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第四話「カナリア」
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アンジェリカは私の問い掛けに、あからさまな不機嫌な様子で溜め息をつくと、イライラとして答えた。
「はあ? カナリア? 何の話をしていらっしゃるの? 私、お姉様と昔話をしていられるほと暇じゃないんですけど!」
先日のルーカス様との件以来、私とはあまり口もきいてはくれていなかったので、妹が不機嫌なのは予想はしていた。
それゆえ妹の部屋を訪れた私はドアごしに追い返されてしまうのだが、何度もお願いしてようやくドアを開けて貰ったのだ。
要件をさっさと話せと急かされた私は、真っ直ぐに死んだカナリアの事を訊いてみたのだけれど──
「カナリアの鳴き声が聴こえるとか、お姉様、頭は大丈夫ですの?」
「まっ、待ってちょうだいアンジェリカ。本当に貴女の可愛がっていたカナリアを、私が死なせてしまった事を憶えていないの?」
「そんな幼い頃の話なんか憶えていませんわ。だいたい私は動物とか好きではありませんし、お姉様の記憶違いじゃございませんこと?」
あんなに可愛がっていたカナリアの事を、まさか妹が忘れてしまっていただなんて……そんな事は思ってもみなかった私は、酷く動揺してしまった。
この十年間、私がその死を片時も忘れずにいた様に、妹も同じ悲しみを背負っていたとばかり思っていたのに。
「で、でも……死なせてしまったカナリアの為に私が泣く事を、貴女は絶対に許さなかったじゃない。絶対に絶対に駄目だって……」
「知りませんわよ! 泣きたければ勝手に泣けばいいじゃない」
ショックだった。
あの時まだ少女だった頃の自分の気持ちが、まざまざと蘇ってきた。
私は一体何の為にあんなに泣く事を我慢していたのだろうかと、やるせない気持ちが溢れて止まらなくなる。
私は妹のただの気まぐれな言葉に振り回されて、泣きたい感情をずっと殺し続けていただなんて……
そう思った途端、私はカナリアの鳴き声を聴く理由が分かった様な気がした。
──あのカナリアの鳴き声は、私の悲鳴だったんだ。
だから私が妹の我が儘に応えようと自分の感情を殺す時、決まってカナリアの鳴き声が聴こえてきたのだろう。
あの時アンジェリカに奪われた泣きたかった気持ちが、これ以上何も奪わしてはいけないと叫んでいるかの様に。
『いいかいレイラ。死んだカナリアは戻らないんだ。でもそれでいいんだよ。もう一度、ちゃんとカナリアを死なせておやり』
ルーカス様がそう仰った意味がやっと分かった。私は死なせてしまったカナリアの為にちゃんと泣いてあげなければいけなかったんだ。
妹の望みを叶える為に遠慮をした私が間違っていた。それより大切な事は、命を奪ってしまった罪への責任を果たす事だったのだ。
──呪いが解けた。
私の両の目からはポロポロと涙がこぼれ落ちていく。
死なせてしまったカナリアに何度も何度も心の中で謝りながらも、私はその悲しみに遠慮はもうしなかった。全身全霊で泣いていた。
「ちょ、ちょっとお姉様! 私の部屋で泣くのは止めてよね!」
アンジェリカが何を言ったって、そんな事はもう知った事ではない。
私は今、泣きたいのだ。だから泣くのだわ、それが私の正直な気持ちなのだから──
ピィッと一際高い声で鳴いた鳥が力強い羽音を残して飛び去った。
私はもう二度とカナリアの鳴く声を聴く事はないだろうと思った。
◇*◇*◇
季節はあっという間に幾つも流れてゆき、まもなく訪れる夏の日に私はルーカス様と結婚する事となる。
あの日、私のもとからカナリアが飛び去ってから、私は一度もカナリアの鳴き声を聴く事はなかった。
アンジェリカの我が儘は今でも続いていたが、もう私は自分の気持ちに遠慮をする事はない。
はじめ妹にはその態度が不満であった様だが、そのせいで姉妹の関係が一層悪くなったようには見えなかった。良くも悪くも妹は自分の事にしか興味がないのだ。
しかし妹の様に悪意もなく他人の罪悪感につけ込んで、無意識にその他人を支配してしまう人間は恐ろしい。
