人ならざるはオムファタル

坂本雅

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 道すがら、ルネはアシャに一枚の名刺を手渡した。青い鳥の絵と共に美しい筆致で『鳥獣人専門店ハヅクロイ』と書かれている。
「え……何? 何のお店?」
 癒し系という触れ込みと、空を翔ける場面しか見た覚えのない鳥獣人が頭の中で上手く結びつかない。
 人慣れさせた動物と触れ合える喫茶店のようなものかと憶測を立てていた矢先、補足説明が加えられた。
「女性用のプレイ店です。そこは特に人間族に人気がありますの」
「プ、プレイって……!」
 動揺のあまり名刺を手放してしまう。木の葉のようにひらひらと落ちていくそれを、アシャは慌てて掴もうとした。
 けれど名刺は伸ばした手をすり抜けて浮き、ルネの手元へ戻っていく。
「あ……」
 物を呼び寄せる初歩的な魔術だ。優れた術者なら詠唱すら不用である。
 気が動転していたとはいえ、ひとかどの魔女が思いつかなかったなど恥ずかしい限りで、アシャは行く先を失った手のひらを軽く振った。
 ルネは口元に手を添えて上品に笑う。
「いきなり恋人が降って湧いてはきませんし、男性にも女性にも欲を晴らす場は必要ですわ」
 彼女の案内に従った結果、いま立ち止まっているのは風俗店が並ぶ裏通りの入り口だ。
 身体のラインに沿った扇状的なドレスの女性たちが、店の軒先で客引きをしている。
 人間族だけでなく鳥獣人も多く見られ、少数ながら犬獣人も混ざっていた。
 鳥獣人たちは本来、ほとんどの種が昼行性だが、店で働くにあたり昼夜逆転の生活に切り替えているのだという。
 目的地である隣の区域では、客と従業者の性別がこことそっくり入れ替わっているのだろう。
「独り身であれば、誰に気兼ねすることもなく楽しめるでしょう?」
 ルネの淀みない語り口を聞いていると、つい脊髄反射で頷きたくなる。奇妙な説得力の高さに、アシャは理性で抗おうとした。
「……でも、本当に経験がないんだ。急にそんなところに行っても、怪我をするだけだよ」
 頭一つ分の身長差から、声を絞ると届きにくいとは重々承知している。それでも、大声で言うのは控えたかった。
 客が男性であれは、店の女性が事前に準備を済ませておけばいい。しかし客が女性の場合、何かと事情が異なってくる。
 性交渉によって受け入れる側が傷を負うなど動物にもありふれた話だが、実際に自分の身に降りかかるかと思うと二の足を踏んでしまう。
「大丈夫、決して痛い目には遭いませんわ。保証いたします……私の言葉では、信用に足りませんか?」
 ルネから寂しそうな目線を向けられ、罪悪感が強まる。それと同時に、男性遍歴を担保に出されてドキリとした。
 性欲旺盛な同年代の女性が太鼓判を捺すほどの店とは一体どんなものか。
 初体験でありつつ痛みがないとはどういうことなのか。
 好奇心が恐れをほんの少しだけ上回り、アシャを前向きな気持ちにさせた。
 微妙な表情の変化で満更でもない思いを察知したルネは、すかさずアシャの手を引く。
「私はこの通り目立ちますから、同伴者は印象に残りにくいのです。ことを成すなら今日がチャンスですわよ」
 聖職者という身分を保ったまま不特定多数と関係を持ち、風俗にも好んで通っている点か。小柄な兎獣人と、他種族と比較して背低とされがちな人間族の間に生まれながらに高身長である点か。
 両方の意味を込めて言っている気がした。
 人を褒めて伸ばす気質を持っているのに、ルネ自身の自己評価はそう高くないようだった。

 女性向けの風俗店区域は、先ほど目撃した男性向けと同様かそれ以上の熱気を帯びていた。若者から中高年まで幅広い年齢層の女性が行き交う中、二人はハヅクロイに入店を果たす。
 受付の男性は予想通り鳥獣人で、髪と似た生え方をした暗赤色の冠羽をオールバックに撫でつけ、首筋から下が羽毛で覆われていた。
「ようこそ、愛しき番い鳥の貴方。本日はどのような夜をお求めでしょうか」
 右手を胸元にあて、左手を横へ水平に広げたカウンター越しにお辞儀をする。
 長い翼腕がひるがえり、マントのような優美さがあった。
「お久しぶりですわ、イスカさん。今日は友人と参りましたの」
「わ、わっ」
 ルネの後ろに立って隠れていたところを引きずり出されてしまう。
「同伴でのご来店とは、ルネ様は相変わらず素晴らしいお方ですね。どうも、イスカと申します。初めまして」
「は……初めまして。アシャです」
 アシャがしどろもどろに挨拶をすると、イスカは目を細めて機嫌よく身を揺らした。
 壮年らしからぬ幼い仕草に見えたが、ルネは見慣れているらしく動じていない。おそらく鳥獣人の習性の一環なのだろう。
「お会いできて光栄です、美しい赤差し色の君。どうぞ楽しいひとときをお過ごしください」
「は、はい……」
 持って回った言い方に少し戸惑ったが、アシャの黒髪の一部にある赤いメッシュを指しているらしい。洗髪しても色落ちしない生まれつきの特徴であるが、詳しい来歴は不明だ。
 自身の印象を強めようと、髪を明るく派手な色に染め抜く冒険者は山ほどいる。
 それゆえ地味な色合いの地髪について指摘を受けることは稀で、社交辞令であっても気恥ずかしかった。
「さあ、アシャ。どの方になさいます?」
 ルネが差し出してきた名簿を、言われるがまま開いてみる。名前の横に胸上までの肖像画が付いていて、いずれも遜色がない美男揃いだった。
 ハッとするほど大きな二重の双眸。彫刻のように通った鼻筋。厚めの艶っぽい唇。
 今の時代において美形の典型とも称される特徴に加え、冠羽の鮮やかな構造色を見比べるうちに目がチカチカしてきた。
「う~ん……」
 目の疲れを取るために片手で眉間をつまんでみる。
 異性を惹きつけるべく、連綿と選び抜かれてきた美貌と派手さは理解できた。
 しかし、全員が優れているがゆえに、そこから誰か一人を選び取るのは難しい。
 決断しかねて悩むアシャを見たイスカは、翼角から生えた手指で壁の肖像画を示した。
「そういえば、先ほどラピが出勤したところですよ。彼なんてどうです?」
「えっ? ラ、ラピ……さん?」
 人間に例えると二十代前半ほどだろうか。他に漏れず整った顔立ちの青年が描かれている。
 センターパート風に整えた冠羽、側頭部を覆う耳羽、首下の羽毛全てが見事な瑠璃色だ。
 反対に眼の色は暗く、黒真珠を嵌め込んだような輝きを宿していた。
「まぁ。ラピさんは、いつも人気三位以内に入るお方でしてよ。めったに空いていませんのに、今日は幸運に恵まれていますのね」
 アシャのものとは表紙の色が異なる、お得意様向けと思しき名簿を見ていたルネが驚きの声をあげた。
 今回を逃せば、次に機会が巡ってくるのはいつになるか分からない。ほのめかされたのは真実だろう。
「どうされますか? アシャ様」
 従業者であるイスカの勧めなら、決して損はないはず。
「分かりました。ラピさんで、お願いします」
 アシャは、ほとんど反射的にそう言った。
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