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十二 粉雪
しおりを挟む静かな夜だった。風に舞う粉雪がさらさらと音をたて、長屋の壁を撫でている。その音は柔らかくてどことなく清潔な感じがした。お花はそんな音を聴きながら繕い物をしていると、なぜか少しだけ幸福な気持ちが満ちてゆく──
いまお花の横には掻巻に包まれて寝息をたてている雫がいる。お花は繕い物の手を休め、そっと雫の髪の毛をなで、優しい目をした。
「布団で寝かさなくていいのか?」虎蔵が雫を横目で見ながらお花にそう訊いて、晩酌で飲んでいた徳利の最後の一滴をお猪口に垂らす。
「あら、おとっつあん、もう一本つけましょうか?」
「いやいい、これで仕舞いにする」
「雫ちゃんはもう少しこのままでいいわ、この部屋のほうが暖かいから」
虎蔵はお花の返事に無言で頷き、そして最後の一口を飲み乾すと、「夜吉は最近ちっとも顔をださねえ」と独り言のように呟いた。
「そうねえ、でも大晦日とお正月は一緒に過ごさせてくれっていってたわよ」
「へっ、なにをいいやがる、家族なんだからあたりめえじゃねえか」
そう云った虎蔵の顔は嬉しそうでもあり、どことなく寂しげでもあった。
お花はそんな虎蔵の胸のうちを察したのか、わざと明るい口調を装う、「忙しいんでしょ、仕事の寄り合いがどうの、友達がこうのっていってたから」
「はたらき盛りの一人めえの男が、そうでなくてどうするよ」と、虎蔵が威張ってみせたのは、お花に対する強がりであったのかもしれない。
「おい、飯にしてくれ」
お花は立ち上がり、「まってね、大根の田楽を温めなおしてくるから」と応える。
「いや、それにはおよばねえ。飯に味噌汁をぶっかけてもってきてくれ」
「あらやだ、せっかく美味しい大根なのに」
「いいから、もってこい」
「はいはい」
お花は相槌をうって勝手へと向かった。まさかそれだけを食べさすわけにもいかないので、ぬか床から蕪の浅漬けをひとつ取り出すと、包丁でいちょうに切る。
「おい、お花」虎蔵がそう呼ぶのに、「まってね、すぐもって行くから」とお花が返事をすると、「いや、そうじゃねえ」と虎蔵が云う。
「寺子屋の話はどうなった? 大家さんは引き受けてくれたのか?」
お花はお盆にのせたぶっかけ飯と、蕪の漬物を虎蔵の前にならべながら、「ええ、牡丹屋の旦那様にお話ししてくれるって、きっとこの話は纏めてみますよって、仰ってくれたわ」そう云ったお花の顔はどことなく沈んでみえた。
「そうかい、そいつは良かったな」
「ほんとう、良かったわ」
「……なんだ、そのわりにはあんまし嬉しそうじゃねえな」
虎蔵はそう云って、しゃくしゃくと音をたてながらぶっかけ飯を食べ始める。お花はそれきり無言で、何かを考えているようにみえた。虎蔵もそれ以上はあえて何も云わず、美味い蕪だとか独り言を呟くのみである。
虎蔵の飯がすみ、お花がいれたお茶を啜っていると、「ねえ、おとっつあん」とお花は手にした繕い物を見つめながら、ぽつりと云った。
「あたしね……相楽さんに酷いこと云っちゃったの」
虎蔵はちらりと横目でお花をみると、「ほう」と云ってまた一口茶を啜った。
「あのね、あたしね……」
お花は相楽に寺子屋の話しをしに行ったときのことを虎蔵にはなした。すると虎蔵は苦笑いを浮かべて、「ずるい、か……」と呟き、「おめえ、ずいぶんキツいことを云ったもんだな」と、お花の顔をまじまじと見つめる。
「だって……」
「死んだおっかあもキツいことを平気で云う女だったが、おめえそんなとこまで似なくたっていいんだぜ?」と云って虎蔵は笑った。
「ちゃかさないでよ、おとっつあん」
「ちゃかしてやいねえさ、そんでおめえは相楽さんに云ったことを後悔してるのか?」
「後悔というか……」そう云ってお花は黙ってしまう。