ある意味、悪意で支配しようとする人間の方が、マシだと言えるかもしれない。悪意を認識できる分、自分の身を守ろうと警戒が出来るからだ。
だがそこに悪意がないと、身を守る事に気が付けないまま、いつの間にか縛りつけられてしまう。あたかも呪いの様に……
妹はそういう事を自分の武器に出来る人間なのだろう。その妹も半年前に婚約した。
「レイラ、これは母がこのカーミリア家に嫁いできた時に身に付けていたティアラです。貴女はこのティアラを受け継いで、どうか立派なカーミリア家の主婦になって下さい」
私は今、ルーカス様との結婚式に着る衣装についての打合せを、お母様としているところだ。
そのティアラは私の愛の誓いを、星空へ届けてくれるだろう事が一目で分かるほど、それは神々しいものだった。
「なんて美しいのでしょう……私、このティアラに恥じる事のない立派な花嫁になってみせますわ」
そう感謝の気持ちを素直に伝えた私に、お母様は優しく頷いてくれた。
けれど、多分こうなる事も分かっていたのだ──
「ええっ!? 何でこのティアラがお姉様のものになるのですか? 私だってカーミリア家の娘ですわ、このティアラを受け継ぐ権利はあるはずです!」
アンジェリカが同席を望んだ時点で、妹の我が儘がどこかで顔を出すだろう事を私は予想していたからだ。
「もちろん貴女も娘であるけれど、このティアラはカーミリア家の花嫁が受け継いぐものだから……」
お母様は私たち姉妹を平等に愛して下さっている。それだけに妹の主張に少し気弱になってしまったようだ。
「でもカーミリア家の家宝という訳ではないですよね? お母様の個人的所有物な訳だし、それをお姉様に譲るのは依怙贔屓だと思いますわ」
「そんな、依怙贔屓だなんて……」
私は困った顔をなされているお母様がお気の毒で、胸が痛む。
でも確かに妹の言っている事も間違ってはいない様にも思えた。
「お姉様には別のティアラを用意すればいいのではありません? だってそのティアラは私が花嫁になる時に身に付けた方が、絶対に似合うもの!」
──だけど。
「お断りしますわ、アンジェリカ」
私がきっぱりと妹の我が儘を拒んだ事で、アンジェリカは露骨に不満な態度を見せながら私を睨む。
けれど、私はもう自分の気持ちに遠慮したりはしない。
「そもそもそのティアラはお母様がカーミリア家に嫁ぐ際、カーミリアの主婦となって家を守るという誓いの表れのものです。ならカーミリアの花嫁である私が身に付けてしかるべきものでしょう?」
「それはそうかもしれないけれど……」
唇を尖らせて頬を膨らます妹に、私はさらにこう言い切った。
「それに、そのティアラが私より貴女の方が似合うだなんて、全然そうとは思えませんもの」──と。
梅雨の晴れ間の青空に吸い込まれていく様な、ルーカス様の笑い声が野原一面に響き渡る。それは一迅の風の様に心地がいい。
私とルーカス様は轡を並べて乗馬しながら、私がアンジェリカにティアラを譲らなかった時の話をしていた。
「ははは、それはアンジェリカもさぞや驚いた事だろうね」
ルーカス様は快活な笑顔で私に振り向いてそう仰った。
「そうでも無いかもしれませんわ。私も最近は図々しいほどはっきりと自分の気持ちを伝える様になりましたから」
そう、死んだカナリアは戻らない。だからこそ生きているうちに、思う存分歌わなければいけないのだろう。
あの死なせてしまったカナリアの様に、悲しい鳴き声で歌わせ続ける事はもうしたくはないもの。
「おやおや、それはお手柔らかに頼むよ。なんだかレイラの尻に敷かれている未来の自分が見える様だな」
「まあ! こうなったのも全部ルーカス様のおかげですのに?」
「それはどうだろう? もともとレイラは素直で真面目な人だから、自分の気持ちにも素直に戻れただけなのだと思うな」
そう仰ったルーカス様はふわりと優しい視線を私に絡めて。
「俺はそういうレイラが大好きだよ」
と、平気で甘い言葉を仰った。
「し、知りません!」
私は真っ赤になっている顔を見られる事が恥ずかしくて、馬に軽く鞭をいれて駆け出す。その後ろからルーカス様が気持ち良さげに笑いながら私を追って来た。
