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第三章 追体験

同化する

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一体何が起きているのだろう。
 リオは、悪魔のように美しい少年の顔をじっと見あげた。
「今更何びびってんだ。すぐに俺のさしがねだって気づいたくせに。そりゃそうだよな。あん時、お前を公園に呼び出したのは俺だったし、な」
 独りごちる一星に悪びれた風は微塵もない。
「卑怯者」
 しぼり出すような声で沙蘭は言った。
「なんとでも言えよ。お前を手に入れるためなら卑怯者にでも人殺しにでもなってやる」
 一星は、無造作に手を伸ばし、細い顎を摘んだ。
「お前だってわかってんだろ? お前のために、この町を作ったんだ。逃げられないし、逃がすつもりもない」
「いやっ」
「諦めて、俺のものになるんだな」
 泣きそうな事も、心細さで胸がつぶれそうになっている事も相手には絶対気取られたくなくて、沙蘭は嫌々と首を振る。しかしそんなネガティブな表情すら、暴走中の少年にとっては欲望を煽るスパイスみたいなものらしい。
 切れ長の目が細められ、冷たい指が自分の方を見るようにと、きつく頬をねじる。逆らおうとしてままならず、せめてもの抵抗にと、沙蘭はきっと一星をにらみつけた。
「よし、その目だ。それでこそ俺の花嫁だ」
 嬉しげに言うと一星はあっさりと手を離した。
「さてと、俺はそろそろ行く。今から医者がここに来る。今までいた世界と次元が違うから、身体が適応できるかどうか、簡単な検査が必要なんだ。終わったら風呂で身体を洗ってもらうんだ。それも係のものがちゃんといるから安心しろ。隅々まで綺麗にしてもらえよ。その後は俺との初夜だからな」
 沙蘭は大きな目をまたたかせた。
「じゃあな、沙蘭。寝室でお前を待ってるぜ」
 それから一星は鋭い声で紅龍を呼んだ。
「行くぞ」
 呼びかけと同時に緑の目が見開かれる。
 一歩引くと、もう一星の姿は見えなくなった。ごうというすさまじい音と共に、身体の上に風が舞う。
「ああ、そういやここでは俺は別名を名乗ってる。後で医者に教えてもらえ。だけどお前は今まで通り一星と呼んでくれたんでかまわない」
 激しい風音に紛れて、一星の声が聞こえてきた。まだ部屋の中にいるはずなのに、こだまが返る時のような不確かな声。
「何……?」
 風埃に両目をすがめ、問い返した時風がやんだ。たちまちうって変わったような静寂が訪れる。
「一星……?」
 もういないとわかってはいたが、小声で名を呼んでみた。返事はなく、再びの闇が一人ぼっちな少年を包んでいく。
 沙蘭の心の奥深くで、リオは信じられない事実に打ちのめされていた。
「お前達がくっつくのが一番いいのかもな」
 そんな風に、リオの恋を応援してくれていたはずの一星。その目には、邪な欲など何も見受けられなかった。しかし、この回想が事実ならば、一星は沙蘭に恋をしていて、この後彼の初めてを奪う相手になるはずで。
 それよりも何よりも気になる事がある。何か重大な見落としが、きっとある。

「リオ」
 突然名前を呼ばれてはっとした。
「えっ?」
 沙蘭の顔で回りを見渡せば、傍らに今の自分と同じはずの顔が立っている。
「沙蘭?!」
 呼びかけに、沙蘭はにこりと笑った。
「どうしたの? えっと……これって沙蘭の思い出話の中なんだよね」
 ベッドに縛られたままリオは尋ねた。
「うん、そうだけど、ちょっと不都合な事が起きちゃって方針を変えたんだ」
 あたりを見回しながら、沙蘭は小声で囁く。
「あのね……君って今僕の身体の中から僕の行動を覗き見している感じだろ? なんかそれって精神衛生上よくないみたいなんだ。まだ君は眠っているけど……すごい脂汗で、脈拍とかもやばくって」
「……じゃあ、追体験は中止?」
 リオは瞳を輝かせた。
「いいや。それは続けてもらう。でもちょっとやり方を変えるよ。君はそのまんま僕になるんだ」
「俺が……沙蘭に?」
「うん。夢ってそんなもんだろ? 自分以外の誰かになったっておかしくない」
 したり顔の沙蘭に、そこまでして体験したくない……という泣き言を舌の奥でかみ殺す。沙蘭は人差し指をリオの頭にあてがい
「わかった? 君はリオだった時の記憶は残したまま、今から沙蘭になる。沙蘭の着ぐるみを着たリオじゃなくて、そのまんまん僕になるんだ。十数えたら君はもう沙蘭だからね。ちょっとの間無心になって」
「あのね、俺」
「早く。もうすぐ人が来る」
 一星との事、そして赤い龍の事など、聞きたい事は山ほどあったが、とりつく島のない沙蘭の様子に口をつぐむ。
傍らにほのかな体温を感じただけで胸が震えるのだ。逆らえない。