虎蔵はお花がそのあとを云わないのを確かめると「なあ、お花」と訊ねた、「おめえは相楽さんをやり込めてやろうとして、ずるいなんて言葉を使ったのか?」
お花は急に目を見開き真剣な眼差しをして否定した、「ちがう! そんな気持ちこれっぽっちもなかったわ」
「そうかい……なら心配するな」
「…………」
「詳しい経緯は知らねえが、おめえの気持ちが本当のものなら、相楽さんも分かって下さっているよ」
そう云って虎蔵はお花に頷いてみせると、お花は少しべそをかいたような顔で「うん」と応える。その顔にはどことなく少女の頃の面影が残っているようにも見えた。
「さて、いい具合に酔いがまわったみてえだ、そろそろ寝るか」虎蔵がそう云うとお花が、「いま寝床をつくるからまってね」と雫を起こさないように掻巻ごと抱き上げた。
虎蔵はその雫を見てふと云ったものである。
「相楽さんは新しいご新造さんを貰わねえのかなあ……」
お花はそれにはすぐには応えず、夜具を敷きながらやがてぽつりと言葉をこぼす。
「雫ちゃんにはやっぱりお母様が必要なのかしら……」
どことなくお花の言葉に含みを感じた虎蔵は、前から少し気になっていたことを訊いてみようと思い、何気ないふうに云ってみた、「まさかおめえが相楽さんに貰ってもらうつもりじゃあるめえな?」
あまりにも唐突に云われたお花は、虎蔵が云ったことが一瞬なんのことだか分からなかったが、すぐに理解すると頬を赤らめながらも、呆れた様な顔をしたようだ。
「いやだわ、おとっつあん……酔っ払ってるの?」
「だがなお花」
「いいえ、まって、なんだか前にそんなことを夜吉ちゃんもいってたけど……」
「夜吉が?」
「ええ、そうよ、二人して馬鹿みたい」
そう云ってお花はくすくすと笑うのに、虎蔵は逆にもじもじとして、不機嫌そうな顔をわざと作ってみせたものである。
「ねえ、おとっつあんは相楽さんの亡くなったご新造さんの、織枝さんを覚えているでしょ?」
「あたりめえだ」
「あたしね、あの方にずっと憧れていたのよ。とてもお綺麗で、いつも凛としているのにその笑顔が優しくて、ああ、こういう方こそがお武家の奥様というものなんだなって」そう云ったお花は、少し昔を思い出すかのような遠い目をしていた。
虎蔵も独り言のように呟き、「お体がお弱くってお気の毒だったが、あの頃の相楽さんとご新造さんが一緒にいると、まるで内裏雛のように美しかったっけなあ」
「ええ、ほんとうにそうだったわねえ」
お花は敷き終えた夜具の皺を伸ばしたあとに雫を寝床へと移しながら、木場で相楽から聞いた織枝への想いを思い出す。
相楽の心の中には、まだ織枝は生きていると云っていた。それは哀しみや苦しみ、そしてすべての想い全部丸ごとで織枝なのだと云うようで、ちょっと目が眩むほどの深い愛情をみた気がしたものだ。
(まだあたしなんかじゃ全然わからない話だけれど……)
いつかは相楽と織枝のような、そんな夫婦に自分もなりたいなと、お花は思うのだった。
「だからね、おとっつあん」
お花は虎蔵の方は見ずに布団に寝かしつけた雫の寝息を聞きながら、「あたしは内裏雛に割り込むような、そんな身の程知らずじゃありませんよ」
少し不貞腐れてそう云ったお花の表情に安心をしたのか、虎蔵は「ならいいんだ、忘れてくんな」と肩を竦めて立ち上がり、雫の横に並べて敷かれた布団へと潜り込む。
「まあ、あれよ、たまには夜吉と芝居見物にでも行ってきな」そう背中を見せて話す虎蔵に、お花は心の中で「ええ」と応え、何かを想うような目をして途中になっていた縫い物を手に取る。
部屋の外では相変わらずさらさらと、粉雪が柔らかな音をたてながら降り続いているのであった。
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