公爵令嬢は今日も筋肉で愛を語る~好きって伝えたいだけなのに、破壊オチになる件~

灰色テッポ

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第一話 古今無双の公爵令嬢

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「ヘルミーネ様っ! ど、どうか私との婚約を破棄して頂きたく存じますッ!」

 宮廷での夜会で突然自分にそう言った男性に、ヘルミーネは見覚えがなかった。もちろん婚約者を持った覚えもない。
 だが彼が勘違いでも冗談でもなく、本気で言っている事をヘルミーネは知っている。だからこそ厄介なのだと心の中で溜め息を吐いた。

(ハァ、またなの?……)

 常識で考えれば見知らぬ者から婚約を破棄して欲しいと頼まれるなど、まさに常軌を逸した出来事だ。
 しかしヘルミーネからは動揺した様子は見られない。むしろよくある事のようにウンザリしている。

 いや実際今年で三回目、全部合わせれば十数回。謎の婚約者が現れては繰り返されてきた出来事なのだ。だから彼女にしてみればよくある事で間違いなかったのである。

 それよりも────

「見ろよ、ヘルミーネ様がまた婚約破棄を頼まれているぞ」
「もはや社交界の名物ですわね」
「おやおや、またヘルミーネ様がフラれているのか? お可哀想に」
「バカっ、言葉に気をつけろ!」
「そうだぞ、身の程を知った男がヘルミーネ様にフラれたいと懇願しているのだ」
「でもそれって、結局はフラれているのと同じじゃない?」

 ヘルミーネはこうして夜会の参加者たちに噂され、悪目立ちしてしまうのが辛かった。というより恥ずかしかった。
 誰かが言った様にヘルミーネにしてみれば、謎の婚約者ではあっても自分がフラれている事に変わりはないのだから。

(毎度毎度、なんで知らない人からフラれなければいけないの!?)

 十七歳の乙女であるヘルミーネには、その恥辱がズシッと堪えた。
 しかも人前で十数回フラれたとあっては、ヘルミーネの乙女心はズタズタだ。

 すっかり女性としての自信を失い内心ションボリしていたヘルミーネであったが、彼女は名誉あるロックス公爵家の令嬢である。
 上流貴族の体裁は保たねばと、努めて毅然とした態度で謎の婚約者にと尋ねた。

「あの、ひとつ教えて頂けますか?」
「はい! なんなりとッ」
「私には覚えのない婚約なのですが、やはり兄上が貴方を無理矢理に?」
「えっと、それは……」

 ヘルミーネの問い掛けに謎の婚約者は目を泳がせながら答えづらそうにした。そこには大人の事情というものがあるのだろう。
 しかし自分を真っ直ぐに見つめるヘルミーネの視線から、彼は逃れる術を知らない。というより怖い。

「どうなんです?」
「は、はひっ、その通りでございまふ! 先日マッドリー・ロックス様に脅さ、ではなく申しつけられまして……」
「ハァ、やはりそうですか」

 ヘルミーネはこの茶番劇の張本人である兄マッドリーの顔を思い浮かべて溜め息を吐く。
 何度も勝手な事をするなと怒っても、一向にやめようとしない迷惑な兄であった。いやもはや迷惑を通り越して犯罪レベルだとも思っている。

(ぶっ飛ばしてやろうかしら!)

 兄への憤りで思わず感情が昂ってしまったのだろう、ヘルミーネは右手に持っていたゴブレットをグシャリと握り潰す。

「あっ!──」

 完全に潰れたゴブレットから中のワインが飛び出し、赤い放物線を描いて床を濡らした。貴族令嬢らしからぬ失態である。というかそもそも普通の貴族令嬢ではゴブレットを握り潰せないのだから、こんな失態へルミーネ限定だ。
 実は彼女には、感情が昂ると筋肉に力を込めてしまう悪癖があったのだ。その結果がこれである。

(またやっちゃった……)

 ところで謎の婚約者にしてみれば、ヘルミーネの態度は自分に向けられたものだと勘違いして当然だろう。
 それゆえ彼は潰れた金属製のゴブレットから滴れ落ちる赤ワインを見て、「ヒイッ!」と悲鳴を上げブルブルと震えだした。

「ち、ち、違うのですっ! ヘルミーネ様との婚約は大変栄誉な事だと思っております! ただこの平凡でつまらぬ私では、ヘルミーネ様と釣り合わぬのですっ。ゆえに断腸の思いで婚約破棄をお願いしたのですッ!」

 必死で釈明する婚約者は「決してヘルミーネ様に恥をかかすつもりはない」のだと、何度も頭を下げていた。
 そして彼の言葉に嘘はなかった。本来ならばヘルミーネとの婚約は大変栄誉な事なのだ。彼女はここフェンブリア王国で最も名門とされる、ロックス公爵家の長女であるのだから。

