人ならざるはオムファタル

坂本雅

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 やっと陸地に降り立ってからも、アシャの足元はおぼつかなかった。二人は予定していた観光を取りやめて、真っ直ぐ『フォークロア』へ向かう。
 宿を取ったのは創業当時の店舗ではなく、王の統治時代に建てられた古い洋館を買い取り改装した二号店だ。
 港から高台へ登っていく必要があったものの、道路は本土の都市と遜色ないほど整備されていて、三十分とかからずに辿り着けた。
 宿泊手続きを済ませ、階段を経て部屋のドアを閉めた瞬間、ドッと疲れが出る。
 背負っていた荷物を自分のベッドの脇に下ろしてもなお、全身が重かった。
「ごめん……ちょっと、休むよ」
 ルネに詫びを入れるやいなや、アシャは靴を脱ぎ、うつ伏せでベッドに倒れ込んだ。
 寝衣に着替える手間も惜しいほど、身体が体力の回復を求めていた。
「構いませんが、そのままでは風邪をひいてしまいますわ」
 アシャが掛布の上から動けないと察したルネは布の端を持ち、脱力した身を簡単に包む。
 おくるみで寝かされる赤ちゃんのようだが、恥じる前にまぶたを開けていられなくなり意識が暗転した。
 夢も見ない深い眠りを経て、再び目を開けた時、胸の不快感はかなり軽くなっていた。
 欠伸をして起き上がると、羽根ペンを走らせる小さな音に気がつく。ルネが窓辺の椅子に座り、日記帳らしき本に緻密な書き物をしていた。
 昼過ぎに到着したはずなのに、外はすっかり日が暮れている。
「……おはよう、ルネ」
「あら、おはようございます」
 時間帯のずれた目覚めの挨拶に、ルネはペンを止めた。
 インクの乾燥を促す吸い取り砂をまぶして本を閉じ、椅子に置いてアシャの側までやってくる。
「体調はいかがですか?」
「だいぶ良くなったよ。お腹が空いたから、ご飯を食べに行きたいな……ルネはもう行った、よね?」
 確認を兼ねて訊ねたのだが、ルネは首を横に振った。
「まさか。アシャを置き去りにはしませんわ」
 微笑んで手を差し伸べてくる。
「近場のレストランに参りましょう。バーを兼ねたお店ばかりですから、ゆっくり食べられますわよ」
 もしも彼女が部屋に鍵をかけ、一人で出歩いていたら、アシャは起き抜けに孤独を感じただろう。
 起きるまで待ってくれていた事実に、アシャの心が温かいもので満たされる。
 同時に腹の虫も鳴ってしまい、意図せず笑いを誘った。

 食欲があっても食事量まで元通りとはいかず、アシャはレーズンとナッツを混ぜた郷土菓子で小腹を満たすに留めた。
 ペパーミントティーの清涼感が鼻に抜けて、どことなく爽やかな気分になる。
「それで……この後、どうなさいます? 私としては、何もせずお部屋で休んだ方が良いと思いますけれど」
 貝のチーズ入りパスタを平らげ、食後のカモミールティーを飲んでいたルネがおもむろに訊ねてきた。
 性に奔放な女性らしからぬ発言だと感じたが、そんな歯に衣着せぬ物言いをしては礼を欠く。
 アシャはハーブティーを喉に通して一呼吸置き、頭の中で違う表現を探した。
「わざわざ、ここまで来たのに?」
 考えたわりには似通った意味の返答になってしまい、自分の語彙力のなさに呆れる。
 ルネは神妙な面持ちで頷いた。
「身体に負担のかかる行為です。万全の状態でなければ、存分には楽しめません。急いては事を仕損ずると言いますでしょう?」
 彼女が説き伏せるような言葉を使うのは、アシャの内心の焦りを察しているからだろう。
 時間を無駄にした埋め合わせで本懐を遂げては後悔が残ると、言外に忠告している。
「……心配してくれてありがとう、ルネ。でも、本当にもう大丈夫なんだ」
 ティーカップを置き、眉の下がったルネの顔を見つめた。
 船酔いしていた時は周りを見る余裕などなかったが、症状が落ち着いた今なら島の風景の素晴らしさがよく分かる。
 石垣のアーチの向こうに広がる海。オレンジ色の屋根を持つ白い家屋が並ぶ情緒的な路地。道沿いに咲き誇る名も知らぬ野の花。
 安らいだ陽光降り注ぐ春の良さを目と肌で感じ、新婚旅行の擬似体験を求める人の気持ちを少なからず理解出来た。
 アシャをこの離島に連れてきた、ルネの想いも。
「ただれてるなんて悪口言って、ごめん。ここで行かなかったら、いつまでも踏ん切りがつきそうにない……付き合ってくれる?」
 まるで告白のような言い方になってしまい、頬が熱くなる。
 ルネは数度まばたきをしてから目を細め、口元に手を沿えた。
「ええ、勿論」

 宿に戻り、受付で風俗店としての利用を告げると、すぐさま刺繍めいた装丁の名簿を渡された。
「どうぞ理想の夜をお探しください、お嬢様がた」
 応対した銀髪のエルフは雰囲気作りの一環か、赤い肩掛けマントが目立つ軽騎兵の扮装をしている。
 ルネによると、彼こそ初代から経営を引き継いだ店主らしい。
 名簿には、店主に負けずとも劣らない舞台俳優顔負けの肖像画が並んでいた。
 全員が銀髪であり、鼻筋の高さと薄めの唇も共通点だ。眼鏡を掛けている人物が割と多く、知的な印象を与える。
「うーん……」
 鳥獣人の店同様、整った美形の中から好みを見出すのは困難だった。
 迷わず即決したルネと違い、アシャは人の顔貌へのこだわりがないのかもしれない。
「決めかねておられるようですね」
 むやみにページをめくって見比べていると、店主から声を掛けられた。
 切れ長の碧眼とテノールの甘さが動揺を誘う。
「ご、ごめんなさい。どの方も素敵なんですけど、あたしは優柔不断で……」
 ルネほどではないが高い位置にある顔を見上げ、しどろもどろに答える。
 店主はフム、と小さく頷き、愛想良く白い歯を見せた。
「では、僕などいかがでしょう?」
「えっ!?」
「まあ、ランバートさんったら」
 アシャが素っ頓狂な声をあげたのと同時に、ルネも珍しく驚いた様子で店主の名を口にした。
 彼女は複雑そうな苦笑を浮かべて店主とアシャを見比べている。
 ランバートが人格や行動に問題のある男であれば、ここで強く止めるはずだ。
 口をつぐんでいるのは、そこまでするほどの理由ではないからだろう。
「よ……よろしくお願いします……」
 ルネの態度が気になったものの、違う相手を見繕う自信もなく、そう返した。
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