「……十。さあ、もう君は今から沙蘭だ。これが新しい沙蘭の顔」
 沙蘭は手鏡をリオの上に差し出した。
「ちょっとだけ……本物と雰囲気が違うよ」
 なだらかのバラ色の頬に、おっとりとした目。穏やかで清楚な印象の沙蘭の顔が微妙に変わっている。
 大きいけれどつり上がり気味の目。きゅっと尖った顎。
「君のルックスが混じったみたいだね。これは幻想の世界なんだからそれでいいんだよ。さあ、君は今から沙蘭だ。僕は沙蘭だって言ってごらん?」
 満足気に沙蘭は頷き、リオにそう要求した。
「僕は沙蘭」
 リオは言った。
「そう、君は沙蘭だ。忘れないで」
 そして本物はふいにいなくなる。
「あ……」
 結局何も尋ねる事が出来ずに行ってしまった。心細いが、今も沙蘭はリオの冒険を、傍らで見守っているに違いない。それだけで心にぽっと温かいものが灯る。
 頭を整理しようと沙蘭になってから起きた事を順に思い出していた時、きっと鈍い音がして、暗い部屋に一筋の光がさした。
「おやおや、電気がついてないね。暗くて何も見えやしない」
 ドアを開けて入ってきた人物は、壁のスイッチを入れこちらに向き直った。明るくなった部屋の入り口に見知った人影が立っている。
「キム……先生……?」
「おや。私の名前を知ってるんだね。誰かに聞いたのかい?」
 一瞬その質問の意味がわからなかったが、すぐにこれは回想だという事を思い出す。これが沙蘭とキムの初対面のシーンなのだ。
 リオの心を宿した少年はこくこくと頷いた。
「君の名は沙蘭。わが想像主の花嫁だね。彼からこれも聞いていると思うけれど、私はここ、ドラゴンシティ唯一の医者だ。今から君の診察をするよ。ちょっと恥ずかしいかもしれないけれど、私は医者だから安心して。邪な気持は一ミリもないから」
 キムは他意はないというアピールのためか、両手を広げて笑ってみせる。
「俺を調べるの? 俺の……身体を?」
 顔を浮かせながら沙蘭は尋ねた。
「そうだよ。君の肉体は創造主を受け入れる貴重な器だからね。今夜にも君は花嫁として彼に抱かれるんだ。不具合のないように念入りに調べておかなくちゃ」
「痛いの……嫌だ」
「ああ、気持はよくわかるよ。私は何度も彼に進言したんだ。もっとここで修行をさせ心も、身体もセックスに慣れさせてから、ゆっくりと開いてやるのがを得策ではないか? とね。実はここは性の調教施設なんだよ。道具もトレーナーも揃っているから君を躾けるのなんてわけはないんだ。だけど彼は躊躇なく退けられた。まっさらな君を抱きたいんだと。幼少の頃から、よそ見もせずに君に焦がれていたらしいね。うらやましい限りだよ。そこまで想える相手にめぐり合うだなんて滅多にない事だ」
 キムは沙蘭ににっこりと笑いかけた。
「だから大丈夫。きっと大切に抱いてもらえる……。最初からきっと気持よくさせてもらえるはずだよ」
 冗談じゃないと、沙蘭は両の拳を握り締めた。
 今の自分は、リオの心を内包しているという点においては一星と対峙していたときと変わりがない。しかし、さっきの自分は、傍観者的なスタンスで、沙蘭の内部から台詞や行動を見守っていたが、今はまるっきりリアルなのだ。もし抱かれてしまったら、その痛みやもしかしたら快感めいたものまで、実在的に感じ取ってしまうに違いない。
「あのね、俺、そんなの無理。ねえ、先生駄目だって言って。俺はここに適合できてなかったって。家に返してあげてくれって」
 この台詞は内包しているリオが言わせているのか、それとも過去現実に沙蘭が口にしたものなのか。
 どちらにしても、流されるわけにはいかなかった。
「もしそうしたとしても、彼は君を帰さないよ。抱かないまでも、適応するまでずっとここにとどめるだろう……それが何年かかろうともね」
 白衣の男は長い髪をかきあげ、こちらに近づいてきた。
「説明はここまでだ。そろそろ診察を始めるよ。ちゃんと両手足は縛っているよね……? でないと恥ずかしくて処女にはきっと耐えられそうにないだろうからね」 
「いやだ……お願い……」
「今からするのはただの検査だよ。そんなに怯える事はない。本物のセックスは……多少怖いかもしれないけれど、大丈夫だ。愛し合う者同士なら誰だってやっている事だ」
 俺と一星は愛し合ってなどいないのに、と沙蘭は意を唱えようとした。だがキムは有無を言わさぬ風に
「さて、と。沙蘭。君の感度を調べよう。ちょっと今からあちこちを触らせてもらうよ」
 てきぱきと事を進めていく。
「まずはここからだ」
 医者らしく長く繊細な指が、沙蘭の乳首へと伸びてきた。
「あ……やっ」
 キムは震える二対の若芽を軽くつまみ、大事そうに親指と人差し指の腹ですり合わせる。平らな胸の、しかし薄くついた脂肪を寄せるようにしてそっと揉んだ。