 しかも明るい栗色の髪と大きな鳶色の瞳を持つヘルミーネは、彼女の健康的な外見によく映えて美しい。怒り眉のせいで少々人当たりは悪いがなかなかの美人だ。
 正直彼女のスペックだけを見れば夢のような好条件といえるだろう。俗に言う逆玉の輿である。

 ならばどうして婚約破棄を願うのか。実はヘルミーネはその理由を知っていた。
 今まで婚約破棄を願ってきた男性の全員が、同じ理由を口にしていたのだから間違いない。そして目の前にいる彼もまた、同じ理由を口にするだろうとヘルミーネは思っている。

「古今無双の公爵令嬢ヘルミーネ様には私の様な凡夫とではなく、どうか相応しき男性と婚約なさって欲しいと願っております!」

 案の定である。ヘルミーネはたったいま彼が言った『古今無双の公爵令嬢』という言葉を聞いて、眉根を寄せた。

「あの、私その二つ名で呼ばれるのは好きではありませんわ」
「えっ!? こ、これは大変な失礼を致しましたっ。どうかお許しをッ!」

 謎の婚約者にしてみれば古今無双の公爵令嬢という二つ名をもって、ヘルミーネを称賛したつもりだったのだ。そしてフェンブリア王国ではそれが常識でもある。
 なのにヘルミーネから不満の声を聞かされたのだから、彼が慌てたのも無理はない。

「ご、ご不快な思いをさせてしまい申し訳ございませんっ!」
「いえ、ご理解頂ければもう……」

 ヘルミーネを怒らせたと思い込み、そのうえ不快な思いもさせてしまった。この立て続けの失敗に謎の婚約者は頭が真っ白になってしまったようだ。
 それでも上位貴族への非礼だけでこんなにも慌てるものだろうか。むろんそれだけではない。彼は恐怖していたのだ。
 
「ち、違うのですっ! 私はただヘルミーネ様が神から与えられし偉大な加護を、その結実ともいえる二つ名を称賛したかっただけなのですッ!」
「で、ですからもう……」
「ど、ど、どうか加護の力による懲罰だけはお許し下さいッ!」
「そんな物騒な事しませんから! って、貴方ちょっと!?」

 するとあろうことか謎の婚約者は、額を床に擦り付けながら平伏し謝罪し始めたのである。
 これではまるで自分が悪者のようではないかと、ヘルミーネはその世間体の悪さに動揺した。

「そのような真似はおよしになって!」

 ヘルミーネが古今無双の公爵令嬢と呼ばれるのは、決して伊達や酔狂での事ではない。彼女は確かに王国随一の強者なのだ。
 だからこそ謎の婚約者は恐怖にその身を震わせている。

 そして──「だからこそ私は殿方にフラれるのだわ」と、ヘルミーネは心の中で自分の強さとその原因たる加護を恨めしく思ったのであった。

 ところで『加護』とは、この世界に生きる全ての人間が神から授かる異能の事だ。異能の種類は多岐にわたり、何を授かるかは完全に運まかせである。
 血統や身分に関わらず公平に与えられる加護は、ある意味人間の価値を決めてしまうほど神聖なものだった。

 ヘルミーネの授かった加護自体は『筋力強化』というありふれた加護である。
 肉体労働者や兵士に向いた、およそ貴族令嬢にとっては不必要な下級加護と言ってもいいだろう。しかもその加護には異能不全という致命的欠陥があった。百万人に一人という割合で起こる加護障害だ。

 要するにヘルミーネの加護は壊れていたのである。そして幸か不幸か、文字通りブッ壊れ性能の筋力強化であったのだ。
 正常な筋力強化の加護ではあり得ない異常さで強化された彼女の筋力は、桁外れなパワーを生み出した。分厚い鋼鉄の大楯と丸太のようなメイスを左右に持てば、たとえ王国中の騎士を集めても誰一人として彼女には敵わない。

 実際ヘルミーネはその武装をする事で、毎年開催されている上覧武術大会で二年連続優勝を果たしている。
 その結果彼女は『古今無双の公爵令嬢』と呼ばれる様になり、フェンブリア王国随一の強者としてその名を轟かしたのである。

「ヘルミーネ様に平伏している男は誰だ? あまり見ない顔だが」
「あれは確かヘッタレン伯爵家の次男坊じゃないか?」
「ヘッタレン? フッタレン伯爵じゃなかったっけ?」
「なんかヘルミーネ様の加護による懲罰がどうとか言ってたぞ」
「マジか! 古今無双の公爵令嬢の懲罰だったら、さぞ凄まじいに違いない!」
「あの男、死んだな……」

 端から見ればヘルミーネと婚約者のしている事は、修羅場としか見えないだろう。そして社交界はそういうハプニングが大好きなのだ。
 興味を唆られた野次馬たちが、次々と二人の周りに集まってくるのは必然である。

(あわわわ……どうしようっ)

 ヘルミーネはこんな悪目立ちしたくはないのにと焦りながらも、この場を収める方法が思いつかないのであった。
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