野原に長くのびた白い道を、私たちはひたすらに駆けていく。
とこかで楽しそうに歌う小鳥の声が聴こえた。
〈了〉
「はあ? カナリア? 何の話をしていらっしゃるの? 私、お姉様と昔話をしていられるほと暇じゃないんですけど!」
先日のルーカス様との件以来、私とはあまり口もきいてはくれていなかったので、妹が不機嫌なのは予想はしていた。
それゆえ妹の部屋を訪れた私はドアごしに追い返されてしまうのだが、何度もお願いしてようやくドアを開けて貰ったのだ。
要件をさっさと話せと急かされた私は、真っ直ぐに死んだカナリアの事を訊いてみたのだけれど──
「カナリアの鳴き声が聴こえるとか、お姉様、頭は大丈夫ですの?」
「まっ、待ってちょうだいアンジェリカ。本当に貴女の可愛がっていたカナリアを、私が死なせてしまった事を憶えていないの?」
「そんな幼い頃の話なんか憶えていませんわ。だいたい私は動物とか好きではありませんし、お姉様の記憶違いじゃございませんこと?」
あんなに可愛がっていたカナリアの事を、まさか妹が忘れてしまっていただなんて……そんな事は思ってもみなかった私は、酷く動揺してしまった。
この十年間、私がその死を片時も忘れずにいた様に、妹も同じ悲しみを背負っていたとばかり思っていたのに。
「で、でも……死なせてしまったカナリアの為に私が泣く事を、貴女は絶対に許さなかったじゃない。絶対に絶対に駄目だって……」
「知りませんわよ! 泣きたければ勝手に泣けばいいじゃない」
ショックだった。
あの時まだ少女だった頃の自分の気持ちが、まざまざと蘇ってきた。
私は一体何の為にあんなに泣く事を我慢していたのだろうかと、やるせない気持ちが溢れて止まらなくなる。
私は妹のただの気まぐれな言葉に振り回されて、泣きたい感情をずっと殺し続けていただなんて……
そう思った途端、私はカナリアの鳴き声を聴く理由が分かった様な気がした。
──あのカナリアの鳴き声は、私の悲鳴だったんだ。
だから私が妹の我が儘に応えようと自分の感情を殺す時、決まってカナリアの鳴き声が聴こえてきたのだろう。
あの時アンジェリカに奪われた泣きたかった気持ちが、これ以上何も奪わしてはいけないと叫んでいるかの様に。
『いいかいレイラ。死んだカナリアは戻らないんだ。でもそれでいいんだよ。もう一度、ちゃんとカナリアを死なせておやり』
ルーカス様がそう仰った意味がやっと分かった。私は死なせてしまったカナリアの為にちゃんと泣いてあげなければいけなかったんだ。
妹の望みを叶える為に遠慮をした私が間違っていた。それより大切な事は、命を奪ってしまった罪への責任を果たす事だったのだ。
──呪いが解けた。
私の両の目からはポロポロと涙がこぼれ落ちていく。
死なせてしまったカナリアに何度も何度も心の中で謝りながらも、私はその悲しみに遠慮はもうしなかった。全身全霊で泣いていた。
「ちょ、ちょっとお姉様! 私の部屋で泣くのは止めてよね!」
アンジェリカが何を言ったって、そんな事はもう知った事ではない。
私は今、泣きたいのだ。だから泣くのだわ、それが私の正直な気持ちなのだから──
ピィッと一際高い声で鳴いた鳥が力強い羽音を残して飛び去った。
私はもう二度とカナリアの鳴く声を聴く事はないだろうと思った。
◇*◇*◇
季節はあっという間に幾つも流れてゆき、まもなく訪れる夏の日に私はルーカス様と結婚する事となる。
あの日、私のもとからカナリアが飛び去ってから、私は一度もカナリアの鳴き声を聴く事はなかった。
アンジェリカの我が儘は今でも続いていたが、もう私は自分の気持ちに遠慮をする事はない。
はじめ妹にはその態度が不満であった様だが、そのせいで姉妹の関係が一層悪くなったようには見えなかった。良くも悪くも妹は自分の事にしか興味がないのだ。
しかし妹の様に悪意もなく他人の罪悪感につけ込んで、無意識にその他人を支配してしまう人間は恐ろしい。
ある意味、悪意で支配しようとする人間の方が、マシだと言えるかもしれない。悪意を認識できる分、自分の身を守ろうと警戒が出来るからだ。
だがそこに悪意がないと、身を守る事に気が付けないまま、いつの間にか縛りつけられてしまう。あたかも呪いの様に……
