人ならざるはオムファタル

坂本雅

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「ごめんね、びっくりさせちゃった?」
 アシャの顔色の変化に気づいたラピはすぐさま手を離す。アシャは首を小さく横に振った。
「いいえ、あたしが悪いんです。男の人と世間話をするのも珍しくて……」
 一度台詞を切り、唇を噛み締めた。
 初対面の人と打ち解けるには、相手が興味のありそうな話題をひとつ以上用意すればいい。得意な話を披露出来た相手は機嫌が良くなり、以降の対話も弾む。
 たまたま居合わせた者同士で即席パーティを結成することの多い冒険者界隈でも、わりかし有名な交渉術である。
 許可を得たからといって調子に乗り、あれこれ聞き回った恥は悔やんでも悔やみきれない。
「ラピさんは仕事で付き合ってくれているだけなのに……つい、忘れそうになりました」
 もはや謝罪ですらないアシャのぼやきに、ラピは怪訝そうな声をあげた。
「君とお話しするの、本当に楽しいよ? ぼく、演技なんて出来ないもん」
 不満げに左右の翼腕を羽ばたかせる。
 計算ずくではないと真正面から宣言して、わざとらしい、あざといといった軽蔑の目を向けられない者がどれほどいるか。
 実際に対面し声音を耳にしているからこそ、アシャはラピが真実を語っていると理解出来た。
 彼からは一欠片も悪意や嫌味が感じられないのだ。もしも全てが演技なら、一流の舞台俳優もかくやである。
 だからこそ。
「ラピさん側ではなく、受け取る方の心構えの問題です」
 口をついて出た言葉は止めようがなかった。
「普通は誰かと恋に落ちて、結婚して……子供が欲しくて、こういうことをするのに。段階を飛ばして都合のいいところだけ楽しもうなんて、虫がいいんじゃないかって」
 風俗という店、仕事そのものを否定する意見だった。
 ルネの提案に乗っておいて、いざ男性と二人きりになってから後悔するなんて、いよいよ何をしにきたのだろう。
 アシャは失礼な言い方ばかりしてしまう自分の不器用さに腹が立った。
 人気者の限られた勤務時間を浪費させたことさえ辛くて、目頭が熱くなる。
「ごめんなさい。あたし、やっぱり今日は止めに」
 眉間にしわを寄せて落涙をこらえ、立ち上がろうとした時、幅のある硬質な手がアシャの片手を掴んだ。
「アシャ、知ってる? 教会の認可が降りてるお店って、避妊も病気も気にしなくていいの」
「えっ?」
 真剣な表情で切り出された内容に意表を突かれ、思わず浮かせた腰を降ろす。
「どうして、今そんな話を……?」
 疑問を抱きつつ、耳を傾けようとするアシャにラピは口角を上げて微笑んだ。
「必要だから」
 そう断言し、すらすらと語り出す。
「出生率が下がるとかで公にはなってないけど、浄化術の派生に精子や菌だけ殺せるものがあってね。衛生環境を整えた優良店には教会から聖職者が派遣されて、術式をかけてもらえるんだ」
 教会が性風俗を認めて陰ながら助力しているなど初めて聞くが、風俗関係者からすれば公然の秘密だという。
 闇雲に店を取り締まり性欲の抑止を試みるのではなく、管理下に置き正しく整備した方が犯罪の抑止と治安維持に繋がる。
 ずいぶん前に読んだ日刊紙にはスラム街の減少および風俗街の急増が報じられていた。
 時の権力者の大胆な試みは、おおむね上手くいったようだ。
「施行が始まってから風俗は男だけのものじゃなくなって、男も女も番う相手を毎度変える気楽なオシドリになった。もちろん、純潔を保ちたいなら帰るべきだけど……性の解消に罪悪感を持つ必要はないんだよ」
 長いまつげに縁取られたラピの黒い双眸に、アシャの顔が映り込む。
 曇りなく澄んだ眼差しは怯えきった小心を見抜いていた。
 良い子にしていないと叱られる。貞淑でいなければ嫁のもらい手がない。
 かつて受けた躾という名の矯正がアシャを狭量にし、むやみに生き辛くさせてきた。
 視界が一気に開けた思いがする。
「ありがとう……」
 胸の奥で痛いほどの感情が湧き上がり、洪水の如く押し寄せてきているのに、一言を返すのが精一杯だった。
 鍵をかけられたと思い込んでいた鳥籠の扉を開けてくれた人へ、他に何と言えばいいか分からない。
「それとさ。オシドリはね、毎年のパートナーと本気で向き合って大切に寄り添うんだ。ぼくも心構えは同じ」
 引き留めるために繋ぎ、会話の最中にも離さずにいた手の力をラピは少しだけ強めた。
 あたかも、アシャを離すまいとするかのように。
「今この時、ここはぼくの巣の中で、君はぼくの番。だから、ぼくは君の初めてをもらいたい……ダメかな?」
 鳥類の特徴を色濃く有する鳥獣人ならではの想定を喋りつつも、語尾だけは自信なさげだった。
 しつこく食い下がったりはせず、拒否して飛び去ってしまっても構わないとする慎ましい姿勢が心をくすぐる。
 仮に誰にでも使う殺し文句であっても、言ってもらえただけで充分だと思えた。
「……ラピがいい。ラピじゃないと、嫌だ」
 泣くつもりはなかったのに、目尻から一筋の涙がこぼれて頬を伝う。
 他人行儀な敬語も崩れてしまって、格好がつかない。
「ありがとう、アシャ」
 ラピはアシャを抱き寄せると、優しく頭を撫でた。丁度、彼の胸元に顔を埋める形になる。
 胸筋を丸ごと覆う細かい羽毛は奥行きを感じないほど厚みがあり、信じがたいほど柔らかかった。
 出勤前の食事の影響か、あるいは鳥獣人の体臭なのか、ほのかに穀物めいた匂いがする。
「落ち着いた?」
 呼吸が整ってきた頃合いで話しかけられ、慌てて顔を上げた。
「はい……えっと。それじゃ、お、お風呂……」
「入浴する? じゃあ、ついてきてね」
 肌を合わせると決めたなら、事前に身綺麗にしておくのがお店での常識だ。
 ラピに案内され、備え付けの浴室を使った。
 複数人向けの大型浴槽ではなく、一人用の小ぶりな浴槽が二つ設置されているのは客と鳥獣人の適温が異なるためだった。
 人間族は熱い湯を好むが、鳥獣人が湯に浸かると羽の撥水性が損なわれてしまう。それぞれ別個に入浴すべきなのだ。
 二人の間には申し訳程度のシャワーカーテンがあるのみで、相手の影がはっきり見えていた。これも演出の一つかもしれないが、アシャは極力、横を見ないよう努めた。
 湯上がりに裸を見せるとなると、いよいよ平静ではいられず、脇や足の間を普段より入念に洗ってしまった。
 私服を元通り着るよりも話が早い気がして、用意されていた毛足の長いバスローブを羽織ると、やたら羞恥心が襲った。
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