顔で町中を歩いている武士どもがいるようですが、わたしにはそれが鼻について仕方がない」

「そうだったんですか……」

「はい、だからお花殿、ここだけの話しですが」そう云って少し声を潜めた相楽の顔はおどけ顔で、「今度の仕事はそういう威張ったやつらを懲らしめてやれる好機でしてな、少し楽しみにしているくらいなのですよ」

「まあ……!」

 そう驚くお花の顔をみて相楽は、ないしょ話をしたあとの子供のようにほくそ笑んだ。

 心配事が杞憂におわり、まったく心が軽くなったお花は、そっと手を胸にあてる。そして相楽の明るい様子にも勇気を得たのだろう、おもいきって話を本題へと戻すと、真っ直ぐにその望みを相楽へと伝えたのであった。

「では、寺子屋のお師匠さまを引き受けてくださりますのね」

 しかし相楽はそれには応えず、急に難しい顔をして黙ってしまう。

「……駄目なのでしょうか?」

「いや、いいとか駄目とかいう問題ではないのです」

「わたし、よくわかりません……」

「そう……つまり皆さまのご好意に甘えるわけにはいかないという事のようです」

「でも! それは初めに申し上げた通り、長屋の住人のためにもなる寺子屋であって、相楽さんが引き受けて下されば私たちが助かると……」

「いや、わかっております。ですが皆さまに比べてわたしの恩恵が大きすぎる。その釣り合いがとれていない以上、やはりそれは迷惑になると思うのです」

「そうでしょうか? なんだかそれでは他人行儀すぎるとおもいます」

 お花には相楽の遠慮が歯痒かった。率直に喜んでもらえたら、お花にとってどんなに嬉しいことであったろうか。

「相楽さんは本当は寺子屋の師匠なんか、やりたくないのですか?」

「そんなことはありません! これ以上ない嬉しいお申し出だと思っています」

「では引き受けると仰ってください」

「いやしかし……」

 相楽の頑なな態度に、お花はどうしていいかわからなくなった。そして思わず目下めしたの自分が云えば僭越となることまで口にしてしまったようだ。

「でも、相楽さんがお師匠さまになれば、いまより生活は楽になれますし、お嫌な用心棒ももうしなくてすむはずです、菜衛門さんもいい考えだって……」

 すると相楽は少し眉をひそめて、「確かにそうでしょう」と頷いた。

「そのお気持はありがたいです、でもだからこそお引き受けできないのです」

「どうしてですか? 長屋のみなさんだって、ほとんどの人が喜んでました。精を出して稼いで、子供たちみんな相楽さんの寺子屋へ通わせてやるんだって」

「そこなんです、寺子屋はただでは経営できないのです。束脩や謝儀もけして安くはありません。みなさまの好意で私の生活の助けを得るなんて、そんな厚かましい真似はできないのですよ」

「厚かましいって……そんな……」

 お花はその言葉をきくと少し肩を震わせて黙ってしまった。自分たち貧しいものは助け合わねば生きてはいけない。だから助けられることにも当たり前のように慣れている。しかし相楽にはそれが厚かましいようにみえていたのかと思ったら、お花はすごく悲しくなってしまった。
 やはり自分たち町人と武家の相楽とでは、根本からその生き方が違うのかと。

(だけど、ほんとにそうかな?──)

 同じ住人として過ごしてきた長屋での日々が、そうお花に語りかけてくる。相楽がこんなに頑なになるのには、他に訳があるのではないだろうか。
 二人は無言のまま少し長く感じる時間を、向かいあったまま座っていた。


 やがてお花は呟くような低い声で相楽に問いかける、「相楽さんは長屋のみんなにとても親切です……いつも助けてくれてます。でもそんなとき相楽さんは……厚かましい人たちだって思いながら、親切にしくれてたんですか?」

「いや、そんなまさか、断じてそんなことはありません!」

「ならどうして、ご自分だけは厚かましいことになるのですか? そんなの何か変です!」

 相楽には返す言葉がなかった。お花が変だと感じたことは正しい、そうでないと自分がしてきたことに辻褄が合わなかろう。

 彼らのことを厚かましいなどと思った事は本当に一度もないのだ。それなのに真っ直ぐに相楽の目を見つめてくるお花の瞳を、自分は見ることができない……

「だってわたし知ってます、相楽さんが長屋の人たちに親切にしているの知っています。お米のない人には自分は炊きすぎたからとわけてあげたり、病気になった人に高いお薬を買って、余っているからと渡したり、怖い借金取りがきたらとりあえずこれでって……」

 感情がたかぶってきてしまったのか、そう話しながらお花の目にはみるみる涙が浮かんできている。

「こんなのずるいです、みんなだってほんとうは助けたいんです、助けられてばかりなんて嫌に決まってます。だからって、相楽さんの親切を受け取った自分を厚かましいだなんて思いません、だってみんな恥知らずなんかじゃないからです!」

 お花はついに涙をぽろぽろとこぼし始めたが、それにはかまわず相楽の目をみつめて続けたようだ。

「今日は無理でも明日こそは自分も人さまを助けようって、その気持ちだけは忘れちゃだめだって、そうやって助け合うならば何も恥ではないはずです。だからみんな、お天道様に顔向けできると信じて生きているんです」

 相楽はお花の言葉を受け止め、しばらくの沈黙の後にようやくその瞳を見返して云った。

「ずるい、ですか……」

「そうです、違いますか?」少し落ち着いてきたのだろう、そう云うとお花は、生意気いってすみませんと頭をさげた。

「でも、八助さんもいってたじゃないですか、今度は自分の番だって」

 それは相楽も覚えていた。博徒たちとの片が付いたあと、お花と雫の三人で八助の見舞いに行ったことがあった。その帰り際に八助が相楽にこう云ったのだ。

『相楽の旦那、ほんとにありがとうございました。でもね、あっしは恩知らずのままでいるのは御免でさあ、こんどこそはあっしの番ですからね』                 

 そのとき相楽は、八助が云わんとしているところの意味が正直よくわからなかった。それゆえ恩になどおもうことはないと、軽い感じで応えたことをいま思い返している。

「相楽さんはあの時なぜ八助さんを助けたんですか? 八助さんに恩を着せたかったからですか?」

「いや、そんなことは……」

「そうでしょ? 損得とかなしで、そうしたかったんじゃないですか? 夜吉っちゃんだってきっと同じです、親切は持ちまわりが当たり前だし、それを許さないのは薄情です」

 お花はそう訴えると、また大粒の涙をこぼしながら相楽の瞳をみつめた。

 相楽にはその視線が眩しすぎたのであろう、お花の瞳を受け止めながらも、やけに居心地の悪い自分がいる。

(ずるい、か……)

 その言葉に心当りのあった相楽は、我知らず顔をしかめ、短く嘆息したのであった。
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