「いい……感じだよ……沙蘭。私が調べているのは君の器としての素質だ。いくら想像主が君に焦がれていても、君の肉体が愛される事を拒むようなら、結合は不可能なんだ。しかし危惧の必要はなかったようだね。君は今すぐにでも愛されたいと願っている……こうやって乳首をそっと愛撫しただけで、肉体が綻びはじめているよ。なんとも愛らしい身体だよ」
「そんな事……な……ん……」
「ほら……セックスなんて未経験なくせに、もうそんな可愛い声を上げて」
 キムは片手をそっと下腹へと移動させた。
「初めてじゃ……ないもん……」
 涙の浮かんだ目で沙蘭は訴えた。
 そう。感じてしまうのは、リオだった時、誰よりも好きなトレーナーだったキムの指だからだ。挿入はまだだけれど、愛撫ならば今までに何百回と受けている。
 キムは沙蘭の性器をつんと指ではじき、そして握りこんだ。
「あっ……」
「嘘つきだね。沙蘭。君の事ならば想像主から全部聞いているよ。君はとても固く生真面目で恋人がいた事もなければ、キス以上の経験はない事も全て私は知ってるんだよ」
 ここに来る前に、ならば自分はキスの経験はあったのだ。相手は一星なのだろうか。
 心の中の、リオの部分が切なくきしむ。
 束の間の放心の隙に、キムは手の中で小振りな性器を弄び、皮をそっとめくり上げた。
「ああっ……」
「ちゃんとめくれているようだ。君のルックスにふさわしい可愛らしい形だね。ちょっと絞ってみるよ……ああ、いいね、愛液がもうはや、滲み出ている」
 嫌らしい声から逃れようと腰を左右に振ってみるが、逆に男の手に敏感な部分を擦りつける形になってしまう。
「いい……想像していたよりずっといいよ……初夜は整然と遂行されるだろう。他には懸念材料は何も……あ、一つ忘れていた」
 キムはふいに愛撫の手を止めた。
「何……?」
 突然開放され、沙蘭はついもの欲しげな声を上げてしまった。
「ああ、ごめんね。予想以上に君は優秀だったから、最終テストに移らせてもらうことにしたよ。足の鎖をほどくけど暴れないでね。そう、お利口さんだ」
 子供をあやす時のように赤い髪を撫で、キムは両足の枷を外す。
「知ってるとは思うけど、ここで彼を受け入れるんだよ」
 そう言ってカモシカのように華奢な足を折り曲げエム字に開く。剥き出しになった蕾に、温かい指が一本添えられた。
「ああ…やだ……」
「どうしたの? まだ何もしてないのに。もう感じちゃった?」
「ちがっ……」
「よしよし、そう、従順だね。本番でもそんな風に可愛らしくしているんだよ」
 沙蘭は激しく首を振る。男の指は敏感な部分を広げるようにして小刻みに動く。
「ここに、今夜、あの方のものを受け入れるんだ。想像してごらん。大きなものが押しつけられ、めりめりと中に入っていく。少しくらいは痛いかもしれないけれど、きっと逞しい男のものは、君に極上の悦びを与えてくれるはずだ。だから出来るだけ、ここの力を抜いてリラックスするんだ……怖い事は何もない……全てあの方におまかせさえしていれば」
 沙蘭はくすんと鼻をならした。どうやらキムは検査以上の事はするつもりはないらしい。舌を様々な形に変えながら、局部を何時間も舐められていたリオの記憶があるために、その行為は蛇の生殺しそのもので、やるせなさに泣いてしまいそうだった。
「さあ、今私は君に暗示をかけたんだよ。セックスへの恐怖がなくなるように。ねえ、あんまり怖くなくなっただろう?」
 徐にキムは手を離しそう言った。
 沙蘭はきょとんとキムを見上げ、首を傾げる。
「あんまり……変わらないみたいだけど……」
「やっばりそうか。私の催眠は微妙なんだ」
 キムはあっけらかんとした表情で笑い、こんな状況なのに、つられて沙蘭も笑みをこぼす。
 手の枷を解いてもらいながら、沙蘭は尋ねた。
「ねえ、一星って別名があるって言ってたけど……想像主っていうのがそれ?」
「ああ、そうか。君は知らないんだね」
 赤くなった手首を撫でて慰めながらキムは言った。
「創造主というのは私がそう呼んでいるだけだ。呼び捨てでいいと言われてるんだが、どうにも難しくてね。だって彼はあんなに若いけれどこの町を作り私達を召還した神のような存在だから」
「この町を作った?」
 もう片方も開放され、四肢が数時間ぶりに自由になったというのに、嫌な予感が沙蘭の心に忍び寄る。
「そう。一星が全てを作った」
 キムは頷いた。
「もしかして……一星の別名って……色の名前がついてる?」
 おそるおそるリオは尋ねる。
「ああ、やはり聞いていたんだね。そうあの方の名前には色がついている。赤夜叉。あの方にぴったりな名前だよ。実際にそう呼ぶ者は少ないけどね」
 キムは答えた。
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