妹はそういう事を自分の武器に出来る人間なのだろう。その妹も半年前に婚約した。
「レイラ、これは母がこのカーミリア家に嫁いできた時に身に付けていたティアラです。貴女はこのティアラを受け継いで、どうか立派なカーミリア家の主婦になって下さい」
私は今、ルーカス様との結婚式に着る衣装についての打合せを、お母様としているところだ。
そのティアラは私の愛の誓いを、星空へ届けてくれるだろう事が一目で分かるほど、それは神々しいものだった。
「なんて美しいのでしょう……私、このティアラに恥じる事のない立派な花嫁になってみせますわ」
そう感謝の気持ちを素直に伝えた私に、お母様は優しく頷いてくれた。
けれど、多分こうなる事も分かっていたのだ──
「ええっ!? 何でこのティアラがお姉様のものになるのですか? 私だってカーミリア家の娘ですわ、このティアラを受け継ぐ権利はあるはずです!」
アンジェリカが同席を望んだ時点で、妹の我が儘がどこかで顔を出すだろう事を私は予想していたからだ。
「もちろん貴女も娘であるけれど、このティアラはカーミリア家の花嫁が受け継いぐものだから……」
お母様は私たち姉妹を平等に愛して下さっている。それだけに妹の主張に少し気弱になってしまったようだ。
「でもカーミリア家の家宝という訳ではないですよね? お母様の個人的所有物な訳だし、それをお姉様に譲るのは依怙贔屓だと思いますわ」
「そんな、依怙贔屓だなんて……」
私は困った顔をなされているお母様がお気の毒で、胸が痛む。
でも確かに妹の言っている事も間違ってはいない様にも思えた。
「お姉様には別のティアラを用意すればいいのではありません? だってそのティアラは私が花嫁になる時に身に付けた方が、絶対に似合うもの!」
──だけど。
「お断りしますわ、アンジェリカ」
私がきっぱりと妹の我が儘を拒んだ事で、アンジェリカは露骨に不満な態度を見せながら私を睨む。
けれど、私はもう自分の気持ちに遠慮したりはしない。
「そもそもそのティアラはお母様がカーミリア家に嫁ぐ際、カーミリアの主婦となって家を守るという誓いの表れのものです。ならカーミリアの花嫁である私が身に付けてしかるべきものでしょう?」
「それはそうかもしれないけれど……」
唇を尖らせて頬を膨らます妹に、私はさらにこう言い切った。
「それに、そのティアラが私より貴女の方が似合うだなんて、全然そうとは思えませんもの」──と。
梅雨の晴れ間の青空に吸い込まれていく様な、ルーカス様の笑い声が野原一面に響き渡る。それは一迅の風の様に心地がいい。
私とルーカス様は轡を並べて乗馬しながら、私がアンジェリカにティアラを譲らなかった時の話をしていた。
「ははは、それはアンジェリカもさぞや驚いた事だろうね」
ルーカス様は快活な笑顔で私に振り向いてそう仰った。
「そうでも無いかもしれませんわ。私も最近は図々しいほどはっきりと自分の気持ちを伝える様になりましたから」
そう、死んだカナリアは戻らない。だからこそ生きているうちに、思う存分歌わなければいけないのだろう。
あの死なせてしまったカナリアの様に、悲しい鳴き声で歌わせ続ける事はもうしたくはないもの。
「おやおや、それはお手柔らかに頼むよ。なんだかレイラの尻に敷かれている未来の自分が見える様だな」
「まあ! こうなったのも全部ルーカス様のおかげですのに?」
「それはどうだろう? もともとレイラは素直で真面目な人だから、自分の気持ちにも素直に戻れただけなのだと思うな」
そう仰ったルーカス様はふわりと優しい視線を私に絡めて。
「俺はそういうレイラが大好きだよ」
と、平気で甘い言葉を仰った。
「し、知りません!」
私は真っ赤になっている顔を見られる事が恥ずかしくて、馬に軽く鞭をいれて駆け出す。その後ろからルーカス様が気持ち良さげに笑いながら私を追って来た。
野原に長くのびた白い道を、私たちはひたすらに駆けていく。
とこかで楽しそうに歌う小鳥の声が聴こえた。
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